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先祖供養は永久について

弁天さま一筋の母がからの抜粋と私の思いです。

講話の中の「先祖供養は永遠に」とありますが、そういう先祖様もあり、浮かばれている先祖様もあると思っています。

何度も書きますが最初の七夕祭で出てきた哀れな姿の先祖霊が5年経ったらまともな人間の姿になりお宗祖様にお礼をいったという事が頭の中にこびりついています。
そして、難病奇病にかかりお宗祖様のご神示を受けたら浮かばれないご先祖様を教えて頂き供養をしたら難病奇病が助かったお話があります。
勿論、災難にあって先祖供養をして助かっていながら、のど元過ぎれば何とやらで、後はお詣りもしなければ先祖供養もしないので災難が再発してお宗祖様の元を訪れ何年か前に来ましたねと叱られる方も多々あったようです。
ですから、先祖供養を死ぬまで続けないといけないのはこのようなとんでもない因縁のあるご先祖様を持たれた方々であると思っています。

先祖供養は春秋お盆の法要と年忌だけの方もいらっしゃるはずです。
春秋お盆の法要に加え、毎月お塔婆供養をして、更に年忌供養をされている方もいるでしょう。

死ぬまで続けた方がいいのかどうかはご先祖様の状態によると思います。
私達にはご先祖の状態が分かりませんので、功徳行として先祖供養を死ぬまで続けるという考え方が最もベターではないかと思っています。

1 先祖供養は永久に

祖母は、昭和26年くらいに河内長野の駅前に住んでいたのですが、祖父が遊び回って家に帰ってこないという事があって、近所の方に相談しますと、弁天さんってあるから1度お詣りしてみないかということで、当時十輪寺にお詣りしましたのです。
そこでご神示を頂くわけですが、ご宗祖さまは直ぐ過去帳を持ってきなさいと仰ったので、後日過去帳を持っていきますと、18体に赤丸を付けられ、その内の2体に二重丸を付けられました。
そして、宗祖様は涙を流しながら『可哀想にな、因縁ですよ。
赤丸の付いたご先祖さんは成仏していませんよ』といわれたのです。
その言葉を聞きまして、祖母はそれから一生懸命に先祖供養をするようになったのですが、それでも中々祖父は遊びに出て帰ってこない。
それは変わらなかったらしいです。
しかし、宗祖様は、それは祖父の意志でやっているのではなく因縁で遊ばれているのですよというような事を仰るのです。
しっかり供養せんとそれは治りませんと仰るのを聞いて、一生懸命、毎日弁当を持って五條に奉仕に行き、お運びも受けていたという事を言っておりました。
当時、運送会社をしていたのですが、その運送会社も事故があって潰れてしまって仕事もどうしょうかという時に「駅前で麻雀屋をしなさい」とお話を頂いて、祖母は麻雀屋を始めるのですが、今度は祖父が博打で負けて、財産も又全部持って行かれたという事で、何も良い方向に向かないというくらい大変だったらしいのです。
それでもコツコツと祖母はお金を貯めて、全部のご先祖様に永代供養をして、それでもお金が足りないので借金をしながら、供養させてもらい、段々よくなっていったという事です。
そうやって、先祖供養を続けてもう50年になりますけれども、今でも一生懸命しております。
そうした話しを聞きまして、それで、母を亡くした時も『あんたよかったな。これから宗祖様の側でずっと奉仕ができるねんで』という心が分かったです。
それだけにご本尊さま、ご宗祖さま一筋に信仰してきたから、そういった言葉がでるのやなという事が分かりました。
私も引き継いで来ているのですが、母が生きている時に、母も一生懸命先祖供養や奉仕をしていましたので、ご先祖様がもう成仏されているかと思って、管長様にお聞きした事があるそうです。
普通はそんな事は聞かないらしいですが、どうしても我慢できない、一遍聞きたいをといいまして、言ったらしいのです。
すると管長様は『未(ま)だやな』と仰ったそうです。
何10年かけても未だ成仏してないということを知り、私達も一生懸命に先祖供養を続けていかなければならないと言う事を思いました。


2 私の先祖供養

私は、最初に入信した支部長さんが春秋の彼岸・お盆の供養とお塔婆を持ち帰り先祖供養をされていました。
その支部長さんが、未だ続けています。
死ぬまででしょうといわれましたので、それを信じて毎月のお塔婆供養、お彼岸お盆の塔婆供養を気にもせず続けています。

私の収集したお宗祖様のお話にも、ご先祖様を毎日ご供養する方のお話が2度出てきました。
どういう供養か分かりませんが、最小限般若心経を1巻はあげるのでしょう。
私はお塔婆を持ち帰った時は、仏壇にお塔婆を並べます。(宗旨のお坊さんの月参りはありません)

