カテゴリ:私の観音経等お経について( 16 )

般若心経について

071224今年最後のお運びから抜粋

般若心経では、ああだこうだ話しましたが、般若心経全体が呪文で更に小呪文として羯諦羯諦波羅僧………心経があります。
ともに神や仏に通じる心を無心にすることができる不思議な力を持つ呪文です。
ですから心経文の意味解釈を考えることなく無心にお唱え下さいとお話がありました。
私は、大辯才天礼拝経では観音経を唱えるところがありますが、観音経を唱えるのは観音様即辯天様だから辯天様の御徳を讃える観音経には納得していました。
しかし、般若心経があることが最初不思議で、疑問に思い、納得が行かなかったのです。
そこで考えたのが、お宗祖様は般若心経を唱えると無心になり辯天様とお話ができる。
声が聞こえるといわれています。
空の理論であるとかいう経文の意味解釈のお話しより、祈祷師や霊能者が般若心経を唱えるの見聞きし、経文を唱える事により無心になり神に通じる手段のお経ではないかと思うようになりました。
講師から般若心経全体が呪文だといわれ、やはりそうかと思いました。
ここに到達するのに長い時間がかかりました。

お宗祖様が大辯才天禮拜經を作られた(19年11月の感謝祭で大辯才天女尊典礼拝経は、お宗祖さまが日夜苦労して構成されやっとできたお経で、印刷屋に頼んだ折、できあがった経本に感激し、お宗祖様が印刷屋に出した原稿を返して貰うの忘れ、残してないが、残って居れば宗の宝になったのに残念ですと述懐されました)時に、きっと般若心経を最小限3回唱えると心が無心になり辯天様とお話ができるから3回にされたのだろうなと思っていました。
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弁才天に関するお経の資料 その2
弁才天 (参考資料 天部の仏像事典 錦織亮介)その2

宝塚市にあります真言三宝宗清荒神清澄寺の参道にある経本販売店でかった金光明最勝王経 大辯才天経の末尾に記載されていた、筆者の資料です。
私はよく分析されている資料だと思います。
弁天様を信仰するものは本資料を一読する価値があると思いましす。

4 信仰
5 弁才天の縁日
6 弁才(財)天概観 参考文献 大法輪選書 図解寺院めぐり必携

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弁才天 (参考資料 天部の仏像事典 錦織亮介)その1
宝塚市にあります真言三宝宗清荒神清澄寺の参道にある経本販売店でかった金光明最勝王経 大辯才天経の末尾に記載されていた、筆者の資料です。
私はよく分析されている資料だと思います。
弁天様を信仰するものは本資料を一読する価値があると思いましす。
鎌倉時代以降、日本で弁才天の偽経が作成されています。
これには驚かされました。

1  成立
2  形像
3  偽経の弁(辯)才天五経の形像等

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9月26日 宗祖伝12講田口祥行講師の講話からの抜粋です。
秋のお彼岸にちなんでのお話ですが、今日15日は奈良県五條市如意寺でお盆の法要がある日です。
観音経等お経の話のカテゴリーに入れるお話として、投稿しました。

私たち弁天宗は、お経の本を読んだ知識の上をゆく教えのある宗団だと私は思っています。
霊が見えないのに習得した知識で霊はいないとか、経本で得た知識であの世とはこうだというお坊さんはいません。
お宗祖さまがこう仰ったから本当です。
信じて一生懸命信仰しましょう。
何も見えない我々は、見える方のお話を信じるしかないのです。
信ずればこの世に魂を残して信者を導く、お宗祖さまが見捨てられるはずはありません。
きっと救って、導いてくださると私は思っています。


