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感謝の心(教区感謝祭法話)NO3

教使の法話 感謝の心NO3

南河内教区便り平成21年1月号に、平成20年最後の教区感謝祭で、如意寺のお坊さん岩城祥英さんの法話が掲載されていましたので転記しました。

感謝の心NO2の続きです。

回向・塔婆供養

宗祖様のご神示には、ご先祖様の供養が足りなくて、そのことを指摘される事が多かったというお話があります。
先祖供養してどうして子宝に恵まれるのか。病気が治るのか。良縁に恵まれるのか。病気が治るのか。人智ではかれる事ではございませんが、必ずそこにあるという事は事実なのです。
人生の流れが、淀んできたない、行き詰まってきたという時には、それは色々な原因があるかもしれないけれど、その原因お一つに、ご先祖様の供養がちゃんとできているかどうか。
毎月供養しているけれど宗祖様のいわれた基本的正しい供養が家庭で、皆で手を合わせる供養ができているかという事を確認してみるという事が大事なんではないでしょうか。
宗祖様のお言葉集成7集に出てくるお話ですが、ある日突然肩の骨が変形するという病気になってしましました。
そして、激痛にみまわれて宗祖様のもとを訪れたのです。
宗祖様のご神示はのお言葉は、先祖供養だったのです。
あなたの家に年忌を忘れられたお方がおられるよと、年忌を忘れているなんてと思いますが、宗祖様が仰るのですから疑う余地はありません。
お寺さんに行って調べてみると1体その方が出てきたそうです。
実は、肩の骨が変形することでお医者さんにかかっていたのですが、お医者さんとしては変形した骨を切開して変形して所を取り除いて行かなければ痛みは治らないという事で、手術の日を宣告されていました。
その後に、宗祖様のご神示を受けられたのです。
忘れられていた霊の過去帳を宗祖様に見せますと、この方に間違いないいわれた方は不思議にも、丁度その時、37回忌に当たっていたのです。
すぐさま、特別大回向を行って頂いて、お塔婆を持ち帰って懺悔の供養の祈りを重ねていきますうちに、手術の日がやってきました。
本当だったらその方は暫く待ってくださいと、日延べを自らいわなければならないのですが、どうもいう事ができなくて手術の日を迎えました。
所が先生が午前中に1人の手術をして午後からその方の手術という事で、いざ先生が執刀となった時に、不思議にも全然関係のないその先生の耳元でどこからともなく「手術をしてはならん。腕を切ってはならん」2度3度と手術しようとしたその時に聞こえてくる。
先生も気味が悪くなって「本来なら手術させて頂く予定なのですが、どうも手術する気になれない。私の勝手で悪いのですが日延べしてもらえませんか」と先生の方からいわれて、手術は日延べとなりました。
その日延べという事が大きなご利益となって行くのです。
その後もお塔婆に懺悔の祈りを捧げていきますと、痛みがない事に気づくのです。
痛みもなく、動くし、病院に行ってみると先生も不思議がるくらい精密検査をしても、あの変形していた骨が何もなかったように元に戻っているという不思議な、大きなご利益を頂いて宗祖様の元を訪れた。
宗祖様は「先祖を大事にするという事、これを忘れてはいけませんよ」という事をその方に諭して、信仰厚いお方になって行くというというお話が載せられているのですが、やっぱり不思議ですよね。
そういう接点が何処にあるかといわれても理論的に説明できません。
でも必ずある事です。やはり日々の生活の中で、ご先祖様を忘れない、私達が生かされた方を心掛け(思い)生活して行く、そのことをしっかり子々孫々に伝えて行く事が大事なのではないでしょうか。
盂蘭盆会の始まりとなって行く、お釈迦様の10大弟子の1人、目蓮さんもそうですね。
神通力1番といわれた方ですが、何年か前に亡くなられたお母さんがどんなに幸せに暮らしているかと天上界を覗いてみますと何処にもお母さんの姿を見る事ができません。
まさかと思い、地獄界を探し回り、六道地獄の中の餓鬼地獄を見た時に、本当のお母さんかと思えるほどやせ細って逆さに吊されて苦しむお母さんお姿を見て愕然とするのです。
お腹が空いたというお母さんに山盛りのご飯をよそってお仏壇に供えますが、お母さんはそれを手にとった途端に灰になってきえてゆくのです。
喉が渇いた、喉が焼けそうだというからお茶や水を供えると、飲もうとした瞬間にそれは火になって飲むことができないのです。
その苦しみを、どうしてら救えるか、お釈迦様に相談したところ、お坊さんにお経を手向けてもらいなさいという事になって、ご供養する事によって、骨と皮だけだったお母さんが天女の姿にかわって天上界に昇って行く姿を通してみんなが喜んで踊ったのが盆踊りの始まりなのです。
やはり供養の大切さを教えているお話の1つです。
そういった事を心に留めて頂いて、目に見えないが故にいつか疎かになってしまっているのです。
そこに大事なものがある。樹木が栄えていくのも目に見えない根っこがあるから栄えていくのと同じように、目に見える私達栄える。
幸せになって行く喜び多い人生を子々孫々に伝えて行こうとするならば、しっかり根っこを養って行かなければならない。
根っこの肥やしが回向なのです。
いつも自分を見つけてくれるね。その先祖様に心を向ける。
形に現すのが塔婆供養回向だと捉えて頂いて、感謝の心を現す事を忘れない私達でいる事を心にとめたいなあと思います。

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