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小竹講師の法話から

小竹講師の法話から

「お言葉65:いくらいわれても分からない者は、いつか思い知らさせる」に関する小竹講師の法話を読んで思ったこと




宗務員の先生方で、信者への話し方で思いやりというか慈愛の言葉を使われる方は管長様に継いで小竹先生です。
那賀教区便りの法話は「である・だの命令調」で記載されていました。
多分那賀教会便りの紙面のレイアウト上の関係で省略縮小されて掲載されているように思われます。
お運びでの平素の言葉使いから、使われていた末尾の語句を「ですます調」に変更しました。
この他にも信者に思いやりのある丁寧な言葉を使われるのは、田口講師、賀屋講師、岩城講師です。
言葉使いが丁寧だけでなく、法話を聞く信者に心を配り話してくださっているなというのが分かるのです。心に響く話し方というか法話は胸にジンジン沁みてきますので、聞いている方が有り難いなと思ってきます。
当ブログにはお宗祖様、現管長様の感謝祭等でのお諭し、そしてお運び等での講師の法話をその言葉通り掲載していますので、読まれたならばその言葉使いが、気配りが読み取れると思います。
さらに、主題をどのように捉え、話を構成しているかも知ることができます。

「いくらいわれても分からない者は、いつか思い知らさせる」言う法話に小竹講師は、「いわれても分からない」ことに主眼をおかず、弁天様のみ教えお知らせが如何に有り難いか、だからしっかり受け取らなければならない。
従ってこうして有り難いみ教え教えを受け取りましょうという「受け取る方法」の観点からの法話です。
そうだなそうだなと思いながら読むことができるのです。

では次に、弁天宗のHPに掲示されているお言葉の解説を紹介します。
以前は日々のお言葉として何時でも弁天宗のHP上で全部を閲覧することができたのですが、現在は今日のお言葉だけしか閲覧できません。
何を物語っているのでしょうか?

65 いくらいわれても分からない者は、いつか思い知らさせる。
お諭しの素直な実行を忘れた者には、何時とはいえないが、必ず思い知らされる時がやってくる。
このことは誰もどうすることもできない。だが、思い知らされてはじめて自己の過ちに気がつき、心から反省するということもあるだろう。
御本尊さまはあなたを苦しめるのではなく、悟らせようとお働きくださるのだ。
忘れてはならないのは、そんなにまでしてもあなたを救おうとされる御本尊さまの慈悲なるみちびきである。

アドレスは http://www.bentenshu.or.jp/65.htm です。

弁天宗のHPで見つからない時は、インターネットに接続して、上記アドレスをコンロロールキーをおしてクリックしてください。またはアドレスをコピーして貼り付け検索してください。接続します。
なお上記アドレスの「65」の数字を「1~72」の数字に置き換えますと、お宗祖様の残されたお言葉72個の解説を閲覧することができます