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18年水の章23講法話

18年3月5日(日)水の章23講 小竹祥善講師

(編集項目:ブログ者記)
1 一生懸命やると道は開ける
2 善根を積みても、不平はすべての徳を断ち切るなり。(62)
1) 不平は何故起きるのか
2) 地獄と極楽の話を子供にしたことがありますか。
3 上に不平ありては、運命の流れ損ないきれるなり。(63)
1) 上とは
2) 穴の開いたラジエーター
4 水は下(しも)から上(かみ)へは流れざるなり。(64) 
1) 下とは
2) お陰様で




1 一生懸命やると道は開ける

割に合わないことであっても一生懸命やると必ず道は開けると言う精神の広島にある食品会社「椿き家」の豆腐とおからの話

社長さんは5才の頃、胃潰瘍になった。
理由は農薬の薬の入っていた袋をかぶり遊んでいたからでした。
この経験から身体によい豆腐の製造を思い立ち、特許権者の許しを得て、大豆と水と苦汁だけの無添加豆腐とおからを作成するが値段の割高から売れなかった。
(ご存じないと思いますが普通の豆腐は10~20種類の添加物を使用しています。)
そこで世間の見る目のなさに不満を持ち、イエローハットという会社の社長鍵山さんに相談したところ貴方が社会に不満を持っても少しもよい結果は生まれないよ、「霜に打たれた柿の味」と言われ、社会への恨みを棄てました。
寒い厳しい冷たい霜にうたれることにより渋柿は甘くなる。
貴方が社会の厳しい冷たい仕打ちに不平を言っているが、社会の冷たい扱いに貴方は育ててもらってるのだよと教えてもらった。
そして、うちの会社は社員がすぐやめ長続きしない何故かなと思っていたので、社員に対して心の栄養を与えていないことに気付いた。
そこで社員に心に栄養を与える方法として、①挨拶②礼儀③トイレ掃除④親孝行の4つを始めた。
社員はやめなくなりました。
そして会社は自然食ブームの波に乗りました。
おからは、今機械が進歩し精密になり、おからはできず完全なカスしか出てきません。
従ってこの会社ではこのカスに豆乳を混ぜて大豆の皮(?)等を混ぜて特別に製造するそうで、とてもおいしいと聞いています。
このオカラがおいしいので豆腐もきっとおいしいだろうと豆腐が売れ出し、数年前1日に10万個製造し、年商11億円です。
この会社は、割に合わないことであっても一生懸命やると必ず道は開けると言う精神で、少しでも社会に役立ちたいとアトピー患者等需要の少ない方々のための豆腐を製造しています。

2 善根を積みても、不平はすべての徳を断ち切るなり。(62)

幾ら良いことをしても不平が湧いてくるとそれまでの善根功徳がだめになってしまうよと言う教えです。

1) 不平は何故起きるのか

善根を積みながら、どうしてら不平が起ってくるのか。
善根を積むと徳が生まれます。
徳には色んな意味がありありますが、ここでの徳とは弁才天様とつながることです。
ご本尊様からお助けをいただける。お力をいただけるパイプです。
だから徳はご本尊様と我々をつなぎます。
徳という字は、語源的には「悳」と書きます。素直な心が徳です。
ではどんなことが徳でしょうか。
役員さんから言われて忙しいが仕方がないと教会の受付の勤務をすることは善根ではありません。
当番・割り当てです。
素直な心でやらないと徳にはなりません。

1つ目は、代償みかえりを求めないです。

最初はみかえりを求めてなくても、時間が経ちみかえりがないと不平になってきます。
相手が人間ですからみかえりが返ってこないのが当たり前なのです。
ところがご本尊様は必ずみかえりをされます。
人間と神様の違いです。
私達は、返ってこないみかえりを待っている間違いに気づきましょう。
代償を求めないようにしましょう。
ですから他人様に善根ができた、積めたのでありがたい、喜ぶ生き方をすることは不平を生みません。
例えば散歩をされる方は、散歩が好きで楽しいのです、健康のためではだめです。
物事を目的とする考え方ではなく手段とすることが大事です。
お運びを聞いて立派な信者になることではなく、お運びに来る事が好きだ楽しみにならなくてはいけません。

2つ目は、世の中はご本尊様の思い道理

他人と生活をしているのですから世の中はなかなか自分の希望どおりにはならないです。
世の中の事は自分の希望どおりではなく、どんな事もご本尊様の希望どおりに進んでいるのです。
自分の希望どおりにならないと思うと不平になります。
これはご本尊様が大事な事をきっと私に教えてくださっているのだと取っていきますと不平になりません。
病気になってもつまずいても失敗してもこれは意味のある事なのです。