(決心信者は仏壇の中、それ以外の方は宗旨の仏壇外に並べるのだそうです。
これは宗旨のお坊さん月詣りに来られた時に、宗旨外のお塔婆が仏壇に置かれていることを嫌うからでしょう。

宗祖霊顕65年祭でしたか。班長以上の役員を集めて、宗本部の方から仏壇に「何家先祖代々各霊菩提也」と書かれた紙位牌を作成して、仏壇に置き朝夕先祖供養をしてくださいという指導がありました。
この時に宗旨のお坊さんに宗旨と違う位牌を仏壇に入れてはいけないと言われた時、この紙位牌はどうするのか? 宗旨の宗団連絡して紙位牌を仏壇内におけるように調整してもらえるのか?質問がありましたが、結局宗本部からの回答はなしでした。
宗祖霊顕75年祭では、宗本部の準備した紙位牌に、各人がご先祖様等の戒名・俗名を記載して、供養を申し込む方法に代わっています。)

持ち帰ったお塔婆は、朝は、ご先祖様・水子様に感謝と懺悔に供養をさせて頂きますと挨拶をした後、全ご先祖様、水子様の戒名を呼び上げ鐘をならします。
(お彼岸お盆の法要時管長様、総長様、総裁様の開眼供養の方法です。他のお坊さんは、お塔婆の戒名を読み上げるだけで鐘はありません)

開経偈の代わりにお宗祖様ご宝号を7反、お経の代わりにご本尊さまのご真言100反、回向文の代わりにお宗祖様ご宝号を7反唱えた後、ご先祖様、水子様、お導きをしてくださった方のお礼をいい、至らない点を懺悔しています。
夕方は、ご本尊さまのご真言100反が観音経に変わるだけです。

お塔婆のない日で月命日のご先祖様等がいなければお経は朝夕共にご真言100反です。
月命日がありますと夕は観音経を唱えています。

教えていただいたわけではなく私の判断で、少し変わった事は、夫婦、兄弟はあの世のご縁だというお話から、曾祖父母、祖父母、父母そして叔父伯母さんは1つのグループとして誰かが命日の時はグループ全員の戒名を読み上げて供養しています。

本尊供という言葉がありご本尊さまを一心に礼拝すればご先祖様も浮かばれるという考えがあります。
この話は、善行を積んでご先祖様ばかりで悪因縁の少ない又はないご先祖様をお持ちの方だろうと思っています。
浮かばれない先祖様がお経を欲しがっている。
お腹が空いているので食べ物のお供えをしなさいというお宗祖様のお話がある以上仏壇のご先祖様にお経を差し上げるのが当然だと解釈しているからです。
勿論お経をあげお供えをすればいいのではなく、お経をあげさせてもらう心、お供えをする心が最も大事だと思っています。
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お宗祖様霊顕祭とご本尊さまご開帳の始まり

弁天さま一筋の母がからの抜粋と私の思いです。

1 宗祖霊顕祭の始まりの記述に出合う。

入信して、霊顕55年祭~75年祭と3回ご本尊さまのお顔を拝観する事になりました。
最初の55年祭は右も左も分からず疑問はなかったのですが、ようやく、10年ごとのご開帳といいながら宗祖霊顕60、70年祭ではなく65、75年祭なのかと思っていました。

その疑問がやっと解けましたので、行事の始まりの項に入れようと「弁天さま一筋の母が」から抜粋しました。
(これは、南河内教区便り平成21年3月15日号に「弁天さまに一筋の母」と題して、1月25日教区集会所で行われた今年初感謝祭の講師笠原一之宗務員の法話が掲載されていましたので、転記しました。弁天さま一筋の母が)からの抜粋です)

更にお宗祖様が平素お詣りに来なくても感謝祭には来なさい。
行事には参加しなさいと言われる理由もよく分かりました。
信者が来るとご本尊さまがよろこんでいますという事は聞いていたのですが、これも何故か分かりませんでした。
そしてお宗祖様は、ご本尊さまに報恩感謝の心でお祈りをしなさいともいわれています。
助けて頂いたと喜んでお詣りする信者の笑顔を喜んでいただけることを知りました。
これは行事参加・朔日詣り・お運び参加・奉仕参加で如意寺の門をくぐると笑顔を絶やさない事ですね。
それだけだはなく往復ともにそうであれば更に喜ばれるのでしょう。
ご本尊さまが如何に喜ばれているか自ら見聞し体験し、その真実を話して頂けるお宗祖様がおられた事に感謝します。
そして、ご本尊さま実在し、お詣りするとご本尊さまが喜ばれる事を知っている信者になれた事を感謝します。

