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20年5月29日(木)奈良五條市大和本部年忌法要時の宗務総長法話

20年5月29日(木)奈良五條市大和本部年忌法要時の宗務総長法話

皆様本日はようこそご参拝を下さいました。
只今、皆様方とご一緒に、6月分の永代経年忌法要と併せまして、永代経の新申込の法要、また特別法要を申し込まれた方の法要をさせて頂いたわけです。
皆様方には様々なご予定がお有りであったともうわけでございますけれど、曲げてご参集下さいましたことを、さぞやご先祖様はお喜びであったであろうと拝察している次第でございます。

これはいつも申し上げております。
また、色んなところで聞かれていようかと思うわけでございますけれども、このご先祖様というお方はですね。
いわば、我々をこの世に送り出してくださった方々です。
鎖の輪が本当に繋がっているのですね。
命の連続に鎖の輪が、どれ1つ欠けましても、今の我々はもう無いのです。
できるかどうかは別にしまして、その鎖を1つ千切ったとしますと、今の我々の存在は消えて無くなるのです。
従いましてご先祖様が、いらっしゃるからこそ今の我々があるのです。
我々が居るからご先祖様があるわけではありません。
従いましてそのように考えました時には、もうご先祖様に対しましてはもう無条件の感謝を捧げなくてはならないということになるわけです。
条件がないのですね。ただ、ただ感謝るのみ。
そういうご先祖様に対しての我々の姿勢が大切になるのです。
間違いましても自分のこの世の現状をご先祖様に求めていってはならないのです。
で、そのご先祖様に対しての感謝ですが、それは本来は毎日毎日、感謝すべきでありましょう。
だから、こういう節目の時には特にそういう想いを、強く強く思い出して頂かなければならないのですね。
そして、その感謝の念をもちまして、日々のご回向を通しましてご先祖様と向き合って頂きたいのですが。
そのご先祖様と向き合うと申しましても、私たちが日頃向き合うようにはいきません。
会話を交わしてもご先祖様の方から我々わかる人間の言葉で語りかけてくださるはずはございません。
ですから何か形をもって、ご先祖様がいらっしゃるというだけで有り難いと思うわけでありますよね。
特別な、ご先祖様と我々の向き合い方があると思うのであります。
その向き合い方は何というかいいますと、それをまさに私たちは供養という言葉で表します。
即ち、供養ということはご先祖様の、私たちから見た時の感謝の念を持っての向き合い方をいうわけです。
特にこの様な節目節目の場合におきましては、感謝の念をやぱり強く持って、ただ有り難いだけではなくってね。
その想いを強く強く持って頂かねばなりませんね。
そんなふうに思っているわけでございます。
皆様方も恐らくそのような気持ちで、今日お見えのことだろうと思うわけでございますが、どうぞこれからこのような法要の時には、まずは、感謝の念を強く持って頂きまして、この法要に参加して頂ければと、このようの思っているわけでございます。
そして、その供養のまず大前提は、今申しました感謝です。
で、それをですね。具体的に供養を実践して頂こうと思います。
やっぱり、欠けてはならない柱のようなものがあると申しておきます。

で、大前提はこの感謝なんですが、ます、大前提は、強く強く思ったその感謝が、形に表さなくちゃならないということですね。
皆様方が施主というお立場でこのお塔婆という形を表して頂くのです。
お塔婆というのはご先祖様の復活という言葉で「依り代」です。
これに戒名を書きますと単なる板ではなくなるです。
今日からご先祖様の依り代として、抽象的な意味が付与されました。
そんなお塔婆を皆様方は、施主という立場で形に現して頂きたいのです。
どうぞね。節目節目のこの法要の際にはその想いをとにかく形をもって現して頂きたいなと、こんなふうに持っています。感
謝の念を現して頂きたいなと思っております。
只今宗でやっています宗祖様のお示しになって先祖供養、それはお塔婆をお申し込み頂きまして、お家の持って帰りまして、ご自身で供養して頂くということでございましたね。
それをまあ、宗祖さまの仰いました通りの供養をなさていただきたい。
それは毎日して頂くということです。
毎日供養とか、定期的に1週間1週間供養をなさっていらっしゃる方がおられますけれども、それは別としまして、基本はそういった形でお塔婆を申し込み頂きましてね。
毎月の供養をして頂くのが信者として(又は子孫として)避けて通れないことです。

2番目に大事なことは、宗祖さまの教えに、また弁天宗の制度として何でも預け放し、お願いし放しはありません。
お宗祖様のご神事もそうであります。
貴方もしっかり信仰するのですよと必ず宗祖さまそう仰っていらっしゃる。
貴方は何もしなくて良い。私が全部貴方のためにやります。
やらせて頂きます。
そんなことは宗祖さまは仰っていらっしゃらないと思うのです。
供養も同じであります。ですからこれもなさってください。
ご案内がありましたら、様々な事情がありましても、やむえない事情がありましたら仕方がないでしょうが、距離が遠いなどをいわず何はさておきましてもお詣りさせて頂だこう。
そしてみんなとお勤めをさしてもらおうと私は思うのです。
こちらに事情でお詣りされなかったのは、我々が代わりましてこの戒名を読み上げさせて頂いて、ご供養いたしました。
本来施主の代わりを我々はできない。
我々が100万反お経を唱えても施主の皆様方が般若心経1巻唱える事が出来たといたしますと、それの方がはるかに功徳はあると私は思うのです。
今日は皆様がお経を唱えて頂いた。きっとご先祖様は喜んでくださったに違いないと思っておりますし、ただ、先ほど申しましたように、宗祖さま教えに従った供養というのは、そのような供養でございますので、毎月どうぞなさってくださいますようお願いいたしておきます。
預けなどは本来ないんだというようにご承知下さい。
感謝は形をもって現す。
それからご案内がありましたら何はさておき参列して頂くことをお願いします。
ここまでは、できるのですけれどね。

3番目の供養の柱があるのです。
これはどういうことかと申しますと、施主である我々が幸せになることです。
皆様方が幸せであるということが大きな供養なのですよということを教えて頂くことがあるのですが、本当にそうだと思います。
私たちもいずれはご先祖様の仲間入りを致します。
そういった時に、まだ見ぬ子や孫が幸せであるということは、本当に私たちが一人一人になっても心が安らぐだろうと思います。
私たちが幸せであるということが、ご先祖様が喜んでくださっている。
このように捉えて頂きたいですね。
どうか宗祖さまのお示しになったこの幸せの道を、間違いなく歩いているか。
どうかその辺を、ですね。足もとを見直して頂きますよう。
そして間違いない幸せの道を歩いて下しますように。
それが供養の3番目の柱です。
これはお良く忘れがちになると思うのです。
形を現すことに続いて、積極的に足運びをし、参列もしているがどうも何かあると思う方はもう一度、ご確認して頂きたいと申し上げておきます。
供養については申し上げましたので皆様のお立場での、応用問題になりますが、どうぞそれぞれの立場で、解決し、幸せの道を歩んでください。
今日は本当にご苦労さまでした。
これで法要は終わらせて頂きます。
有り難うございました。