東成教区相談役長岡彰子先生の講話

平成21年10月15日号茨木教区だよりに東成教区相談役の長岡彰子先生の弁天さんの信仰をどうしてやってきたかという講話が載っていましての転載しました。

私は宗祖霊顕75年祭後定年制で退任しました。
本日伺いますと本殿や信者会館のところまでに緑の茨木教区の旗がたくさん!立っていて本当にびっくりしました。
又これだけ多くの方が感謝祭にいらしてくださるのは、大勢の方が功徳を積まれて、うれしい事だと思います。
よく皆さんは与えられた中で奉仕をなさっていますがこの茨木教区の方々はどの方のお顔にも熱心に奉仕をされているお心遣いをなさっていると感じます。
私は40年の信仰歴があります。
宗祖霊顕75年祭を終えた後で、自分の75年を過ぎての体験談をさせていただきました。
そして今は1からの信仰の原点にかえってお導きをさせていただいています。
私は昭和9年4月9日生まれですが、4月17日に届け出をしてもらっています。
32歳の時に弁天様を知り、その後天啓の日が私の誕生日と重なるのを知りました。
私は昭和42年に熱心な叔父と叔母に導かれて入信しました。
その頃15歳の下の妹がイギリスに行くというので寝具屋をしてお金を妹に送金していました。
毎月、問屋と相談して売れ筋を探り、考え、自分でビラを作って新聞紙に入れたりして頑張ってまいりました。
人によってはここ一番という時にハッスルをして、他はぼうっとしている人もいますが私のところはそれどころではありませんでした。
人にはその人その人に合う仕事が与えられていて、ずっと結構な人はずっと結構であり、大変な人は大変ですが、自分が大変だからと嘆いても仕方が無いので一生懸命働きました。
そして毎日夜10時過ぎてから伝票を見て、その後本殿のます目(扉はしまっていますので左右の窓からでしょう)越しにご本尊さまを夫婦して拝んで帰っていました。
そんな時に、第1世管長様がやかんを持ってきてご宗祖様のところにお水を入れて差し上げる、またご宗祖様はずっとご祈祷をなさっていました。
それを拝見した後、ただ頼んでいたらいいと思っていたのではいけない、私たちもエンジンをかけないとダメだと知りました。
車の両輪を動かさなくてはと思い、私はお運びに直ぐ通い始め、1回目を終え、2回目の時におばあちゃんを呼びました。
家の中で起きる出来事や状態を皆で受け止めて助け合っていこう、家族全員で信仰しなくてはと思いました。
信仰も緩やかではダメで家族一丸となり、ご分身の屋敷作りが始まり、家族作り、環境作りに10年かかった女4代続いている家です。
女の強い家は楽ですが、結婚した時にその信条としたのは、親指=目上の人を立てる。
その親も一節折ると若い者も節を折って、家族円満になるでした。
私の子供時代、父は町内会長、市場の社長、母は2つの店の商売できりきり舞いでした。
私は10日には、学校を休んで手伝いをしていました。
そのお蔭で友人の手助けを受けてノート貸してもらって無事卒業をしました。
皆助け合いの精神でお互い小さい時から処世術を身につけました。
色んな人から教えられた事が山ほどあります。
森の宮の砲兵工廠がかってあったところは爆弾で多くの人が亡くなり、壊されたりしたところです。
その土地に巳さんがいるよと聞いていました。
白い巳さんを店の陳列で見たので、この家に巳さんがいるという事は心正しくないとバチが当たるといわれていました。
父も神道に入って祝詞の世界にいましたから、弁天様にご縁をいただいて、ご先祖様をきちんとお祀りし、土の災いの浄めもしました。
こうしたらいいのでは、ああなったらいいという事を素直にさせていただき喜びに出合い、手を合わせる感謝に気持で一杯でした。
そして自分が!という心が消えていきました。
加速の信仰というのは、女の人は遠慮して、家事を守って、弁天様におかげをいただいているよ、助けてもらっているよと家族に見せていき、家族に疎まれずに、ご縁をいただける。
この幸せをあなた達も繋いでよと伝えて行くのが大切です。
私はよく五行のお諭を述べて、その後に誓いますという心で弁天様に拝んで行きなさいと子供たちに言ってきました。
お経を唱えるのもですが思いをご本尊さまにしっかり語りなさい、願いが届くようにお祈りをするように共に伝えました。
皆さんに難しい信仰の形を伝えようとは思いませんが、お運びはどうかしてください。
あと私は、(日めくり式の日々のお言葉があります)お言葉をめくっていて『何をじっとしているのですか。じっとしては救われません』その言葉が出る時は人様をお導きする時と重なっています。
私自身は商売のどん底に落ちましたが、家族には尽くしました。
イギリスへ行く妹を家族全員で支援しましたが、その妹がユニクロの創業者になっています。
妹たちのいただいたお蔭で見せてもらって私のしてきた事が間違いなかったのだと見せていただきました。
私もですが、皆さんも85年祭に向けて自分の家族、親戚、お知り合いを1人でも多く導く!
その答えはあなた達でだしてください。
私はよくお嫁さんとお姑さんに台所に張っておいてねと、信仰を生かそうと思う時の言葉としてお渡しする物があります。
これは会社の社長さん達も欲しがるものですが、