2 ご本尊さまは10年後にもう1回、開帳しなさいと仰った

先週18日の新年祝賀会に出席された方はご存じと思いますが、お宗祖様のお言葉を聞かれていると思います。
宗祖様の昭和34年11月17日如意寺の感謝祭(以前は天啓日=17日でしたが宗祖様が亡くなられてから遷神日=15日に変更されました)でのお話をお聞きいたしました。
ご開帳を天啓(昭和9年4月17日)を受けられてから10年後くらいにされているのです。
その時ご本尊さまは10年後にもう1回、開帳しなさいと仰ったらしいのですね。
しかし、そのご開帳ができず、昭和34年ですので15年ほど経っております。
15年経っておりましたけれど、開帳しなければという事で、宗祖霊顕25年祭が行われました。
それが一番最初の霊顕祭でございます。
その後10年ごとに行っているのですが今年は75年祭を迎えます。
そのお言葉の中で宗祖様はご本尊さまの喜ばれる事についても語っておられます。
ご本尊さまが一番喜ばれるのは、皆さんが笑顔でお詣りされる事なんですということを仰っています。
信仰というものは、ご本尊さまにお願いばかりを聞いてもらうものではなく、ご本尊さまに喜んでもらえる事をする。
それが本当の信仰ですよ。
即ち、ご本尊さまに喜んでいただける事は、1人でも救われる人を増やして行く、お道b息をする。
それが一番喜んで頂ける事やと仰っているのです。
ご本尊さまのお身体はもうかなりボロボロですが、お顔は本当に化粧しているようなきれいなお顔をなさっています。

3 ご丁寧、簡潔明瞭な「弁天宗祭事軌範」の宗祖霊顕祭の記載内容

なお参考に儀式行事の意義と内容と題して弁天宗祭事軌範の記載されてある内容を転記しました。

宗祖霊顕祭は、昭和9年4月17日、大弁才天女尊(ご本尊)が宗祖智辯尊女(宗祖)の授与された天啓を思念し、報恩感謝をささげると共に、さらなる精進を誓って10年ごとに行う儀式行事である。
祭典は、「天啓」の直接のご縁となった大弁才天女尊像をお祀りするご本殿が開扉され、10年に1度奉拝が許される。
第1回の宗祖霊顕祭は、天啓の日から25年目の昭和35年に行う。
以来10年毎に35年祭、45年祭、55年祭、65年祭を行う。

ご本尊さまが10年後にもう1回開帳しなさいとお宗祖様にいわれたという経緯の記載は一切ありません。
これは誠に有り難い事です。

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弁天さま一筋の母が

南河内教区便り平成21年3月15日号に「弁天さまに一筋の母」と題して、1月25日教区集会所で行われた今年初感謝祭の講師笠原一之宗務員の法話が掲載されていましたので、転記しました。
補足しますが、講師の先生は法話のタイトルをもうされる事は殆どありません。
従って、教区便りの広報担当者が編集したタイトルかもしれませんので、タイトルはきにしないでください。

1 弁天さま一筋の母

私は7年前、27才の時に宗務庁の方にお世話になりました。
河内長野教区の信者ですが信仰は祖母の代からずっと引き継いでおります。
母が智辯学園の2期生で同級生に小林先生の奥さんや畑中先生、北口先生、山本先生といった方がいらっしゃいます。
そういったことで私も智辯学園で学ばせて頂きました。
母は毎日のように、姉や祖母と五條に元気に奉仕に行っておりましたが、ちょっと胸が痛いというような事を言いまして清世効を貼っていたら治るからと言っていたのですが、何ヶ月か過ぎたけれども、やはり胸が痛むので近所の掛かり付けのお医者さんに行ったところ、直ぐに大きな病院に行きなさいと言われて、近大病院に行って検査してもらった結果、岩ですよと言われました。
母にはガンといって言いませんでしたので、清世効貼っているし、弁天さんがいてくれてるし、治るよと平気な顔をしていました。
それでもガンという事で先生の話を聞きますと、乳ガンで取りあえず手術をしないといけないと、そのまま入院しまして手術をして頂きました。
何とか手術は成功して、ガン細胞は取れたという事でよかったですねと言われたのですが、初診の時には、手遅れですと言われたくらいだったので、その後もずっとガンの治療を続ました。
抗ガン剤などの副作用で髪の毛が抜けたりしましたが、帽子をかぶったらええんやといって退院後直ぐに帽子をかぶって奉仕に行っていました。
それから通院は月に1・2回と続けていましたので、病院に行っていたのですが、ある時、病院から呼出があって行きましたところ、もう先は長くないですよと言う話が先生からありました。
その秋ぐらいだったのですが、年を越せるかどうか分かりませんと仰ったのです。
これはえらい事やと、父は毎朝五條の如意寺に朝勤めに行くようになり、お百度を踏み家でもお祈をして、教区では教会で皆様にお祈りして頂き、その後ちょっとずつ回復に向かっていたのですけれども、急にしんどいと言いまして、再度入院しました。
父は付きっきりで病院に寝泊まりして看病しましたが、夜に直ぐきて欲しいと電話があり、急いで病院に行きましたところ、母はずっと痛い痛いと言っているだけで、会話のできる状態ではなかったのです。
父はもうダメやというような事を言っているので、私等は何ができるかというと、手を握ってあげる。ご真言を唱える事しかできなかったのです。
その間も呼吸ができなくなり、延命装置を付けて何とか心臓を動かしている状態になり、それから24時間、持ちませんでした。
結局、最後は乳ガンからリンパを通って肺ガンという事でした。
丁度今から10年前で、母は47才の時でした。
未だ若いのに周りから可哀想だという事だったのですが、祖母がポロッと言ったことがあるのです。
母に「あんたよかったな。これからご宗祖さまの側でずっと奉仕できるねんで」。
それを聞きまして祖母がずっとご本尊さまご宗祖さま一筋でやってきた心が分かるのですが、当時はそう言った祖母の気持ちが分かりませんでした。
それでもご宗祖さまの側に行けるのか、じゃ良いのかと思ったのです。
只そう言う事を思いながら心の中で「弁天さんって助けてくれるんと違うの?」という疑問が起こってくるのです。
「信仰したら助かるのと違う?」という気持ちがありました。

