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寝間着で祈るご宗祖さまをご本尊さまが叱る

都島教区便り平成20年11月号より転記
教区長優谷壽男様の記事です。

「祈りは心が通じさえすれば、それでよい」といったような言葉をよく耳にしますが、そうではないのです。
祈りに限らず「行」というものは身口意が一致した正しい行いでなければ、ご本尊さまに通じないのです。
身行について、ご宗祖さまでさえご本尊さまのお叱りを受けたという話があります。
ある日、ご神示でお疲れが出て、38度の熱が出たことがありました。
明くる日もご神示があります。縋ってくる信者のことを考えると、その夜の内に何とか1度でも熱を下げねばなりません。

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故梅木先生回想録89

御所教会の機関紙幸真昭和20年11月1日号から頂きました。

梅木先生の回想録88からの続きです。
回想録80に戻ります。

1人は、掖上駅から通っていた栗山和子さんで結婚して間もなかったのだろうが、若いご主人が胃病かなにかで悩んでおられたようで、その病気平癒祈願のためのお百度を踏みに詣っていたようだ。
「若い方なのに感心だな」と思っていた。
今1人は、高田の方で、瀬川さんといったが、これも若い奥さんだったが、赤ちゃんが小児麻痺の病気でお百度祈願をされていたようだ。
汽車で出合ったり、十輪寺で出合う内に、若いお2人の熱心な信仰に、心動かされて話しを交わすようになった。
2週間を過ぎた頃、私の足腰の痛みは、ますますひどくなって、五條駅から十輪寺までの道を1時間もかかるようになった。
お百度も70回になり、50回になり、30回になっていった。
お百度の行は100回回らねばと、心あせるが、足も体も痛みのためにどうしてもそれ以上動かなくなった。
「お願いのためのお百度が、何故踏めないのだろう。お百度の行が足腰の故障で踏めないのは、私の願いがいけないからだろうか」
20回踏んで、もう一歩も歩けなくなった。
私は、お百度石の後ろの釣り鐘堂の下に腰掛けて、ジッと本堂を見上げていた。
何時しか両頬に涙が落ちた。
「今度の願いはお受け取り頂けないのだろうか」そう思うとまたと涙が溢れた。
ようやく家に帰って奥の部屋で、体を横たえているといつの間にか寝ていた。
ふと気がつくと、広い広い境内の入口に立っていた。これは十輪寺の姿ではなかった。
広々とした境内。
そして一面に砂利が敷き詰められえていて、美しく掃き浄められていた。
正面の奥に大きなやしろ風の拝殿が建っていた。
(正面の大きな拝殿がありその奥にお社が建っていたの間違いではないでしょうか)
今思うと後に立った大和本部の姿だったと思い当たるが、当時は大和本部の姿は影も形もない頃のことである。
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お加持の姿勢

七五三祭の左が如意寺、右が冥応寺のお加持の姿勢です。
これでいいのだでしょうね。考えさせられます。
お加持といって鈴を頭の上で振りながら無病息災悪事災難除け等のご祈願事項を念じます。

如意寺と冥応寺でそれぞれの七五三祭でご祈祷に来た子供さんの頭に鈴を振る見るお加持を見ることができました。
如意寺では中腰で鈴を振るだけの動作です。

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私の先祖様へのお勤めパート2

先祖に関するお宗祖様のお諭しを投稿しましたが、日々のお言葉2「先祖を粗末にしてはなりません」の締めとして、私のご先祖様へのお勤めを紹介します。
五行のお諭しを実行すること、小さな善根功徳行も必要ですが、ここでは朝夕の先祖供養のお経が主体です。

以前ご先祖様へのお勤めについて「
私のご先祖様へのお勤め (パート1)」を書きましたが、それからまた変更しました。
パート2の方がすっきりしていると思っています。

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先祖に関するお宗祖様のお諭し

先祖を粗末にしてはなりませんという日々のお言葉から、粗末という言葉以外でお宗祖様は先祖の大切さ、そして供養の仕方を諭されていますので、全部ではありませんがブログで収集したお話の中からまとめました。

