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偽経についてNO1

偽経についてNO1

以前、宗務員が教区の感謝祭で話した盂蘭盆会経について
盂蘭盆会経の内容は真実か?
で私的な見解を述べました。
しかし、インターネットで経本を検索していましたらフリー百科事典『ウィキペディア』の
偽経 というページを発見しました。

1 同ページからの抜粋転記
(沿革)
それに寄りますと、偽経あるいは疑経とは、中国に置いて、漢訳された仏教経典を分類し、研究する際に、インド又は中央アジアの源典から翻訳されたものでなく、中国人が漢語で撰述したり、あるいは長大な漢訳経典から抄出して創った経典に対して用いられた、歴史的用語である。中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。

(議論)
「現在日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該宗派の立場は、仏教の異端である」とする別の宗派からの非難がなされることがある。
しかし、富永仲基(江戸時代の大阪の町人学者、合理主義の立場に立ち儒教、仏教、神道を批判した)や村上専精(真宗大谷派のお寺に生ま東本願寺の教師学校を卒業、現駒澤大学の講師、現東洋大学の講師兼学生として哲学を学ぶ、旧東大の講師を経て旧東大インド哲学科の初代教授、旧東大名誉教授、大谷大学学長を歴任している。1901年仏教統一論を著し、大乗非仏説を提起し、大反響を呼び、一時大谷派の僧籍を離れた。近代的な仏教研究と教育体制の整備に努められた)の大乗非仏説を引き合いに出すまでもなく、仏教典と呼ばれるものが、釈迦の教説をそのまま伝えているものでないことは、経典研究の結果、あきらかである。
つまり、真経と偽経(疑経)の相違は、インド又は中央アジアで撰せられたか、中国において撰せられたかの相違に過ぎない。
以前は真経と偽経を区別することより、成立の事情を明らかにした方が仏教研究に資するという考えに立っている。

最近発表された偽経の説としては、『般若心経』が中国撰述であるという説がある。米国のジャン・ナティエは、鳩摩羅什訳「摩訶般若波羅蜜経」等に基づき玄奘が
『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット語に訳したという説を1992年に発表している。

(偽経一覧)

老子化胡経(西晋の王浮作とされる偽経)
梵綱経(5世紀頃中国の大乗仏教の偽経)
延命十句観音経
菩薩瓔珞本業経
盂蘭盆会経(ウラボンエキョウ)
父母恩重経
十王経
無量義経

2 お坊さんの如是我聞の解釈

私は浄土系の宗派ですが、月参りのお坊さんに、
お釈迦様の教えは小乗仏教ですから、これこれというお経は真実でしょうか。
私にはお坊さんの創作だとしか思えないのです。
小乗仏教を説いて、神さま仏さまのことを1度も述べられたことのないお釈迦様がなぜ仏さまのことを説明するのでしょうと尋ねますと

何々さんまだそんなことをいっているのですか。
お経の中にお釈迦様から聞いたと『如是我聞』と書いてあるではないですかと返事が返ってきました。

この坊さんは大学を卒業後、お坊さんが好きで仏教系大学のお坊さん過程を経て、信徒を抱えるお寺のお抱えというのか住職が不在の時に代理をやられる坊さんでした。(今は寺持ちの住職さんに成られています)

仏教典の作成年月日、小乗仏教と大乗仏教に違いが分かれば、理解可能であると思います。
不勉強というか臭いものには蓋をして知らない顔する。
坊さんの言うことが正しいと高飛車に怒鳴る。
嘘というか、小説家のような作家の創作経典の内容を真実として平成の世になっても信者に言いくるめるお坊さんが本当に人の魂を、救えるのでしょうか。
アマチュアでプロではない。
葬式・法事の経をあげても、死者も生者も救えない素人坊主ではないかと思います。
この様な方が多いのではないでしょうか。

最後に付け加えますが、偽経は偽経として、事実を説明し、このような考え方もありますが判断は、信者の皆さんでしてくださいという立場が必要だと思います。
お宗祖様はこれについてはこう仰っていますと付け加えるべきだろうと思います。

偽経ではないかという新説のある「般若心経」をお宗祖様は唱える事により無心に成られ、弁天さまと会話されています。
偽経であれ、神さまとお話しできる境地に到達できるお経であれば、私たちは真剣に読経する価値があると思います。
心を神さまの領域に近づけることができる1手段だからです。
偽経といって使わない、排斥するという態度では、お宗祖様にあやかりできれば弁天さまのお声が聞きたい。
少なくともお宗祖様のお声が聴きたと思っても声を聞ける方法まで排斥することになり、間違っていると思います。