2 先祖供養は永久に

祖母は、昭和26年くらいに河内長野の駅前に住んでいたのですが、祖父が遊び回って家に帰ってこないという事があって、近所の方に相談しますと、弁天さんってあるから1度お詣りしてみないかということで、当時十輪寺にお詣りしましたのです。
そこでご神示を頂くわけですが、ご宗祖さまは直ぐ過去帳を持ってきなさいと仰ったので、後日過去帳を持っていきますと、18体に赤丸を付けられ、その内の2体に二重丸を付けられました。
そして、宗祖様は涙を流しながら『可哀想にな、因縁ですよ。赤丸の付いたご先祖さんは成仏していませんよ』といわれたのです。
その言葉を聞きまして、祖母はそれから一生懸命に先祖供養をするようになったのですが、それでも中々祖父は遊びに出て帰ってこない。それは変わらなかったらしいです。
しかし、宗祖様は、それは祖父の意志でやっているのではなく因縁で遊ばれているのですよというような事を仰るのです。
しっかり供養せんとそれは治りませんと仰るのを聞いて、一生懸命、毎日弁当を持って五條に奉仕に行き、お運びも受けていたという事を言っておりました。
当時、運送会社をしていたのですが、その運送会社も事故があって潰れてしまって仕事もどうしょうかという時に「駅前で麻雀屋をしなさい」とお話を頂いて、祖母は麻雀屋を始めるのですが、今度は祖父が博打で負けて、財産も又全部持って行かれたという事で、何も良い方向に向かないというくらい大変だったらしいのです。
それでもコツコツと祖母はお金を貯めて、全部のご先祖様に永代供養をして、それでもお金が足りないので借金をしながら、供養させてもらい、段々よくなっていったという事です。
そうやって、先祖供養を続けてもう50年になりますけれども、今でも一生懸命しております。そうした話しを聞きまして、それで、母を亡くした時も『あんたよかったな。これから宗祖様の側でずっと奉仕ができるねんで』という心が分かったです。
それだけにご本尊さま、ご宗祖さま一筋に信仰してきたから、そういった言葉がでるのやなという事が分かりました。
私も引き継いで来ているのですが、母が生きている時に、母も一生懸命先祖供養や奉仕をしていましたので、ご先祖様がもう成仏されているかと思って、管長様にお聞きした事があるそうです。
普通はそんな事は聞かないらしいですが、どうしても我慢できない、一遍聞きたいをといいまして、言ったらしいのです。
すると管長様は『未(ま)だやな』と仰ったそうです。
何10年かけても未だ成仏してないということを知り、私達も一生懸命に先祖供養を続けていかなければならないと言う事を思いました。

3 ご開帳は10年に1回! 

