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3回目の弁天信仰

3回目の弁天信仰 20年6月15日感謝祭での総長の話

(編集項目:ブログ者)
1 前言
2 6月の第3日曜日
3 ミャンマー、四川省、宮城岩手内陸の天災
4 先月までの話
5 今日は我がご本尊さまの起源
6 管長様の書いた経典水の章解義から朗読
7 ご本尊さまは起源なきお方
8 ご本尊さまは姿・形なきお方
9 本殿の行基菩薩作の本尊像をどう捉えるか
10 弁天像の向こうにおられる原水を感得する





1 前言

皆様ようこそ6月の感謝祭にご参拝下さいました。
エー、気候の方も梅雨の真っ最中ということでございまして、エー、大変この体調の崩しやすい時期かと思うわけでございますが、どうそ健康には十分留意されまして、また、ご精進を給わればとそんなふうに思うわけでございますが。

2 6月の第3日曜日

今日6月15日日曜日何の日かご存じでしょうか。
父の日です。
エー、この父親の存在というものがだんだん、家庭におきましても薄くなってきている気がするのは私だけでございましょうか。
因みに大森家はこの傾向があるようです。
奥様に主導権を握られているのかも知れません。
皆様いかがでございましょうか。
エー、このヤフーがですね。
理想の父親に1人あげるとしましたら誰を選びますかというアンケートをやっていましたが、芸能界で1位は誰かご存じでしょうか? 所ジョージさんだそうであります。
なるほどそういうものかなと思ったわけです。
それでは子供が父親に望むこと。
第1番何だと思われますか。タバコを止めることなのです。
2番目におかあさんに優しくすることなおです。
これは、合格かなと胸を張れるのでございます。
皆様のご家庭もね。
どうぞ、いろいろをあろうかと思うわけでございますが、今日1日くらいはお父さんに優しく、威厳をもちまして家庭をリードして頂きたいなと思うわけでございますけど。

3 ミャンマー、四川省、宮城岩手内陸の天災

さてそんな中で、この、5月の始めにミャンマーの方で多男ふうの大きな被害がありました。
また、5月のこれは、12日でしたかね。
中国では四川の大地震が起こりました。
いずれも10万人を超える死者が出た。
大変な被害が、まあ、引き起こされています。
一方昨日は我が日本におきましても、宮城岩手内陸地震ということで、大きな被害が出ているようでございます。死傷者も出ているということで、非常に心が痛むわけでございます。
日本の方にも、活断層といわれるところが2000を超えるほどあるんだそうでして、もう我々住んでおりますと頃でも何時起こるやも、分からないというふうな。
危険と隣り合わせであろうかと思うわけでありましてね。
ですから、いきなり起こりましても大丈夫なように心づもりはしっかりして置きたいなと、そんなふうに思うわけでございますが、いずれにいたしましても大勢の方々が海外で、また日本国内でもなくなっていらっしゃいます。
また更に、8日におきましては東京の秋葉原におきまして、無差別殺人という本当に、身の毛もよだつような事件が起きているわけでありまして、エー、亡くなられた方々は勿論でありますけれど、ご遺族の方々もどん秋持ちなんだろうなと、胸が張り裂ける思いで一杯であります。
エー、いずれにいたしましても、そういう、大地震、災難ということに対しまして、信者の皆様方の真心を集めたいと思ってています。
詳しいことは、未定でありますけれども、オー、義捐金を集めて行きたいと思っておりますので、いずれ近いうちに、近々、この冥応寺のおきましても、如意寺におきましても、義捐金の募集の箱が置かれるものと。こんなふうに思っていりますので、どうそ皆様方、1人でも真心をお寄せ下さいますように、この場をお借りいたしましてお願いいたしたいと思っております。
どうそよろしくお願いしたいと思います。

