カテゴリ:日々のお言葉( 44 )

お言葉23「自分より他人を先に、それがあなたを幸せにする道です」

お言葉23「自分より他人を先に、それがあなたを幸せにする道です」について、18年11月12日(日)水の章15講NO2小竹講師の法話にありましたので抜粋しました。
小竹講師は、救われるには順番があるということですと言われました。我も我も等見がちですが、順番があるのです。そう思うと慈悲愍みの心も善根功徳行も順番があるのだあせてはいけないと教えてもらっているように思いました。


4 己を汚す事によりて他を清め、また己を澄ますものなり(38)

⑴ 清めるとは自分が損をすること

これには2つの意味があります。1つは己を汚すことが他を清めるです。
汚れるということは先ほど申しました自分が損をするということです。
人のために出す、人に尽くす、人に与えるということです。
これらを伴わないで他を清めるということはありません。
自分も得して相手も得する世界ではないのです。
相手の汚れを自分がひっかぶるそれで相手の汚れが取れるのです。
洗濯機を思い出してください。
衣類の汚れを取ろうと思ったらきれいな水が汚れるのです。
人が重たい荷物を持ち大変だな助けて上げようと荷物を持ちますと荷物の重さ自分にかかってきますね。
用具を利用する等工夫はあるでしょうが魔法を使って荷物を軽くすることはできません。
汚れは消えないのです。
私たちが相手のものを半分取ると相手は半分取られる世界に生きています。

⑵ 順番のある世界

2つは、他を救うことが自分を救うことになるのです。
これは救われるには順番があるということが判ります。
相手を先に救い、自分は後で救われることを忘れなければいいのです。
救われるのは順番があるのです。

お宗祖様の信者訓戒に自分より他人を先に、それがあなたを幸せにする道ですという言葉がありますが、私たちが住んでいるのはまさにこの言葉の世界なのです。
そこを間違わないで生活して行きたいと思います。
私たちの身の回りの起きる何事も、まず私たちが先に損をしたらいいのです。
そのことを心をとめて取り組んでいったらならば、他人を救うことが自分を救うことになるのです。
どっちが先であるかだけ間違わなければいいのです。
自分を先にするからトラブルが起きるのです。
相手の方を先にすればトラブルは起きません。
この生き方が人間として本当の生き方でしょう。
この生き方をすれば、パーキンソン病もガンも治すことができると思っています。
病気に負けない生き方がそこにあるのではないかなと思います。

宗教は形より心が先行する世界です。信仰が先にあっておかげが後です。
順序の理とでもいうのでしょうか、順番を持っているものがありますから、その順番を間違わないようにて信仰していくことが大事かなと思います。
善根の周囲を取りましている事柄をもう一度確認して、純粋な本当の善根を積むことができるように頑張っていきたいなと思っています。
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お言葉16 宗務総長のお言葉を考える

日々のお言葉16 「感謝は形に表さねば、感謝になりません」

妙音新聞平成21年12月15日号に、宗務総長の日々のお言葉の解説「お言葉を考える」が掲載されていましたので、転記しました。
感謝祭でも今月のお言葉ということで話されていますが、新聞の載っているので助かります。

さまざまな人とのつながりの中で、私たちは生かされています。
例えば、先祖、祖父母、父、母、兄弟、姉妹、夫、妻、子ども、孫、先生、生徒、師匠、弟子、上司、同僚、部下、隣人、友達、恋人、尽くす人、尽くしてくれる人、支える人、支えてくれる人、愛する人、愛してくれる人。
そして、私たちはご本尊さま・とのご縁を頂き、かけがえのない信友にも恵まれ、これらの人との触れ合いの中で、喜びや悲しみを分かち合って成長し、現在があります。
たとえ、今どのような状況にあっても、私たちはそれぞれの人に感謝し形に表さなければなりません。
感謝は形に表して初めて相手に伝わり本物になるからです。
難しいように感じるかもしれませんが、人のお世話になったり、ものをいただいた時には、皆さん恐らく
「ありがとう」というでしょう。
この「ありがとう」という一言が、感謝を形に表す第1歩です。
ある信者さんが、結構なお蔭をたくさんいただかれました。
そのありがたいという気持ちを、自分の胸にしまって多くのはもったいないと思いました。
そこでいただいたおかげ話を会う人・会う人に話していきました。
人に話すことにより、ご本尊さまへの感謝が深まり、その深まった感謝を人に伝えずにはいられなくなり、話を聞いた人も「そんな(に?)ありがたいのなら、1度お詣りして見よう」とご縁を結ばれ、喜びの連鎖が生まれることになりました。
水が上から下に流れるように、感謝の心を自分だけに留めておかずに人に伝えるという行為。
これが大切なのです。
感謝を形に表すという行いは、決して難しい事ではありません。
感謝を言葉にする。手紙を書く。絵に描く。手作りのプレゼントをする。
花を贈る。会いに行く。一緒に過ごすなど、表現の方法は数多くありますが、形に表すことにより感謝の思いは深かまります。
感謝を形に表す行いには、相手と自分の心を温かく豊かにし、幸せにする不思議な力があります。