1 先祖を大事にする人が好き
2 先祖を、親を、目上を大切にする。感謝する
3 先祖の恩を知って敬え
⑴ 祖先と50回忌法要
⑵ 系図がなくとも皆一様に優劣新古の差別のない祖先を持つ
⑶ 私達の最初の祖先は仏
⑷ 仏事法要は祖先が仏果を得るため
⑸ 祖先は私達であり、私達が祖先
4 先祖供養の御利益と先祖供養のお経
⑴ 仏の回向(でご利益を頂く)
⑵ 恐ろしい両親の因縁
⑶ ご神示を聞かない人、辯天さまが救えない人
⑷ 先祖供養のお経

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日々のお言葉2 「先祖を粗末にしてはなりません」
(20年11月15日感謝祭での宗務総長の日々のお言葉2の話)

ようこそお詣り下さいました。七五三祭があり遅れまして申し訳ありません。
本当に月日の経つのは早いものでございまして、11月の半ば、今年も残すところ1ヵ月半となったわけでございます。

えー終わりよければすべて良しと申しますので、どうぞ一つ皆様方、今年しっかり信心お祈りをしながら、1日1日を大切に過ごして参りたい。
皆様方どうぞ、同じようになさって下さいますように、お願いしたいと思うわけでございます。

それでは、今月宗祖さまから頂戴いたしましたお言葉がございますので、少し私が思いますところ、お話しをさせて頂こうと思います。
今月は2番目のお言葉で、「先祖を粗末にしてはなりません」というお言葉です。
ご先祖様についてのお言葉です。
このお言葉は2番目です。
1番目は「まごころがすべてです。幸せはまごころから生まれます」
まずもって大切にするのはご先祖である。

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日々のお言葉2 タイムトンネルの件
「先祖を粗末にしてはなりません」に関するタイムトンネルと先祖の話

1 茨木教区の解説(タイムトンネルと先祖)

以前次のような作り話を聞いたことがあります。
ある人物がろくでもない先祖がいるために自分は苦労しているのだと考え、
その先祖を過去から消そうとタイムトンネルを抜けて過去に行きました。
そしてその先祖が生まれないようにしてホッとして、さあ、自分が現世に戻ろうとしたら戻れない。
その先祖がいないから自分は生まれないと知らされます。
寄って現世に戻れず、その人の存在すら亡くなるという怖いお話です。
※この後も続きますがこれで省略します。

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逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。
昭和35年8月17日お運び会場に来られた宗祖様のお諭しですから抜粋したお宗祖様のお諭しです

2 逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。
3 救われる方と救われない方

2 逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。

最初にお話しいたしましたように、台風がやってくるというのは、これは大変です。
大きな災難があるのか、逃れるのか、本当に台風だって上陸しなければいい。
これが皆さんの気持ちだと思います。折角苦労しまして作りました農作物も、すべてのものが、悲惨なことになるのですから、本当の恐ろしいことです。そればかりではありません。
全国どんなにこれで嘆いている人があるかと思いますと、本当に、私も片時も忘れずこの台風については祈っています。
それより、一生通じて私たちにやってきます因縁の台風はどうなるのでしょう。
これは、台風のように時期になりやってくることもありますが、因縁はどこでも何時でもあるだけの因縁が皆様の心にやってきます。
うっかりしていますとその催促を受けなければなりません。逃れることがどうしてもできないのです。
逃れられない性分に生まれたのだとあきらめたらそれでしまいですけれど。
逃れられない性分でも逃れることができるのです。
できるのは何ででしょうか。
まず、自分の心を作ることです。何も思わずに考えたこと、何も思わずに迷ったこと、ウカウカとして苦しみ、自覚なしに大きな罪を作っている。
そして、過去の因縁を解く努力をしているはずなのに、何となしにその日に新しい因縁を作って行く、こんな恐ろしいことはないと私は思います。
要するに100人に5人くらいは、ほとんどどうしょうもないように私には、見える因縁の人があります。恐ろしいなという人があります。
昨日もどなたに導かれたのですかときくとこういう方に導いてもらったといった人を、どうして助けて上げようかしら、どんなにして救われるかしらと悩みます。

