故梅木先生回想録100

御所教会の機関紙「幸真」昭和21年11月1日号から頂きました。

お宗祖様のお話では、故梅木先生は弁天さまがお前に2人の弟子を与えてやると言われ、与えられたお弟子さんの1人です。

故梅木先生回想録99の続きです。
回想録80に戻ります。

当時の弁天講は十輪寺弁天様の護持団体だった。
その頃はまだ弁天宗として立宗しておらず、真言宗十輪寺の本尊とともに併置して祀ってあった弁才天女尊を拝んでおられたので、この弁天様を護持する団体として弁天講が組織された。
各地の信者が地区ごとの集まって、講支部を造っていた。
この講支部が出来ると、講本部は尊女さまのお許しを得て、特別参拝券を交付した。
30軒に対して1枚の特別参拝券だった。
だから講支部員は月に1回この特別参拝券を持って、十輪寺にお参りして尊女のご神示を受けることができた。
これを受けないものは一般日にお詣りして、多数の中で抽選をして当たったものがご神示を受けることになっていた。
この特別参拝券は、講支部に与えられた特典だった。
しかし、南葛郡内は尊女ご母堂の生地だったので親戚も多く、そのつてを求めて一般日に詣る人が多く、講の必要性を感じないので入講しなかった。
私は、これではいけないと思った。
弁天さまや、尊女さまに報恩感謝の心を養う講の組織を広めねばならない。
組織を拡大するには導きをしなければならない。
尊女のお言葉の如く、導き育てることが功徳を積み、因縁を解いていただく道である。
どうすれば多くの導きをすることができるかと考えた。
導きは自分1人の力でできるものではない。
支部の信者の協力を得てこそできるのだ。
そのため支部の講員と親しくならなければならない。
私は早速講員の家を回ることにした。
講の掛け金や講の親睦の目的を説明することを口実に、1軒1軒回った。
自転車に乗って戸別訪問した。
大衆運動のリーダーとして、世間を駆け巡ってきた経験はあるが、その相手は諸官公庁だった。
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何のために信仰しているのについてのつぶやき
追伸を書き加えました。

本宗の弁天様について述べられた意見は私と違いますので、私見をつぶやきます。

何のために信仰しているの その2 の中にあります「5 本宗の弁天様は」の中で記載されています。

『弁天様は全国に居られますが、私達の弁天様は余所の弁天様と違いは4つあります。
水の章のテキストの1番前に書いてあるのですが、
1つは、起源が違う。私達の弁天様は宇宙が出来た時からいらっしゃる。
2つ目は、ご誓願が違う、あらゆることをお聞き届けになるのが私達の弁才天女尊である。
3つ目は、教理がある。水の心を心とせよと教えの体系がある。
4つ目は、お働きが違う。ご本尊の弁才天様は一生懸命お働きいただいている。
ご宗祖様も働いていただいている。
15童子さまも働いているというお働きが他の弁天様とは違います。
私は竹生島に行って、1信者としたら、もう一つ違いがあるやろうと思います。
宗団として、ご宗祖様ありきですから、わざわざそれをお伺いしませんけれど、1信者としましては重大な事で私は5つの違いと思っています。
昔若い時に読んだ本で1つだけ誰が書いた事で、どういう趣旨か忘れましたが、宗教の事を書いておられまして「宗教の耐用年数、数千年」と書いてあるのを見た覚えがあります。
で、何やろうと思いながら千年単位で盛んになったり衰えたりすると書いてあって、ちょっと驚きました。』
についてです。

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故梅木先生回想録99

御所教会の機関紙「幸真」昭和21年10月1日号から頂きました。

お宗祖様のお話では、故梅木先生は弁天さまがお前に2人の弟子を与えてやると言われ、与えられたお弟子さんの1人です。

故梅木先生回想録98からの続きです。
回想録80に戻ります。

高田講に入っていたと言われて私は驚いた。
私は高田講の講員ではない。
高田講が設立されたときに尊女から出席して見ませんかとお誘いを受けて出席しただけで、そこの講員になると言ったわけではなかった。
だからその後、高田講とは何の連絡もなかったし、参拝に利用する特別参拝券を使用したこともなかった。
それを高田講の講員だとは心外だと思った。
でも先方では、発会式に参加したので、入講したのだと思っているのだろう。
こちらは全くオブザーバーの立場で出席したのだが。
「とにかく1度高田講の講元にあって了解してもらいなさい」
ご院主さんの忠告で面会することにした。
会ってみると講元は大変良い方で「私はどうも思っていない。支部ができることは弁天さんにとって大変喜ばしい事です。
私は大賛成ですから大いに頑張ってください」
講元の真心溢れる激励の言葉に私はうれしかった。
講元はあんなよい人なのに、どうして承認中止の横槍が入ったのだろう。
ご院主さんの仰っていた某老女のしっとから、こんな工作をしたのではなかろうか。
その後まもなく、弁天講南葛支部が承認された。
昭和25年5月、弁天講理事会に出席するよう連絡を受けた。
支部長は全員、弁天講本部理事に就任することになっていた。
23番目の講元(支部長)だった。
場所は十輪寺庫裡の8畳の座敷、2間を開放して会場にあてられた。
正面床を背にしてご神代(尊女)ご院主、岸場、林、北野正副理事長以下、全理事(各支部長)出席して開催された。
この時新しく紹介された新理事は私と高野口支部長の松尾氏とであった。
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何のために信仰しているの その2

