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お護摩の灰の使い方、数字合わせ 講師法話

お護摩の灰の使い方、数字合わせ 講師法話
項目
1 前言
2 弁天さんとのご縁
3 支部に所属する
4 お運びで成長した(お護摩の灰の使い方)
5 弁天さんとも絆を太くする工夫
6 弁天さんの数字合わせ
7 事業の整理、 
8 お稽古事の指導、 
9 70才の方のお導き、 
10 それぞれの子供の感性を育成
11 結言




1 前言

若い信者さんが多いので私の支部と比較してうらやまし限りです。
私がこちらにお邪魔しました自己紹介を兼ねまして少しお話をさせて頂きます。
私は本部にいらっしゃいました和久津先生の後を引き継ぎまして東成教区の教区長にさせて頂きまして、まだ本当に未熟者であります。
よろしくお願いします。東成教区と申しましても住んでいるところは、城東区でありまして、大分前になりますがN(中尾)先生に私たちのところで法話をして頂き、今日お顔を見まして、先輩のいらっしゃる支部にお邪魔したのだなと思って、ちょっと緊張いたしたんです。
O(大前)先生とも御昵懇にさせていただいていりますし、また不思議にここからお別かれになりましたKさんが(北野聖子(?))が(第3)支部を発会なさいましたときにこちらの支部長さんが支部旗を贈呈なさる感謝祭に、私がお邪魔をして、不思議のあちらの方には3度も伺うようになりまして、親しくさせて頂いているのですが、親支部であられるこちらの(第1)支部へ今日お伺いして、ほんに、やぱり分割なされるだけあって、大きな支部だったのだなと思っております。
(こちらの方の支部に中尾先生が居られることは、中井さんという信者さんもこちらにいらっしゃったのでしょうか。そうですか。
中井さんが岸和田の商店街にいらっしゃったときの隣に私の遠縁のものが片づいていっているのです。
私の妹の小姑が仲居さんのお隣に片づいていったと聞いております。
丁度4、5日前に妹と岸和田にお邪魔するのよという話をしていましたら、中井さんどうしていらっしゃるのやろうろな。
ウチの小姑があちらにお伺いしたとき中井さんがいらっしゃったと話をしていたのです。
その支部だったんだなということがこちらに来て分かったのです。)

不思議なご縁といいますか、弁天さんは遠い端にいらっしゃても、不思議に巡り合わせて頂けるという体験を私はいくつかさせて頂いておりますけれども、今日もそういう意味で、親しみを感じさせて頂く支部に来たなと喜んでいます。
私自身は、教区支部の方へ入らせて頂きまして、40年にちょっと足らないかなというところでございます。

2 弁天さんとのご縁

万博の3年前ということになります。
ご宗祖のご遷神なるほんの1年前後というころになり、弁天さまとご縁を戴きました。
小母から、弁天さんを知らせて頂いたのです。
私は、15才離れている妹を留学させてやりたいと思いまして、私費留学で頑張ってイギリスに行くのに、ひとつこの子のために月謝を送るのに、茨木へ店を出そうと思って動いたのが、弁天さまを知る機会になったのです。
そうして弁天さんの方へどうぞこの妹を、15離れた子供みたいな妹を、親が商売をやって頑張っています間は、私が頑張ってめんどうを見ている妹ですから、その妹を家族愛、兄弟愛で頑張って、留学させてやるのに店をひとつ出して、商売をさせていただこうとおもって、本当に弁天さんの北、京都よりになります。
阪急の商店街で店を出したんです。
そうして何時も、売り上げから毎月毎月しました。
3年間あの子の学費を送るため、また1ドル360円の時代でしたが諸経費を送らなければならなかったのです。
店ひとつ分の売る上げを送ってやるようにしようと思いましたから、夜の11時過ぎに店を終えましてから、弁天さまの石段に供えましてね。
おかげさまで今日一日、小商いをさせていただきました。
また売り出しの時には、今日の売り上げは非常に私としては不本意でした。
明日も土曜日曜の2日間は、何とかめどの立つような売り上げを頂戴できますようにということを夜の11時過ぎて、大阪の本店に帰るときに、弁天さまによって石段に置いて、お話しさせてもろうて、私は帰るのです。
そうしますとぽーっと明かりがついたのです。
そうすると管長様が、オヤカンをこうゆ風に振ってね、私たちの御祈祷をしてくださるために、本堂にお入りになり、お勤めをしてくださるというところに出会うという、アアこんな時間でも私たちのためにお祈りをしてくださっているのだなぁと思いますとね、私たちが、何気なくさせて頂いている御祈祷用紙を繰って御祈祷してくださる姿が、石段のところにおりますときに、本当に11月という冷えた時期でも知らずにそこにしゃがみ込んで、しばらくご苦労様でございますという意味と、信者様のそれぞれの願いをご本尊さま聞き届けてくさいますようにというようなことを願う、本当に当時は未熟な信者でした。
教区にも支部にも班にも属していない信者でした。
一大事がありますと、勿論お手曳きをしてくださったる人があれば分かるのですが、伯母からあそこに弁天さんがあるよと聞いただけでお参りしていましたから、組織を知らなかったのです。
それで一時期、都島教区の中通り支部の信者さんが私の同級生のお母さんだったので、この方が御祈祷申込やお札持ってきてくださるというご縁を戴きながらお参りしていました。
そうして、こういう札はどこから来るのですかとその方に尋ねますと教区支部班という流れがあって班長をしていることを聞かされ、そういう組織があるのかと言うことを承知したのですがそれで終わりの勝手参りの信者でした。

