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20年7月15日の話

20年7月15日感謝祭の宗務総長の話

宗務総長の話は前段が主に秋葉原の事件と文化人類学、後段がお言葉70でした。

1 時候の挨拶

暑い日が続いておりますけれど、皆様方お元気でお過ごしのことだろうと拝察する次第でございます。

2 管長様の誕生日

さて、今日は10時のお勤めの前に、チベン保育園の園児達がお見えに成られまして、大きな声でしたからお聞きになったであろうと思うわけでございますが、7月16日は、実は管長猊下のお誕生日です。
従いまして、お幾つに成られたかは後でお聞きになった下さい。
私が音頭とります。
ですから園児達に負けないように、おめでとうございますと大きな声でご唱和して頂きたいと思いわけでございます。
管長様、お誕生日おめでとうございます。(唱和:おめでとうございます。)
ということでございまして、
エー本当に、先般、7月は6日7日と御神池お水替え祭が盛大に執行されました。




3 御神池お水替え祭の参加信者数

ということでございまして、エー本当に、先般、7月は6日7日と御神池お水替え祭が盛大に執行されました。
たまたま6日が日曜日でございましたの、本当に大勢の方が、お水替え神事のご参加下さいまして、5900名もう6000名に成らんとする方々にご参拝をいただいたということです。
本当に嬉しい儀式行事を執り行うことが出来たわけでございます。これから又、夏の行事が続いて参るわけでありますから、どうそ体調に十分気をつけられましてね。
又家族揃ってご参拝なさってくださいますよう、心よりお待ち申し上げたいと思うわけでございます。

4 義捐金の芳志

エーさて、先般ミャンマーの方では台風の被害、又中国の方では四川大地震、更には我が国におきましては、岩手宮城内陸地震とこんな風に自然災害が勃発いたしまして、大勢の方々の尊い生命が失われたわけでございます。
エー只今3寺院におきましては、義捐金を皆様方から集めておるわけでありまして、どうぞ一つこんな時期で、皆様方にはこんな意味では金銭的な面でもご苦労をおかけするわけでございますが、又お気持ちで結構でございますので、どうぞ、お金をお預かりいたしたいと思いますのでよろしくお願いいたしたいと思います。こんな風に思っておるわけでございます。

