お言葉10 教区便りから

日々のお言葉10 「善いことは行ってはじめて善い事になるのです」

教区便りの7月のお言葉

宗祖様は、積徳の身ととして善を行うことをお示しになったが、今月の言葉のように善とは、行って初めて意味を持つ。
いくら善い事を研究し、頭で理解しても信仰上の価値はないに等しい。
今一度、自分の信仰を振り返ってみよう。
善い事はなにかを、よくわかっていながら何もしないということはないか。
心の中で思っているだけで、善を行ったつもりになってはいないか。
善い事であるが故の落とし穴もある。
それだけ「善」を行うことはむつかしい。
しかし、善を行わないで願いがかなえられる信仰はない。
できることから1つ1つやって行こう。

同じお言葉の参照茨木教区便りの日々のお言葉10




善い事は行ってはじめて善い事になるのですというお言葉は、善い事したいと心に思う方は大勢いますが、善い事を実際に人前で、隠れて実行できない方も大勢いるのではないでしょうか。
そこで、お宗祖さまは心に思っていても、自分でよい事だと思ったことを実行しないと神さまのいわれる善い事になりませんと教えてくださっていると思うのです。
例えば、境内に紙屑が落ちているとします。
人前ではなかなか拾えません。
これ見よがしに善い事をしているように思われるのはいやだ。
人前では恥ずかしいという気持ちが働くのではないでしょうか。
また年寄りに電車の席を譲りたいが、どうも恥ずかしい、勇気がないということもあるでしょう。
善い事をするより知らんふりをすることの方がらくだ。
気を遣わなくてよいと思うこともあるでしょう。

お宗祖さまは善根を積める入り口まで来ている人に、扉を開けて善根功徳行にお入りなさい。
神さまはあなたの善根を積もうとしている心を喜んで、善根を積んで因縁解脱をする事を心待ちにしておられるのですよ。
さあ勇気を出して、恥ずかしがらずに、人目を気にせずにやってごらんなさい。
弁天様がお喜びになるのですよ。
と呼びかけておられように思います。

「善根功徳の行を行うべし」という五行のお諭の実行面ですが、私は善根功徳行というより、弁天様にお宗祖さまに助けていただいてご恩返しが世のため人のために身体を動かすお役に立つことであると解釈しています。
お参りするのもご恩返しです。奉仕活動もご恩返しです。
善い事を行わなくてはならない場面に、直面しますとそれはお宗祖さまがご恩返しをしなさい。
ご恩返しのチャンスですよとお指図されていると思うようにしています。

行った善根功徳の話をすると善根功徳にならないという教えがあります。
お礼を言うと皆さんの功徳が無になるのでお礼を言いませんといわれるお宗祖さまでも如意寺ができたときは喜ばれ感謝されています。
私は、善根功徳の実績を自慢する。見せびらかすという心が善根功徳を無に帰すのだろうと思うのです。

貴方はどんなにして善根を積んでいますかと尋ねられた時に、お話しすると私の功徳行が無くなりますから話しませんという解答が正しいのでしょうか。
私はこんな心で、こんなことでも善根功徳が積ませていただいていますと話すことは、善根を積んでいることになり、行った善根功徳行が無になることはないと思います。
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