リンク
お言葉16 教区便り
お言葉16 茨木教区便り
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お言葉64 水の章から

お言葉64「すべての原因は自分にある」に関するお話を18年10月22日(日)水の章14講 小竹講師講話の中から抜粋


苦から逃れるための生き方

別な表現では、苦しくなくても今ある状態を「苦」としまして、ズーと置いておきますと、自分の未来において何も変わらないということになります。
力を加えないと今の状態は未来でも今の状態なのです。
少しでも苦しみを乗り越えて喜びに変えようというのが信仰でありますから、何もしないのではなく今の状態に力を加えます。
どんな力かと言いますと生活を変えるという力です。
変化する力です。
どんな力かと申しますと善根ですから、人の役に立つという生き方をするという変化を生活に加えますと、喜びの未来が開けてくるのです。
ですから私たちの未来の生活を作る責任は、自分にあるのです。
お宗祖様の言葉ですが「すべての原因は自分にある」といわれています。
この自分にあるという意味は、済んだことを言っているのではなく、これからどんな未来ができるか。
どんな将来にするか。
その責任の所在はあなたですよ。
あなたがどうゆう風に生きてゆくか、それによって未来が変わってきます。
信者さんの中にはこんな話が沢山でてまいります。
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お言葉9 水の章から

お言葉9「じっとしていて何が救われますか」に関するお話を18年10月22日(日)水の章14講 小竹講師講話の中から抜粋


お言葉9「じっとしていて何が救われますか」と水の章「波のない流れは汚れ取れざるなり(33)」との関係

流れとは漣などのように波が上下になっている状態です。
波のない流れは、上下が無く水面が横一線の平坦な状態です。
こうゆう横一線では汚れはとれないよといってるのです。
洗濯機の中に洗濯物を付けているだけでは汚れは落ちませんね。
動かすと汚れが取れますね。
これを言っています。
これは、辯天さんの教えで、心に波を作るということは高い心と低い心で波を作るのです。
辯天さんの教えでは低い心になれと言っていますから、高いところより低い心になり心の波を作るのです。次第に低くなりますね。
低い心になって何かをすることが辯天さん波の作り方なのです。
これにより汚れを取ってゆくのです。
波のない横一線の水面では行動することがないのですね。
ここでの行動は漣のことですが、別な言葉で言えば人のお役に立つという善根の動きがないということです。
この動きがないとそれに見合う喜びをつかむことができません。
この善根の行動がない荒っぽい言い方ですが「救われない」ということになります。
お宗祖様の信者訓戒のお言葉では、「じっとしていて何が救われますか」になりますね。

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お言葉9 教区便り
お言葉9 宗務総長(感謝祭) 
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お言葉6 水の章から

日々のお言葉6「低いい心に徳が流れ込みます」に関するお話を18年10月22日(日)水の章14講 小竹講師講話の中から抜粋

○低い心に徳が流れ込みますの落とし穴

昨日のお言葉でしたか、低い心には徳が流れ込みますがありました。

私はこれを、得てして落とし穴にはまってしまうと取るのです。
徳を求めて信仰するのです。
私は間違っていると思います。
私たちが求めて行くのは徳ではありません。
低い心の生き方を求めて行くのです。
徳はその後流れ込んでくるものなのです。
徳を求めて信仰してはいけません。
あなたが私に親切にしてくれるのは、自分の徳を求めるためにやっているのとなるのです。
低い心で人に親切にする。低い心で何かをする。
それが目標です。
徳が流れ込んで参りますといわれていますからほって置けばいいのです。
ほって置くべきものをあてにしてはダメです。
徳を求めるのではなく、徳を生み出すであろう低い心の生き方、謙虚で生きてゆく、感謝で生きてゆく、人に親切にするだけで自分心が納得できる。
安心できる。
そういう信仰を私たちは身につけていないと、ややもすると徳を求めてゆくになります。
ですからそういう厳しさを私たちは信仰に中にもつことが大事かと思います。
もしかしたら活発善根のその活発の精神的なものには、低い心の生き方を求める精神が入っているかも知れません。
私たちの人生にはそういう状態を打開しようと思ったら、苦しいとき、つらいとき、悲しいとき、しんどいときにそのことを言わないでただ善根を積むという烈しい漣が必要かも知れません。
それが今抱えている状況を変えて行くのでしょう。
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お言葉22 水の章10講から

