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節分と観音経のお話

節分と観音経のお話

御所教会の平成21年3月1日発行の「幸真」の教会長梅木祥邦さんのお経に関する話が載っていました。
観音経に興味がありますので、収集しました。

1 記事の内容

本日は感謝祭にようこそお詣り下さいました。
節分のお話がありましたが、
節分の由来は、2月3日は旧暦で12月31日にあたり、豆をまいて自分の邪気を祓い、自分の心を浄め、新し心になって新年を迎えるという意味なのです。

そしてお経の事ですが、宗祖様は「観音経は、観音様がお働きになる有り難いお経です。
祈願の時も観音経をあげてから心経をあげなさい」と仰っています。
私達御所教会も感謝祭には必ず観音経と心経をあげさせて頂くのはそういう事なのです。
経本を見ながらお経を上がると、邪念が入らず一心不乱にあげる事ができます。1字1句、間違ってもご本尊さまに申し訳がありません。

また礼拝経には、教えが一杯書かれていますので、礼拝経を自分達の生活で実践すれば必ず幸せにさせていただけるのです。
どうぞ宗祖霊顕75年祭にはご本尊さまの御心にそって、1つ心でお詣りそしてくださいますようにお願いいたします。

2 経文を読むということについての私の疑問と解釈

管長様も同じ事を言われます。なるほど邪念が入らないのでしょう。
そうだと思うのです。
では大般若経ですかね。600巻ですか。あまり多いのでパラパラと経本を扇のように広げて、何か唱えた後パンと経本を経机の上に置き読んだ事にする行事があります。
つぎに弁天宗でも感謝祭各種行事の時に参列してお坊さんは大弁才天女尊礼拝経の経本を手にしていません。
皆さん暗記です。経本を持たずにお勤めをしています。これはお話に反しています。
お宗祖様は般若心経を唱えると無心になり、弁天さまとお話ができたと現管長様からも聞きました。
お宗祖様は般若心経の経本を持ってよまれたのでしょうか?
お宗祖様が経本を読みなさいといったのでしょうか?

私達が、読経により邪念が入らず一心にお経をあげてご本尊さまと交信できるのでしょうか?

物事には色んなケースがありケースバイケースでしょう。
私は言葉が足らないと思います。
「私達は、お宗祖様のようにお経をあげる事でご本尊さまと交信できないが、努めて礼拝経は暗記し、心も無にして一心にあげましょうね。
観音経は暗記できません。長いので暗記していると思って間違いますね。
ですから経本の文字を眼で追い、口で経文を唱え一心になりましょうね。
無心になることはご本尊さまに通じる事ですよ。
感謝祭では観音経を大きな声で読経しましょう」
ではないかと思うのです。

最後に付け加えますが、経文は間違わないに越した事はありません。
しかし、15分~25分の礼拝経でさえ途中でうとうとして、中断します
「一言一句間違ってはご本尊さまに申し訳ないと私は思って唱えています」ではないかと思うのです。
間違ったら最初から皆さんとは別にお経をあげ直すのでしょうか?
そういう事はありません。皆さんにあわせて続けます。
間違ってはいけないという命令ではないと思います。
信仰は上からの強制ではなく、切磋琢磨され自主的に信仰を深めて行くものであり。全員が同じ信仰心では無いはずです。
ですから「できればこうしてください」というお願いではないかと思うのです。

そして弁天さまへの感謝祭に、観音様のお働きを示した観音経を何故あげるのかも足らないと思います。

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