4 先月までの話

さて、今日のお話しでございますけれど、今日は弁天さまのお話の最終回というわけであります。
第1回目、先々月でありましたけれども、弁才天信仰というのは、どんなふうにして、いつ、どこで起こって来たのかてなことを申し上げました。
紀元前1500年から1200年の間といわれております。
インドに侵入して参りましたアーリア民族が残しましたリグベーダーという文献の中で、讃えられました女神サラスバティー、これこそ弁才天のルーツであるといわれているわけであります。
そのサラスバティーが仏教の起こりとともに仏教経典で弁才天と名をかり、或いは妙音天と名を変えて尊ばれるようになりました。
仏教の流れとともに日本に伝わってきたてなことを申し上げたわけでございました。
そして先月は、それを受けまして、それでは私たちのご本尊である大弁才天女尊は、親しみをこめて弁天さまと申し上げておりますが、
いわゆる弁才天というお方と同じなのか、違うのか? 
違うとすればどこがどう違うのかというようなことを申し上げたわけでございました。
今日はこの続きであります。
先月は余りにも広大無辺な、私たちを救わんとするお誓いこそ、私たちのご本尊さま、きわだつ神格なのですよと申し上げました。
従いまして、当然お誓いに基づくお働きは、時間空間を超え遥に勝っているということを申し上げたのでございます。
そして、そのお働きを頂こうと思ったら、しっかりと教理を身につけておくこと。
教理に根ざした生き方をすることこそ、大事なのですと申し上げました。
今日はそれを受けまして最後に申し上げたいことを皆様方にお話ししようと思います。

5 今日は我がご本尊さまの起源

それは、それでは、私たちのご本尊である大弁才天女尊と、いわゆる弁才天とその起原は同じなのか、違うのかということです。
最後に申し上げたいのはその起原の問題です。
先ほど申し上げましたように弁才天の起原は、紀元前1500年から1200年前のインドでありました。私たちのご本尊さまもそこにルーツを求めることができるのか。
結論から申しますとそれは違うわけであります。
私達、ご本尊大弁才天女尊のルーツは、私たちのいわば、思考を超えた位置にいらっしゃると思うのです。
それを管長猊下がお書きになられました水の小解義を手がかりに、皆様方にお話をしようと思いますので、今日はその本を持って参りました。
皆様方におなじみのこの本です。
さて、管長猊下が私たちのご本尊大弁才天女尊のルーツをここに求めて、起原はここなんですよと仰っていらっしゃる。
その一つの言葉は、それを管長猊下は、「原水の意志」こんな風な言葉で表現なさっています。
原水はみなもとのみず。
意志とは心と読みます。
その辺に転がっている石ではなく心というあの意志なのです。
原水の意志。
漢字はそのような字を書くのでございますが、それはそう読まず、管長猊下はちゃんとルビをふってくださっています。
原水の意志と書いて何と読むのか。
「みずのこころ」と読みます。
私たちも管長猊下に習いまして、宇宙に思いを寄せてみたのです。
私たちのこの地球を含むこの宇宙、住んでおります宇宙。
これは出来上がりましてから150億年経ったといわれています。
何でも大爆発が起こって、ビッグバンが起こってそうなったといわれます。
それ以前は一体どうなっていたのか。
それは分からんのだそうでしてね。
しかし、私たちはそれをそうさせたお方がいらっしゃると捉えたい。
そしてそのことを管長猊下は、ここで仰っていらっしゃる水の心であります。
このように捉えました時に、私たちのご本尊は、宇宙の総祖神という立場がえられるのであります。

6 管長様の書いた経典水の章解義から朗読

そこのところをすこし読んでみたいと思います。
この水の章解義の、第1部ご本尊大弁才天女尊の中の「水と宇宙」という中の項目の所、58P、
こんなふうに管長猊下はお書き下さっています。
はじめに(宇宙創生の以前に)神の意志、ご本尊さまの大意志があった。
ご本尊さまは宇宙を設計し、素粒子と真空を置いた。
空はすなわちご本尊さまであった。
ご本尊さまから有と無が生じたのだ。
有と無、素粒子(エネルギー)と真空は協力して、世界の素子、水素を生んだ。
原水(みず)の意思(こころ)がすべての自然現象(生命現象を含めた)の法則の核心となったのだ。
1滴原水(みず)が、今や、数億光年の空間に広がった、それが私たちの宇宙なのだ。
宇宙は、ご本尊さまによって置かれた原水(みず)から始まったのである。
すなわち、宇宙は原水(みず)の意志(こころ)なのである。
こんなに書いてらっしゃる。
これだけ読ませて頂きましてもなかなか理解するのが難しいかも知れません。

