お言葉16 教区便り12月号から

宗本部から1月の実践目標として示された日々のお言葉16が教区便りに載っていました。

日々のお言葉16 「感謝は形に表さねば、感謝になりません」

「宗祖五行のお諭し」に「感謝の誠を捧ぐべし」とあるように、文字通り感謝は「捧げる」ものである。
有り難いという思いが「捧げる」という形に表され、初めて感謝している事になる。
有り難く思う心が育てば育つほど、何とかしてその思いを相手に伝えようとするだろう。
形に表せないのは、その思いが本物ではないからだと言って良い。
本物の感謝とは、せずにおかれないとする自己の思いの表現で、人に言われたからするものではない。
また、したからと言って、代償を求めるものでもない。

リンク
お言葉16 教区便り
宗務総長さんの日々のお言葉16を考える



1 何故お宗祖さま「感謝は形に表さねば、感謝になりません」と言われたのでしょう。

世間では言葉の感謝で充分なのです。そこを「形に表さねば」と言われています。
お宗祖さまは、感謝の言葉とともに施しの善根功徳行を実践して少しでも徳を積ませようという親心から出た言葉だと思います。

私達は、他人優しい言葉を添えられ物をもらう、優しい言葉をかけられ席を譲られる親切にあうと即座に有難うございますとその場でお礼を言います。
それで、世間では感謝した事になります。
有難うという一言が出ないのもこの頃の世間ではないでしょうか。

相手は優しい言葉や思いとともに、財施、身施といった施しをしているに、自分は言葉しかお返をしない。
そこには物で身体でお返しの施しをするいうことはなく感謝した言葉や思いのみです。
私はお宗祖さまの「形に表さねば」という言葉には、お宗祖さまのお言葉集成にあったと思います「他人に施す心のない家は滅びる」というお話の形を変えた施しについて教えられていると思うのです。

形に表すためには、自分を犠牲にする事につながるお金で物を買い、物でお返しをする。
仕事や作業を手伝う、掃除をさせてもらうという奉仕をさせてもらうことになるでしょう。
これは私は施しであると思うのです。
言葉で感謝するだけでは和顔愛語の施しもあるでしょうが、そこには身銭を切る。損をするといった自己犠牲が不十分のではないでしょうか。
ですからお宗祖さま形に表せと言われたように思います。
形に表すには、身体を動かします。
お礼の品を買わないとなりません。買わなくてもいただき物をおすそ分けしなくたはなりません。
田舎に泊まろうというテレビで、宿泊したタレントは一宿一飯のお礼にお手伝いを何かさせてもらっています。
更に趣味の広い方は絵を描いたり、民芸品を作ったり、文字を残したりされています。
テレビを見てはなるほどと感心しています。

施しは善根功徳だそうです。
「感謝は形に表さねば感謝になりません」では、言葉だけの感謝ではダメだといわれています。
それは、言葉だけでも善い事ですが、善根功徳を積んだ事にならないからでしょう。
形に表しやすい感謝するチャンスを生かし、あなたが幸せになるために徳を、善根功徳を積みなさいと仰っているように思います。

教区便りも「感謝のまことを捧ぐべし」を引用していますが、「捧ぐべし」の中には、1つ真心の言葉を捧げる。
2つ真心の善根功徳(行)を捧げるの2つがあると思います。
有難うございましただけでは捧げつくしていないのです。
感謝のまこと行(善根功徳行)をおこなって初めて感謝した事になるのでしょうね。

2 形に表すとは施しである
妙音新聞で、業果 (昭和27年10月、妙音第18号)
妙音新聞25号 施しを惜しまず善い因を作れ
に施しの必要性が説かれています。
私が、口先や笑顔の感謝するだけではだめで、形を伴う施しをしなければならないという考えに至ったお話です。

○ お負けのひとりごと

信者がご本尊さまに感謝を形に表す方法は、4つあるそうです。
ご本尊さまが非常に喜ばれるから実行しましょうと言われました。
1つ、お蔭をいただくと速やかにお礼詣りをする。2つ、感謝祭に参加する。3つ感謝箱をする。4つ支部感謝祭等で体験談をする。
有り難い事ですね。
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