3 支部に所属する

それから頑張って、じゃ、私は妹が無事帰るまで願をかけるわけではありませんけれど、無事に商売をさせてもらおうとお百度を踏みましたのと、偶然お百度の場で、今現在属しています支部の信者さんで住まいが近い方がお百度を踏んでおられ、私が声をかけますと、あんたそんな都島教区の方にお世話になっているのだったら、うちの支部に入って、手続きしてあげるわといわれて、ちゃんと形を作って頂いたのです。
そして東成教区に入れて頂いたのです。
ですけれども、感謝祭という場に足を運びまして、始めて分かること、皆さんお体験談で私は勉強させて頂きました。
そして何とか、この大変な中無理をして、妙音を読まして頂くとお運びがありましてね。
何を運ぶのンということを知り合いに尋ねるようなことから、身体運ぶのよということを聞き、じゃ何とか頑張ろうと思い、朝の商いに主人が出るときに私は茨木で降ろしてもらい、午前のお運びを勤めました。
そこから、色んなことを知ったのです。
そうしますとあの本殿には、当時、ご真言ご宝号に関するものが何もかかっていませんでしょう。
それで私は不自由したのです。
それで、不思議に水子の塔の落慶の時に、体験談をせよといわれたときにそのことを申し上げたのです。
私のように、きっちとおてびきを受けてないものが、とにかくご本尊さまにお縋りしようと思ってお参りすると、どう拝むのかも分からない。あの上に上がらせてもらっていいのかも分からないという経験をしましたから、せめてご真言かご宝号がどこかにかかっていませんものでしょうかと申しました。
その感謝祭の場で沢山の方が拍手してくれたのです。
そしたら管長さんが最後のお諭しの時に、今日の体験談を聞いて私たち宗務のものはうかつにもそういう信者さんのお参りがることは念頭になかったと30年前に仰ったのです。
すると直ぐに、賽銭箱のところに拝み方を書いた板ができました。
いうた甲斐があったじゃないのといわれました。
本部も信者が不安がることには、直ぐ解決する道を付けてくださるか。
気づいたことは申し上げて良かったなぁというような経験をした大胆な信者だったのです。
知らないものだから言えたのでしょうけれどね。
今だったら、この袈裟をかけていますからこんなことを言う方がいますといっても、自分の不便な経験をああこういうことは、口幅ったくなるので申し上げにくくいわなかったかも分かりません。

4 お運びで成長した(お護摩の灰の使い方)

