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妙音新聞21号 実在する正しき神仏を信ぜよ

実在する正しき神仏を信ぜよ (昭和28年1月、妙音第21号)

◎十訓(五念五果に替わり新聞の1ページに掲げられた言葉) 
1 実在する神仏を信ぜよ
2 生命の尊きことを想え
3 喜びも悲しみも因縁なると悟れ
4 先祖の恩を知って尊べ
5 施しを惜しまず、良い因を作れ
6 導きは謝恩の誠なり
7 足運びを法縁のつながりとせよ
8 先ず怒りの心をしずめよ
9 恨みの念を忘れるに努めよ
10 邪な思いは不善の原となる。

実在する正しき神仏を信ぜよ 神代 智辯

(編集項目:ブログ者)
1 本堂建立
2 日本の再建
3 仏の方便で示現した神仏
4 仏教は現在と未来を救うことを本旨
5 正邪を確かめて信仰する




1 本堂建立

顧みますると想い出の多かった昭和27年も夢のように過ぎまして、ここに又新しい新年を迎えました、
昨年弁天様のご本堂建立が決まりまして信者の皆様方には一方ならぬお骨折りを頂き誠に有り難いここと厚くお礼を申し上げます。
本堂の建立も物価の嵩みますおりとて、完成致しますには更に一段のお骨折りを願わなければならぬ事と存じます。
なおこの上、共にご協力を頂きますよう重ねてお願いたします。
この本堂ができますれば、只今の不自由な建物での信仰から広々とした本堂でノビノビとした気持ちの信仰に浸って頂けますのを心からお祈りしております。

2 日本の再建

日本の史上かってない敗戦国となった国民は連合軍の占領下で物心ともに惨めな生活を続けていましたが、忍苦7年の甲斐がありまして、講和条約の発効を見ましたので、敗戦日本にも再び独立が訪れました。
加えて年末に及んで皇太子様が成年に達せられましたので、立太子の礼を執り行われました。
洩れたまわりますに、皇太子様は至ってお健やかに、そして明治大帝の曾孫として、また父陛下の血を受け継がれてご聡明の天資豊にあります趣を拝します。
私達国民の祖家として、更に国民の象徴として次代の天皇を約束されたのであります。
これによりまして敗れたりとはいえ、将来に大いなる希望を持つこととなりました。
私達国民は祝福の気自ら涌き上がるのを覚えます。
この秋に血と血のつながりを持つ国民お互いは、相戒め相励まして、他より犯されない、そして他を犯さない新しい日本国を造り。
住みよい日本住みよい社会に努力致さねばなりません。
こうした楽土日本建設には、先ず国民全体が正しい誠の行いから始まります。
この正しい誠の行いは信仰する心行より生まれるのであります。

3 仏の方便で示現した神仏

さて、新年に当たりまして妙音の巻頭にあります十訓を信者の皆様とともに実践致したいと存じます。
その第1節にあります「実在する正しい神仏を信ぜよ」ということについて申し述べることに致します。
我が国で神としてまた仏としてお祭りされてあります神仏の数は実に多くにのぼっております。
しかし、外国ではその殆どの国の宗教は耶蘇教(キリスト教)のようであります。
その祭神も天の神キリストとなっております。
耶蘇教の中にいくつかの宗派はありますが、祭神は異なっていません。
それが三国伝来した釈尊の教える仏教に至っては、そのお祭りするお姿は仏、如来、菩薩、天王、明王、権現、羅漢と多数に示現されておられます。
更に神に行ったては数え切れないほどにお祭りされてあります。
今これを仏教によってなぜこの如く様々な神仏をお祭りしてあるのか解釈致しますと、仏教から申しますと神は仏の慈悲による遷釋であると申しますから、この項では仏についてのみ申し述べます。
この世界に生を受けております衆生の数は実に数えきれぬほど多数におりまして、この大勢の人の機(気)が1つではありません。
様々な機を持っております。
この様々な機を持つ衆生のその機に応じてその衆生を済度されるために、種々様々な形相のお姿を示現されておられます。