何のために信仰しているの その1の続きです。

年1回基準の教区感謝祭を3回も開くのですから、熱心な教区です。
平成21年9月15日号の南河内教区便りにM教区長の講話が載っていましたので転記しました。
お話が長いので2分しました。

(てにをはを私なりに修正してあります)
(項目は教区便りについていましたが一部変更しました。)
その1(前回分です)
1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)
2 腰痛に効く畳作りの黄色い紐のお蔭(教区便り:宗祖さまの腰の紐)
3 お蔭を忘れずに何時までも報恩感謝の信心をする(教区便り:おかげを感謝し信仰を更に)
その2(本回分)
4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた
5 本宗の弁天様は
6 実家は因縁の深い家
7 来し方を省みて
8 私の信仰のあり方(教区便り:弁天宗信者としての活動)

4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた

4年ほど前の秋、竹生島に行ってきました。
偶然重なって琵琶湖の北の方にあるマキノプリンスホテルの割引券があったので行きました。
ところがマキノにつくと雨になりまして、初日は比叡山に行って、翌日は静ケ岳の方に行こうと思っていたのですが、一寸行きにくいと思っていたら、ホテルの前に桟橋があって、あれはなにと聞きますと竹生島に船が出ますが予約制で普通はないが、たまたま明日はマキノ町の行事で「歩けの会」があって迎えの船が来ていますと、それに乗りたいと切符を買いました。
翌日は小雨でしたが3大弁才天と言われている竹生島へ1度行ってみたいと思っていたので、念願かなって言ってきました。
素晴らしいところで心が洗われる思いがしました。
良かったなと思って帰ったのですがとはいいつつ、大和本部(現在の奈良県五条市如意寺のこと)とか冥応寺の本殿(如意寺は本堂といいます)に座ってお祈りをして心がスーッと落ち着くような気分、弁天様の膝元にいて安心というのは感じなかったのです。
結局のところ、観光地なんかなあというような思いをもって帰ってきました。
そんなときに言葉が胸にポンと響いてきたのです。
『わたしおらんかったやろ』とびっくりしました。
それを聞かせるためにわざわざホテルの割引券を与えて雨を降らせてマキノ町の「歩けの会」の船を用意して「行っておいで」と行って来たのです。
それで何を悟ったかというと「竹生島には、私はおらんかったやろ」と(ご宗祖様の声を)聞きました。
本当に涙が出るほどびっくりしました。

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何のために信仰しているの その1

年1回基準の教区感謝祭を3回も開くのですから、熱心な教区です。
平成21年9月15日号の南河内教区便りにM教区長の講話が載っていましたので転記しました。
お話が長いので2分しました。

(てにをはを私なりに修正してあります)
(項目は教区便りについていましたが一部変更しました。)
その1(本回分) 
1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)
2 腰痛に効く畳作りの黄色い紐のお蔭(教区便り:宗祖さまの腰の紐)
3 お蔭を忘れずに何時までも報恩感謝の信心をする(教区便り:おかげを感謝し信仰を更に)

その2(次回分)
4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた
5 本宗の弁天様は
6 実家は因縁の深い家
7 来し方を省みて
8 私の信仰のあり方(教区便り:弁天宗信者としての活動)

1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)