日々のお言葉(or信者訓戒)22 「ご本尊様は何時でも何処でもあなたの背中についておられます」に関するお話を18年8月26日(土) 水の章第10講 小竹祥善講師法話から転記しました。
インドにある故マザーテレサさんの施設で働いた日本人のお話の中からの抜粋です。

1 マザーテレサの手伝い

中村天風という哲学者がいます。この方は世界中を回りました。
インドでヨガの行者と出会い、修行してびょきを直し帰国して哲学の方に進んで行かれた方です。
その方に影響された男性の方がインドでマザーテレサの手伝いをしました。
どんな手伝いかといいますと、カルカッタでマザーテレサの施設を訪ね、寝たきりの老人お世話をしました。
ある日世話が終わって休憩中、世話係から悪いけれど、寝たっきりの老人がトイレに行きたそうだからトイレに連れて行ってと言われ、寝たきりの老人を背中に負ぶってトイレに行きました。
大便でした。

身体が弱っているのでその場で支えなくてはならず一緒に坐っていると、はっとここはインドには、紙がないことに気づいたのです。
私は用を足した後この老人にどうしたらいいのかとパニックになりました。
混乱していると、目の前にマザーテレサの書いた1枚の紙が目についた。
それには「今貴方の目の前にいる方がイエスキリストです」と書いてあった。
今トイレをしている方がイエスさまであるという気持ちで接しなさいと思ったら、自然に下を流れる川の水をすくっておしりを洗った。
用が終わり部屋に帰るとき、動転と緊張していたのか、顔を引きつらせて老人をベッドに運ぶ途中、後ろから肩を叩かれ、振り向くとマザーテレサで、もう1枚の紙を見るようにマザーテレサに指さされた。
その紙には「貴方も緊張すると貴方の側にいる方も緊張します。貴方が優しい心になるとその方も優しい心になります」と書いてあった。
背中の老人は緊張してこわばっていたそうです。
そこでマザーテレサに、スマイル・スマイルといわれ、無理矢理に笑ったら、マザーテレサもにこっと笑いました。
これがその方のマザーテレサの施設での一番の思い出だったそうです。

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日々のお言葉10 「善いことは行ってはじめて善い事になるのです」

教区便りの7月のお言葉

宗祖様は、積徳の身ととして善を行うことをお示しになったが、今月の言葉のように善とは、行って初めて意味を持つ。
いくら善い事を研究し、頭で理解しても信仰上の価値はないに等しい。
今一度、自分の信仰を振り返ってみよう。
善い事はなにかを、よくわかっていながら何もしないということはないか。
心の中で思っているだけで、善を行ったつもりになってはいないか。
善い事であるが故の落とし穴もある。
それだけ「善」を行うことはむつかしい。
しかし、善を行わないで願いがかなえられる信仰はない。
できることから1つ1つやって行こう。

同じお言葉の参照茨木教区便りの日々のお言葉10

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日々のお言葉10 「良いことは行ってはじめて善い事になるのです」

平成21年7月のお言葉10
平成21年6月15日の茨城教区便りから頂きました。
この教区の日々のお言葉は創作です。善いことが書いてありますので、毎月読んでいます。
考えさせられるお言葉の説明だと思います。


最近テレビのニュースを聞いても、新聞を読んでも世界の秩序ウの欠落、汚職、誹謗中傷等が主体で、毎日悪いことを頭にこれでもかこれでもかとインプットされているようです。
せめて日本発信の健全なニュースはないかと思います。
家庭で教えられていたであろう道徳観念も欠如し、社会ルールも乱れてきていますが、鬼畜同然でない人間らしいものが正常であることを願っています。
先日高校生2人が、女性が泥棒と叫んだので、逃げている男を自転車で追いかけて取り押さえたニュースがありました。
高校生2人は、友達ではなくたまたま偶然その場に居合わせて犯人を追い詰めたのですが、その犯人が警察の人でした。
善意が下手をすれば犯人に怪我をさせられることもあったでしょうが、咄嗟に判断して行動した2人の姿に、昔は人が困っていたらこのように自然に反応をして動いていた人が、多かったなあ!と、懐かしんでいます。