4 仏教は現在と未来を救うことを本旨

釈尊が末世の衆生を導くために説き遺された釈迦一代の教えの中から8宗‥‥9宗に別れています。
各宗の開山祖師方が別々な方法からその時の応じて我つぃたちの先祖を導かれたのです。
この教えによって私達先祖は俺は天台だ、私は真言だ、禅宗だ、浄土だ‥‥更に真宗だ、日蓮だと各々の好む教えに別れたのです。
別々な宗派には別々な本尊が祭られたのであります。
ここで衆生の信仰する仏が異なって参ります。
阿弥陀仏を信ずる人、大日如来を好む人、不動明王を頼む人、聖天様に足を運ぶ人、毘沙門様に詣る人、弁天様に救いを求める人となるのです。
耶蘇教のように祭神が1つでありますと信仰する人は信仰の目標を取捨する要がないのになぜ仏教は多数多様の姿を示現されておるのかと申しますと、仏教は現在と未来を救うことを本旨となっております。
衆生は未来を願うより先ず現在の救いを求めますのが常であります。
ここに1つの例を挙げて申しますと、ある1人の信者が何かの苦しみを救って貰うために、聖天様にその救いを求められたのです。
しかしその人の今日までの業(因縁)が非常に深くして業報の苦しみは今苦しいからと聖天様に祈願されても速急にその業が消滅するものではありません。
聖天様もその人の信仰の厚い薄いに従ってその業(因縁)を徐々に解いて下されているのです。
しかし、苦しみの業を持つ人は、凡夫の浅ましさで自分の持つ罪の深さをすることができませんので、己の苦しみが長引きますと聖天様も頼みにならぬと、切角と仏縁に催された信仰も途中で絶たれる事となります。
もしこの時に聖天様以外に仏がお祭りされてなかったら、或いはこの世の中に聖天様だけ示現しておられて、菩薩が示現していなかった時はこの苦しみの人は終生救われるという事は無いのです。
その人が知人に勧められて弁天様に信仰されます。
そして弁天様の不思議なお諭しによって、己の業を知り、心から懺悔をいたし、真心からお縋りして、その苦しみを解いて頂くことができたのです。
この弁天様のご恩を感じて仏法に深く帰依して未来も救われる厚信の人となるのです。
こうした意味から釈尊が仏智によって末世衆生済度の深い思し召しから多種多様なお姿の示現をなったのです。

5 正邪を確かめて信仰する

この仏の方便による多数に示現された神仏の中に混じって仏の方便でない邪な神仏も多く祭られてあるのを見受けられます。
どの仏が正しくないどの神が邪な神だと申し上げ兼ねますが、正しくない邪な神を信じて己の身を亡ぼした最近の1例を申し述べてみます。
弁天様へも4・5度参詣されたご婦人でありました。
この婦人のご主人が常に病身のために参詣されたのです。
ところが弁天様に参詣されてもご神示の札がなかなか当たりません。
その内にその婦人の住居のすぐ近くに神様が乗り移って色々なことを指図してくれるというので、一時は大勢参詣されるのを見て、その婦人も参詣されたのです。
参詣の足が繁くなって降りてきた神様とその婦人が何か約束をされましたが、その約束を神様の方で破ったのです。
勝ち気な婦人は神様が偽りを言うものかと長い遺書を置いて毒薬を飲んで自殺したのです。
人を救う神が人を死に至らしめたということは全く考えの及ばぬ事でありますが、邪な神を信仰致しますとこうした気の毒なことになります事をよく耳に致します。
人間は自分お考えや物質の力に及ぬ時に頼りますのは、神であり仏であります。
この時の気持ちは本当にワラでもつかみたい気分でありまして、その神仏の正邪を確かめる余裕など持たないのです。
この焦慮した気持ちが1番危険であります。
どうか信仰にも十分な考えを費やして頂きたいものです。
恐ろしい因縁を説いて無闇と多額の寄進を勧め、その家を倒産に導く教えや病気に罹ったものに薬を飲むなとか、或いは病人の頭から冷水をかけて助かる等と教えている神や仏があると聞きます。
こうして助かるべき生命を落とした人もあります。人智が進み科学が発達した社会は非常に利便であります。
しかし、利便になるに従って私たちの生活がますます複雑になって参ります。
科学の利器が殖えます度に私達の災いと犠牲も大きくなって参りました。
世の中が進化するに従って私たちの信仰も深めねばなりません。
目に見えない災いがいつ何処に待っているか分かりません。
お互いに常に実在する神仏を信仰して災いを救って頂き幸福な生活を営みたいものです。
重ねて申します厚いご信仰ほど信仰する神や仏をよく選ぶことです。