3 救われる方と救われない方

けれども、素直に受けとれる人には、御神示で私の前に坐られているときの目つきが違います。
けれども、一生懸命に御神示して上げ、同じように話をしていても、その気持ちが他所に逸れて行く人がいます。
そして信じられないような返事をする人もあります。
そういう人はきっとお参りもこれきりで終わってしまいます。またほかにお参りになります。
ほかに行ってもやっぱりそういう人は満足できません。
そうですから最期にはしょうもないとこに足を突っ込んで、にっちもさっちもゆかなくなり、迷ってしまいます。それは絶対救われないということです。
信仰が9年もかかりますと自分の心に、どこに行っても一緒だということが分かり、心一つで弁天さまにおすがりしなけれならないという信念ができますね。
私は、他の神様と比較して、他所の神様有り難くない、弁天さまだけありがたいのやとは申し上げません。
しかし、ひとたび弁天さまにご縁といただいたことは、それは大きなお陰をいただいたのだと自分の心で分かれば、絶対迷わないんです。
ある方が、弁天さまからほか宗教に代わられているのが私の耳に入ります。
ある方はこんなお陰ももらった。あんなお陰もいただいておられるのにと私には判りますので、心の中では思います。
けれども何かわけがあってそういう風になられたのだろう、折りがあったら出合ってお話しをして上げようと思っているうちにピッタリとお出あいできました。
それとなしに、気持ちを聞いてみますと、ここに参ったら宗務員や信者さんのどなたかがどうこう言うた。そんで私はほかの宗教に替えましたと言われました。
聞いてみるとお運びも1回終わっているのにその気持ちが磨いてないのか、なるほど、理由がある。
こちらが悪るかったんだろうなと思いました。弁天さんの所属の支部長とどんな意見になろうとも、また宗務員とどんなことがあろうとも、それらは神様のしてることではないのです。
また自分のことでもないんでしょう。1日1日は違いますね。
また人間はその顔が違うように心も考え方も違っていらっしゃるのですから、意見の衝突もあるでしょう。
あっても、その衝突を弁天さまの信仰にまで持って行く、それは信仰して得た自分の徳をご和算にすることになるのです。
そして、ご宗祖にはもったいないのだけれどと言ってほかにいってらっしゃる。
しかし、この頃になりましたら、だんだん不幸で、御神示を受けたいことが起こっても、自分が来とうてもここに来られません。
ここは敷居が高うて来られませんと良く言っておられる方をちょいちょい聞きます。
お運びまで受けて、こんなに心が成長した。あんなに不幸な人がこんなにお陰をいただいていたのです。
私は本当に馬鹿な人やなと思います。どんなにさとしていいのかと悩みます。
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救われたのは一時的治癒です。完治するためには

