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昭和38年2月9日お運び席でのお諭しNO1

昭和38年2月9日  大阪冥應寺お運びでのお宗祖様のお諭しNO1

(編集項目:ブログ者記)
NO1 
1 前言
2 お運びを受けても繰り返し不幸が来る人が中にいる
3 私の実母の里
4 廃止寺の材木とものをいわない子とものが十分言えない孫
5 (T石油)社長さんの奥さんの病気
6 Y製鉄の社長さん宅の因縁
7 因縁を解くのはお運びで学んだことを実行すること
8 人助けはきれいなこと
10 縁なき衆生は度し難し
11 私が恐ろしいと思った足の因縁の位牌の話
12 古い墓を作り直し総墓にした話
13 魂の入った石は、絶対に魂は抜けません。
NO2(次項略)




1 前言

引き続きまして、皆さん、冷たいのにお運び有り難うございます。
何かあの、このお運びを、みんなさんに実行してい頂くことによりまして、何か明日から皆様の御神示をさせて頂くと、皆さんのそれぞれのいただかれますお陰も一層、楽になるのじゃないかしら。
おかげをいただかれる人が多くなるのじゃないかしらと考えましたとき、大変なんか安心しているような私の気分なんでございます。

2 お運びを受けても繰り返し不幸が来る人が中にいる

で、このお運びと申しますと、いつも、同じことを申し上げるのでございますけど、殆どが人に勧められてお出でになる方と、それからどうしてもその、幾ら見て上げても、幾ら見て上げても、その通りになるのだけれど、その通りお陰をいただくのだけれど。
また、繰り返し繰り返し不幸が泉のように、湧いてくる如くに、また不幸がやってまいります。
その皆さんの一人一人を見ますときに、このお運びとゆうことの私が決めてゆく人も沢山あるわけです。
それで、私びっくりいたしますことは、私自身が御神示をさせて頂いて、10何年も、あるいは20何年も、すべてで24~5年になる人があります。
私びっくりしたことを参考にお話ししていいます。
今日は、色々な話を混ぜてするかも分かりませんが、少し因縁の深さということについて、私のこの何10年の暮らしの間の皆さんのつくづく感じたことを申しますと。

3 私の実母の里

私と親戚ではありませんが、遠い母の代から近所隣で知り合っていた人。
母の代といいましても、私の母は、昔、後醍醐天皇様が非常に気の毒な立場になられましたときに、さんじょう山(?)の山の麓にてんのかわ(天川以下略)というところがあります。
てんのかわとはあまのがわと書くのです。
その天川というところに、お隠れになりまして。
お供を連れられまして逃げて逃げて、逃げまくって吉野山に行幸なさいます道すがら、天川にお隠れになりましたときに、この村のどの家に身をよせて、隠れたらいいやろかと言って、隠れましたその家が、母の実家になるのでございます。
その頃には皆、堀なの、堀山なの、堀口なのとみな堀ををつけていましたものですから、あの事務所にお勤めの堀口先生がその子孫になっているのでございます。
今も後醍醐天皇様が、お座りになった堂座(どうざ)の間も残っているようでございます。
そのところに、弁天様があるわけです。