先週18日の新年祝賀会に出席された方はご存じと思いますが、お宗祖様のお言葉を聞かれていると思います。
宗祖様の昭和34年11月17日如意寺の感謝祭(以前は天啓日=17日でしたが宗祖様が亡くなられてから遷神日=15日に変更されました)でのお話をお聞きいたしました。
ご開帳を天啓(昭和9年4月17日)を受けられてから10年後くらいにされているのです。
その時ご本尊さまは10年後にもう1回が開帳しなさいと仰ったらしいのですね。
しかし、そのご開帳ができず、昭和34年ですので15年ほど経っております。
15年経っておりましたけれど、開帳しなければという事で、宗祖霊顕25年祭が行われました。
それが一番最初の霊顕祭でございます。
その後10年ごとに行っているのですが今年は75年祭を迎えます。
そのお言葉の中で宗祖様はご本尊さまの喜ばれる事についてもか立っておられます。
ご本尊さまが一番喜ばれるのは、皆さんが笑顔でお詣りされる事なんですということを仰っています。
信仰というものは、ご本尊さまにお願いばかりを聞いてもらうものではなく、ご本尊さまに喜んでもらえる事をする。
それが本当の信仰ですよ。
即ち、ご本尊さまに喜んでいただける事は、1人でも救われる人を増やして行く、お道b息をする。
それが一番喜んで頂ける事やと仰っているのです。
ご本尊さまのお身体はもうかなりボロボロですが、お顔は本当に化粧しているようなきれいなお顔をなさっています。
そのご本尊様の拝観できるのが10年に1回のこの4月でございます。
その時は1人でも多くの人をお導きしてお連れいたしまして、ご本尊さまの喜んで頂けるような祭典にしたいなあというように思いますので、これから後3ヵ月しかございませんが、皆様1人でも多くの方をお導きして、ご参拝頂きますようお願いいたいします。

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ご宗祖さまの物語(1)

都島教区便り平成21年3月号に「ご宗祖さまの物語」と題して教区長優谷壽男さんの記事がありました。
お運びで受講した内容より詳しいところがあり、参考になりますので転記させてもらいました。

霊顕75年祭に関してのお話でしょう。
カテゴリーは「講師の回想」に入れます。
優谷教区長はお運び研席の教使でした。
ご宗祖さま物語は、宗祖伝の原稿からのお話ではないかと思い、従って教区便りの記事を転記することにしました。

ご宗祖さまの物語(1)

夜半から降り始めた雨は未明日に近付くに従って、次第に烈しさを増し、瓦屋根に降りそそぐ音には雹か霰が混じるようになった。
その上、遠くあるいは近く、雷の響きが聞こえてきた。
この荒天のもと、元気な女の子が産声を上げた。
やがて夜が明けると共に、雨は弱くなり、昼前には日が照る好天に変わった。
青空の中、天では小鳥が鳴き、庭では花が一斉に咲き、まるで天地が喜びを表現しているような昼下がりになった。
明治42年4月1日吉野郡飯貝の里の事である。
母親であるすえには鮮明な記憶として刻み込まれていた。
お言葉集成第2集、第6集に後年語った言葉としてこのように記されている。
「雨が降り雹まで降った悪天候だった」と。
丁度33才の大厄の歳だったすえは、親を困らせる子だと思った。
一方お言葉集成第5集には「家の庭の草花が一斉に開いた不思議な日だった」とも思い出話として語られている。
一見矛盾するような思い出話だが、この季節にはよくある春の嵐と呼ばれる現象で、多分寒冷前線が通過したのであろう。
吉野川の清流のほとりで生まれたこの女の子に、両親は願いをもめて「清子」と名付けた。
飯貝の吉井家長女清子の父は吉井重吉、母はすえであった。
この夫婦には明治40年に長男勳が授かっていた。
しかし産後の肥立ちが悪く、すえは、信貴山の毘沙門天にお籠もりをした事があった。
帰宅してから清子が宿ったのであった。
それ故に、「毘沙門の申し子」と周りから言われていたし、すえも信じていた。
飯貝の里は吉野山の麓にあり、伊勢東海方面から吉野金峰山寺、そして大峰山に昇る修験者の街道筋であった。
吉井家は代々「うをや重兵衛」を名乗り、筆・墨・紙を扱う商家であり、吉野大峰山参詣者のお土産物も扱っていた。
この飯貝には室町時代末期(1470年頃)に訪れた蓮如上人によって創建された御坊本善寺があり、吉井家は代々檀家総代を勤めてきた熱心な一向宗門徒(浄土真宗)である。
すえの生家は、御所市戸毛の井戸川家、農家ではあるが格式が高く、武家と縁組みをした事もあった。
宗旨は浄土宗である。奈良時代中期(750年頃)苦衆救済のために諸国を巡っていた行基菩薩によって掘られた井戸を守る家として代々勤めていた。
すえの母きくの生家は天川村の堀口家で、清子の又従兄弟にあたる堀口芳男が後の頼もしい片腕となるのである。
吉野川の清流、1200年もの間、農民を養ってきた井戸の水、弁才天の聖地天川村、これらと不思議な縁でつながった清子であった。(終わり)
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お運び席の再開について

1 何度でも受講できるお運びコース再開

3月20日彼岸法要で、奈良県五條市如意寺の出かけました。
久しぶりお運びを受講しました。
2回終わっていますので、受講カードはありません。
私は誰が2回でいいと決めたのかと以前にも疑問を呈しました。