5 秋葉原の無差別殺人事件と文化人類学

又先般ですね。
これは先月、6月の8日だったかと思うわけでございますけれども、東京は秋葉原の方で、あのような、承知の通りの無差別殺人時間が起こったわけでございます。
で、色んな方がそれぞれのお立場で専門的な考えを元にご意見を述べていらっしゃった。
なるほどそうだなと思うわけでございますけれど、その事件の根底にあるということから、最近、ある一つの本を読みましたところ、その事件に対して直接コメントしているわけではないんですけれど、もしかしたらそういうことも、その事件の底辺にあるのかなと思ったようなことでございましたので、すこし、ご紹介しようかなと思うわけでございます。
波平恵美子さん。この方は文化人類学という学問の専門家であります。
(ネット:波平恵美子(なみひら えみこ、1942年11月 - )は、福岡県出身の文化人類学者、社会学者。専門は文化人類学、特に医療人類学、宗教人類学、ジェンダー論)この方が、そうですね。
生命とはどうして大切なのか。
家族とは一体何なのかというような。
そういった内容を本当に、小学生・中学生にも分かる優しく考え方を書いていらっしゃる。
漢字には全部ルビが振ってあります。
子供も大人も読めるんでありますが。
本のタイトルは忘れぽくなり忘れたのでありますが、サブタイトルだけは覚えておりまして「子供の世界の文化人類学」というサブタイトルが付いておりました。
もし何かネットで検索されて、興味のある方は、お買い求め頂ければと、こういう風に思うわけでございますけれど。
この中の1章も受けられていましたのはね。
「決まり事はどうしてあるのか」というテーマでした。
その中の又一節でありますけれどね。
文化人類学というのは、日本古来からいろいろ伝わって参りました民族的なそういった事象を取り上げまして、それの意義なんかを考察して行くという学問なのですけれども。
今から30年・40年目の福島県、それから長崎県の事例をそんな風に紹介されていました。
どんなお話かといいますと、たとえば福島県では、それほど昔でありますけれど、色んなしてはならないということが決められておったのです。
どんなことかと申しますと。たとえば、夕方部屋の中では洗濯物を干してはいけない。
こういう決め事があったり、或いは、男性と女性がかたまって話をしているとしましょう。
井戸端会議のような形で道端で話をしているといましょう。
そこの通りがかったものは、その輪の中に、自分の奥さんとか自分のご主人とかがいても知らんふりをして通らなければならないとかね。
訳の分からんような決め事が無数に、沢山決められとった。
長崎県の隠岐という島があるのですが、そちらにゆきますと又面白い決め事がありまして、その隠岐というますのは島でありますから、漁村です。
その漁村の中で、たとえばこの、漁師は舟の上で味噌の入った料理を食べてはいけないとかね。
又、おみそという言葉を口にしてはいけないとか。
更には、船とかは左回りをして使ってはいけないとかね。
こんな勝手の分からんような、どうでもいいような決め事が沢山なされているのです。
それはどういうことなのかということをその学問の立場から考察していった一節があるのです。
面白いなと思いましたのは、とても意味があるのですね。
そういう地域の人たちは、一見そのような決め事が大変不自由な生活を強いられているように思うのですが、そうじゃないのですね。
そうじゃなくてそういった決め事を守りながらも、本当によりよい人間関係を持ちながら、本当に上手く生活をしているというのです。
それはどんな意味があるのか。つまりですね。
してはならないということをしなくていいような習慣をつけるのであります。
しなくていいように習慣づけるために色んなことが決められているのですね。
ちょっと話がややこしいんですけれども、どんなことを巻き起こしているのかと申しますとね。
絶対にしてはなら無いことに手が届かないようにしてあるのです。
その為にどうでもいいようなことを周囲に置いてある。
そして人間として絶対にしてはならないこと。
たとえば殺人とか、強盗とか、たとえばこの幼児虐待とかね。強姦とか。
そういった絶対に人として、してはならないことに容易に手が届かないようにするために、そのようなどうでもいい決め事を沢山決めておく。
そういう意味があるんだということです。
翻って、それから時代を経て我々の周囲を見ますと、してはならないことが、いとも簡単に破られていりますよね。自分の欲望のためだったらしてはならないことを簡単に破ってしまいます。色んなルールとか規則とかあるのですが、そんなことはどうでもいい。平気で道端にゴミをほかす。
電車の中で携帯電話を使う。
大声で喋る。
そんなことは自分の欲望のためであればどうでもいいという風潮がはびこって参りました。
つまり、人間として絶対してはならないところに、今現代は手が届きやすくなっている。
考えてみますと私たち、私もこの智弁学園で中学校高校と6年間お世話になったわけでありますが、色んな校則がありました。
何でこんな事を決めてあるんやろうというような校則もあったのです。
女生徒で申しますと膝下何センチまでとかね。
髪の毛は肩から何センチまでに切らなくてはならないとかね。
何でこんな事を決めるのかなと思ったわけですけれど。
そういう目で見ますと、なんかこのそこに大事なことがあるような気が仕出したのです。
今、確かにそういうような絶対してはならないことにすっと手が届くそういう時代だからこそ、人してはやってはならないことが、簡単に行われるような時代になってきた。
そんな時代なのかな。
私は直接、波平恵美子さんがコメントしているわけではないのですけれども、その本を通してなるほどそんなこともあるのかなと思いました。

6 弁天宗の信者の布教活動が必要

これはああいう事件に対します文化人類学的な観方かも分かりません。
我々は信者です。
信仰あるものとして、弁天宗の信者としてああいう事件をどんな風に見ましょうか? 
取り方は人それぞれありましょうと思いますけれども、私はもっともっと布教しなくてはならない。
社会は宗祖さまの願ったようには、中々成っていない。
だからもっともっと人を導いて、その教えを伝えて行かなくてはならない。
まさにあの告諭のようにまことの心を心として、それを本当に広く人や社会に伝えて行かなくてはならないな。
改めて私はそんな風なことを思ったのであります。
可哀想やな、何でこんなこと起こるんやろうかな。
恐らくそれは他人事として捉えているからかも知れません。
私たちは宗祖さまのみ教えを信奉する信者としてもっともっとこれから、この様な時間が起こるたびに、もっともっと布教して行こうという決意を新たにしなくちゃならない。
と思ったようなことでございました。
皆様方はどんな風にお考えに成られたのでしょうか。