1 彼岸法要でのお宗祖様のお話

何度も何度も私は申し上げているのですが、ご宗祖さまのこの彼岸法要の後でのお話です。
あなた方には見えませんが、私にはよく見えるんです。
あなた方の前や後ろにあなた方のご先祖様が喜んで来て、一緒にお唱えをしていますよ。
だからお経はゆっくりとハッキリとみんなに分かるように上げてください。
この中(祖霊殿)に入れない霊は境内に一杯います。
また食堂の隣りに道が有りますがその道のところまで、霊が溢れていらっしゃいます。
名前を呼ばれた霊は大きい声でハイと返事をして、前に出てきていますよ。

2 お彼岸の観音経(お経)は本尊供

お経を唱えますが、あのお経はほとんどが本尊供でございます。
本尊供と言いますのは、私達を導いてくださる私達ではご本尊さま辯天様とご宗祖智辯尊女様のお徳をたたえるために、讃徳するためにみんなで一緒に唱えるのです。
ああしてください。こうしてくださいお願いをするために唱えるのではありません。
素晴らしいご本尊さまご宗祖さまのお徳をたたえさせて貰うために唱えるのです。
ですから亡くなったご先祖様もこの日を指折り数えて首を長くして待って、ここに集まってくるわけなのです。
そのことを心の止めて頂いて、ご先祖様のためのお経を信者のみんなと一緒に上げたらいいのやというような簡単ことでなしに、そういうことで今日はご先祖様と一緒にあげさせて貰おうということで、しっかりご本尊さまご宗祖さまに聞いて頂かなければいけないのだと言う思いをしっかり持って頂いて、お経を共にお唱えしたいと思います。
一緒に観音経を上げまして、何千何万巻の観音経を上げさせて頂くわけですが、その中では慈悲の菩薩の仏様のお力が説かれています。
辯天様には8観音様がついておられると言う話しもありますようにご本尊さまには沢山のお徳があります。
観音経を上げさせて貰うことは取りも直さずご本尊さまのお徳をたたえることでございますので、どうぞ経本を開いて頂いてしっかり、ハッキリとお唱え頂きたいと思います。

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弁天さまと観音さまの関係NO2

弁天さまと観音さまの関係NO1 の「観音経の講義を聞く心構え」なる資料に合わせて頂いた資料です。

根本式で8臂を8観音と言いましたので、根本式の該当箇所の経文の抜き書き。
そして、各観音さまのお力の説明です。

原則的に、講義者の前提は、参考にした経本は、お釈迦様が講話されたもので、真実であると理解して講義されているようです。
私は、大乗仏教典は、すべて後の大乗仏教の僧侶(又は経本作者)による創作経本でるという立場を取っています。

そして金光明最勝王経よりと注書きしていますが8臂と8観音の関係を記述した「根本式」なる日本人的用語の経本が、NO1で述べたように、「金光明最勝王経の経文」の中にはありません。
無い経文をあるかの如く講義するのですから、間違いの上塗りだと私は思います。

各観音さまですが、大悲大聖観世音はすべての変化観世音の総元で本体でありますとのべています。
准胝観世音は准胝仏母とか七倶胝仏母ともいうといい。
千手観音は正法明如来の化身である。
不空羂索観音の本体は阿弥陀如来である。
などと述べています。

8観音さまの個別経本の解釈の寄せ集めであり、理路整然としたお話ではありません。
創作でしょうが、この観世音菩薩はこういう話があるのかという知識を得るためには、よかったと思っています。

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弁天さまと観音さまの関係NO1

弁天宗で信仰していて、なぜ以前大祭では観音経をあげていたのか。
大護摩祈願(壇護摩)で観音経をあげるのか。
が疑問でした。
たまたま先輩信者様から「観音経の講義を聞く心構え」なる資料を頂き、長年の胸のつかえが取れました。
記載内容について、私が、納得できないところは注意書きの「*1」とつけ、私の見解を末尾に付記しました。
この「観音経の講義を聞く心構え(未完)」なる文章に出合えたことは、観音経に関する私の考えの手助けを得て、非常によかったと思います。