4 廃止寺の材木とものをいわない子とものが十分言えない孫

そこのところに暮らしています、同じ村に名字は略してもうしませんがある人がいます。
その人のことは、私が小さいときから知っていましたけれど、私がそうゆう御神示をしていました頃に、確か年が26~7だったと思います。
若い頃、拝んでもまだ間がない頃、この方がお詣りになりまして、私の子供が5つになっても、どうもAちゃんと呼んでもどこもむいてくれへんのや、やーと手を叩いてもこっち向いてくれへん。
ウチの子オシと違いますやろかと拝みにお出でになられたのです。
そして私が拝んでみますと、あんたとこの家、普請してはるけれど、きれいな普請ならいいけれど、どうも、大きな垂木というのか棟というのか知りませんが棟でしょうね。
こんな大きな木を使っていますけれども、柱そのものは新しいけれど、家のあの、こんなものふとくを使っているけれど、これは、あの、お宅が山から持ってきた木ではございませんねといったことがあります。
その頃は、後先を考えんとものを言うて、警察にもよう引っ張られたことがあるのです。
盗人のこともよくゆうていわれたことがありますが、その時のことばかり申し上げますと、どうも新(さら)の木ばかり持ってきて建てたのと違うように見えますのですがと申しますと。その人が色々聞いて調べましたところが、わざわざ田舎の家とゆうものは、台所なんかですね。
お座敷は天井を張っていますが、こうゆうふうな煙抜きなんかをこしらえていましてね。
空気抜きというのか、ザーと外の方がよけ火が見えるほど、火が燃えて外に出ますですね。
田舎の台所はどんどんくべますでしょ。
火がザーと外に燃え上がります。
そん何ですからものすごい。
そこには天井がありません。
もうすっかり白木のなりでございます。
白木がでていて、外の山からみるとあの辺、お夕食焚いてはる、焚いてはると煙出しから分かって。
煙突なんかありゃしません。
そうゆうふうな家で、お家にかえりまして、すすだらけの棟のところ梯子かけて登られて、見たらしいのです。一生懸命雑巾を水で濡らしてズーと拭いて見たところが、何とか寺というお寺の名前が書いてあるらしいのです。
あの奥さん心配しまして、だんだん調べましたところが、あの、明治ご維新頃には、お寺と宮さんとが一緒であったことがあったり、お寺を廃止したことがあるのです。
この寺を廃止するさかいだれなと買えというので、そのお寺の庫裏をこぼして持って帰ったらしいのです。
そしてお建てになったということが分かったのです。
そしたところ、弁天様の言うとおりだとゆうことで、この因縁をどうして解こうかしら、元のお寺に持って行くわけにもいきませんしというので、私もまだ本当に26~7でございましたので、そんなえげつないことをゆう力もなかったです。
どうゆうふうにこれを解釈したらいいかの話もなかった。
今頃のように、むろんお運びというのがあったとしたら、あの、そんなこと無かったと思います。
しかし、これもお運びとゆうようなことを。
余りこんな上手なことも頭に来ません。
しかし、皆さんに、足運んで頂いたらいいということを知っていましたけれども、こうゆう事も、中途にもうけられたことであって、直接私の智慧の底から、こうゆう方法があるとゆうことがなかった。
けれでも、なんか弁天様に1回でも運んでいただきますことによって、よくなることを知っていても、そうゆうことを言うような気もなくまた考えてもおりませんでした。
そんなんですからその信者さんは、私を慕うて来て、私にくっついていたら治る如くに来ますけれども。
サーだんだん増えて参ります。
その人に係りきりではおられません。
気分が疲れるばかりです。
そこお家の人にそうゆうお話をしたことがあります。
ところが、まぁひどいことにも姉も妹も私の言った通りものをいいませんでした。
私が、その4月の1日が参りましたら、54才になるんですから、私が27才の時からは、26~7年の間にその娘さんもう大きくなっていますけれど、結婚せずに2人ともおりますね。
本当に手当てしてももの言えん子ができてるわけです。
この間、私の知っているその人は来ませんでした。
そのお母さんがおいでになりました。
そして私がお伺いしますと、やっぱりその垂木も家もまたでています。
忘れてしもうてます。
きれいに忘れていましても、また、外のことでお伺いに来ますと、またやっぱりそれがでてきます。そして今度は、そのご長男の方はよいけれど、次の娘さんと次の娘さん、女の子2人ともの言いません。
やっぱりね。
その因縁がいつまで経っても残っているのですね。
何故、私がゆいたいかと申しますと、その長男にお嫁をもろうて、この長男はものをいいます。
嫁をもろうて、でけた孫がもう3つですけれど、またものゆえへんかと心配でお婆ちゃん、また拝みに来ている。
子の代もつづいている。
これもどうやらね。
カタコトは言うけれど耳にハッキリ聞こえない。
唖者・聾者は、耳が聞こえへんだったらもの言いにくいんですわね。
ああ恐ろしいと私思いました。
その時。ね。
その時もしお運びというものが設けられていたら、この2人は助けられなかったにしても、次の子にはこうゆう事はないやないかしらと思うのです。
まだハッキリ言えません。
もし、間違っていたら悪いですからね。そんなんなんです。

5 (T石油)社長さんの奥さんの病気

ある日、私は、T石油さんの奥さんがもうダメやということでT石油の社長さんのウチに行ったことがある。
ダメやといったことがあります。
これはまた、ご親戚の位牌も置いておかなければ気が済まない社長さんでね。
おっしゃるとおりにして参りますので、私に来てくれ。
家内が、今日も明日も分からない病気にかかった。
頭ボーとしていてわからないというので、私も若い頃ですから、15日の朝からMさんと2人で切符買うてもらって飛行機に乗っていって、その日に家で護摩を焚いて、病院にお見舞いに行って、その日に帰り、明けの日の16日から拝んだことがあります。
そこのウチのお護摩を焚いて上げて、その足で病院に行きました。
病院では、先生が浴衣がけで往診されているのです。
見舞客が来るので早く拝んでね。
私がこの病気、お医者さんのみたて違いますわといいました。
後ろで、浴衣がけの先生がけったいな顔しています。
私は、先生を見舞う客やと思うておりましたからね。
先生がふうんてしてますからね。
それで私は、けったいな生意気な見舞客やなと思っていました。
東京の人はちょっとえらそうにものをゆうでしょ。
せやから、えらそうにものを言うてるのだと思うていたのでしょうね。
ところがお医者さんだったのです。
そして、私がズーとお加持して行きましてね、奥さんは足がリューマチのようなびょうきで、足から脳にきているんだわという病気を見つけたわけです。
そうすると、まもなくにしまして、このリュウマチの手当をしますと脳も治ってくるし、喉もよくなってきまして、T石油の社長さんの奥さんの病気が治ったわけなんです。
そして大変熱心な信者さんで、この間東京の本部に来てこんなになりました。
お陰でちゅうて喜んでいらっしゃいます。