そこで聞かして頂いた教理の話が私をすごく大きく成長させてくれたのです。
忙しいとはとはいって居れない。
この一大事を私は抱えて、妹のためとはいっても家族のために頑張らしてもらって、夫婦で遠い方に出て年寄りを本店の方の留守を預かってもらって、朝の早くからお弁当を作って、私は27年間お弁当箱ばっかりでご飯を食べました。お茶碗で食べたことは無かったのです。
茨木に27年間店を出しました。本当に大変な思いをして頑張ったのです。
でもそれはみかえりを求めてなかったから、それが無心にできたのです。
これをしていたら何かあるだろうと思っていたらきっとできなかったと思います。
後にそれを喜びに変えさせて頂けるようになりました。
その時に留学させた妹が今ユニクロを立ち上げて、そして大きな企業にいたしました。
今頑張ってあの子達が600から700の店を切り盛りして、イギリスからニューヨークの方から、中国からていうとことまで店を出すようになってくれる姿をあれよあれよと喜びと共に親戚一同が眺めたのです。
67店舗ぐらいだいたところで毎回毎回1万円の御祈祷札申し込んでくれ、お護摩の灰をくれ、お札をいただくときに護摩の灰をくれといってきた時にお塩も全部付けたました。
お塩も1キロの袋にお護摩の灰1袋を混ぜまして新店舗を開業するときは店のぐるりからご近所さんへ妹は撒いて歩きました。
そうして、入口のガラスが弓になるくらい人が押し寄せてくれるようなことが起こったときに、お姉ちゃん今日無事に終えてああだったこうだったというときに、私がちょっとあんた店はいくつ目なのということから話をして、そこまでさしてもらっているなら弁天さまを祀って頂戴、今弁天さまの力をもらわないと、私に簡単に1万円の御祈祷札頂戴では厚かましすぎるよということを言いましたらそれもそうだな。
それでは社長に聞いてみるわとなり、社長がお宅の姉さんがそういうのなら、私は今大きな悲願をかけているからそれを成就するためにも弁天さんを祀ろうということを言ったそうです。
私が何を願かけているのか聞きますと、ウンまたいずれお話しするといっていましたら、広島で上場して、また東京で一部上場に昇るという成長をさせて頂くステップにそこがなったんです。

5 弁天さんとも絆を太くする工夫

そういうことをしながら、親戚も共に、一生懸命導きました。
お先祖供養の大事さも教えて頂き、また400年も田舎の方でばらついていた仏様を整理するとうことを先駆けにして、ずーと先祖供養の大事さと共に親戚もともに私がすることはあなたの先祖のことをすることになるのよ。
あなたとは従兄弟同士でしょ。
上の先祖様は一緒よってというようなことを喋りながら、永代供養の位牌を見せて、年忌の時はあなたも一緒に参ってねということをいったりしました。
何でそんなことをするの、そんな古いのまで触らないでもいいじゃないのといいましたが、父が非常に喜びまして、夢に知らせてもらっていたことを、娘が実行しようとしているなぁと思って、すごく喜んでくれたことがあるのです。
ですけれどもねそういう勉強もさせて頂きました。
また、五行のお諭しで、今日でも誓い文を読むというような感謝祭の場で私は、何時も、あ、真心を忘れないこと、いやそれだけではいけんわ。
まこころをつねに忘れないことを誓います。
善根功徳の行を積むことを誓います。
不平不満を思わないことを誓いますと、最後に誓いますを付けました。
ご本尊さまとのパイプを太くするためには、信者である私たちは、いただいたお諭しを誓わないといかんわと思ったのです。
それを、夕飯では家族に色々喋って、来年はあなた達スタートしてね。
来年のそれが済んだら、済まんけどお父さんお母さん弁天さんのお運びに入ってねと、家族を順番にずーと鉄は熱いうちに打ての通り、お運びを終了したのです。
それでみんな金紋お袈裟をかけれるようになりました。
現在はひ孫まで金紋お袈裟をかけるところまで、頑張って繋いだのです。

6 弁天さんと数字合わせ

この中で一番うれしかったのが、お宗祖様の生誕祭は4月1日ですが、天啓日は昭和9年の4月17日です。私昭和9年4月9日生まれです。
自分の戸籍の命名日として出生届を出してもらったのが、昭和9年の4月17日です。
うれしいと思ったのです。
もう弁天さま一本で行きましょう。
やっと私たちは最後に大きな神様にたどり着けた。そういう思いで私は、9417を大事な記念数字にしています。これをいいますと皆さんが笑うのです。
この数字は子供たち孫達にいたるまで、お宗祖様が弁天さんのとご縁を繋がれた身にしみ込まして頂きたいために、この数字を利用するのです。
まだ大事な記念数字があります。自宅にご分身をお迎えした日です。
うちの支部ではどなたも何年祭という家族行事をなさったことがないのです。
私だけです。
5年祭、10年祭、20年祭といって感謝祭の場で、今日は5年目です。
10年目です。
20年目ですといって、ちょっとお祝いを一緒にご相伴くださいと言ってお祝いをするのです。
ようあんた覚えてんの、うちいつ受けたのやろうという古い信者さんがいます。
そういう支部に浸かってきていましたから、私の動くエンジンは、もう支部の中でウワーウワーとなったのでしょうね。私は当たり前なのですよ。
皆さんの方が古いからでしょう。
私は真剣に動かないと後れを取ると思っていますからです。
弁天さまのご分身をお受けした昭和60年8月7日の6087は車のプレートナンバーに使っています。
車番はうちのご分身をお受けした日と覚えさせ、子供たちも駐車場で、車を探すのにも直ぐ分かりますね。
お役の会計係の通帳の番号等にもそのような弁天さんとの記念日番号を使って行くのです。
特に弁天さんのお役の通帳番号には便利ですね。
皆さん共通の番号になりますので係が代わっても変更する必要がありませんね。
この様に弁天さまとのご縁を深める工夫をして欲しいなおと思います。
みんなきっとすばらしい信仰をお持ちでしょう。
もっとお陰をいただきたいと思ってお運びに参加されていると思うのですが、お運びでうんうんとうなずくことはあってもメモをなさり、実行に生かすチャンスのもとを見つけるということもひとつの弁天さまへの報恩感謝だと思います。

