カテゴリ:信心・信仰について( 6 )

お運び水の章の法話から抜粋しました。

五行のお諭しの中でのもっと大事なお諭しは不平不満を思わずと言うことであるというお話しでした。

先祖の閼伽又は閼伽水(あかみず){(梵)arghaの音写。価値の意。功徳水(くどくすい)と訳す}を頂いて現在の自分があると言われています。(そうだそうです。)

お宗祖様は、人間は(悪)因縁があるからこの世に産まれてきた。
そして悪因縁をほどくために産まれてきたのです。
悪因縁を一生かけて消すのです。

弁天宗の信仰は、命の源に帰って悪因縁を消すのです。
自分の身の回りに起きてくる嫌なこと苦しいこと嫌いなことは悪因縁により生じてきた出来事です。
それを信仰の試練、行として受けとめて文句を言わず我慢することが悪因縁を消すことになるのですと仰いました。
悪因縁を受け入れず遮断することは悪因縁を含む上からの大きな命の流れを否定することです。
自分の心に不平不満を持って祈り・縋ることは、弁天様には通じません。
従って不平不満を心の隅に持っていては弁天宗の信仰ではないのです。
懺悔→感謝→忍耐=受容が(不平不満の解消=)喜び(幸せ)への道筋です。

お宗祖様は、
人間は因縁の化石。
神を信じてお運びを受けて頂く。
お運びは神様から頂く言葉のムチです。
(お運びでの話は)お返しします。そんなこと言われても出来ませんではだめです。
(お運びでのお話しに対して)そうでございました。私の考えは間違っていました。
お話しの通りさせて頂きますでなければいけない。
お運びでの言葉のムチに反論・反対せずに全部受け入れないさい
と仰った。

(五行のお諭し)
1 真心を常に忘るべからず。
2 慈悲愍みの心を養うべし
3 善根功徳の行を積むべし
4 感謝のまことを捧ぐべし
5 不平不満を思うべからず

真心はあるけど不平不満もあるというその真心は実は存在しないのです。
慈悲憐れもの心を持ち人に優しく思いやりがあるがいつも不平不満を心の隅に持っているのは慈悲愍みの心を養ってもいないし、育ててもいないのです。
人のため世のために善行をしているけどあれは何もしないあいつはダメだと心の思うまた不平不満を口に出す方は善根をしていることにならない。
有り難うございますと相手に感謝の言葉を吐くが、有り難いことはない、目障りだ。
邪魔だと相手に社会に不満を持っていることは本当の感謝はではないのです。

不平不満を思わずの対策として、心の思うことも間違いであるが、心の思ったとしたら、口に出さないことです。
口出さないように真言100反唱える。
それでも不平不満が心にあれば更に100反、200反………と唱える。
ご真言は心を変える不思議な力を持っています。

困ったことがあれば又は月々ご祈願し、星祭りもする。
新年、春秋の護摩祈願にも参加し、お百度も踏む、お加持もするが1度でも不平不満を口に出すとすべてがパーになる。
弁天様に聞いて貰えない。
自分は祈願したお百度を踏んだつもりでも元の木阿弥で弁天様からお陰を助けて頂けない。
不平不満の心を持ってお陰は頂けないのです。
自分の不平不満の心を口に出したことを反省懺悔し、不平不満の心を無くして自分の足らないところを弁天様にたすけて頂くという心構えが必要です。
お宗祖様は人間は因縁という首輪をはめて、宿命という鎖に繋がれている。
そして腹の中には貪瞋癡の3つの毒虫を飼っている。
その3匹の毒虫は不平不満という排泄物を腹に貯めている。
その排泄物が3年5年と貯まってくると苦労、災難、失敗、悩みごとといった悪業に変わる。
米が熟して味噌や醤油に別なものに変わるようにことを異熟といいます。
相手に対する不平不満が溜まり貯まって、今度は自分の災難、苦労、悩みとなって現れるのです。
不平不満を想わずと言う閂を外すと信仰で築きあげた現世来世で幸せになるための功徳が全部パーになっていますのです。
身体は衰えますが心は成長し続けるのです。
心を成長させるためにはありのままをありのままの姿で受け入れるのです。
この姿勢がこの継続が、この世に想いを残さず満足してせぬ境地に導いてくれるのです。