信仰の原点について考えたいと思って、「救い」ってどんなんか、何のために信仰しているのということをお話します。
先ず、『弁天さんはすごいな』というところから再認識したいと思います。
この前の記念感謝祭の時に、テープを聞かせていただいて、その時判りづらいところがありましたので、ちょっと紹介します。
石原新太郎さんの話がありまして、昭和30年代後半、40年に入ったころに『巷の神々』という本を出されるのに、大阪本部(現在本部制はなく大阪茨木市にある冥応寺)に来られて、取材されたときの実話です。
ご宗祖様から聞いて、その救われた人の家族も側に居られたということでした。
東京駅の八重洲口。
新幹線から在来線の方に登るところに改札がありまして、そこは凄く混んでおって、小さな子とお母さん2人が手を離していしまって、お母さんは改札の中に入ってしまったけれど、子どもさんは入れなかったということです。
それを見兼ねて、ご宗祖様が「お嬢ちゃん私と一緒に行こうね」と手を繋いで中に入られ、さらに荷物を持っていたので「このままホームまで行こうね」といって階段を上がって行かれ「はい、どうぞ」とお母さんに子供を渡された。
子供は小走りにお母さんのところに行って「あきこ、あのおばあちゃんに手を繋いでもらった」と言ったのです。
お母さんはびっくり仰天しました。
6歳になるその子供は、生まれてから一度も言葉を喋ってことがない。
初めて言葉を喋ったそれだったのです。
大阪天王寺区にある下駄屋の母と子の話です。
その方が感謝祭の席にお見えになっておりまして、石原慎太郎さんはびっくりして生き神様はいてはるんやというて驚かれました。
本当に不思議な力をお示しになる。
その事を本に書いておられます。
本当にすごい神さまだなとお思います。
こう言う話は実に当たり前で、弁天宗の中では、今こういう話をお聞きになってね、結構やなあ、ありがたいなと皆それぞれすごい体験をなさって、苦しいことが楽になった。
病気が治った。
傷みが解消した。
争いが解決した。
悩んで悩んできた事がお祈りすると、何か希望が見えてきたという不思議なことが普通に行われているということを改めて確認したいと思います。

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平成22年1月のお言葉16「感謝は形に表さねば感謝になりません」

平成21年12月15日の茨城教区便りから頂きました。
この教区の日々のお言葉は創作です。
善いことが書いてありますので、毎月読んで、他の教区便りの日々のお言葉と比較しています。

学校を卒業する時に先生たちが私達に送る言葉としてくださったのは『世界中の中には、勉強したくてもできない人がいますが、あなた達は恵まれて教育を受けたのですから、何かの形でもかまいませんから社会に出てお返しができるように』でした。
その言葉を思い出すと、出来ていない!と反省です

ただ友人たちのその後を思うと有形無形に頑張っていて、私も自分ができる事で何かという気持ちが湧きます。
このお言葉16にも同じ心が含まれていると思います。
ご近所お付き合いを初め色んなお付き合い、自分たちが生かしていただいているすべてに関して見るに、自分一人では生きて行けないということを実感します。
ほんのちょっとしたことでもどれだけの力や恵みがこもっているかと、考えれば考えるほど感じる事が絶えません。
よく私は、家族や自分自身が災難に出合って助けていただくと人間の寿命は本来はここまで、しかし助かったのはまだやらなくてはならない事がるというお知らせか、まだ修行が足りないということだなと思います。
有り難いと思ったら自然に心と言葉と行動が一致します。
例えばお経を上げるということは敬虔な祈りをささげようという意に出発し、お経を唱える口の行の実行、手を合わせる身行の実行で、感謝の誠をささげる時のお経は身口意の一致で実を結ぶといわれています。
信者としては、感謝箱、ご奉仕等がありますが、感謝は普通の生活でも形に表す事が出来ます。
ご近所ご一緒の町内会の清掃等、自分たちでできることで感謝の心を形に表わしていけます。
1番大事なことはどんな時でも感謝する心を忘れない事だと思います。
自分の今ある事に、人からの気持ちに対しても素直に感謝できるという感性があるかということです。
善く大事な人をなくしたり、ドン底に落ちた時に感謝できるか!という人もいるかもしれません。
私はそんな時でもぐらつかない信仰を持ち続けて苦しさを乗り越えて更に信仰生活を深めている方を目にすると、感謝とは信仰とはこういうことなのだなと教えられます。
とにかく人は身勝手な自分の視野で物事を判断しますが、どんな時でもまず感謝の気持ちを忘れずに、どれだけ自分は生きているかということを胸に手を置いて考えると、自然に答えが得られる事と思います。
以前にこのおことばの時と思いますが、感謝のノートについて書いた事があります。
お運びで先生がその日起きた感謝する事を書いてみましょうと教えてくださった。
ノートに書きとめて見ると毎日たくさん感謝する事に出合っていると知らされました。
書きとめていないと平気で忘れたりしている事が多いのですが、それよりも当り前のこととして記憶にとどめないで、いることの多さに気付きました。
人と人を繋ぐのは何気ないことの積み重ねですが、同じ事に接しても、何でも人の欠点を探して恨み、悪くいう人がいますが、人をよく思い、出会いに感謝できたら幸せに感じるのではないでしょうか。
感謝できる気持や心を失うことなく、素直になることが大切だと思います。

リンク
お言葉16 教区便り
宗務総長さんのお言葉16を考える 
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村松稔茨木教区長の話

