人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大弁才天女尊として現れた観世音菩薩

大弁才天女尊として現れた観世音菩薩

有縁と無縁(昭和26年7月 妙音4号)から「祈り」用に抜粋しました。
その後、「私の観音経等お経について」のカテゴリーに変更しました。

護摩焚きの時、お彼岸、お盆には弁天宗では観音経をあげます。
入信時は春秋の大祭の時も以前は大弁才天礼拝経の「金光明最勝王経」の代わりに「観音経」をあげていました。
何故かどなたも解説しませんでした。ここに弁天様に観音経をあげる理由があったのだと思いました。
弁天様とご縁をいただいた理由も分かりました。過去世では観音様を信仰していたのかも知れません。




1  観世音菩薩は衆生済度のために、大弁才天女尊として現れた

又ご縁のない方は、信者の方から勧められたり噂を聞いて折角参詣せられても、ご本尊のご神示を素直に信じる事ができず疑いと迷いのために広大のお慈悲もご利益も受けられず、1度か2度の参詣で途切れて終うのであります。
この縁の有無につきましては大聖釈迦如来ですら、縁なき衆生は度し難しと説いておられます。
私ども凡夫衆生は、無始以来作り重ねた罪障が迷いの雲となり煩悩の霞となって、仏の有難いご誓願や釈迦如来の教説も信じられず、日夜の業は罪の重荷となって明け暮れいたしております。
このままでは末法万年衆生が救われるという事は望めない事と慈悲の如来が悲しみたまいて、衆生済度の方便をその時に応じ又衆生の機に従って神と現れて菩薩なって衆生に利益を授けられてその神仏の不可思議を衆生に知らしめて信仰に導き入れられるのであります。
弥陀・観音・勢至は、仏陀三尊と申しまして、諸神諸仏のご本地であります。
観世音菩薩は衆生済度のために、大弁才天女尊と現れたまいましてご利益を下されておられます。
ご本尊大弁才天女尊は、今より1200年前に高祖弘法大師に夢告せられて、野原の地のそのご尊像を止め置かれて現にそのお誓を顕現せられておられます。
如来の慈悲は萬衆一視でありまして、甲乙の差別絶対にないのでありますが、衆生の機が各々に異なっておりますので、衆生の機の応じて神とも仏とも現れたまいまして衆生に好む機に添って如来の誓願に導いておられるのです。

2 前世よりの宿縁による弁天様との有縁、無縁

たとえて申しますと、罪と障りが渦を巻いて流れている大河の中を、浮き沈みつ押し流されて行く衆生を救わんと、川の両岸に種々の神や仏が救世大慈の大綱を流れに投げ入れられて声を限りに助けてやるぞこの綱に縋れと、衆生に呼びかけておられます。煩悩と迷いの濁流に苦しみながら浮き沈む衆生が、その好む機に応じた救いの綱に縋り付いて、その綱を頼りに救誓の船に救い揚げられ、その船に送られて仏の彼岸に着くのであります。
信者の皆様方は、大弁才天様のお綱に縋られたのであります。皆様方は大弁才天様を信仰せられて、感謝の生活に喜んでおられますのも信者皆様方の勝手に起こす信仰ではありません。
」これも前世よりの宿善が開いてご本尊より催されたご縁が起こす信仰であります。
無縁の方の最も近い例を挙げますと、ご本尊様のご利益とお慈悲を慕って遠いところからご参詣せられる方もありますのに、ご本尊の間近に住居せられております方でも、ただの1度も参詣せられた事のない方も沢山あります。
これもご縁のない実例であります。
折角2・3度参詣せられて信仰の続かぬ方はご縁のない方と考えられます。
又最初は熱心に参詣せられてご利益を頂いて喜んでおられる方でも途中で参詣も途切れて信仰の薄れて行く人達もあります。
これらの方は何か家庭の事情で心ならずも参詣が途切れるのか又は迷うのためから参詣が遠のく人もあるようです。
この人達は縁が薄いのではないかと存じます。
ご本尊様にご縁の有無と厚薄は信者の気持ちでは、どうともならないものでありまして、すべて前世よりの宿縁によるものと存じます。