カテゴリ:私のつぶやき( 12 )

何のために信仰しているのについてのつぶやき
追伸を書き加えました。

本宗の弁天様について述べられた意見は私と違いますので、私見をつぶやきます。

何のために信仰しているの その2 の中にあります「5 本宗の弁天様は」の中で記載されています。

『弁天様は全国に居られますが、私達の弁天様は余所の弁天様と違いは4つあります。
水の章のテキストの1番前に書いてあるのですが、
1つは、起源が違う。私達の弁天様は宇宙が出来た時からいらっしゃる。
2つ目は、ご誓願が違う、あらゆることをお聞き届けになるのが私達の弁才天女尊である。
3つ目は、教理がある。水の心を心とせよと教えの体系がある。
4つ目は、お働きが違う。ご本尊の弁才天様は一生懸命お働きいただいている。
ご宗祖様も働いていただいている。
15童子さまも働いているというお働きが他の弁天様とは違います。
私は竹生島に行って、1信者としたら、もう一つ違いがあるやろうと思います。
宗団として、ご宗祖様ありきですから、わざわざそれをお伺いしませんけれど、1信者としましては重大な事で私は5つの違いと思っています。
昔若い時に読んだ本で1つだけ誰が書いた事で、どういう趣旨か忘れましたが、宗教の事を書いておられまして「宗教の耐用年数、数千年」と書いてあるのを見た覚えがあります。
で、何やろうと思いながら千年単位で盛んになったり衰えたりすると書いてあって、ちょっと驚きました。』
についてです。

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あけましておめでとうございます。

新聞や教区便りに載った法話を転載して記録しているブログです。
しかも、世界一のお宗祖さま智辯尊女様が創成された新興宗教でのお宗祖さまのお力を少しでも残したいブログでもあります。

教師・講師の法話・講話の内容が信仰の目的・信仰の手段方法について各人ばらばらです。
あの話がいいのかこの話がいいのか選択に困る場があります。

先生のよっては漫談家で面白おかしく話として笑いを取りますが何も残らないのではなく、
エ!それはおかしいよ。それでいいのという不信感がわいてきます。
例えばお宗祖さまは皆さんに、いつも話しかけられていのです。
お宗祖さま話の周波数に皆さんの受信機の周波数を合わせて、お宗祖さまのお声を聞いてください。
皆さまが周波数を合わせるとお宗祖さまのお声が聞けるのですと言った方に会い、
お宗祖さまのお声を聞かれますと質問しました。
聞こえないそうです。お宗祖さまの夢も見ないそうです。
口でいうことと実践の大違いに、エエ!!と驚きました。
往々にして弁がたち、漫談的お話ができる。
その命題にテーマに沿ったお話ができる。
実は話だけで、実践が伴っていない方があるのですよ。

ある先生は朴訥というか変わり映えのしない話をなさりますが、この頃は先生の人物に惚れてきだしました。
考えが素直なのです。
飾りがなく、誰でも素直に応対してします穏やかな雰囲気を持たれている方がいます。
この先生の話を聞くと、自然似顔がほころんでくるのです。
ずしんと話の内容が心に残りませんが、講話を終わって安らぎを得るというか、なんとなく心安らぐ気がします。

さらに別の先生だは、よく勉強しておられるな。有り難いな。導いてくださるのだなといった先生の人間性に引かれ、話に夢中にさせられる先生。
ああいい話を聞いた。お運びに参加してよかったなと思う先生には頭が下がります。

家族に言わせると私のつぶやきを不平不満と取るようですが、私のつぶやきは疑問点なのです。
疑問の解消をお宗祖さまなら「はい、こうです」とご回答されるでしょうが、法話講話の疑問点は、我々凡人にとっては「万機公論に決すべし」でなくては、衆人の理解は得られないと思うのです。
創価学会が末端の組織で討議・討論会というか喧々諤々の話し合いをやり、考え方の統一見解を出しているようです。
しかし、この方式は真宗の中興の祖蓮如上人がお文(信仰上の諸問題に対する上人の見解)と各市町村の末寺または組織に配って、端末は蓮如上人の文書の内容をああでもないこうでもないと話し合い信仰の思想統一をしたようです。
私はその必要性があると思います。
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年末清掃まこと行に参加して