その一言ではげまされ、
その一言で愛を持つ、
その一言で腹が立ち、
その一言でがっかりし、
その一言で泣かされる
ほんの一言で、不思議な大きな力を持つ
ほんの一言で、人は元気に立ち上げる

私がどん底の生涯を必死で這いあがったお話をさせていただきました。
皆さまありがとうございました。
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住吉教会長小村桂子先生の南河内教区感謝祭での講話

住吉教会長の小村桂子先生がお宗祖さまの声を聞き、お宗祖さまと一緒に支部感謝祭に行かれたという講話が、平成21年7月15日号南河内教区便り(平成21年5月6日)に載っていましての転載しました。

喉頭ガンで膿が溜まり凝りができていたが福山支部の記念感謝祭でお形見拝戴と講話をして自宅に帰る。
凝りの原因の膿が消えて凝りもなくなる不思議な体験をされています。
さらにお宗祖さまは、お形見拝戴記念感謝祭は、お形見を拝戴することでお宗祖さまの自由自在の力(観音経の威神力)で奇跡を起こして、お宗祖さまが信者の皆さんを守っている事を実証する手立てだあること、そしてお形見拝戴記念感謝祭の講師としてお宗祖さまの御心を伝えるために全国の支部を1年かけて回る試練をお宗祖さまが与えられたようです。
冥応寺のお宗祖さまご尊像の口が動き、頭の近くでお宗祖さまのお声を聞かれています。
そして支部の感謝祭に行くとご宗祖様と一緒に来られましたねと信者さんに言われ、集まった方々はガン患者が多く、お話を聞いてガンが小さくなったので奇跡をいただかれた信者さんの話も出てきました。
私は昭和42年2月15日59歳で亡くなられたお宗祖さまは魂をこの世に残し信者さんをお守りします。
困ったら私の名前を呼んでください、私にはその力がありますとご遺告 を残されて亡くなられて以来、数数の奇跡を起こされています。
私の好きな観音経にあります『観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種々諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅』という経文が実際具現されているのです。
私は久しぶりにお宗祖さまのお力のお話を読ませていただきました。
妙音新聞に掲載されていたようですが、この頃記事の編集が変わり、信者として読まないといけないのでしょうが、第2世管長様のお話が無くなり、完全に読み切っていいませんので、小村教会長の体験談も読んでいません。

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お祈りをする時の心・作法について

18年の礼拝経4講で聞いた話の抜粋です

「お言葉集成5集 85 祈りで養われる澄んだ心」を朗読された。

お宗祖様は何時も座っておられるが足が痛くないのか、トイレにも行かれないのかという信者の素朴な問に対してのお話し:
『足の痛さもトイレも忘れ去っています。不思議といえば不思議です。
何故かと言いますと、お百度を踏む時、ご本尊様の前でご祈祷をしている時、御神示をする時、私は無我境地になるのです。
何時でも私は一心です。そういう時には私というものがありません。
どうかお助け下さい。あの方をお救い下さいと一生懸命ご本尊様にお祈りをするその心がすべてなのです。
身も心も清らかで静かに正座しておれます。
心頭滅却すれば火もまた涼とおなじ境地だと思います。
このような無我の心でないとご本尊様の心に届かないと言うことです。
皆様がご本尊様にお祈りを捧げられる時はこの無我の境地でやって頂きたいのです。
ご本尊様のお知らせはあくまでも皆様のお祈り次第、信心次第です。』)