水のお諭しそのままの存在は私達の身体です。
草木の葉が落葉しますが、葉の付け根の細胞にアポトーシスという遺伝子があり秋冬になるとその遺伝子は別命なく自分の意志で葉っぱへの栄養素の補給をストップし、葉っぱを散らすのです。
私達の五臓六腑は何ら不平不満を言うことなく日夜働き、誰から指示されることなく黙々とその使命を実行し、人間という生き物を維持し支えているのです。
自分の任務を忠実に実行していますがそれが水のお諭しの実行です。
等といった法話がありました
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おるおばあさんの因縁

19年礼拝経8講の中で聞きました因縁と因縁を悟るそして善根功徳を積む必要があることのお話です

2) 因縁

その他に良く「因縁」ということをいわれています。私達は、色んな事が起きてきます。良いことも起きてきますが悪いことも起きてきます。
それが必ず原因があてそうなているのやとお宗祖様は仰っています。原因があるから苦しいことがあるのや。原因の結果でそうなるのだ。ですから、身口意によって因縁の原因を作ることもできるし、因縁を解く功徳を積むこともできる。
私達は、どうして功徳を積むかということになります。

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私の信仰についての考え方

前に投稿したお宗祖さまのお諭し 『真実の祈りをする人は最後に勝利する』に関してつぶやいたものです。

まだまだ信仰ついては分かりません。
今までの信仰体験で言える私の考えです。
弁天宗の教理の解釈では、小竹小善さん水の章の教えが一番理解しやすく実践できる教えであると思います。
私のお運び法話の水の章をご覧ください。

支部の感謝祭に参加して、信仰が大事だとお宗祖さまがいわれた。
子供のころおばあちゃん(母親かもしれません)に連れられ祠や神社の神仏に手を合わせていた。
大阪の空襲で焼夷弾を浴び、助からないと言われたが五条に出かけお宗祖さまに助けてくださいとお願いした。
あなたは子供のころ神仏に手を合わせたので弁天様が助けてあげると仰っていますと言われ九死一生を得られた。
その方は大阪で支部を作り教区長になられています。
講師の信仰が大事ですというお宗祖さまの言葉のたとえ話として話されました。
しかし、何が信仰か理解に苦しみました。

母親や祖母の言われるがままに手を合わせることですが信仰でしょうか。
私はその方に神仏を信じる、敬う心が備わっており、よい信者になると弁天様がお見通しになられたから御助けになられたと思うのです。
子供の信仰では、お宗祖さまの集会でのお諭として収録してあります。
おばあさんが、弁天様は偉い神さまだから、マンマンちゃんと手を合せて拝むのよと教えます。
子供は、さっき転んでけがをしたけどそんな偉い神さまだったら何故僕がけがをしないように助けてくれないのといわれ、ああ言えばこう言う手に負えないとおばあさんが言ったそうです。
この話をお宗祖さまが聞いて、弁天様は助けて下さいという人しか助けませんと言われています。
誤字脱字があり12月19日一部修正しました。

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これでいいのか、ある支部の現状

お運びに参加した妻が、隣に座った方から、どんな信仰をしていますかと相談を受けたようです。
今回、昼間のお運びにこっそり参加しました。
何時もは、お運び受講の姿を支部の方に見られたくないので夜間のお運びに参加しています。
支部の皆さまは、お宗祖さまがなくなってから、弁天さんの力はなくなった。
助けてもらえないと真剣に信仰する気持ちが無くなったようです。
実は支部では弁天さんのお運びに行ったり、行事に参加すると変な眼で見られるのです。
支部も教区も今までの惰性で、運営されているだけで、信仰を信心を深める活動はしていません。
ですから弁天様のお蔭について話すこともなく、よその神様に見てもらいに行っているようです(困ったことがるとお尋ねすることができる拝み屋さんでしょう)
もっと弁天様の奉仕や活動に参加したいのですができません。
ということでした。