今年も清掃まこと行に参加しましたが、気付いたことをつぶやきます。

同じ場所で奉仕した方々で、一部の方は雑談のお喋りをしながら草刈り(草抜き)作業をしています。
但し、信仰談義・お蔭話はお導きに通じるものであり、ご本尊さま・お宗祖さまの徳をたたえることになりますので、大いに話してよいと思います。
雑談・おしゃべりは往々にして自慢話や笑い話になりますので、信仰信心とは無縁の話です。
その心には、真心はないと思います。
お運び研席のまこと行の時もそのような方が多かったですが、黙って奉仕すればよいのに、ご真言。ご宝号を唱えて奉仕すればよいのにと思っていました。

今回ふと気がついたのです。
年末清掃等宗の本部で奉仕作業に参加した時はまこと行という行なのではないかと思いました。

奉仕の前後では、
まこと行始めの言葉
「私たちはこれから、ご本尊さまの御用をさせていただきます。お互い誠心誠意、真心の奉仕をお誓いいたします」
まこと行終りの言葉
「只今無事、ご本尊さまの御用を終えさせていただきました。ありがとうございました」
と唱和します。
お喋りをしながら、奉仕作業をすることが誠心誠意、真心の奉仕になるのでしょうか。

日々のお言葉(信者訓戒)27には「形だけの信心ではいけません。身とことばと心の3つを整えましょう」というお宗祖さま教えがあります。
聖地でのまこと行には、身口意の3つを整えることのできる行であると思いました。
以前から、聖地に入りますとオンソラソバテイエイソワカ・南無智辯尊女と唱えています。
浄水場で手を洗う時、ローソク線香をお供えする時、歩いている時、観音経にあります欲瞋痴(貪瞋痴)を取っていただくには常念恭敬、常応心念であると書いてあります。

以前にも書きましたが、作家で元浄土宗知恩院はの宗務総長でお寺の住職をやっておられる寺内大吉さんは1日に1万回の南無阿弥陀仏を唱えるようにしており、そのために1日中、念仏しているそうです。
お宗祖さまもご神示やお勤め等以外の私的な時は常にご真言を唱えられていたようです。

私は奉仕作業等はまこと行だと思い、奉仕しながらご真言・ご宝号を唱えました。
聖地に居ながら、常念恭敬常応心念できないのはかわいそうにと思います。
少しでもご本尊さまに悪因縁を浄化していただく。
幸せな楽しい生活を送る。
次の世ではさらに幸せな魂の世界で過ごせる等という考えに及ばない方々だろうと思いました。
これでは素晴らしいご本尊さま、世界一のお宗祖さまを信心しているという心がないのでしょう。

これも以前の話ですが、お運び席の講師が、朝夕お勤めをしているのはこの中(約100人)で5人くらいでしょうといわれました。
私はとんでもないもっと大勢の信者がお勤めをしていると思ったのですが、清掃まこと行に参加して、お喋りさんを見ますと、講師の言われる話は本当だなと思いました。

常念恭敬、常応心念により、日々のお祈りや聖地でのお祈りがご本尊さま・お宗祖さまに通じ、万一の時には助けていただける信者になれるのではないかと思うのです。
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信者ですが辯天宗の信者数を知りません。
したがって、弁天宗の公称信者数が載っていましたので、転記しました。

534 新新宗教批判(1) からの転記です。

534 新新宗教批判(1)
宗教は花盛り
2006年6月25日(土)


