お言葉16 茨木教区だより

平成22年1月のお言葉16「感謝は形に表さねば感謝になりません」

平成21年12月15日の茨城教区便りから頂きました。
この教区の日々のお言葉は創作です。
善いことが書いてありますので、毎月読んで、他の教区便りの日々のお言葉と比較しています。

学校を卒業する時に先生たちが私達に送る言葉としてくださったのは『世界中の中には、勉強したくてもできない人がいますが、あなた達は恵まれて教育を受けたのですから、何かの形でもかまいませんから社会に出てお返しができるように』でした。
その言葉を思い出すと、出来ていない!と反省です

ただ友人たちのその後を思うと有形無形に頑張っていて、私も自分ができる事で何かという気持ちが湧きます。
このお言葉16にも同じ心が含まれていると思います。
ご近所お付き合いを初め色んなお付き合い、自分たちが生かしていただいているすべてに関して見るに、自分一人では生きて行けないということを実感します。
ほんのちょっとしたことでもどれだけの力や恵みがこもっているかと、考えれば考えるほど感じる事が絶えません。
よく私は、家族や自分自身が災難に出合って助けていただくと人間の寿命は本来はここまで、しかし助かったのはまだやらなくてはならない事がるというお知らせか、まだ修行が足りないということだなと思います。
有り難いと思ったら自然に心と言葉と行動が一致します。
例えばお経を上げるということは敬虔な祈りをささげようという意に出発し、お経を唱える口の行の実行、手を合わせる身行の実行で、感謝の誠をささげる時のお経は身口意の一致で実を結ぶといわれています。
信者としては、感謝箱、ご奉仕等がありますが、感謝は普通の生活でも形に表す事が出来ます。
ご近所ご一緒の町内会の清掃等、自分たちでできることで感謝の心を形に表わしていけます。
1番大事なことはどんな時でも感謝する心を忘れない事だと思います。
自分の今ある事に、人からの気持ちに対しても素直に感謝できるという感性があるかということです。
善く大事な人をなくしたり、ドン底に落ちた時に感謝できるか!という人もいるかもしれません。
私はそんな時でもぐらつかない信仰を持ち続けて苦しさを乗り越えて更に信仰生活を深めている方を目にすると、感謝とは信仰とはこういうことなのだなと教えられます。
とにかく人は身勝手な自分の視野で物事を判断しますが、どんな時でもまず感謝の気持ちを忘れずに、どれだけ自分は生きているかということを胸に手を置いて考えると、自然に答えが得られる事と思います。
以前にこのおことばの時と思いますが、感謝のノートについて書いた事があります。
お運びで先生がその日起きた感謝する事を書いてみましょうと教えてくださった。
ノートに書きとめて見ると毎日たくさん感謝する事に出合っていると知らされました。
書きとめていないと平気で忘れたりしている事が多いのですが、それよりも当り前のこととして記憶にとどめないで、いることの多さに気付きました。
人と人を繋ぐのは何気ないことの積み重ねですが、同じ事に接しても、何でも人の欠点を探して恨み、悪くいう人がいますが、人をよく思い、出会いに感謝できたら幸せに感じるのではないでしょうか。
感謝できる気持や心を失うことなく、素直になることが大切だと思います。

リンク
お言葉16 教区便り
宗務総長さんのお言葉16を考える 
[PR]