6 Y製鉄の社長さん宅の因縁

あそこのお宅は千葉なんでございます。
そして千葉のお家に行きまして、近所をズーと見てあげたら、近所の家で、毛氈ひいたような庭を造った立派なお家が見えます。
社長あそこのお家はね。
きっと若死にする家です。
どこの家か分からんのに言うのは悪いけどといいましたら。
社長がそうですよ。
あれ、木星(号)で死にました家ですがなといいます。
木星号という飛行機が落ちました。Y製鉄の社長の家ですがなというのです。
ああそうですか。
私は、Yの社長さんが木星で死なれましたですね。
主人が40にもならない先に亡くなっていらっしゃいます。
ああその通りですねといってたんです。
何で分かるかといいますと、家相で分かれば、この眼に因縁のある家だけが分かってくるのです。

7 因縁を解くのはお運びで学んだことを実行すること

そのお婆ちゃんも、未だその孫の代まで因縁が取りきれないということではないでしょうか。
ここにおられる皆さん方だって、お仕事がでけてへんだけのこと。
色を変え色なくを頭にもっていらっしゃるに違いないのです。
因縁をもっているはずなのです。
この因縁を解くことは何かというとこのお運びよりほかにないんでございます。
お運びをするだけではダメなんですよ。
お運びをして、悉く実行できることが、因縁を解くために結構なのです。

8 人助けはきれいなこと

あの、人助けるより、大きなものはないでしょう。
世の中に。何がきれいかといって、人を助けるほどきれいなのはありません。
私は、何を言われるとじっとようしときません。
私が自動車に乗るとき、信者さんがご宗祖さま、私とこ子供できかけてますができませんねんと一言ゆおうものなら、私は、困ったな、うっかりして名字も名前も忘れてきたとなるのです。
Yさんに、最前、子ができかけていたんちゅのは、あれ誰ですえと電話をかけます。
どこの誰それさんですがと聞くと、本堂に入って産めるように祈るのです。
そんなことようあります。
そのYさんに聞いて分かることはよろしいですよ。
分からないときに困ります。
しまいには、鉛筆でその人の顔を描くのです。
その人の顔を描いて、それを弁天様の前に供えして、どうぞ弁天様あの人に子を産ませてやってくださいと祈る。
そして信者さんが、子を産んだと言ってきて、ああそうやあの顔やと思うのです。
生まれたらその顔の絵を日記帳に貼ります。
おかしいけどそんなことすらあるのです。
そんなんですから、私の気持ちがその人にいってね。
その人を助けることが私自身は有り難いことやなと思う反面に、皆さんかてね。
気の毒な人には、おすがりしい、早うおすがりしなさいてね。
導いてください。

10 縁なき衆生は度し難し

縁なき衆生は度し難しといってね。何度いってあげても悟れない人がいます。
昨日もある人が来まして、何でこんなに悪いんやろう。もっと早うゆうて上げしませなんだんといったら、いくらゆうても上げても来ませんでしたのですと言われました。連れてきてくれなければではダメですね。
もうだめですなと言いました。
ゆってあげても、ゆってあげても聞けないのは、これ縁なき衆生度し難しといえるでしょうね。
あんまり、人間は有り難いことは耳に入らへんのです。
どんこでも同じ宗教や、また同じことを言ってはるのんや。
方々行って迷うてきた人がそれなんです。
信仰をちっともしてない人の方が強いのです。
もう返って方々で聞いてきますとどこ行ってもおなじこっちゃ。
そんないい加減なことでと、なんぼゆうて上げても聞きませんのです。
縁なし衆生は度し難しということになります。
そうゆうことはあります。