 「現代日本の宗教社会学」(井上順孝編 世界思想社 2001年刊)は新宗教に ついて次のように述べている。
 「新宗教」という言い方は最近ようやく定着してきたが、一般には、「新興宗 教」という言い方のほうが通りがよい。
実際問題として、意味の違いはさほど 大きくはないが、若干のニュアンスの差がある。
マスコミ・ジヤーナリズムで は、新興宗教という表現のほうが一般的である。
この場合、「新興宗教」は、 「既成の宗教に比べてやや価値的に低い宗教」という意味合いが込められること がある。
次々に出現する新しい運動を、もっぱらその新奇さに注目して扱って きた、という経緯が関係している。
 これに対し、研究者は概して「新宗教」という言い方をするようになってき ている。
新宗教という、近代以降に出現した新しいタイプの宗教を学術的な対 象として扱っていこうというのが、その場合の基本的立場である。
したがって、 どのような運動・教団が新宗教といえるかについても、おおよその了解がある。
では、どのような運動・教団が新宗教に含められているのであろうか。
<表1>に 掲げたのは、組織の大きな新宗教、あるいは注目されることの多い新宗教であ る。
これらは、数ある新宗教のうちのごく一部にすぎない。『新宗教事典』に は、300余りの新宗教教団がリスト・アップされているが、これもある程度研 究がなされつつある教団の数であり、存在さえほとんと知られていない運動や 教団がまだ数多くある。

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私たちのご本尊さまは姿形があるのかないのか
項目
1 姿形がないという宗務総長のお話
(ご本尊さまは姿・形なきお方)
2 姿形はあるという管長様のお話
3 本当の彫刻・陶芸家
4 お宗祖様の拝まれた大辯才天女尊像
5 見える聞こえる方の意見に従い、尊重すべきだ(私見)

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5月25日お運び礼拝経の法話を聞いて
(編集項目:ブログ者)
1 礼拝経法話の中のお勤め
2 礼拝経の中身の考え方
3 三礼についての考え方
4 法話のワープロ化

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手元供養というのがあるようです。

故人の遺骨を小さなオブジェ(清水焼きの地蔵等)の内部に下から挿入できる金属製の小さな骨壺にいれて部屋に飾ること「手元供養」という言葉で宣伝しているHPがありました。
12cmのお地蔵さんの他に写真オブジェ(ミニ額縁風)、ミニ骨壺、ペンダントなどがあります。ペンダントは身につけますが、その他は机等の置物のようです。

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小竹講師の法話から

「お言葉65:いくらいわれても分からない者は、いつか思い知らさせる」に関する小竹講師の法話を読んで思ったこと

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信条と手水舎の水

散歩先の小さい神社の手水鉢には、竹の簀の子を張って、落葉が入らないようになっています。
その上に野良猫が飛び上がり手水鉢の水を飲んでいました。
それ以来、別の手水鉢も含め、病気が怖くて手水鉢の水は手洗いばかりに使い、口ゆすぎには水道の蛇口の水しか使いません。
ある日、始めて合う方が私に挨拶を交わし、杓子で水をすくい口をゆすいでいましたので、ここは野良猫が手水鉢の水を飲みますので口ゆすぎはしない方がいいですよと言いますと、ああそうですか有り難うございますといいながら、再び杓子で手水鉢の水をすくい口をゆすいだのには驚きました。
どうも余計なことを言ったようです。
そう言えばお参りする大和本部や御廟でも、私は中に落葉が沈んでいても手水鉢の水をすくって口をすすぎますが、多くの方は龍の口から流れる水を受けて口をすすがれます。
イワシの頭も信心からと言うように、各人には弁天様から見ると間違っていても、自己が正しいと思う信条や好みの我がありますので、いらないことを言ってしまったなと後悔しました。

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叱ったように見えた

私には、婦人部総裁さんが2番目に体験談をしたご婦人をキツイ目で睨むようにして「懺悔が足らない」としかり、お宗祖様のご神示を聞かない信者の話、遷神祭参加を確認し、行事参加を指導されたように見えました。
一言つぶやきたいのですが………

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