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お祈りをする時の心・作法について

18年の礼拝経4講で聞いた話の抜粋です

「お言葉集成5集 85 祈りで養われる澄んだ心」を朗読された。

お宗祖様は何時も座っておられるが足が痛くないのか、トイレにも行かれないのかという信者の素朴な問に対してのお話し:
『足の痛さもトイレも忘れ去っています。不思議といえば不思議です。
何故かと言いますと、お百度を踏む時、ご本尊様の前でご祈祷をしている時、御神示をする時、私は無我境地になるのです。
何時でも私は一心です。そういう時には私というものがありません。
どうかお助け下さい。あの方をお救い下さいと一生懸命ご本尊様にお祈りをするその心がすべてなのです。
身も心も清らかで静かに正座しておれます。
心頭滅却すれば火もまた涼とおなじ境地だと思います。
このような無我の心でないとご本尊様の心に届かないと言うことです。
皆様がご本尊様にお祈りを捧げられる時はこの無我の境地でやって頂きたいのです。
ご本尊様のお知らせはあくまでも皆様のお祈り次第、信心次第です。』)

ご本尊様に、心を通わせる事です。
ご本尊様を敬いつつ自分の最高の気持ちを向けさせて頂くことが私たちのお勤めであると思います。
ご本尊様に心に敬いを持って、お祈りをなさることが大事であると思いますので実行して下さい。
折角お祈りをしますから、ご本尊様に届くようなお祈りして頂ければ結構です。
人間を越えた大きな力に敬いを持って生きると言うことが人間としての謙虚な生き方であると思います。
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村松稔茨木教区長の話

平成21年10月15日号の茨木教区便りに掲載されていました村松稔教区長のお話です。
主管奉仕者に対する奉仕始めの教区長挨拶で、簡潔明快なお話をされた方で、内容も素晴らしく感心しました。
そんな方ですから行きあたりばったいではなく、大事な話が網羅されていると思い転記しました。

昨年4・5月に始まったお形見拝戴、そして今年は宗祖霊顕75年祭を迎えることができました。
茨木教区は1500人以上の方が身目麗しいご本尊さまの御像にお参りさせていただきました。
10年に1度のご奉拝は、私たちの日常の祈りの姿を見ていただくという意味があり、また世界の方をみんな平等にお助けしたいというご宗祖様の願いを受け継ぐものであります。
信者であると、皆救われたい、おかげをという気持ちのある方が多いでしょうが、ご本尊さま、ご宗祖様のおかげの受け方は違うと思います。
先ず五行のお諭しを日常に生かして行くことです。
毎日の生活の中で徳を積み、そして自分自身が変わらしていただくことです。
住吉教区の小村先生は信じきることです。5年も10年も信じきる人は大きなおかげをいただけますとお話し下さっていますが、信じきることをお互いにして(実行)いただきたいと思います。
そして1つ1つの実行として、お運び席に出席する、感謝祭に参加して徳を積む、回向やご祈祷はもちろんしてください。
そして自分の事は充分、他人の事を先に!することが自分の徳になります。
ご本尊様のおかげをいただき我が家が明るくなり、感謝の言葉が家族の中で飛び交います。
信仰することによって、人が変わって行く事が修行していることです。
真心で歩もうとする人をご本尊さま、ご宗祖様は助けてくださいます。
どうか信じ切って、ご家族が発展繁盛されますように願っています。
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お言葉9 水の章から

お言葉9「じっとしていて何が救われますか」に関するお話を18年10月22日(日)水の章14講 小竹講師講話の中から抜粋


お言葉9「じっとしていて何が救われますか」と水の章「波のない流れは汚れ取れざるなり(33)」との関係

流れとは漣などのように波が上下になっている状態です。
波のない流れは、上下が無く水面が横一線の平坦な状態です。
こうゆう横一線では汚れはとれないよといってるのです。
洗濯機の中に洗濯物を付けているだけでは汚れは落ちませんね。
動かすと汚れが取れますね。
これを言っています。
これは、辯天さんの教えで、心に波を作るということは高い心と低い心で波を作るのです。
辯天さんの教えでは低い心になれと言っていますから、高いところより低い心になり心の波を作るのです。次第に低くなりますね。
低い心になって何かをすることが辯天さん波の作り方なのです。
これにより汚れを取ってゆくのです。
波のない横一線の水面では行動することがないのですね。
ここでの行動は漣のことですが、別な言葉で言えば人のお役に立つという善根の動きがないということです。
この動きがないとそれに見合う喜びをつかむことができません。
この善根の行動がない荒っぽい言い方ですが「救われない」ということになります。
お宗祖様の信者訓戒のお言葉では、「じっとしていて何が救われますか」になりますね。

リンク
お言葉9 教区便り
お言葉9 宗務総長(感謝祭) 
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お言葉6 水の章から

日々のお言葉6「低いい心に徳が流れ込みます」に関するお話を18年10月22日(日)水の章14講 小竹講師講話の中から抜粋

○低い心に徳が流れ込みますの落とし穴

昨日のお言葉でしたか、低い心には徳が流れ込みますがありました。

私はこれを、得てして落とし穴にはまってしまうと取るのです。
徳を求めて信仰するのです。
私は間違っていると思います。
私たちが求めて行くのは徳ではありません。
低い心の生き方を求めて行くのです。
徳はその後流れ込んでくるものなのです。
徳を求めて信仰してはいけません。
あなたが私に親切にしてくれるのは、自分の徳を求めるためにやっているのとなるのです。
低い心で人に親切にする。低い心で何かをする。
それが目標です。
徳が流れ込んで参りますといわれていますからほって置けばいいのです。
ほって置くべきものをあてにしてはダメです。
徳を求めるのではなく、徳を生み出すであろう低い心の生き方、謙虚で生きてゆく、感謝で生きてゆく、人に親切にするだけで自分心が納得できる。
安心できる。
そういう信仰を私たちは身につけていないと、ややもすると徳を求めてゆくになります。
ですからそういう厳しさを私たちは信仰に中にもつことが大事かと思います。
もしかしたら活発善根のその活発の精神的なものには、低い心の生き方を求める精神が入っているかも知れません。
私たちの人生にはそういう状態を打開しようと思ったら、苦しいとき、つらいとき、悲しいとき、しんどいときにそのことを言わないでただ善根を積むという烈しい漣が必要かも知れません。
それが今抱えている状況を変えて行くのでしょう。
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