お運びを受講していますと、教使の方が茨木(大阪茨木市冥應寺)で2回のお運び受講が終わって、お導きをしないと正規のお運びが受講できないので、聴講生として受講していたことが問題として取り上げられ、検討の結果、今年の4月から、何度でもお運びができるように制度を改正したというお話がありました。
(24回で終席式参加する)

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故梅木先生回想録93

御所教会の機関紙「幸真」昭和21年3月1日号から頂きました。
故梅木弁雄様回想録
お宗祖様のお話では、故梅木先生は弁天さまがお前に2人の弟子を与えてやると言われ、与えられたお弟子さんの1人です。
故梅木先生回想録92からの続きです。
回想録80に戻ります。

若い頃から青雲の志を立て、変転きわまりない道を歩んできた。
最初は身を立てる志で出発したが社会科学を学ぶに及び、個人の幸福は個人お集まりである社会全体の幸福達成がなければならないと考え、人間と社会を愛し続けて色々な仕事を手がけてきた。
だが、いずれもその目的を達する事ができず、しかも今、思いもよらぬ罪を犯し、その裁きを受ける身となり果てたのだ。
これが人を愛し、社会を愛し続けてきた私の身の果てなのか。
寂寥の思いが私を襲った。
こんな数日を送ったある日、組合の理事長と物価庁の事務官が訪れた。
「いよいよ告訴の宣言がきたか」
来るべきものがきたと観念した。座を改めて対面した。
「実は局長と相談した結果、これはあなたの責任ではないという事になりました。
あなたはいろいろな困難な徴収について、業者のとりまとめに奔走していただき徴収もスムーズに進んでいたのです。
ただ不心得な一部の業者が納付を怠ったため、あなたが組合の経費を流用されたので、責任は滞納者にあるのです。
今後は理事長を打ち合わせて、残額を徴収して組合を整備してもらう事になりましたので、あなたに何も責任のない事をお知らせにまいりました。
なお、局長からの伝言ですが、1日も早く健康を回復して、再び国家社会のため、新しい時代の指導者として活躍してくださる事をお待ちしていますという事です」
と付け加えた。
事務官の話をジッと聞いていた私は、胸の中に熱いものがこみ上げてきた。
「ありがとう」
あとは、感激にふるえて言葉が出なかった。
「ありがとうございます」
思わず口の中で唱えた。
それは目の前の事務官や理事長へではない。
熱いまぶたの中に浮かんできた弁天さま、尊女のお顔に対してだった。
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梅の古木に生えた猿の腰掛を見つけた。

梅の古木に生えている猿の腰掛を見つけました。
越前照子さんお宗祖様のお示しになった民間治療法の中にある治療薬です。狭心症では単に猿の腰掛と記載され、子宮ガンでは、梅寄性{粉吹き猿の腰掛け(コフキサルノコシカケ)(ネットで調べたらやなぎ堂薬局にありました)}と記載されています。
どんな色をしているかと探していました。裏返すと粉が吹いていますので大分古いものでしょう。

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以下はその病名と治療薬名です。
5 狭心症
紅梅の古木にできる猿の腰掛を1cm角位に削って煎じて飲むと良い
14 子宮ガン
申の年に漬けた紅梅の梅干し3粒と棕櫚(しゅろ)の箒の棕櫚を長さ10cm、小指の太さに束ねて、梅寄性(梅の木に出来た猿の腰掛)少々(1グラムくらい、ほんのひとかけら、小指の先位の量でよい)を土鍋で煎じて飲む

上記の病名・薬は、越前照子さんのお薬等おまじないシリーズ NO2から抜粋してあります。

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節分と観音経のお話

御所教会の平成21年3月1日発行の「幸真」の教会長梅木祥邦さんのお経に関する話が載っていました。
観音経に興味がありますので、収集しました。

1 記事の内容

本日は感謝祭にようこそお詣り下さいました。
節分のお話がありましたが、
節分の由来は、2月3日は旧暦で12月31日にあたり、豆をまいて自分の邪気を祓い、自分の心を浄め、新し心になって新年を迎えるという意味なのです。

そしてお経の事ですが、宗祖様は「観音経は、観音様がお働きになる有り難いお経です。
祈願の時も観音経をあげてから心経をあげなさい」と仰っています。
私達御所教会も感謝祭には必ず観音経と心経をあげさせて頂くのはそういう事なのです。
経本を見ながらお経を上がると、邪念が入らず一心不乱にあげる事ができます。1字1句、間違ってもご本尊さまに申し訳がありません。