7 事業の整理

私が、暑いときでもこうして着物を着て、歩きますのは、私も色んな意味での商売の締めくくりをしまして、私ところの布団店をしていました500坪の市場の土地を、父が株式会社に組織替えをしてくれていましたので、それで12階ビルの上にマンションを付け、地下1階にスパーを付け、活性化したのです。無条件で退いたのです。
信仰している者は、損や得やということは絶対にいいたくないと思って無条件でのいたのです。
商売とか、人間関係などは事業の中はこれは別だなといのを私は味わいましたけど、本当に誰かの犠牲があってこうなったなと思ってくれる人は誰もなかったのですけれども、そういうところの家を建て、商売をしていますと、ご近所からのねたみもありましてね。
7人の共同事業でやったのですが、お神さん戦争が起こりましてね。
お不動さんい拝んでくる人、学会さんから色んなことを聞いてくる人、重役が私の弁天さまと戦いをやるのですよね。
私が事務所に弁天さまのお札を貼りますと、明くる日は私の貼った札がずーと離れているのです。
誰がこれしたのというのですがね。
こいうふうに心がバラバラになりかけましたので、思い切って整理をしようと思いました。
そういうときに大きなお陰をいただきました。
この度私が今年の1月8日の初感謝祭で体験談をさせて頂いたのですが、これがこの研席本科という導きの行をさせて頂いた終席式で頂いたガラスの器に入ったこれをいただきました。
これをもって10日のうち1週間は真剣に50巻の心経をあげました。
父も主人も私と時間をずらして拝みました。
そうして、長い間やっておりました事業をこの度全部整理して建物を転売することができました。
これには弁護士さんがN(長岡)さんあんたが一番悔しい思いをしているでしょう。
社長よくこの人の悔しさを肝に銘じなければいけませんよと言われるくらい損な役回りをしたんですけれど、悔いてはいないのです。
やっぱり妹があそこまでなりましたので、私ががめつく、こうしておいてもらわないかん、ああしておいてもらわないかんということは絶対いいたくない。
神様が何かの形を見せてくださると信じてますので、口をつむんでおりまして、この3月の末いっぱいで清算が済みまして解散式をやるんですけどね。

8 お稽古事の指導

本当に肩の荷を降ろしまして、スーとしましたけれど、このくるしい中、気持ちを切り替えて昔習っておりました着付けの教室の先生に、先生、こうこうで気持ちがすさんでいるからちょっとお勉強を復活させますといったのです。
復活するのだったら先生になってといわれ、3年半頑張って総仕上げをやり、試験を受けて着付けの講師になって、若い人に着付けを教えたのです。
そうしますとね。
一番最初に持った生徒さんがお京都の寺にお嫁に行く人でした。
ご主人様は仏教教会の方へ事務員として勤めておられます。
その京都のお寺が何の宗派か知らんという人なのです。
お寺さんにお嫁に行かれるのだったら本願寺系統に行かれるの、真言宗系統に行かれるの。
エエ、先生そんなにあるのといわれから、あなたのご主人のお寺のお宗派は何ですと聞くと知らないのです。
お荷物を近く入れなければならないときにそれですよ。
おふくさのご用意できている。
あれできていると聞くとそんなの持って行かなければならないのと反っくり返るのです。
私がお寺の奥さんは、お彼岸やお盆やら色んな行事があり、お檀家さんが出入りなさると、私関係ありませんといって大阪に居れないでしょう。
京都のお母様から手伝いに来なさいと言われたら、無地の着物一枚を持っていって、袋帯を締めるというためのお稽古でしょといいますとハイといいます。
覚えてもらうために教えたのですが、お手伝いに行く気もなさそうな感じの方でした。
今時そういう人がお寺に嫁に行くのですよね。
私は驚きました。
それ以後私はこうして、息子さんが遠くにいて離れていらっしゃったら、ご自分のお宗派が何と、ご本尊さんが何ぐらいは教えなさいよといっています。