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趣味の信仰について

ある教区便りに、趣味の信仰というお宗祖さまの言葉がありました。
私も、Aさんは本当の信仰をしているのではなく、見栄のため、自分の主観というか趣味のために信仰しているということがいえるのではないかと以前思っていました。
それで、趣味の信仰が載っていた教区便りの記事の主要部分を転写します。

以前お宗祖さまは「ほとんどの人は趣味の信仰です。本当の信仰ではない。本当の信仰になりなさい」と仰っていました。
では本当の信仰とはないでしょう。あっちの信仰、こっちの信仰とふらふらとさまようのではなく「一つ心」で一生懸命信仰することがまことの信仰です。
今日帰り道にこけたとします。
さて、「感謝祭にお詣りしたのにこけた。もう2度と行かない」と思わずに、どのようなことがあっても試練ととらえて「行」に励む、それが本当の信仰なのです。
今日、いろいろと良い話を聞かせていただきましたが、よかったなで終わるのではなく、聞かせていただいた試練を、自分の身に照らし合わせて、実践し、どうぞ善根を積んでいただきたいと思います。

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父を恨んだ子供の話について
教使の法話感謝の心NO4で、神奈川先生の父を恨んで利き腕が動かなくなった話がありますが、私の記憶と異なりますので補足させて頂きます。
私は神奈川先生だった知りません。父親を恨みお百度で利き腕が動くようになった方というのが私の記憶です

1 父を恨んだ方の家庭事情

私は名前は知りませんが、私が入信した時は、お運びで何度も聞かされた話です。
和歌山県下の方です。紀ノ川沿いかもしてません。戦前からのお話です。
お父さんは国家公務員で出先機関の長をなさっていたそうです。
大阪か兵庫の出先機関に転属し、その時奥さんと男の子供さん2人と残して、愛人と赴任したそうです。
残された奥さんと子供さん2人は生活に悲惨で苦労されたのではないでしょうか。
長男はぐれてやくざの世界に入ったと聞いております。
主人公は次男の方(以下先生と称します)です。
お母さんの苦労を見て長男さんと違い生活支援のために、そして手に職を付けるために大工さんお見習いになったと聞いております。
戦争に行かれましたが無事帰還し、結婚してこれから大工の技術を生かして、これかkら稼ごうとした頃から利き腕の右手が動かなくなり、仕事ができないので途方に暮れていたところ、弁天さんを紹介され十輪寺にご神示を受けに行かれます。
そして、お宗祖様に父親を恨んでいる。それが原因で腕が動かなくなったと諭されるのです。
先生は、母親と子供2人をほったらかして自分は愛人と悠々と暮らした父親です。
残された長男は、将来を悲観してやくざへの世界へ入った兄を作ったのは父です。
生活に苦労する母親を見て、父親に対する憎しみは深いものがあったようです。
お宗祖様に父を恨んではいけないと諭されても、普通の人は、父親を恨んだ因縁の恐ろしさを知りませんから、納得できません。
当たり前の事だと思います。