また礼拝経には、教えが一杯書かれていますので、礼拝経を自分達の生活で実践すれば必ず幸せにさせていただけるのです。
どうぞ宗祖霊顕75年祭にはご本尊さまの御心にそって、1つ心でお詣りそしてくださいますようにお願いいたします。

2 経文を読むということについての私の疑問と解釈

管長様も同じ事を言われます。なるほど邪念が入らないのでしょう。
そうだと思うのです。
では大般若経ですかね。600巻ですか。あまり多いのでパラパラと経本を扇のように広げて、何か唱えた後パンと経本を経机の上に置き読んだ事にする行事があります。
つぎに弁天宗でも感謝祭各種行事の時に参列してお坊さんは大弁才天女尊礼拝経の経本を手にしていません。
皆さん暗記です。経本を持たずにお勤めをしています。これはお話に反しています。
お宗祖様は般若心経を唱えると無心になり、弁天さまとお話ができたと現管長様からも聞きました。
お宗祖様は般若心経の経本を持ってよまれたのでしょうか?
お宗祖様が経本を読みなさいといったのでしょうか?

私達が、読経により邪念が入らず一心にお経をあげてご本尊さまと交信できるのでしょうか?

物事には色んなケースがありケースバイケースでしょう。
私は言葉が足らないと思います。
「私達は、お宗祖様のようにお経をあげる事でご本尊さまと交信できないが、努めて礼拝経は暗記し、心も無にして一心にあげましょうね。
観音経は暗記できません。長いので暗記していると思って間違いますね。
ですから経本の文字を眼で追い、口で経文を唱え一心になりましょうね。
無心になることはご本尊さまに通じる事ですよ。
感謝祭では観音経を大きな声で読経しましょう」
ではないかと思うのです。

最後に付け加えますが、経文は間違わないに越した事はありません。
しかし、15分~25分の礼拝経でさえ途中でうとうとして、中断します
「一言一句間違ってはご本尊さまに申し訳ないと私は思って唱えています」ではないかと思うのです。
間違ったら最初から皆さんとは別にお経をあげ直すのでしょうか?
そういう事はありません。皆さんにあわせて続けます。
間違ってはいけないという命令ではないと思います。
信仰は上からの強制ではなく、切磋琢磨され自主的に信仰を深めて行くものであり。全員が同じ信仰心では無いはずです。
ですから「できればこうしてください」というお願いではないかと思うのです。

そして弁天さまへの感謝祭に、観音様のお働きを示した観音経を何故あげるのかも足らないと思います。

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観音経等お経の話のカテゴリーについて

私は、現在の大乗仏教の経典はお釈迦様の話された経文ではなく、後世の方がお釈迦様の名を借りて作成したものであると思っています。

大乗仏教の経典の全部とはいいませんが、弁天宗のお宗祖様智辯尊女さまに弁天さまが天啓されましたように、神様仏様が特定の方に天啓され、その特定の方が神様仏様のお告げを又はお働きを、信者の教えるためにお釈迦様の名を借りて書かれたのが大乗仏教の経文の中にあるだろうと思っています。

小乗仏教のように修行して成仏できる方はお釈迦様の教えが始まってお釈迦様だけです。
(お宗祖様は弘法大師が霊として高野山に今でも元気でおられると仰っています。よく分かりませんが、弘法大師も成仏したのかもしれません)
弁天さまが苦衆を救う方法としてお宗祖様に天啓されました。
神様仏様は、現世で人間として誕生した私達人間は、真理を見る力を封印されて、目の前の事象に迷わされ、勝手に右往左往する哀れな人間を救いたい。
真理を教えて正しい道を歩ませたい。
等の思いから、救われたいものは我に縋れ、我の教えを実行せよ。
必ず幸せになれると呼びかけてくださっているのが、神様仏様であると、お宗祖様の存在とみ教えでそう思うようになりました。

大乗仏教的祈れば救われる。縋れば救ってくださる神様仏様がおられる事をお宗祖様を通して知りました。
観音経の教える世界は、真実であると思っています。

しかし、輪廻転生が無くなったお釈迦様のようになれるかと申しますとお宗祖様な人間は生まれ変わり輪廻転生するといわれているようです。
因縁解脱の道、善根功徳行の道を生まれ変わっては歩まなければならないようです。

従って、観音経の世界のように観音様に縋れば、一時的には救ってもらえますが、真に救われるためにお宗祖様のお示しになった五行のお諭し、水の章やお宗祖様のみ教え実践して、少しずつ輪廻転生のない世界への階段を上がるのが現実の姿のようです。

このような考えで、先ず観音経というか弁天宗で使用するお経の世界を知るために、体験談やお話を通して観音経等のお経を勉強したいと思い、「観音経等お経の話」というカテゴリーを設けました。
今まで、お経に関するつぶやきや法話もこのカテゴリーにあると思えば移動する事にします。
盂蘭盆会経についても投稿しましたが、事実ではないおかしいと思うお経についても、経典の歴史を学ぶためにこのカテゴリーに入れたいと思います。
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礼拝経の1節に「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」に関しての支部感謝祭での法話 M講師