平成21年10月15日号の茨木教区便りに掲載されていました村松稔教区長のお話です。
主管奉仕者に対する奉仕始めの教区長挨拶で、簡潔明快なお話をされた方で、内容も素晴らしく感心しました。
そんな方ですから行きあたりばったいではなく、大事な話が網羅されていると思い転記しました。

昨年4・5月に始まったお形見拝戴、そして今年は宗祖霊顕75年祭を迎えることができました。
茨木教区は1500人以上の方が身目麗しいご本尊さまの御像にお参りさせていただきました。
10年に1度のご奉拝は、私たちの日常の祈りの姿を見ていただくという意味があり、また世界の方をみんな平等にお助けしたいというご宗祖様の願いを受け継ぐものであります。
信者であると、皆救われたい、おかげをという気持ちのある方が多いでしょうが、ご本尊さま、ご宗祖様のおかげの受け方は違うと思います。
先ず五行のお諭しを日常に生かして行くことです。
毎日の生活の中で徳を積み、そして自分自身が変わらしていただくことです。
住吉教区の小村先生は信じきることです。5年も10年も信じきる人は大きなおかげをいただけますとお話し下さっていますが、信じきることをお互いにして(実行)いただきたいと思います。
そして1つ1つの実行として、お運び席に出席する、感謝祭に参加して徳を積む、回向やご祈祷はもちろんしてください。
そして自分の事は充分、他人の事を先に!することが自分の徳になります。
ご本尊様のおかげをいただき我が家が明るくなり、感謝の言葉が家族の中で飛び交います。
信仰することによって、人が変わって行く事が修行していることです。
真心で歩もうとする人をご本尊さま、ご宗祖様は助けてくださいます。
どうか信じ切って、ご家族が発展繁盛されますように願っています。
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お言葉14 教区便り

宗本部から11月の実践目標として示された日々のお言葉14が教区便りに載っていました。

日々のお言葉14 「実行しなさい、考えているだけではだめです」

実行ということを考える場合、実行そのものを問題とする前に、その「方向」をしっかり見定めておくことが大切である。
これを誤ると独りよがりの行為となり、目的とするものは得られないどころか他に迷惑を及ぼす。
私たちのお手本は、宗祖様である。
他のために尽くしきってこられた宗祖様の歩みに「方向」を定めよう。
これが定まれば後は文字通り、実行あるのみである。

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日々のお言葉13 「苦しみのない行はありません」

心の行をする人にとって、生活の場が即道場となる。
ここでは行のカリキュラムはない。
いつ、何をせよと言われるかわからない。
病気やけがは当たり前。
願わぬことが次々と起こってくる。
不測の事態に直面して茫然自失と言ったこともあるだろう。
しかしこれこそ道場長たるご本尊さまが、わざわざ用意して下さった問い掛けだ。
そこから何を学べというのか…………。
これが分かれば、いくらでも自分で行ができる。
逃げ回っていたのでは、看板倒れの信者にすぎない。
逃げられないから苦しいのである。

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私の信仰についての考え方

前に投稿したお宗祖さまのお諭し 『真実の祈りをする人は最後に勝利する』に関してつぶやいたものです。

まだまだ信仰ついては分かりません。
今までの信仰体験で言える私の考えです。
弁天宗の教理の解釈では、小竹小善さん水の章の教えが一番理解しやすく実践できる教えであると思います。
私のお運び法話の水の章をご覧ください。

支部の感謝祭に参加して、信仰が大事だとお宗祖さまがいわれた。
子供のころおばあちゃん(母親かもしれません)に連れられ祠や神社の神仏に手を合わせていた。
大阪の空襲で焼夷弾を浴び、助からないと言われたが五条に出かけお宗祖さまに助けてくださいとお願いした。
あなたは子供のころ神仏に手を合わせたので弁天様が助けてあげると仰っていますと言われ九死一生を得られた。
その方は大阪で支部を作り教区長になられています。
講師の信仰が大事ですというお宗祖さまの言葉のたとえ話として話されました。
しかし、何が信仰か理解に苦しみました。

母親や祖母の言われるがままに手を合わせることですが信仰でしょうか。
私はその方に神仏を信じる、敬う心が備わっており、よい信者になると弁天様がお見通しになられたから御助けになられたと思うのです。
子供の信仰では、お宗祖さまの集会でのお諭として収録してあります。
おばあさんが、弁天様は偉い神さまだから、マンマンちゃんと手を合せて拝むのよと教えます。
子供は、さっき転んでけがをしたけどそんな偉い神さまだったら何故僕がけがをしないように助けてくれないのといわれ、ああ言えばこう言う手に負えないとおばあさんが言ったそうです。
この話をお宗祖さまが聞いて、弁天様は助けて下さいという人しか助けませんと言われています。
誤字脱字があり12月19日一部修正しました。

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