9 70才の方のお導き

私70才という方を導いたのですが、徳島から出てこられた方でしたから、N(長岡)さんみんな真言さんと違うの、みんな南無大師遍照金剛とちがうのといわれる方をお導きしました。
御詠歌に入っておられましたから御詠歌等の中にはいってもらい、その御詠歌の後、この様な話をさせて頂くようになると、そういうことを知っているのは何でといわれるので、弁天さまのお運びに行かしてもらって色んな勉強をする中で、私は知恵が付いたのですといいますと、じゃそんなところに今からでも私みたいなものでも行けると聞きますから、エエ行けます。
大いに行きましょうといって、お運びに導いた方もいるのです。
そんなようなもので、3男坊さんくらいに嫁いだ方で、気楽に分家なさっている奥さんは、70才でも宗派の別れにあんまり認識がない方もいます。
だから本当に、75年祭を迎えるに当たって、お導きをさせてもらおうと思いますと沢山心当たりがあります。
お導きなさりたい人をジーと考えてみてください。
この人にもちょっと言って上げようかな。
この人にも教えないといけないなと思う人を見つけられと思います。

10 それぞれの子供の感性を育成

来月の少年隊がもう目の前ですね。
少年隊は子供さんにとって大事なところです。
小さい子達が塾頭に行くので4年生5年生から上は少年隊の運びにうちは来てくれません。
育成さんがやいやい言って教区長人数が少なくてできない。
できないと唸っていますから、応援しているのですが、この少年隊を指導してくださる育成のメンバーさん達がすごく努力をしてくれていますけれども、やっぱり子供の感性というものは若いお母さんもお手伝いしてくれないと、子供の感性にあった行事が続いて行かないのですよね。
あのジーと目をつぶって考えてください。
森永のキャラメル箱のような黄色いキャラメルの入ったケースを思い浮かべてください。
そこにあの黄色いグレープフルーツを思い浮かべてください。
次に黄色いバナナを思い浮かべてください。
ぶどうを思い浮かべて頂き、そして、この中で仲間はずれがありますね。
どれだと思うと言われたとき皆さんはどう思いますか。黄色いものばかりから行くと、ぶどうが紫ですから色の仲間はずれやという子もあります。
それから、みんなキャラメルの中には粒が沢山入っている。
グレープフルーツも房が沢山ある。
ぶどうも沢山房が着いている。
バナナは一本で房や粒がない。
このバナナが仲間はずれやという子もいます。
これは子供の感性なのです。
それダメといってましたら、子供さんお感性をのばせないと思うのです。
私が講演を聴きに言ったときに、今からの子供のリードって言うのはそれぐらいの余裕を持っている方の方が子供を上手に育てる。
もう3月ですね。
氷が溶けたら何になると聞くと、水と答える子が半分、春になるという子が1クラス3人くらいいるのだそうです。
この3人が将来情操教育の面で詩人にでもなれるくらい感性の良い子なんですと。
その子をえらいね春になるね。
3月だから氷が溶けたら春になるねといってあげるのです。
あんた何言ってるのといってしますとダメだそうです。
そういうことを聞かされたとき、明日私の教区の感謝祭を本部でやらしてもらうのです。
少年隊も来月のため参加するのです。
青年隊も応戦するのですが、その場で育成さんにお願いしようと思うのです。
子供さん達の感性で、この頃はテレビで色んな教育を受けましが、感性だけはそれぞれのものですから、統一しないで、それぞれの個性を伸ばすことが育成の役ですよと言うことを私はお願いしたいと思っています。
ここにも詩人や科学者になりそうな子供さんがいますね。
科学の時間に氷が溶けたら、春ですは、ペケなのです。国語の時間に氷が溶けたら春ですは○なのです。
あなたいい感性ねと言って上げると子供は自信を持つのですね。
今日ここで皆さんお顔を見てこの話をしましたがこの話を明日教区でさせてもらいます。

11 結言
今日はつまらない話をしましたが、大きな節目をいくつか弁天さんにしっかりすがらせていただこうという心一筋で今日を迎えさせていただき感謝しているのです。
今日はいい場所でお話をさせてもらい胸一杯で感謝の言葉を一言おいて帰ります。
「ご恩を受けたことを心から喜べる人は成功する。
当たり前やないのと思う人は、人望を失う。私が努力してやったのよと言って恩を仇で返していたのでは、いつか滅びる」という言葉を孫の習字の展覧会で見てきました。
これは弁天さんお教えにも通じるはと思いました。どうも有り難うございました。