1 弁才天女尊を供養し

それはこうだと思います。礼拝経の1節に「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」とあります。
弁才天女尊を供養しとありますが、弁天さんを供養するとはどんなことか判りますか。
供養には色々な解釈がありますが、一口で言いますとお供え物をしてお経を上げることを言います。
ところがこの感謝祭の祭壇果物お菓子等お供えしてありますが、神様が一番喜ばれるのはお給仕する方の心のお供えです。
弁天さんに一番最初に初水を供え、お宗祖さま・ご先祖様にはお茶を供えて、お花の水も替え、お経を上げて、ご飯をいただいていますか。
これをせにゃやアカンのですよ。
お花の水の腐ったのもだめですよ。
そして祭壇・仏壇は、最小限月に1度は中のものを出してお掃除してください。
ご本尊様、お宗祖さま、ご先祖様はきれいなところで住まっていただくのも心のお供えです。
感謝祭に行っても祭壇に指で字を書ける埃があるところもあります。
ここは、きれいにしてありますので話します。
汚い祭壇のところでは皮肉に聞こえるのでこの話はしません。
たとえばこうおっしゃる方がたまにいます。
今日忙しくてなあ、主人が仕事に、子供を学校に出してそれから独りでゆっくりご飯を食べ、それから弁天さんに水お茶ご飯を供えをしてお勤めをしますといわれます。
これは供養にならないと思ってください。忙しければ30分早く起きてください。
この感謝祭でもお参りさせていただこうと思う方と誰それ支部長さんがうるさくいわれるので、テレビで◎◎をみようと思ったがちょっとお参りさせてもらおうという方とは大分違うと思ってください。
こういう方が、あの人はお陰をもらい私にはないという方です。お陰が遠いのです。
お運びも行かせてもらおうと思い参加される方と、牛に引かれて善光寺参り的お運び参加も同じです。
心のお供えが一番供養になると思うておいてください。

2 礼拝の功徳を積むは

これをしたら功徳になる、功徳はこうして積むのやといいますが私は、色々あります。
すべて話していては時間がありません。これも一口でゆうたらこうではないかと思います。
神仏が喜んでくださる良いことをさせてもらうのが功徳であると思っています。
神や仏が喜んでもらうにはどうしたらよいのでしょうか。
それは自分より先に神や仏を考えなアカンと言うことでしょう。
これが先祖供養でもおじいちゃんおばあちゃんという代わりに戒名を読むのですね。
いつまでも俗名で呼んだり、2~3年お骨を家にもっている方がいますが、悪いとは言いませんが、その仏様はこの世から離れにくいだそうです。
仏の世界である彼岸に行けないということになります。
高野山に「長者の万灯、貧者の一灯」というのがあります。
弘法大師がいらっしゃるときに、道の両脇に灯籠をみんなが寄進しました。
当時の灯籠はお皿に油を入れた灯明ですね。
大きな灯明を寄進されたときに、あるおばあちゃんが貧しいので、小さいのでもあげたいと思って、一生懸命願って日常生活の食べ物の金も節約して、小さな灯明を寄進されたそうです。小さいですが心のこもった灯明です。
お金の価値は人によって違います。
宝石商など高額の商品を扱う方は、金銭の額が高額で100万円200万円はものの数ではないのですね。
金銭感覚が麻痺しているからですから自動車に多額の現金を置き忘れ取られた話がニュースになりますね。
私は5万円でもでもしっかり抱いて車に残すようなことをしません。これと同じです。
どうしても弘法大師に灯明を上げたいと苦労され寄進したそうです。
そしてある時祭典があり道の両脇に灯明がかかげられました。
弘法大師が出てこられたときに、風が吹き、ほとんどの大きな灯明の火が消えましたが、小さな灯明のみは心がこもっているので消えずに残ったとそうです。
これは心のこもったものがどれだけありがたいかを教えているのです。
功徳のあり方を教えているのです。
いかに心をこめるというか、こもるというかこのことを良く覚えておいてほしいのです。
供養でもなんでもさせてもらおうという気持ちでするのといい加減な気持ちでするのとは、大分、神仏の受け取り方が違っているということを教えているのが、「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」という経文です。
お経を上げるときに皆さん方でも何か思い浮かべることがあるでしょう。
お経のある程度の意味を覚えてもらうと心が横を向かないのではないかなあと思います。
お運びの礼拝経を聞いてすべて覚えなくても、こういうことやなと覚えてもらいますと心が横を向かないのではないでしょうか。

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