ご本尊様に、心を通わせる事です。
ご本尊様を敬いつつ自分の最高の気持ちを向けさせて頂くことが私たちのお勤めであると思います。
ご本尊様に心に敬いを持って、お祈りをなさることが大事であると思いますので実行して下さい。
折角お祈りをしますから、ご本尊様に届くようなお祈りして頂ければ結構です。
人間を越えた大きな力に敬いを持って生きると言うことが人間としての謙虚な生き方であると思います。
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村松稔茨木教区長の話

平成21年10月15日号の茨木教区便りに掲載されていました村松稔教区長のお話です。
主管奉仕者に対する奉仕始めの教区長挨拶で、簡潔明快なお話をされた方で、内容も素晴らしく感心しました。
そんな方ですから行きあたりばったいではなく、大事な話が網羅されていると思い転記しました。

昨年4・5月に始まったお形見拝戴、そして今年は宗祖霊顕75年祭を迎えることができました。
茨木教区は1500人以上の方が身目麗しいご本尊さまの御像にお参りさせていただきました。
10年に1度のご奉拝は、私たちの日常の祈りの姿を見ていただくという意味があり、また世界の方をみんな平等にお助けしたいというご宗祖様の願いを受け継ぐものであります。
信者であると、皆救われたい、おかげをという気持ちのある方が多いでしょうが、ご本尊さま、ご宗祖様のおかげの受け方は違うと思います。
先ず五行のお諭しを日常に生かして行くことです。
毎日の生活の中で徳を積み、そして自分自身が変わらしていただくことです。
住吉教区の小村先生は信じきることです。5年も10年も信じきる人は大きなおかげをいただけますとお話し下さっていますが、信じきることをお互いにして(実行)いただきたいと思います。
そして1つ1つの実行として、お運び席に出席する、感謝祭に参加して徳を積む、回向やご祈祷はもちろんしてください。
そして自分の事は充分、他人の事を先に!することが自分の徳になります。
ご本尊様のおかげをいただき我が家が明るくなり、感謝の言葉が家族の中で飛び交います。
信仰することによって、人が変わって行く事が修行していることです。
真心で歩もうとする人をご本尊さま、ご宗祖様は助けてくださいます。
どうか信じ切って、ご家族が発展繁盛されますように願っています。
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日々のお言葉14 茨木教区だより

平成21年11月のお言葉14「実行しなさい。考えているだけではだめです」

平成21年10月15日の茨城教区便りから頂きました。
この教区の日々のお言葉は創作です。
善いことが書いてありますので、毎月読んで、他の教区便りの日々のお言葉と比較しています。

仲間や友達が困っているから、何か出来る事で助けようとする子供。
我が子が病気で苦しんでいるから必死で医者のところに連れて行き、どうにか治りますようにと祈る親の姿。
自分たちの周りで様々な出来事が起きてきます。
頭ではこうしたらいいのではないか。
いやそんな事をしたらどう思われるだろううとか。
考えをめぐらして手も足も出ない人が多いでしょう。
黙って知らん顔をしていれば物事は行過ぎるというという考えを持っている人もいるかもしれません。
しかし、理屈や理論ではなく、自然に心が反応をして身体が動いてしまう。
言葉が出てします。
その前向きな実行が実行が大事なのだと思われます。
信仰の事をいろいろ学ぶことは、本当に大事なことです。
しかしそれを知ることよりも、それを考えることよりも、論ずることよりも、なお一層大事なことは、御教えを実行すること。自分のものにすること。理想に向かって全身全霊を捧げることで、迷わずためらわず、何の期待も持たず踏み出すことですと『信者訓戒理解(日々のお言葉を現管長様が45歳の宗務総長時代に信者の道しるべとして書かれたもの)』には書かれています。
9月に婦人部の研修会で勤行とお分け身(お宗祖さまの手形を複製したもの)の講習会がありました。
その時に聞かれたのは、出かけるときにお分け身を持参しているかいないかでしたが、持参している方は少なかったです。
(お分け身は最初のお運び24席を修了しますと授与されます。そしてお分け身の使い方の講習があります)
また以前の問題で毎日の朝夕の勤行(私は個人的に勤行という言葉が嫌いです。行を勤めるという意味よりご本尊さまに報恩感謝の心で礼拝する礼拝行と思っています)はどうなっているか。
お運び席にきちんと通っているか。
毎月の回向させていただいているか等
1つ1つ先ず自分たちでが基本的にできる事を実行しているだろうか等自分自身が胸に手を当てて問うて見たいと思います。
一心に祈る姿があり、心も身体も1つになって素直に教えを実行できる。
これが大切ではと教えて下さっている今月の言葉です。
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お言葉14 教区便り

