<   2009年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

故梅木先生の回想録94

御所教会の機関紙「幸真」昭和21年4月1日号故梅木弁雄様回想録から頂きました。

お宗祖様のお話では、故梅木先生は弁天さまがお前に2人の弟子を与えてやると言われ、与えられたお弟子さんの1人です。
故梅木先生回想録  93からの続きです。
回想録80に戻ります。

「ああ、弁天さま、尊女さまは私を助けてくださったのだ。
満願までお詣りできなかったが、やはりお助けくださったのだ。
ありがたい。この上のない有り難い神様、弁天様」
目の前に事務官や理事長のおることを忘れて、しばし無言の感動にひたった。
必ず再起してくれるように、と言って事務官等は帰って行った。
偉大な弁天さまの大慈悲は、人をしてこのように暖かい処置をとらしてくださった。
責める立場の人たちが、かえって私の徳を讃え、再び社会の指導者となることを期待してくれた。
私は刑法上の罪人にならず、再び人生の再スタートの道を与えられた。
翌朝早々、五條へお詣りして尊女にお目にかかった。
「弁天さま、有り難うございました。
特別のお情けをしただいて私に責任がないことになりました。
しかも暖かい言葉の贈り物さえくれました。
有り難うございました」
「よかったですね。
私はこうなるように一生懸命祈っていました。
他の方なら私はここまでお祈りはしません。
先生は正しく正しく世の中にために尽くしてきたのですが、因縁のため、それがみんな悪い災いになって返っていたのです。
それが気の毒でならないのです。
局長さんの心も同じだったと思います。
あなたは何時でもよいことを考えていますけれど、因縁がそれを邪魔するのです。
それは先生に信仰がなかったからです。
これからは一生信仰を話さないでください。
先生の知恵を信仰に生かしてください。
きっと弁天さまは素晴らしい徳を与えてくださいます。
信者一番の徳を与えて頂けます」
尊女は、我がことのように、お喜びになり、未来への道を、諄々とお諭しくださった。
有り難いことだ。
私は本当に果報者だ。
[PR]
日々のお言葉7 「心の中に悪因を作らないように」

4月のお言葉は、「心の中に悪因を作らないように」です。
私は解説者がどの様な方でどれだけお宗祖様のみ教えに詳しい方か知りません。
お宗祖様のお言葉はお宗祖様のお話から解釈すべきであると思っています。
お宗祖様のお側で見聞した現管長様や高僧、密教学者の話ならいざ知らず、そうでなければ、お宗祖様のお話を題材にすべきだと思っています。
理由は10人10色で思想や考えはそれぞれ異なるからです。
教区便りの解説を読むとふんふんなるほどそうかなと独り言を書きたくて堪らなくなります。
しかし、今回は「心の中に悪因を作らないように」と言うお言葉についてともに故梅木先生のお話がありますので、転記することに留めます。
このような話を探し出すべきだと思います。


1 教区の解説

「教え」とは私たちに、正しい道筋をお示しくださるものだと言える。
それは右へ行きなさい。左へ行きなさい。というだけでいいように思う。
しかし、時として宗祖さまは、「ここは右に行く道もあるが、そちらに行ってはダメですよ」とやさしく、しかし厳しくお教えになる。
このお言葉がまさ(正)にそれである。
人は善根ばかり積んではおられないのだろう。
時には心に悪因を抱く。
悪因とは不平不満であり、妬み、恨み、のろう心につながる。
この心が明日、明後日の形を作って行くのだ。
人がどう言おうと、社会の基準がどうであれ、今その心が繁栄を生み出すものであるかどうか………
教えに照らせば自ずと分かる。

More
[PR]
生誕祭(甘茶かけ)の始まり

花祭りについての雑学がかつらぎ教区の便り3月号にに載っていました。

弁天さんでもお宗祖様生誕祭には、花御堂を造りその中に大阪茨木市冥應寺中段噴水の中にあるお宗祖様幼女像の縮小レプリカを入れ、みんなで甘茶をかける行事が行われますので参考として、転記しました。
(なおこの幼女像建立は故原健三郎元衆議院議長と聞いています)

1 弁天宗諸儀の生誕祭

明治42年(1909)4月1日、宗祖さまは、奈良県吉野郡吉野村(現吉野町)飯貝、吉井重吉・スエ夫妻の長女(幼名は清子)としてお生まれになった。
生誕祭は、その宗祖さまの御誕生をお祝いするとともに、宗祖さまをお遣わしになられたご本尊さまに感謝する儀式行事である。
1回目の生誕祭は、宗祖様ご遷神の翌年である昭和43年4月1日に行われた。
となっていますが、甘茶かけの件は載っていません。

2 花まつり かつらぎ教区便りの記事(参考~文芸社 仏教のすべてより)

旧暦の4月8日、お釈迦様の誕生日を祝う華やかなの行事が、花祭りです。
灌仏会、仏生会ともいいます。
お釈迦様の誕生にあたっては、2匹の竜が天空から甘い雨を注いで祝福し、同時に生まれたばかりのお釈迦様を灌頂したのでした。
(にわかに信じられませんがそうお釈迦様誕生の経に書いてあるのでしょう。
鑑真和上が奈良時代に来て初めて灌頂をされています。
仏教が発生していない前から仏教の儀式である灌頂があったのでしょうか?
書いていてどうして疑問がわかないのか不思議です。)
「花祭り」の時に、花御堂をつくるのは、お釈迦様の誕生地であるルンビニーの花園を現しているのであり、花御堂の中に安置した誕生仏の像に甘茶を注ぐのは、竜が甘い雨を注いで洗い清めた故事を再現しているのです。

中央に誕生仏が安置された花御堂は、本堂前に置かれ、法会が行われ、偈文が唱えられて甘茶が仏頂に注がれます。
参詣者もそれぞれお釈迦様の誕生を祝って甘茶を注ぐのです。

花祭りは推古天皇14年(606年)に奈良の元興寺で行ったのが最初のようです。


3 ウィキペディアの灌仏会の解説から

灌仏会は、別名:降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)ともいわれている。

釈迦誕生の時に、龍が天から飛来して、香湯(ソーマ=インド神話上の神々の飲み物とされる有る植物の液汁、アムリタ=インド神話に出てくる不思議な飲み物で、飲むと不死が与えられる)をそそいだという故事に基づくものである。
誰が甘茶にしたのでしょうね。

本来は旧暦で行われるものであるが、日本では近年は新暦で、又は、それに近い日曜日に行われることが多くなってきている。

弁天宗もお釈迦様の花祭りを行わずお宗祖様の生誕祭をおこなっていますが、日蓮宗系で花祭りを行わない宗旨もあるようです。
花祭という名称は浄土宗系で用いられた名称のようです。
[PR]