3つ目、日々変化進歩する世の中にあって私達は世間の評価をあまりにも気にします。
私達は変わる事のない評価・価値観を持てば、それを基準にしますから世間の評価は気にならず不平になりません。
その価値観はお宗祖様の教えです。
東京青山の墓地には形・色・表現等いろいろなお墓があります。
しかし教えの先祖を粗末にしてはなりませんを基準にすると汚いお墓ときれいなお墓に分られます。
これらを通して不平が起こらないようにしましょう。

2)  地獄と極楽の話を子供にしたことがありますか。

中華料理を食べるときを想像してください。
テーブルにはおいしい料理があり、2メートルの箸が置いてあります。
2メートルの箸で料理を食べようとしています。
地獄は、箸で掴む事はできても、箸が長いので自分の口に料理を持ってくることができないことです。
極楽は、まず長い箸で料理を掴み、向かいの人に食べてもらい、自分は向かいの人に食べさせてもらうのです。
地獄極楽は同じ条件にあります。
ただ自分だけはどうにもならないが相手が居て助け合えるかにより地獄極楽の分かれ道になると言うお話しです。
これには落ちがあります。
長男は素直に納得したのですが、次男は、2メートルの箸を長く持たずに短く持てば自分で食べる事ができる。
本人の工夫が足らないだけで地獄極楽の話ではないと反論しました。
子供でもよく考えて話さなければならないと反省しました。
又、大人に話すと世間というものは相手が食べさせてくれない事が多いのでどちらも地獄だと反論します。
長寿の秘訣に「1口の残」と言うのがあります。
1口残す事により他人与える事ができる。
徳が積める。
自分のことのみしか考えないのでは徳が積めず長寿にも慣れないそうです。

3 上に不平ありては、運命の流れ損ないきれるなり。(63)

1) 上とは

上とは自分以外の事、出会い、出来事です。不平ありてはとは、自分に起きた事に反対する・拒否する事です。
運命の運は、運ぶ・動くと言う事で、命とは決まった方向に行くことで、運命は弁天宗では変える事ができるますが宿命天命は変わらないと言われています。
変わるものと変わらないものがあることを知ります。
又流れですから色んなものが流れてくるのです。
弁天宗の教えで因果律(因縁因果の法則)・因縁があります。
善因善果悪因悪果がでますという法則ですから、今自分に起こってきた事は本当の自分お姿である。
不平を言いたいでしょうが因果の法則をふまえた貴方の本当の姿です。
ご本尊様は私達にはすぐには分からない・見えない救いの種を宿し本当の姿を私達に見せているのです。
だから不平とか愚痴とか文句とかでご本尊様の救いの種(手)を取り払っては、運命の流れ損ない切れること即ちご本尊様からの救ってもらえないことになるのです。
だから起きた事は大変な事でも不平を言わず受ける事が大事なのです。
拒否したり、避けたり、逃げたりしてはだめです。
難しいのは表面しか見えないので、起きた事象を好き嫌い損得の感情で見ます。
これを乗り越えるのが信仰ですし、先にお話しした割に合わない事を一生懸命やる椿き家さんの精神で、好き嫌い利害損得の感情を取り除かなければなリません。
そしてご本尊様のお助けを得てあたらし道を開くのです。

2) 穴の開いたラジエーター
峠でお宗祖様の車のラジエーターに穴が開いたとき、お宗祖様はサロンパスを出してラジエーターに貼らせて、車で帰ってきた。
人智を超えたところに神様の知恵、お導き、お助けがあるのです。

4 水は下から上へは流れざるなり。(64) 

1)下とは

下は自分です。
上は自分以外です。お宗祖様の言葉に、幸せの道は、自分があって相手が居る。
そういう考え方はだめですがあります。
これは自分が居て相手が居る。自分が居て社会がある。
自分が居て先祖がある。
こういう心の高いトラブルを生みます。
その逆であればトラブルを生みません。

2) お陰様で

相手があるから自分が居るという上があるから下がある、水の流れの生き方に自分たちの生き方・生活・人生沿わせることです。
相手が居て自分が居るのですから、すべてにお陰様でと言う謙虚さや感謝する生活態度が生まれます。
更にさせて頂くという気持ちも生まれます。
幸せは水の流れの生き方から生まれるのです。
貴方が居て私が居る考え方から、お宗祖様は「自分より他人を先にそれが貴方を幸せにする道です」と言う御教えを残されているのです。
自分お立場を言葉でチェックしましょう。
その言葉は、貴方のお陰様で、社会のお陰様で、社員のお陰様でと、自分の生活の中で「お陰様で」という言葉を使うのです。
次に「ハイ」という言葉、「ありがとう」という言葉、「すみません。」と言う言葉が自分の生活の中ででていると水の流れの生活をしていることになります。

by nohara4241 | 2008-02-29 10:06 | 法話水の章