7 ご本尊さまは起源なきお方

私はこの五條に住まわせて頂きまして、1つ違うなと思いましたことは冬の夜のきれいさです。
夜、たとえば御廟にお詣りを致しまして、夜空をみますと本当にうつくしゅうございます。
もう星の数がこんだけ在ったのかと思うほど、無数に瞬いています。
そしてそれが茨木でいるより近く感じますよね。
どうかすると流星がとんだりします。
ジーッと見ていますと何か不思議な不思議な気持ちにうたれることがあります。
この宇宙が偶然こんなふうにしてできたのだろうか。
何かとてつもない大きな意志があって、そのお方が作られた設計図の元につくられたのではなかろうか。
そのような不思議な思いにとらわれることがございました。
そんな時、もしかするとこの「みずのこころ(原水の意志)」に自分の心がふれている一瞬なのかも分からないのでございます。
私たちはこの宇宙が偶然にできたとは思いません。
ある1つの意志がある。
そのご意思の下に作られたという立場を取りたいのです。
そしてそれこそ、原水の意志(みずのこころ)で有り、ご本尊のルーツはそこにあるとこう考えられるのです。
さあ、そうなりました時に、確かに私たちのご本尊、大弁才天女尊の起源は水の心なのでございますけれど、そのお方が宇宙を生成したとするならば、そのお方こそはじめもなく終わりもない。
すなわち起源なきお方ということができないでしょうか。
私たちのご本尊には、一般的にはご本尊さま、弁才天には起源がある。
しかし私たちのご本尊さまには起源がない。
起源がないお方に終わりがあるはずがない。
そしてそう捉えた時に、色んなことが矛盾無く納まるような気が私にはするのです。
かって、何10年も前でございますが、メキシコに宇宙から飛来しました隕石が落ちたのでございます。
その隕石を調べましたところ、その隕石が出来上がりました年代というのは地球ができるよりも以前のことだということが分かりました。
遠い遠い彼方からやってきたのでしょう。
地球が生まれる46億年以上前に、できた隕石だそうです。
所がその隕石の成分を調べますとほんの僅かでありますけれど水素と酸素の化合物、すなわち水があったのだそうです。
地球が生まれる以前に宇宙から作り出された水であります。
そんなことを考えますと、本当に大きな意志のようなものが、厳然としてあるような気がするわけであります。
さあそこで、ご本尊さまのルーツを原水の意志として捉えました時に、こういうことも言えるのではないでしょうか。

8 ご本尊さまは姿・形なきお方

私たちのご本尊さまは姿なきお方である。
つい我々は、すがたかたちを私たちのご本尊さまの当てはめて考えようとします。
しかしそれを致しますと、道を誤るのではなかろうかという気がいたしております。
ハッキリ申し上げれば、私の理解では、ご本尊さま姿なきお方である。
もし姿があるとするならば、それは作られたものである。
これまた証明する時がやって参ります。
何時か分かりません。
しかし、物質である以上そういうことが言えるのではないでしょうか。
従って私は、皆様方の理解を超えたことを申し上げるようですが、私たちのご本尊大弁才天女尊というお方に、すがたかたちを当てはめるべきでないこう理解を致しておるのです。

9 本殿の行基菩薩作の本尊像をどう捉えるか

また、このご本殿にお祀りいたしております。
あの大弁才天女尊像は、それではどう捉えればいいのか?
紛れもなく形をもって鎮座まします大弁才天女尊像であります。
これは、こんなふうにお考え頂きたい。
あの弁才天女尊像は、奈良時代に社会活動に本当に大きな貢献をなさった行基菩薩の手になるといわれております大弁才天女尊像です。(??妙音新聞の如意寺建立趣意書に弘法大師作とある)
そして、そういうことを宗祖さまの直接の天啓のきっかけになった大弁才天女尊像です。
直接のきっかけとなった大弁才天女尊像をご本殿にご安置申し上げている。こう考えられます。
従いまして、行基菩薩があの像を彫り上げた。
お造りになられたということこそ、天啓の直接のご縁であります。
こんな大事な、大事な弁才天像を正面にお祀りいたしているのでございます。
従いまして、10年に1度ご開帳されますけれども、どうぞ姿、形にとらわれず。
お姿はお手は8本あったな。
何もっていらっしゃるんやろう。
いくら研究しても私たちの信仰にそう寄与することはないだろう。
そのように思う。
その背後にあるお方を感得する。そ
のようなご奉拝の仕方をして頂ければありがたいと思っています。

