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2男・3男等の先祖供養と葬式をしても浮かばれない仏様の話

2男・3男等の先祖供養と葬式をしても浮かばれない仏様の話
(18年9月30日支部感謝祭での松本講師法話から)

次男で仏さんを祀っていない方は手を挙げてください。
ありますか、3男ですか。5男でも構いません。
先祖を祀ってない方は、祀って欲しいのです。
何故かと言いますと、お彼岸のお運びで話しましたので2度目になりますが、聞いてください。

(編集項目:ブログ者記)
1 浄土に行けない仏さん
2 2男3男の方の祀り方
3 名前をよびあげてください。
4 立派な葬式をしても浮かばれない、彼岸に行けない、障りをする仏さま
5 目で見えないが大切にしなければならない




1 浄土に行けない仏さん

今年の秋の彼岸は20日が彼岸の入りで26日が結願(?)でこれも彼岸です。
お経の中に出てくる彼岸は向こうの岸です。
私達が住んでいる岸は此岸のこの世です。
この世には必ず終わりがあります。
いつか判らないだけです。
終わったら行く先が彼岸です。
しかし全員が彼岸にスーと行けるかと言いますとスーと彼岸に行けない人が沢山いるのです。
此岸から彼岸の中途には、餓鬼道、地獄があるのです。
この世でイイ生き方をしていない方が餓鬼道とか地獄とかの網にかかってしますのです。
網にかからず彼岸委行ける方もいます。
しかし、彼岸に行けない網にかかる方は、「この世でワシさえよかったらエエ」という相手の方のことを考えない方は行きにくいのです。
お宗祖様ご在世の時に、商売がうまく行かない、病人がでるというときお宗祖様の御神示に行きますとあんた過去帳をもっておいでといわれ、この仏さんは浮かばれてないと赤丸を戒名に付けられました。
これは彼岸へ行けず成仏できない仏さんですね。
この世が終わったら彼岸にスーといける生き方をして欲しいと思います。
その生き方の最初が先祖供養です。先祖とはなんでしょうか。
その家の初代からなくなった先代までは先祖です。
なくなったら先代から2~3代前ぐらいは判りますがそれ以上は判らないと思います。
今自分がここに存在するのは両親があったからです。ですから先祖を大事にしないといけないのです。
仏壇はいりません。

2 2男3男の方の祀り方

2男3男の方で先祖を祀っていない方は、(両親がおられたら、)仏壇はいりません。
1世管長さんは「仏壇買うたらアカンで」とおっしゃった。
アパートでもマンションでも借家でもこの部屋が一番いいなあという部屋があると思います。
ここでは床の間(集会所の部屋の床の間部屋)ですね。
ここに正座で坐って、自分の目より少し高い位置に棚のある台を置いて欲しいのです。
そこには位牌も何もいりません。
ここにうちのご先祖様がいらっしゃると思って、朝起きたら、例えばお茶を供え、ご飯を炊いたらご飯を供え、買い物に行ったらバナナの1本でもミカン1個でもお供えしていますと、その家のご先祖様はこの台のところに集まってこられます。
位牌も塔婆もなんにもいりません。
そして、もしされるのであれば、毎月自分の親の命日にはお塔婆をあげて欲しいのです。
彼岸とお盆にやっておられるだけではないですか。
私の母親が9月の命日や3月の命日の場合、彼岸塔婆は彼岸塔婆でお願いし、別に千円の持ち帰り中塔婆をお願いしてここに(床の間を指す)持ち帰りして祀って欲しいのです。
仏壇のある方は仏壇で祀って欲しいのです。
そうすれば、親が喜ばれます。
今ここに体があるのは誰のお陰であるか考えて欲しいのです。
親があればこそこの体があるのです。
親にも親があります。ですからその方方をご先祖様と申します。
私はそこから始めて欲しいと思います。
台だけどちょっと2段ほどの祭壇でも作ってみようかとなるのです。
和歌山に行きますと仏壇がないところが多いです。
皆2段ほどの祭壇なのです。
祭壇の上に古い位牌をズーと並べてあるのです。
仏壇のある家もあります。
田舎に行くと一般的には祭壇の家が多いですね。
ですから私は仏壇がなくてもエエのではないかと思います。
仏壇でなくてもご先祖様を祀られるとご先祖様が喜ばれる。
それが自分に回ってくる。
そうするとまた自分がご先祖様を感謝して供養するから、回し向かうと書いて回向といいます。
回向は先に相手に喜んでもらわなくてはならないのです。
自分だけ宝くじに当たって喜んでいるのはダメです。
直ぐに取られてなくなります。
2男や3男やでも、一番きれいな場所にご先祖様を大事にして祀ってください。