宗本部から11月の実践目標として示された日々のお言葉14が教区便りに載っていました。

日々のお言葉14 「実行しなさい、考えているだけではだめです」

実行ということを考える場合、実行そのものを問題とする前に、その「方向」をしっかり見定めておくことが大切である。
これを誤ると独りよがりの行為となり、目的とするものは得られないどころか他に迷惑を及ぼす。
私たちのお手本は、宗祖様である。
他のために尽くしきってこられた宗祖様の歩みに「方向」を定めよう。
これが定まれば後は文字通り、実行あるのみである。

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お言葉22 水の章10講から

18年8月26日(土) 水の章第10講 小竹祥善講師法話から転記しました。
故マザーテレサさんの施設で働いた日本人のお話の中で

信者訓戒に「(22)ご本尊様は何時でも何処でもあなたの背中についておられます」というお宗祖様のお言葉があります。

これは私達がご本尊様と繋がっている存在であるということを教えています。
このご本尊様は目で見ることはできません。
目で見ることができないなら心で見ます。
私が支部の感謝祭に行きましたとき、支部長さんが申し訳ありません端っこで祭壇が見えませんといわれましたが、目を閉じたらご本尊様は目の前におられるのです。
私達の目は視野があり見える範囲が限られています。
しかし目をつぶると視野に関係なく想像で見ることができます。
背中にいらっしゃるご本尊様は心の目でしか見えません。
これは心がないと見えないということになります。
慈悲も私達の心を育てないと慈悲も大きく成長しません。
相手を大事に大事に思う気持ちが、つまらない相手だと思っていたのにすばらしい方であるということが見えてきます。
人でなくてもつまらないものと思っていたものがすばらしい価値があることを発見することがあります。
相手を大事にし、優しくする心を磨きますと、相手の言葉遣い、顔の表情、態度動作の違いが見えてくるのです。
それは相手のことを思うという心が見せてくれるのです。
皆様方が掃除をされるとき、きれいにしようという心が有るからゴミが見えるのです。
きれいにしようという心がなければゴミがあっても見えません。
これと同じように私達は慈悲の心を育てますと、更に優しくしなくてはならない、大事にしなくてはならないところが見えてきて、優しくすることにより更に慈悲は大きく育つのです。
私達が学ぶこの優しさの原点は大慈大悲のご本尊様です。
目の前にいる方がイエスさまですといわれても私達はなかなかはいそうですといえないところがあります。
しかしその方の中にご本尊様だいらっしゃる。お宗祖様がいらっしゃる。
ご本尊様がお宗祖様が私のためになさったのだとすべてにご本尊様、お宗祖様を結びつけて考えることができると相手をもっともっと大事に優しくできるだろうなと思います。
そうして私達は慈悲の心を育てましょう。
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ご本尊さま礼拝時の心・作法について、

18年の礼拝経4講で聞いた話の抜粋です

「お言葉集成5集 85 祈りで養われる澄んだ心」を朗読された。

お宗祖様は何時も座っておられるが足が痛くないのか、トイレにも行かれないのかという信者の素朴な問に対してのお話し:
『足の痛さもトイレも忘れ去っています。
不思議といえば不思議です。
何故かと言いますと、お百度を踏む時、ご本尊様の前でご祈祷をしている時、御神示をする時、私は無我境地になるのです。
何時でも私は一心です。そういう時には私というものがありません。
どうかお助け下さい。
あの方をお救い下さいと一生懸命ご本尊様にお祈りをするその心がすべてなのです。
身も心も清らかで静かに正座しておれます。
心頭滅却すれば火もまた涼しとおなじ境地だと思います。
このような無我の心でないとご本尊様の心に届かないと言うことです。
皆様がご本尊様にお祈りを捧げられる時はこの無我の境地でやって頂きたいのです。
ご本尊様のお知らせはあくまでも皆様のお祈り次第、信心次第です。』)