10 弁天像の向こうにおられる原水を感得する

丁度、弁才天像を通して、その向こうにいらっしゃる原水の位置を、いわば感得する。
これをしようと思ったら、余程の所までに行を積んで行きませんと。
ただ奉拝するという姿勢だけでは、なかなか難しいかも分かりません。
しかし、行をしてこそ、その背後にあるものをきっと感得できると思うのです。
その背後が光っていたと仰る方がいます。
その原水の意志のふれた一瞬かも知れませんね。
そして、そんなふうに考えた時に、行基菩薩があの弁才天女尊像をお造りなられたのも、天啓のご縁であります。
考えてみますと仏教が日本に伝来したからそうなった。
仏教が伝来したこともご縁でした。
仏教が伝来したということは仏教が行われなければなりません。
お釈迦様がインドでお生まれになられたということも、天啓のためにご本尊さまが必要とされたからだと私は思うのです。
そして、アーリア民族が、お釈迦様がお働きになられる1000年以上も前に弁才天信仰を始めたということも、きっかけであったでしょう。
すなわち昭和9年4月17日以前の、すべての歴史はその天啓のために、ご本尊さまが必要となさったご縁でありました。私はそんなふうに考えているのでございます。
従いまして、どうぞ、その背後にある大きなものを何時も感得できるような。
そんな姿勢で臨んで頂きたいなと思います。
従いまして、我々がどこにいようとも、ご本尊さまの宇宙の総祖神でありますから、私たちをきっと守って下さると思うのですよね。
将来、何時のことか分かりませんが。宇宙旅行ができる時がやって参ると思うのです。
ロケットで月に勝手に行けるのかも知れません。
月に行く、そんな時も迷わずご祈祷をつけていって下さい。
そして、お守りをもってロケットに乗ってください。
宇宙の総祖神でありますから、宇宙の果てまでいっても弁天さまは守って下さると私はそう考えているのでございます。

もう一つ管長猊下の書物から引用しておきたいと思います。
これは66Pです。
私たちは、宇宙に起源のあることを知っている。
起源なき世界には、人間の個体をも含めて、有限の“有”は存在しえないからである。
起源に、その起源を置いたご本尊の大意志を見る。
意図的な大意志がなければ、すべての法則性は抹消され、すべての論理の成立はありえないからである。
ご本尊の大意志は、すなわち“水の心”である。
原水(みず)が宇宙のスタート以来、世界の基本物質となり、“水”の形を取って、すべての生命の母胎となった事実からもこれを結論する。
この結論を、信念まで高めているのが、私たちの信仰なのだ。
私たちは、この“水の心”を持つ大意志を宇宙最高の祖神を呼ぶ、これが私たちのご本尊“大弁才天女尊”なのである。
どうぞ皆様方、この経典水の章解義をもっとお読みになって頂きたい。
そして、管長猊下とともに宇宙のまで思いを寄せていただきましたら、ご本尊さまのお働きに思いを寄せて頂きますようお願いいたしたいと思います。
これまで3ヵ月に亘りまして弁天さま、ご本尊さまのお話をして参りました。
しかし、これは、たとえば、夜空に光るお月様を知らないと、あれはお月様ですよと指をさす。
この指の役目です。
それ以外何者でもないのです。
お月様を見たい人は、どれどれとその後ろから自分で見て頂く。
即ちこのように申し上げたと致しましても、それは1つの指針であります。
ご本尊さまはもしかすると語る対象では無くって、感得するものかも知れません。
もしそうだとすると、どうぞ、ご自身でしっかりとこころを磨いて、水の心を心とした生き方をなさって下さいますように。
この事を最後に申し上げまして今日のお話しにかえさせていただきたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。