3 名前をよびあげてください。

仏壇のある方は、お茶をあげて般若心経をあげていますね。
この時は親の戒名を最期にあげてください。
過去帳に10体~20体と書いてある仏様の名を呼ばなくていいんですが、親の戒名は読み上げてください。親の下になるなくなったご主人、奥さん、子供、水子も必ず戒名を読んで欲しいのです。
そうするとこれらの仏様は非常に喜ばれます。
この喜びがまた私たちの喜びに繋がるのです。
ですからどうぞこれらもよろしくお願いします。


2男・3男等の先祖供養と葬式をしても浮かばれない仏様の話 NO2
(18年9月30日支部感謝祭での松本講師法話から)
(編集項目:ブログ者記)
NO1
1 浄土に行けない仏さん
2 2男3男の方の祀り方
3 名前をよびあげてください。
NO2
4 立派な葬式をしても浮かばれない、彼岸に行けない、障りをする仏さま
5 目で見えないが大切にしなければならない

4 立派な葬式をしても浮かばれない、彼岸に行けない、障りをする仏さま

彼岸月でしたので仏さんの話をします。
(昭和14・5年頃の話)私の前の教区長Tさんは、大きな造り酒屋でなくなる前にいまだからM君話をするがといって話をしてくださいました仏様の話です。
当時旦那さん旦那さんといって話をしましたが、当時訪問客は下女中が取り次ぎ、次を中女中が取り次ぎ更にそれを奥女中が取り次ぐという段取りになっており、簡単にTさん会えることできませんでした。
上がってもらってといわれても、玄関脇の客間でお会いし、奥までとても行けない格式がある状況でした。
大きな木製の酒樽が蔵に並んでいました。
酒を仕込むときは12月に丹波の方から30人前後の杜氏さん来て仕込むそうです。
杜氏さんは杜氏さんだけで寝起きし食事も全員一緒で女中さんが給仕をされました。
ある時杜氏さんが晩ご飯を食べるとき一人足らずにAがいないと話題になったのですが、Aさんは酒が好きで現O市(王子)にカフェー(今の赤のれんでしょう)というのか沢山あり、そこに一杯のみにいたのではないかという話その晩は終わり、翌日朝ご飯食べるときにAさんがいないので、不在が話題になり、用事で家に帰っていないか電話で調べても帰っていないので、おかしいということで蔵の中を探しました。
蔵の中に見あたらなかったが、蔵には蔵人という造り酒屋所属の職人がいます。
蔵人にこれこれの人を知らないか尋ねると、ある樽の上で前日の夕方仕込みをしていた人がいたという目撃があり、その樽にはしごをかけ覗くと樽の中でAさんが死んで浮かんでいました。
樽の上で混ぜているとガスがでるそうで、ガスを吸うとふーとなって樽にはまったのではないか想像したそうです。
樽に酒でも一杯あると泳いで淵に捕まりでることができますが、量が半分や6分では樽の淵に捕まることができず、樽からでられないんだそうです。
そこから直ぐ引き揚げ、Aさんお家に連絡し、Aさんを立派な棺おけに入れ、旦那さんもAさん宅に行き、立派な葬式をしまとまったお金をAさんの遺族に差し上げたそうです。
そんなことをしたら新聞に書かれなかったのか聞きましたら、新聞屋も警察もすべてお金で押さえたそうです。
昭和16年の少し前の頃の話で当時はそれができたのでしょう。
一件落着したので、死人の出た樽を棄てて新しい樽を作りそこに置いて翌年酒を造ったが、お酒にならなかったそうです。
1年目おかしいなと思い、米や麹等材料の調合を間違えたと思ったそうです。
この出来損ないの酒は、損をして酢屋に売ったそうです。
2年目もやはり酒にならず。
実は、Tさんはご存じ十輪寺の改修工事にもまとまったお金を出されています。
如意寺建立時にもまとまったお金を寄付されています。
そんな関係ですから、3年目も酒にならずお宗祖さまに「ちょっと来て」とお願いすると、「はい」といってお宗祖さまが来てくれたそうです。
お宗祖さまは1世管長さんが背負ってきたホウラクをその家の座敷において、壇護摩を焚かれました。
「何もいわずにお宗祖さまうちの蔵をお祓いしてよ」といいましたら、蔵をお祓いですかとお宗祖さまが言い、1世管長さんとともに錫杖をもってお加持をしながら蔵に入られたところ、Aさんの亡くなった樽のあった場所にお宗祖さまが来ると足が止まりました。
「ここでどなたかお亡くなりになりましたね」とお宗祖さまがおっしゃいました。
お宗祖さまにばれないと思っていましたので「何でお宗祖さま判るの」と尋ねると。
「霊がいる」と答えられた。そこでお加持をしてもらい終わりました。
「どなたが亡くなられたのですか」とお宗祖さまに聞かれ、これはアカンと思って実はこれこれですと正直に申し上げた。
「ここに霊がいるので酒ができない」とお宗祖さまおっしゃったそうです。
(お宗祖さまの霊の供養で酒はできるようになりました)