9 救われたのは病気の因縁の一時的な治癒です。完治するためにはしっかり因縁解きを

昭和35年8月17日の感謝祭でのお宗祖様のお諭しから抜粋した因縁解きのお宗祖様のお諭しです。

茨木で言ったのですけれど、全部が全部どんな事情を持っていてもみんな救われるのだったら、つかえてつかえて、この世の中人間が増えてどうにもなりません。
誰も寿命の限りで終わっていきます。次々と生まれて元いたところに帰えることになっているのです。ですから全部が生きて行くということはむりでしょ。
私、拝んでいて痛切に感じますことは、命がなけりゃ救われない人が救われたり、もう奇跡ですね。膵臓ガンでもうダメやという人を茨木でずっと拝んでました。
今電話がかかってきて「膵臓ガンの人が続けてお薬飲んでいいでしょうか」とお尋ねになった。頼ってくるものをほっておけないのです。
ダメなはずなのです。私も心の中であきらめているのです。
けれども祈らなかったら心残りです。「弁天さま何とか救って上げてください。きっとこの人にかかる因縁は、後で信仰して頂くことにして救うて欲しい」とお祈りをします。
聞き届けてくださったのか非常によい方に向かいました。寝間で座れるようになりました。
昨日の紀州のKさんという方です。粉河の支部に入って、大分信仰したおられた。その方が膀胱ガンです。なんか手術をせにゃならん。
私には、お医者さんの指示通り手術させなければ悪い。
神様は手術したら死ぬと言われる。手術したら死ぬ。手術しなくても弁天さまのお陰をもらわなかったら死ぬことになる。
私は、本当にもだえ苦しみます。どうしょうかしら。けれども切ることは、私はさせとうない。
切るなと言われへん、切ったら死ぬと言われたことがものすごく私の心に覆い被さってきます。それですから待ってください。「5日待ってください。1週間待ってください」と手術日を延ばして行きます。
そうして、過日おいでると「待ってよかった。待ってよろしゅうございました。お陰で食欲も進んでくるし、熱も下がるし。お陰でよくなってきました。やっぱりガンなんでしょうか」と質問されます。それはお医者さんがいわれたことですから違いないのでしょ。
しかし、弁天さまからダメよと言われたので切らないでみたら、10人が10人よくなったらいいのでしょうから、その病気のことは余り詳しく言わんときましょう。「立派なお医者さんに見て頂いて、それは違うとは言えません。無事に助けられたらそれでいいんでしょから」といって帰ってもらいました。
そんなので、まことに毎日不思議な人を拝んできます。ところが、お祈りをして上げて、そしてその人に出合うと不思議に「ご宗祖さん良くしてもらった」と言われます。
そうするとお祈りというものは結構なものだな。そして皆さんには言うに言われない大きな災難でこの人が苦しんでいるとしたら、まずお祈りでこれを払いのけて頂いているということなる。

ここで皆さんにお願いしたいのは、それで救われたのではありませんよ。
一応、弁天さまは、皆さんを本当に救うてくださる。皆さんの代理になってくださるのですけれど、その後、勝手な信仰をしていたら、大きな災難がまたやってましります。
また病気の後戻りをします。そのように油断できないのが、この病気になる因縁なんです。
弁天さまは決して罰を当てたり、折角救った病気を後戻りさせないのですよ。
皆さん各人が持っているその因縁と運命がそうゆう風にさせるのです。病人が幾ら拝んでも、良くないときには、弁天さんの手だてはありません。

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人間として生まれてくる理由

人は悪因縁があるから因縁解きのために生まれてきた

何故人間は産まれてくるのか、産まれてきた人間の使命は何かについてのお宗祖さまの言葉があります。
お運び参加から抜粋しました。

人間の使命は自らの悪因縁解きと言われましたが、就職した会社職場の仕事を通じて社会に尽くす、家庭内で主人親に子供に尽くす、また社会地域の奉仕活動で世のため社会のために尽くすことが因縁解きになるのではと思いました。
またお運びには話の上手下手があり、不満に対するお宗祖様のお諭しもおりますが、言葉のムチですという厳しいご指導があったことは初めて聞きました。

1 因縁による人間の誕生と使命

お宗祖様は、人間は(悪)因縁があるからこの世に産まれてきた。
そして悪因縁をほどくために産まれてきたのです。
悪因縁を一生かけて消すのです。
弁天宗の信仰は、命の源に帰って悪因縁を消すのです。
自分の身の回りに起きてくる嫌なこと苦しいこと嫌いなことは悪因縁により生じてきた出来事です。
それを信仰の試練、行として受けとめるて文句を言わず我慢することが悪因縁を消すことになるのですと仰いました。

2 お運びは言葉のムチ、逆らうな!

お宗祖様は、人間は因縁の化石。神を信じてお運びを受けて頂く。
お運びは神様から頂く言葉のムチです。(お運びでの話は)お返しします。
そんなこと言われても出来ませんではだめです。
(お運びでのお話しに対して)そうでございました。
私の考えは間違っていました。
お話しの通りさせて頂きますでなければいけない。
お運びでの言葉のムチに反論・反対せずに全部受け入れないさいと仰った。
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