お言葉70 宗務総長(感謝祭)

お言葉70 すべて永く続くことが尊い

(20年7月15日感謝祭での宗務総長の日々のお言葉70の話)

あと、残された時間と通しまして、今月、宗祖さまから頂戴いたしました感謝祭のテーマにつきまして私の思いますところをお話しさせて頂こうと思います。

1 「すべて」とは真心

今月頂きました感謝祭のテーマは、「すべて永く続くことこれが貴い」70番のお言葉です。
さあまずね。確認しておきたいのですが。すべてという言葉にかけて、これは何の過去とか、一切合切、ありとあらゆるもの全部というわけではありません。そうじゃないのです。
それではこのすべては、何なのでしょう。1から72までのあのお言葉の中で、もう一つ「すべて」と言うお言葉が出てくるところをご存じでございましょうか? お分かりでございましょうか?
実は、第1番目でございます。「真心がすべてです。幸せは真心から生まれます」とあります。従いまして、すべてとは真心なのです。これは言葉の遊びをいっているのではないのですよ。この場合のすべては真心です。それが証拠に、お運びで皆さん方が学んで頂いている水の章を、もう一度ひもといて頂きたい。切れぬから流れというなりというような言葉が沢山、でて参ります。従ってこの場合のすべてというのは真心を現しているのだとお考えになって頂きたい。
間違いましてもこれをタバコを止めないことの口実にしてはいけないと思います。是部手長く続くことが尊いと仰っているから、私はタバコを止めない。これはちょっと話が違うという気がします。
さ、この上で、「永く続くこと」がとあります。この永くの永いという言葉は、ご案内の通り永遠の永です。長い短いの長いではございませんね。
これはどういうことかと申しますと、始まりはあっても終わりはありませんという。終わり無きというです。そんなふうな続き方をしなくちゃはならないという意味であります。
真心をそんな風に続けようということですね。





2 秋葉原の件はすぐ忘れる

しかし、これは本当に難しいことだなと改めて思いますのは、始めに秋葉原の事件の話をしました。6月8日に事件が勃発いたしましてから、何かこの胸に引っかかるものがありまして、あそこで亡くなられた方。本当に可哀想だな。そんな風な思いがやっぱりございますものでありますから、何とかしたいという思いがありました。
この6月の17日、東京別院で感謝祭がございまして、私出仕して参りました。そしてその後関東地区の教区長の地区別集会というのが開催されまして、それが終わりまして、電車、新幹線の最終近くなったのが分かっておりますが、しかし、どうしても秋葉原の現場に行きまして献花台があると伺っておりましたので、そちらに参りまして、般若心経1巻でも唱えて亡くなられた方々の霊をお慰め申し上げようとそんな風に思って私、行ってきたのでございます。
秋葉原の駅を降りまして、道すがら見ておりますとその街路樹の根元のところに花束が一杯捧げられていました。ああここで、亡くなった方がいらっしゃるのだな。本当に胸が張り裂けるような思いで献花台のところに行きまして、そしてお経を唱えておった時にも、通りすがりの方が幾人も、花を置いていったり又ペットボトルをジュースでしょうかお茶でしょうか置いて手を合わせて又去って行かれる。
そんな中で般若心経たった1巻でもお唱えすることが出来て、胸のつかえがすっとした感じがしました。そしてやれやれと思いまして、新幹線に飛び乗って帰って参りましのでございますけれど、しかし、考えてみますと、もう既に、新幹線に乗りました時にはやれやれという気持ちが先に立ちましたものですから、その秋葉原の事件は頭の中からどこかへいっちゃっているのですね。つまり、私のそのことに対する思いというのは、仮に6月8日から毎日思ったとしても9日間なのです。忘れているということは、切れているということです。続いていないということです。
義捐金を義捐箱の中に入れいるといたしましょう。その時は思うのです。入れて5分、10分たつと忘れてしまうのもまたこれ我々でしょう。忘れるということは切れているのでしょうね。それだけ続けるということは難しい。だから行になるのかなと思うわけです。そこで皆様方にはやっぱり信心を続けて欲しい。信心が切れるということがあってはならないと私は思いので、信心をどうかお続けになって頂きたい。

3 皆様が今続けられていること

そしてすべては真心だと申しましたが、その信心の中の真心と申しましてもそれは範囲が広うございましてね。これという決まった形とか行動は無いわけであります。ですから、今日を境にどうぞ皆様方、何か一つ新しいことを続けることが出来るようなことを始めてみませんでしょうか。何でもいい。
皆様方それぞれの立場で続けてこられたことて、あると思います。それを続けてください。例えば、感謝祭には必ず詣るということも一つです。日参されている方もいらっしゃる。或いは、支部の感謝祭には絶対詣るという方もいらっしゃいます。朝詣りを欠かしませんという方もいらっしゃる。食事作法を欠かしませんという方もいらっしゃる。

4 ちょっと頑張れば出来ることを一つ決めて実行する

どうぞお続けになって欲しいなと思いますが、それにプラスして、何もかもというのは大変だと思います。誰でも考えることが出来ることを一つというのもあります。これは簡単です。
そこで、ちょっと頑張れば出来るようなことを一つ、お決めに成られたらいかがかなとこんな風に思うのですが。どうでしょうね。
何か考えるから8月の1日まで待ってくれではいかんと思います。いやちょっと暑いのでちょっと落ちついてからしようか。これもいけませんね。なるべく早くお決めに成られて。何でも結構です。何かお決めに成られて、これを始めてみよう。ちょっと頑張ったら続けられるようなことを始められたらいかがかなと思うのです。ただ、こんな時にね。1人で続けるというのはしんどうございます。そこで志をおなじゅうする仲間を捲き込まれたらいいと思います。そのような意味で私たちの信心は組織にはいることが大事です。
組織にはいるということは、一緒に行をして行こうかと言うことでございますから、一緒に励まし合ってということができるのが組織だと思っていますので、どうぞ組織としっかり繋がって頂きたい。
そんな風に思います。
それと同時に家族信仰も大事です。家族信仰が出来ておりますとあることを通じて行くことには大きな大きな後ろ盾になってくる。私はこんな風に思っているわけです。又組織にはいることや、家族信仰については別の機会に申し上げたい。こんな風に思っているわけですよ。どうぞ、ね。そのような意味で何か一つ、お決めに成られてそれを実践して行かれる。勿論真心に根ざした信心に基づく何か一つやりましょう。そん風になっさってくださることは私は、唐負い信仰に繋がって行くと思うのです。ある班長様が、毎日のようにお百度を踏んでいらっしゃる。何故踏んでいなさるのですか?と聞きますと、会社で病気の方がいらっしゃる。 何時まで踏みなさるのですか?と聞きますとその方が 
助かるまで踏みますと仰いました。その方が助かる。1ヵ月先か、2ヵ月先か分からない。しかし踏み続けると仰ってくださっている班長さんがいらっしゃいました。こういう信仰が尊い信仰なのでしょうか。
つい私たちは、信心をしてなんか代償をもとめてしまいます。お陰があるとかないとか。損吾子とで一喜一憂することがありますよね。そうじゃなくて、尊い信仰に入ることを宗祖さまが願っていることなのかなと思いました。そんな意味で新に何か一つ続けて頂くことを願いまして、それぬ向かってご精進されますとことを皆様方に申し上げてこれで終わらして頂きたいと思います。ご静聴有り難うございました。
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