この話は人間は死んでも満足して死ななかったら心が現世この世に残るということを申しあがたかったのです。
これを怖いと皆さん思ってください。
私はこの人Aさんは樽にはまって死んだが、即死でなく、何時間かは泳ぎながら入口の扉ががらがらと閉まると翌日まで誰も入ってこないのです。
ガスを吸っていても、残念だ、情けない、家族の心配をされたのだろうと思います。
その心がこの樽のあった場所に残っておるから酒ができないのです。
皆さん葬式したらあの世に行くと思っているでしょう。この時の葬式も立派なもので、まとまったお金も渡し、Aさんとことは一件落着しています。
それでもAさんの悔しい、残念だという心が残ってから酒ができないのです。
皆さんにこれを置き換えますと、親が亡くなるときに、親を満足するようにして送って上げて欲しいのです。
例えばニュースで3~4人親の世話をする方がいても、親をどこかの施設に入れます。
施設に入れてもいいと思います。
しかし、お見舞いに行って上げる。
そして親に満足させてこの世から送り出さないといけませんよと言うことです。
皆さんそれをして上げてください。
お世話になったなと感謝して亡くなられるから心が残らずあの世に行けるのです。
残念だ、悔しいという思い・心があると体はあっちに行っても心だけ残すのです。
親の世話は食べ物と下の世話にあると思いますが、見舞いに行けば立ったままではなく、親の目線の高さで話しかけてください。
ベッドであれば膝をついて親の手を握り、おばちゃんおじちゃんどうですかと話すと心が相手に通じるのです。
しばらく世間話をするとぽろぽろと涙が出てきますよ。
私はやっています。
親兄弟ではなく親しい近所の方にもそうしてあげてください。
それが真心であろうと思います。
心をこの世に残さないからあなた方も子供さんや後の方もうまく行くのです。
ですからこれが信仰の魅力と違うのかな思います。
親の世話できないので施設に預けても、人が1回行けば3回いって欲しいと思います。
あんたに世話になったな。よう来てくれたな。心配をかけたなといわはると心ももって行かれると思います。酒樽でなくなったAさんは走馬燈のように色んな思いが駆けめぐり、助からない運命を呪ったのではないでしょうか。

5 目で見えないが大切にしなければならない

この世には目で見えるものと目で見えないものがあるのです。
この世には目で見えるものと目で見えないものがあるのです。
目で見えるもので大切にしなければならないものと目で見えないが大切にしなければならないものがあるのです。
目に見えることは誰にでも判ります。
あの人は金持ちやな、あの人は貧しいな、この花はきれいやなと判ります。
ところが目で見えないところで大事にしなければならないところは一杯あります。
例えば、今日は辯天さんの支部感謝祭です。
お宗祖さまはどこの感謝祭にも行って上げられるとおっしゃっていますからここお宗祖さまはちゃんと来てくださっているのです。
ところが見えません。
お宗祖さまが見えたらこの支部の感謝祭は沢山押しかけて座れないでしょう。
人の心でも、目に見えないけれど大切にしなければならないところは一杯あると思います。
目に見えないから人に尽くして行かなければならないと思います。
それが心ではないかと思うのですがどうでしょう。