ご本尊様に、心を通わせる事です。
ご本尊様を敬いつつ自分の最高の気持ちを向けさせて頂くことが私たちのお勤めであると思います。
ご本尊様に心に敬いを持って、お祈りをなさることが大事であると思いますので実行して下さい。
折角お祈りをしますから、ご本尊様に届くようなお祈りして頂ければ結構です。
人間を越えた大きな力に敬いを持って生きると言うことが人間としての謙虚な生き方であると思います。
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おるおばあさんの因縁

19年礼拝経8講の中で聞きました因縁と因縁を悟るそして善根功徳を積む必要があることのお話です

2) 因縁

その他に良く「因縁」ということをいわれています。私達は、色んな事が起きてきます。良いことも起きてきますが悪いことも起きてきます。
それが必ず原因があてそうなているのやとお宗祖様は仰っています。原因があるから苦しいことがあるのや。原因の結果でそうなるのだ。ですから、身口意によって因縁の原因を作ることもできるし、因縁を解く功徳を積むこともできる。
私達は、どうして功徳を積むかということになります。

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年末清掃まこと行に参加して

今年も清掃まこと行に参加しましたが、気付いたことをつぶやきます。

同じ場所で奉仕した方々で、一部の方は雑談のお喋りをしながら草刈り(草抜き)作業をしています。
但し、信仰談義・お蔭話はお導きに通じるものであり、ご本尊さま・お宗祖さまの徳をたたえることになりますので、大いに話してよいと思います。
雑談・おしゃべりは往々にして自慢話や笑い話になりますので、信仰信心とは無縁の話です。
その心には、真心はないと思います。
お運び研席のまこと行の時もそのような方が多かったですが、黙って奉仕すればよいのに、ご真言。ご宝号を唱えて奉仕すればよいのにと思っていました。

今回ふと気がついたのです。
年末清掃等宗の本部で奉仕作業に参加した時はまこと行という行なのではないかと思いました。

奉仕の前後では、
まこと行始めの言葉
「私たちはこれから、ご本尊さまの御用をさせていただきます。お互い誠心誠意、真心の奉仕をお誓いいたします」
まこと行終りの言葉
「只今無事、ご本尊さまの御用を終えさせていただきました。ありがとうございました」
と唱和します。
お喋りをしながら、奉仕作業をすることが誠心誠意、真心の奉仕になるのでしょうか。

日々のお言葉(信者訓戒)27には「形だけの信心ではいけません。身とことばと心の3つを整えましょう」というお宗祖さま教えがあります。
聖地でのまこと行には、身口意の3つを整えることのできる行であると思いました。
以前から、聖地に入りますとオンソラソバテイエイソワカ・南無智辯尊女と唱えています。
浄水場で手を洗う時、ローソク線香をお供えする時、歩いている時、観音経にあります欲瞋痴(貪瞋痴)を取っていただくには常念恭敬、常応心念であると書いてあります。

以前にも書きましたが、作家で元浄土宗知恩院はの宗務総長でお寺の住職をやっておられる寺内大吉さんは1日に1万回の南無阿弥陀仏を唱えるようにしており、そのために1日中、念仏しているそうです。
お宗祖さまもご神示やお勤め等以外の私的な時は常にご真言を唱えられていたようです。

私は奉仕作業等はまこと行だと思い、奉仕しながらご真言・ご宝号を唱えました。
聖地に居ながら、常念恭敬常応心念できないのはかわいそうにと思います。
少しでもご本尊さまに悪因縁を浄化していただく。
幸せな楽しい生活を送る。
次の世ではさらに幸せな魂の世界で過ごせる等という考えに及ばない方々だろうと思いました。
これでは素晴らしいご本尊さま、世界一のお宗祖さまを信心しているという心がないのでしょう。

これも以前の話ですが、お運び席の講師が、朝夕お勤めをしているのはこの中(約100人)で5人くらいでしょうといわれました。
私はとんでもないもっと大勢の信者がお勤めをしていると思ったのですが、清掃まこと行に参加して、お喋りさんを見ますと、講師の言われる話は本当だなと思いました。

常念恭敬、常応心念により、日々のお祈りや聖地でのお祈りがご本尊さま・お宗祖さまに通じ、万一の時には助けていただける信者になれるのではないかと思うのです。
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