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日々のお言葉07 心の中に悪因を作らないように

霊地は心行一体とお宗祖様を過ごせる有り難い体験の場

19年1月6日(土)宗祖伝19講から抜粋しました。
6~8月の暑い時期の研修科の話です。
夕食の時になると1人、2人と食事を抜ける方が出ました。
理由は当時お供えのご飯を炊いたご飯に混ぜて夕食に出し、入寮の研修生が食べていたのですがどうしてもお供えしているご飯が傷み匂いがするのですね。
その傷んだ匂いの晩ご飯が出されるので、1人、2人と食事に来ない方が出てきたのです。
人間ですから100日間には色んなことが出てきます。
食堂のおばちゃんが、お宗祖様に私が一生懸命作ったご飯を食べない信者さんがいると申し上げたのです。
お宗祖様はみんなを集めて注意をしました。
実は梅木先生はご飯を食べていましたが、そこで梅木先生を名指しで注意しました。
梅木先生は食べているのに何で怒られるのかと腹が立ち、お宗祖様に、ご飯を食べてます。
食べてない方は外にいますと弁解しました。
お宗祖様はにっこり笑われて、分かっていますよとおっしゃり、でもあなたは、心の中でいやいや食べているでしょう。
しかも抜けて行く研修生はああ悪いな、こんなことしたら悪いな、しかし私はよう食べられないからといった済まないなという気持ちを持っています。
あんたはいやいやたべてるけれども、悪いと思ってないやろ。
だからご飯を食べてない人よりあんたが一番悪いとお宗祖様に叱られ、梅木先生は畳に額をこすりつけ申し訳ありませんでしたと謝られたそうです。
これはワシの遺言や何か機会があれば話してくれと梅木先生に言われたお運びの講師から聞いて皆さんにお話ししています。
この話は、信者訓戒の「心の中に悪因を作らないように」というお言葉の法話に私は使わしてもらっています。
お宗祖様の側にいれば、お宗祖様から直接ご指導いただけたり、お宗祖様の行動、お考えを見聞できるすばらしい出会いがあるのですね。
3食ともご飯にみそ汁だけという粗末な食事で、朝早くから起きて、夜遅くまで信者のために身を粉にして尽くされるお宗祖様を見て研修生は育っているのですね。
1日中お側で寝起きすればこそ分かることなのですよね。
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お言葉15 徳の低い人ほど心は低い。

妙音新聞622号(2009年11月15日)に、お宗祖さまのお示しにならrた日々のお言葉15に関する辯天宗NO2宗務総長大森光祥さんの「お言葉を考える」が掲載されていましたので、転記しました。
感謝祭でも今月のお言葉ということで話されていますが、新聞の載っているので助かります。



低いとは自分より他人お幸せを先に考え他の力になることのできる心。
人の幸せを喜び、人の悲しみに胸を痛めることができる深い心。
苦しみの中にあっても、ありのままにを受け入れ、感謝の中で今を生き抜く強い心を指します。
また低い心とは、自分の中に原因を見つけ、困難を引き受けることができる謙虚で勇気ある心。
たとえだまされ、傷ついたとしても相手を許すことのできる心。
与えられた使命を最後までやりとげることができる責任ある心。
時の流れを受入れ、過去にとらわれず変化を恐れない柔らかい心。
ご本尊さまに帰依し、ご本尊さまの御心のままに生きる素直な心の事です。
低い心とは人にこびへつらうのではなく、迎合するのでもなく、まして卑下することでもありません。
低い心とは、自己中心的な欲望を超え、あらゆる執着から離れた自由な心なのです。
この「低い心」を行動原理とし、何か問題が起こった時、その問題が他人にとってどのような影響を与えるかを考えて行動する人が「徳の高い人」です。
心が社会に開かれて、社会の一員であることを自覚し、社会に貢献していることに誇りを持っています。周りには人が集まり、笑い声が絶えずその人とともにいつだけで心がやすまります。
「徳の低い人」つまり「心が高い人」はその問題が自分にいかなる意味を持つかを考えて行動します。
心が閉じられて自分にしか関心がありません。
極端な場合、その人の行動原理は、「損か得か?」であり、自分の欲望と快楽です。
当然何時も満たされるはずはなく、欲求不満に苦しむことになります。
現代社会に歪みをもたらしている偏った市場原理主義を信奉する自己中心的な人々や、頻発する凶悪犯罪の加害者が持つ心理的要因にも重なるのではないでしょうか。
宗祖様は、私たちが『低い心』を育み。「徳の高い人」へ成長することを願われました。
心を低くし、高い徳を備えるためには、み教えに照らして自分自身を厳しく律し、人に尽くし、心を鍛えることを心を怠ってはなりません。
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