2 父親を憎んで追い出した息子は、今度は自分の子に殺されかかる親子喧嘩の悪因縁を作った。

ある息子が、父親と喧嘩して、父親を追い出しました。
追い出された父親は、行く当てもなく他人の布施を受けて生活する四国88箇所巡りの途中、行き倒れて死亡します。
ある息子が結婚して子供ができました。出来のよい子だったそうですが、青年になってから家庭暴力で親子喧嘩がたえず。いつ子供に殺されるかと恐ろしくなり、十輪寺のご神示を受けに行きます。
そこでお宗祖様からあなたは父親を追い出した。そして父親は路頭に迷い行き倒れ、88箇所の某お寺で遺骨を保管し供養している。
息子は小さい頃は力も弱く父親のいう事を聞いたが、体力が付き父の反抗できるようになったので反攻しだしたがそれはあなたの父親の恨みから息子があなたを殺そうとする。
父親はあなたを殺したいほど憎んでいると教えられます。
そして、父親の遺骨を引き取り、しっかり供養しなさいといわれます。
初めて父の死んだ事、死に様をしらされ、反省してお寺に遺骨を取りに行き、年忌法要をお願いし、更に自宅での法要を続けたようです。(弁天さまのお塔婆供養だと思います)
すると息子が病気になり、最後には亡くなったそうです。
お宗祖様は辯天さまがあなたの息子の生命を預かったのです。2人の供養を懺悔してしっかりやりなさいというお諭しをされたと言う話も聞いています。
父親を恨む事は大変な悪因縁をつくるようです。
お宗祖様が先生に最悪の父でも恨むなと教えたのはこのような恐ろしい因縁による家族の災難を目撃しておられるからだと思います。
このような宗教家、仏教の指導者がいますでしょうか。
お宗祖様は凄い力があり、真に人の幸せのために現れたお方だと思っています。
またお宗祖様のお話には、家庭内での同じ災難が続く、障害を持った子が生まれるなど、人倫にもとる行いをして子孫が苦労する恐ろしい話は尽きません。
親子の家族の殺し合いの記事を見ますといつもこの事例を思い出します。この事例はお運びで聞いたお話でお宗祖様のお言葉集成には載っていません。
(この話は再掲です。)

3 先生の100日日参と懺悔のお百度踏み

お宗祖様は、腕を治してらいたいなら先生に100日日参と懺悔のお百度踏みをして父やに対する恨みを無くしなさいといわれたようです。
私は恨みを忘れるためには感謝が必要だと思います。
多分、母子を捨てた父親でも自分が生まれた事を感謝しなさい。それができたら腕が動きますといわれたのではないかと思います。
恨みと感謝は表裏一体ではないでしょうか。
恨みをなくしなさいといわれても気にしない、考えない様にしてもなくした事にはならないのではないでしょうか。難しいですね。
私は相手に感謝し続ける。感謝の言葉を吐き続けることが恨みを無くす事ではないかと思います。
この点についての先生のお話について解説はありません。
先生は、岩城教師のお話のように99日目になっても腕が動かないので、日参を辞めようと奥さんに話されますが、奥さんはお宗祖様のご神示を頂いているのでまだ1日有る。腕が治るかもしれない。100日頑張りなさいといわれたように聞いています。
先生は、100日目の日参をしてお百度を踏んでいる最中、足にまつわりついた新聞紙を反射的に動かない腕で取り外して、自分の腕が動く事に気づかれたと聞いています。
何気なしに新聞紙を掴むということは、既に無心になって弁天さまにお縋りをされていたのでしょう。
父親への恨みをどうして解消したかよく聞いておりませんが、100日日参最後の日で、更に最後のお百度踏みで知らず知らずのうちに無心になって、心の片隅にあった父への恨みが亡くなったのではないでしょうか?
更に私は、お宗祖様は如意寺というか弁天さまの霊地にはいると弁天さまの霊気が皆様の身体の中を吹き抜けている(浄めている)といわれていますので、霊地においてお百度踏みや祈る信者の心の隅に残る恨みや欲、自己中心的な心、悪因縁を作り出す煩悩の元を含め弁天さまが浄化してくださっているのだと思います。

4 腕が治った先生の弁天さまへのご恩返し

私はこの先生は、自分お陰に感謝しその話を周囲の方に話して、病気の方・困った方。悩んでいる方を十輪寺に連れて行きお宗祖様のご神示を受けさせ、信者を増やし支部長になられと聞いています。
そして、お宗祖様にあなたの体験談を全国の信者に話して、信者を救ってくださいといわれ、全国のお運び会場や支部教区の感謝祭に講師として訪れ、体験談をして回ってと聞いています。
この先生のお話は何周か忘れましたが、お言葉集成にも書かれていたと思います。
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