以下は日々のお言葉でも投稿しますが、7月15日の総長の話としてまとめて掲載します。

お言葉70 すべて永く続くことが尊い

あと、残された時間と通しまして、今月、宗祖さまから頂戴いたしました感謝祭のテーマにつきまして私の思いますところをお話しさせて頂こうと思います。

1 「すべて」とは真心

今月頂きました感謝祭のテーマは、「すべて永く続くことこれが貴い」70番のお言葉です。
さあまずね。
確認しておきたいのですが。
すべてという言葉にかけて、これは何の過去とか、一切合切、ありとあらゆるもの全部というわけではありません。
そうじゃないのです。
それではこのすべては、何なのでしょう。
1から72までのあのお言葉の中で、もう一つ「すべて」と言うお言葉が出てくるところをご存じでございましょうか? 
お分かりでございましょうか?
実は、第1番目でございます。
「真心がすべてです。幸せは真心から生まれます」とあります。
従いまして、すべてとは真心なのです。
これは言葉の遊びをいっているのではないのですよ。
この場合のすべては真心です。
それが証拠に、お運びで皆さん方が学んで頂いている水の章を、もう一度ひもといて頂きたい。
切れぬから流れというなりというような言葉が沢山、でて参ります。
従ってこの場合のすべてというのは真心を現しているのだとお考えになって頂きたい。
間違いましてもこれをタバコを止めないことの口実にしてはいけないと思います。
すべて永く続くことが尊いと仰っているから、私はタバコを止めない。
これはちょっと話が違うという気がします。
(お宗祖さま、タバコについて百害あって一利なしと言っておられるんで、タバコはやめないといけないと私は思いますね)
さ、この上で、「永く続くこと」がとあります。
この永くの永いという言葉は、ご案内の通り永遠の永です。長い短いの長いではございませんね。
これはどういうことかと申しますと、始まりはあっても終わりはありませんという。
終わり無きというです。
そんなふうな続き方をしなくちゃはならないという意味であります。
真心をそんな風に続けようということですね。

2 秋葉原の件はすぐ忘れる

しかし、これは本当に難しいことだなと改めて思いますのは、始めに秋葉原の事件の話をしました。
6月8日に事件が勃発いたしましてから、何かこの胸に引っかかるものがありまして、あそこで亡くなられた方。本当に可哀想だな。
そんな風な思いがやっぱりございますものでありますから、何とかしたいという思いがありました。
この6月の17日、東京別院で感謝祭がございまして、私出仕して参りました。
そしてその後関東地区の教区長の地区別集会というのが開催されまして、それが終わりまして、電車、新幹線の最終近くなったのが分かっておりますが、しかし、どうしても秋葉原の現場に行きまして献花台があると伺っておりましたので、そちらに参りまして、般若心経1巻でも唱えて亡くなられた方々の霊をお慰め申し上げようとそんな風に思って私、行ってきたのでございます。
秋葉原の駅を降りまして、道すがら見ておりますとその街路樹の根元のところに花束が一杯捧げられていました。
ああここで、亡くなった方がいらっしゃるのだな。
本当に胸が張り裂けるような思いで献花台のところに行きまして、そしてお経を唱えておった時にも、通りすがりの方が幾人も、花を置いていったり又ペットボトルをジュースでしょうかお茶でしょうか置いて手を合わせて又去って行かれる。
そんな中で般若心経たった1巻でもお唱えすることが出来て、胸のつかえがすっとした感じがしました。
そしてやれやれと思いまして、新幹線に飛び乗って帰って参りましのでございますけれど、しかし、考えてみますと、もう既に、新幹線に乗りました時にはやれやれという気持ちが先に立ちましたものですから、その秋葉原の事件は頭の中からどこかへいっちゃっているのですね。
つまり、私のそのことに対する思いというのは、仮に6月8日から毎日思ったとしても9日間なのです。
忘れているということは、切れているということです。
続いていないということです。
義捐金を義捐箱の中に入れいるといたしましょう。
その時は思うのです。
入れて5分、10分たつと忘れてしまうのもまたこれ我々でしょう。
忘れるということは切れているのでしょうね。
それだけ続けるということは難しい。
だから行になるのかなと思うわけです。
そこで皆様方にはやっぱり信心を続けて欲しい。
信心が切れるということがあってはならないと私は思いので、信心をどうかお続けになって頂きたい。

