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ご宗祖さまの物語(4)

都島教区便り平成21年9月号に「ご宗祖さまの物語(4)(二重橋は誰でも渡れるようになる)」と題して教区長優谷壽男さんの記事がありました。
ご宗祖さまの物語(3)の続きです。 
ご宗祖さまの物語(1)に戻ります。

カテゴリーは「講師の回想」に入れます。
優谷教区長はお運び研席の教使でした。
ご宗祖さま物語は、宗祖伝の原稿からのお話ではないかと思い、従って教区便りの記事を転記することにしました。

大正3年(1914)6月28日、バルカン半島のサラエボで白昼セルビア人青年によって発射された銃弾はオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫婦の命を奪った。
この事件が文字通り引き金となって7月28日オーストリアはセルビアに宣戦を布告した。
やがてドイツ・イタリア・トルコがオーストリアに味方して参戦し、イギリス・フランス・ロシアがセルビアに味方して参戦した。
第1次世界大戦の勃発である。
日本は日英同盟に基づいてドイツに対して宣戦布告した。
中国山東半島におけるドイツ租借地青島を攻撃し、11月7日占領した。
日本全土は戦勝気分に沸き返り各地で提灯行列が挙行された。
吉井重吉は、日露戦争の時出征し、旅順の203高地で武勲を立てた忠君愛国の士であった。
座敷の欄間には明治天皇皇后両陛下、大正天皇皇后両陛下のお写真が飾られ、皇居の象徴である二重橋の写真も掲げられてあった。
青島陥落の時も在郷軍人会の幹部として戦勝祝賀行事を指揮していた。
行事終了後主だった人たちと共に氏神様に参拝し、そのまま自宅に招いて祝宴となった。
3人の子供たちも下の席でご相伴にあずかっていた。
お酒が進み日露戦争における武勇伝も語り終えたころあいに、重吉はこんなことを言った。
「一生に一度でいいから二重橋を渡って天子様を拝みたいと思いますねん」
「それは大層な望みやおへんか。めったに人の渡れる橋やないもんな」
と一同ため息をついた時、下座にいた6歳の清子が
「そやけどそのうち誰でも渡れるようになる」
と言った。一座の驚いた眼は清子に集中した。
「清子ちゃん今何て言うたの」
客の1人が尋ねた。
「うん、二重橋はそのうち誰でも渡れるようになる」
重吉は厳しい目つきで
「清子」
と怒鳴りつけた。
「だってそうなるもん」
当時高位高官の政治家か軍人が宮内省の許可を得て、指定された時刻にしか二重橋を渡れなかったのに、天皇の尊厳を傷つける発言に一同は一瞬言葉を失った。しばらくして
「まだ小学校にも上がらん子の言うたことや、何も分からんと言うとるのでっしゃろ」
と執り成してくれる人があって、祝宴は滞りなくお開きとなった。
しかし、重吉は心配だった。
「吉井家の家の中では大変な話をしているらしい」
等と村で噂になったらまずい。
警察の取り調べ等と不名誉なことにでもなったら、今まで築いてきた栄誉も地位も崩れてしまう。
重吉は人に勧められて清子を上市の金光教の教会へ連れて行き、悪霊払いの祈祷を頼んだ。
1週間毎日通い満願となった。
心配していた村の噂も表面には出ず、月日が過ぎていった。
後年、清子はこうはなしている。
「言うたら父が困るのが分かってましてん。言うたらあかんことやと、いいきかせても、あの二重橋の写真を見ると勝手に口から出てしまうのです。自分でも何やらわからんうちに」
その後30数年を経て、民主日本に生まれ変わってからは1月2日と天皇誕生日には誰でも二重橋を渡って天皇陛下を拝賀できるようになった。
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