11 私が恐ろしいと思った足の因縁の位牌の話

私が、恐ろしいと思いましたことはね。
5日の日にまぁそれはすごいと思ったことがありました。
5日休ましてもらおうと思った。
もうとっおてもとってもえらいなぁと思ったのですけれども、今信者さんの数はなんぼですかと聞いたら、170でした。
170やったらな。100人だけ拝んで70人は帰ってもらおう。
お拝ましてもろうても楽や。
今日は、半日休ましてもらいましょうかと言ったんですけれど。
M先生に、今何人ですかと聞くと。
もう250になりました。それでは休めないとゆうことになりまして、また5日の日に御神示させてもらいました。ああ御神示して良かったなという人が大分おられました。
疲れて休みたい日に限って人間が多いのです。
そのなかに、以前ご先祖持ってきてくださいと言いました信者さんが、ご先祖の位牌を持っておいでになりました。
繰り出しといいまして、板にご先祖の戒名等を書いて重ねてあるのを持って来なさったのです。
その中に、表には何々信女と書いてあるのに、裏側にはカンナベ丑寅なにやらと書いてあるのです。
見た瞬間、誰が書いたのか分からないのですよ。
字はまことにえらい字で私はよう読めません。
私の字も下手やけど、もっと読まれしません。
丑寅は分かるけれど後分かりません。
ジーと見ていると、これは、どっかの教祖が書かれたに違いないと私は思いました。
その繰り出しも古いし、字も古い、これはなにかの因縁でこれを裏にくっつけられたに違いない。誰かにみてもらったのだと思い。
その人に、お宅のこの人、どなたかの教祖に調べてもらったのですかと聞きましたところ、私は若いので知りません。
そしたらあんたのお婆ちゃんかおじいちゃんかどっかに信仰しておられましたかと聞き、他所の亡くなられた教祖の悪口言うたことになるから、名前は失礼いたしまして、これはどこそこの教祖さんでございましょと私がいいましたら、そうなんです。
教祖さんはどうか知りませんが、その宗教にたしか凝っておりました。
大正から昭和に渡りまして大変な羽振りのあった新興宗教なのです。
教祖がこの因縁にコツコツして書かれたものですね。
私は、この教祖はえらい人だと思いました。
今たとえこんなんであってもね。
えらい人だと思ったことは、私がこの先祖にほとほとしているのです。
この先祖さん調べるのには。
ほんま難儀しているんです。
なんぼ拝んで上げても、なんぼ施餓鬼して上げても、どんなに御祈祷しても、因縁が取れきれないのです。このお家は、もう3人が3人とも足をケガしなさる。
1人はリュウマチ、1人はケガしてる、また高いとこから落ちてる。
それで、今また2つの赤ちゃんが片方の足がこないになって、あっちこっち向かない子が生まれているのです。
これは足の因縁ばかりなんです。
その教祖さんはその位牌に書いていることは違うんですけれども、殺されたんやなということが分かる。
これは昔だから、お運びせえとか。こうゆうふうにしたら因縁取れるとかさらにゆったことをほっといたからこうなったんだということ。
私が先ほど申しました天川のお孫さんと一緒なのです。
一つだけ解いてやったって、引き続き頼りにして済んだら、心配ないんです。
ないのに、この人も、えらい神をひっつけたなりで、おいでにならなかったのか。
信仰せなかったのか。このままおいとかれたから現在に至ったのだといえるのです。
私自身はこんな人沢山あります。
これもっと見たげんとならんなと思ううちに、もうほったらかして終うて、結局、取り返しのつかんことになる。

12 古い墓を作り直し総墓にした話

ある人は、ものすごう弁天さんを信仰するんですけれど、ご先祖さんのお墓をまとめて、総墓(そうばか)にしているのです。
ちっさいこのお地蔵さんとか小さいお墓を皆埋めてしもうて、墓地をきれいに整理されて、新しい墓を建てられたが、頭の悪い子が次々続いてしもうて、どうにもならない方がおられます。
なかなか立派な資産家ですけどね。
そんなことが続いております。それも幾ら解いてあげても、もうどうも仕方がない。
私だったらですよ。
あの石碑引き揚げてしもうて、全部石を上げてしますけど、そうゆうことがあります。

13 魂の入った石は、絶対に魂は抜けません。

この間も、T会というのに、お墓の場所をゆうて見てもらいまして、あなたとこの石碑全部あたるよってに、無縁にもって行くといって全部持っていった。きれいな石を立て直したとゆうんですね。
立て直してから、破産の状態というのがある。
それで私はいけないと言ったんです。
T会が、無縁塔の中に積み込んだから。
どの辺にあるんか分からないとゆうんです。
私は、大きなこれぐらいの写真に、無縁塔を写してもらいました。
そして縦からも横からも四方から写してもらいまして。
その写真をズーッと見ました。正面からこの辺に1体、この辺に一体と教えて上げてだしましたら、5本まで出てまいりました。
出てきたい石碑を、元あったところに持ってきて、そして立てました。
また新たに立てた石はむろん、そのまま置きました。
ご先祖1人にひとつずつ立てた墓は、ひとつ火葬と同じ形式のものであって、魂の入っている仏にした石碑というものは、石であっても魂は抜けません。
そんなこと絶対するものではない。