3 皆様が今続けられていること

そしてすべては真心だと申しましたが、その信心の中の真心と申しましてもそれは範囲が広うございましてね。
これという決まった形とか行動は無いわけであります。
ですから、今日を境にどうぞ皆様方、何か一つ新しいことを続けることが出来るようなことを始めてみませんでしょうか。何でもいい。
皆様方それぞれの立場で続けてこられたことて、あると思います。
それを続けてください。例えば、感謝祭には必ず詣るということも一つです。
日参されている方もいらっしゃる。
或いは、支部の感謝祭には絶対詣るという方もいらっしゃいます。
朝詣りを欠かしませんという方もいらっしゃる。
食事作法を欠かしませんという方もいらっしゃる。

4 ちょっと頑張れば出来ることを一つ決めて実行する

どうぞお続けになって欲しいなと思いますが、それにプラスして、何もかもというのは大変だと思います。誰でも考えることが出来ることを一つというのもあります。これは簡単です。
そこで、ちょっと頑張れば出来るようなことを一つ、お決めに成られたらいかがかなとこんな風に思うのですが。どうでしょうね。
何か考えるから8月の1日まで待ってくれではいかんと思います。
いやちょっと暑いのでちょっと落ちついてからしようか。これもいけませんね。
なるべく早くお決めに成られて。
何でも結構です。
何かお決めに成られて、これを始めてみよう。
ちょっと頑張ったら続けられるようなことを始められたらいかがかなと思うのです。
ただ、こんな時にね。
1人で続けるというのはしんどうございます。
そこで志をおなじゅうする仲間を捲き込まれたらいいと思います。
そのような意味で私たちの信心は組織にはいることが大事です。
組織にはいるということは、一緒に行をして行こうかと言うことでございますから、一緒に励まし合ってということができるのが組織だと思っていますので、どうぞ組織としっかり繋がって頂きたい。
そんな風に思います。
それと同時に家族信仰も大事です。家族信仰が出来ておりますとあることを通じて行くことには大きな大きな後ろ盾になってくる。
私はこんな風に思っているわけです。
又組織にはいることや、家族信仰については別の機会に申し上げたい。
こんな風に思っているわけですよ。
どうぞ、ね。
そのような意味で何か一つ、お決めに成られてそれを実践して行かれる。
勿論真心に根ざした信心に基づく何か一つやりましょう。
そん風になっさってくださることは私は、尊い信仰に繋がって行くと思うのです。
ある班長様が、毎日のようにお百度を踏んでいらっしゃる。
何故踏んでいなさるのですか?と聞きますと、会社で病気の方がいらっしゃる。 
何時まで踏みなさるのですか?と聞きますとその方が助かるまで踏みますと仰いました。
その方が助かる。
1ヵ月先か、2ヵ月先か分からない。
しかし踏み続けると仰ってくださっている班長さんがいらっしゃいました。
こういう信仰が尊い信仰なのでしょうか。
つい私たちは、信心をしてなんか代償をもとめてしまいます。
お陰があるとかないとか。
そんなことで一喜一憂することがありますよね。
そうじゃなくて、尊い信仰に入ることを宗祖さまが願っていることなのかなと思いました。
そんな意味で新に何か一つ続けて頂くことを願いまして、それぬ向かってご精進されますとことを皆様方に申し上げてこれで終わらして頂きたいと思います。
ご静聴有り難うございました。