お宗祖さまの話・お陰をいただく信仰

お陰をいただく信仰

真実一路の年のお話から抜粋しました。

信仰したらお陰がある、なしという心(考え方)ではなく、神様が有り難い、有り難いと心から信じ、その真心(感謝するここと)で縋る信仰に神様が動かれるという話しです。

8 私の親戚がもらうお陰はない
9 その人の真心に神様のお陰をくださる
10 有り難いと手を合わせない親戚




8 私の親戚がもらうお陰はない

そうするとね、そういうことを色々継ぎ合わせて私、親戚のこというのは悪いけれどね、親戚やからといって、あるんやからといって、御利益もらうんかと思うとそうではないですよ。
私、3日も4日も出会ったことない人でもね、この間もここでお話いましたように、始めて静岡からもしもしと電話がかかってきてですね。
それで、はあそうですか、あんたは静岡の、私はコウボウさんから紹介してもろうたというんです。
それは何年か前に静岡に参ったんです。
30何人ほど、町会議員ばかりのよせてお話をしたことがある。
その時たった一人、私の肝に銘じて有り難い話やというた人が一人いた。
それはコウボウインというお坊さん、静岡のコウボインという僧侶さん。
この人がまたたいへんすばらしい信仰をえましてな。
村へそれからそれえと広げているわけです。
自分も結構や、信仰させてもろうて。檀家に行きますと胃ガンで苦しんでいる人があったので、あなた弁天さまの護摩飲み、護摩の灰飲みなはれ、この間だ8日にいてきたらその体験談をした人があると、いうたもんやから、護摩の灰をもろうて去んでね。
そのお坊さんがその人にあげた。そして茨木に電話させて、せめてお声なと聞きなはれ。
私が電話にでて上げると、その息子さんが、お父さんがガンや。
もう一度手術したけれど、今度は肝臓も腫れて、食が通らない。
もう治らんのは分かっていても、せめてお粥のいっぺんでも通して死なせてあげたい。
通らんのがかわいそうやというので。
私も電話の声を聞いたら、私もその晩お願いしたけれど、その明くる日の朝は、火鉢の端まで出てきてお粥さん2膳も吸うた事を言うてきたと、私たびたびここ茨木でもお話しいたしました。

9 その人の真心に神様のお陰をくださる

そんな不思議なことが、1回も出会ったことがない人でもあるということは、これはもう。
真実の有り難い真心ですがるお陰なんです。
それじゃ、私の内輪になる親戚がお陰をもらうかというとそうではないですね。
今私が付いていたその奥田という人は、反対に金を失うとる、ね。
私が拾うてそのおじさんにやった。
渡したと喜んどるけれど、この奥田という人はよけいなお金を失うとる。
私が今日ついって行って、そんだら、その福の神とついっていって金失うたら話にならんですね。
それは何かというと、もうそら、親戚やからさかいお陰があるということはないんです。
神様は、親戚もなにもあらへん。
そうしたら、奈良県知事の奥田知事さんかて、私、あの奥田とはちょっと薄い親戚になる。
本来奥田はシンタクニナル(?)。その知事さんは知事になる稽古しますね。
こっちはお金に不自由してへんけど、不孝だらけや家の中は、いつも親戚の恥をいうのじゃないけど。
片っぽは知事になる稽古して今度当選するか知りませんよ。
しかし、このお金で不自由してへんけど、家の中は不孝だらけ、

10 有り難いと手を合わせない親戚

それで手を合わせるかと思うとちょっとも手を合わせへん。
私とこ阿弥陀さんだけでよろしといいはんねん。
お寺だけでよろしはんねんとこの信仰なの。
お寺結構ですよ。
ご先祖から結んでいたら結構やけど。
現世で何がすくわれるかちゅうことなんです。
今も付き合いはしてますよ。
付き合いはしていまけども、この間も家の里の年忌で出会いました。
お出でになりました。
出会ったけれど知らん顔してはります。
そんな有り難い話を聞いていても、知らん顔。
わかんないときの話をすると、そうやあんた種拾うてやってけど、種失うたがなと昔の話をしてます。
それなんです。何にも、別に有り難いさかい、有り難いさかいということがありません。
何年信仰したさかい御利益あるとか無いとか。
そんなことありませんよ。絶対ね。

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