しかしながら、この作者は、知識不足、調査不足のためか。
私もそうでしょうが、物知りが間違った知識に溺れて勝手なことを書いているところがなきにしもあらずと私は思います。


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偽経についてNO1

以前、宗務員が教区の感謝祭で話した盂蘭盆会経について
盂蘭盆会経の内容は真実か?
で私的な見解を述べました。
しかし、インターネットで経本を検索していましたらフリー百科事典『ウィキペディア』の
偽経 というページを発見しました。

1 同ページからの抜粋転記
(沿革)
それに寄りますと、偽経あるいは疑経とは、中国に置いて、漢訳された仏教経典を分類し、研究する際に、インド又は中央アジアの源典から翻訳されたものでなく、中国人が漢語で撰述したり、あるいは長大な漢訳経典から抄出して創った経典に対して用いられた、歴史的用語である。中国撰述経典という用語で表現される場合もあるが、同義語である。

(議論)
「現在日本のある宗派の所依の経典、つまり根本聖典が、偽経(疑経)であるから、当該宗派の立場は、仏教の異端である」とする別の宗派からの非難がなされることがある。
しかし、富永仲基(江戸時代の大阪の町人学者、合理主義の立場に立ち儒教、仏教、神道を批判した)や村上専精(真宗大谷派のお寺に生ま東本願寺の教師学校を卒業、現駒澤大学の講師、現東洋大学の講師兼学生として哲学を学ぶ、旧東大の講師を経て旧東大インド哲学科の初代教授、旧東大名誉教授、大谷大学学長を歴任している。1901年仏教統一論を著し、大乗非仏説を提起し、大反響を呼び、一時大谷派の僧籍を離れた。近代的な仏教研究と教育体制の整備に努められた)の大乗非仏説を引き合いに出すまでもなく、仏教典と呼ばれるものが、釈迦の教説をそのまま伝えているものでないことは、経典研究の結果、あきらかである。
つまり、真経と偽経(疑経)の相違は、インド又は中央アジアで撰せられたか、中国において撰せられたかの相違に過ぎない。
以前は真経と偽経を区別することより、成立の事情を明らかにした方が仏教研究に資するという考えに立っている。

最近発表された偽経の説としては、『般若心経』が中国撰述であるという説がある。米国のジャン・ナティエは、鳩摩羅什訳「摩訶般若波羅蜜経」等に基づき玄奘が
『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット語に訳したという説を1992年に発表している。

(偽経一覧)

老子化胡経(西晋の王浮作とされる偽経)
梵綱経(5世紀頃中国の大乗仏教の偽経)
延命十句観音経
菩薩瓔珞本業経
盂蘭盆会経(ウラボンエキョウ)
父母恩重経
十王経
無量義経

2 お坊さんの如是我聞の解釈

私は浄土系の宗派ですが、月参りのお坊さんに、
お釈迦様の教えは小乗仏教ですから、これこれというお経は真実でしょうか。
私にはお坊さんの創作だとしか思えないのです。
小乗仏教を説いて、神さま仏さまのことを1度も述べられたことのないお釈迦様がなぜ仏さまのことを説明するのでしょうと尋ねますと

何々さんまだそんなことをいっているのですか。
お経の中にお釈迦様から聞いたと『如是我聞』と書いてあるではないですかと返事が返ってきました。

この坊さんは大学を卒業後、お坊さんが好きで仏教系大学のお坊さん過程を経て、信徒を抱えるお寺のお抱えというのか住職が不在の時に代理をやられる坊さんでした。(今は寺持ちの住職さんに成られています)

仏教典の作成年月日、小乗仏教と大乗仏教に違いが分かれば、理解可能であると思います。
不勉強というか臭いものには蓋をして知らない顔する。
坊さんの言うことが正しいと高飛車に怒鳴る。
嘘というか、小説家のような作家の創作経典の内容を真実として平成の世になっても信者に言いくるめるお坊さんが本当に人の魂を、救えるのでしょうか。
アマチュアでプロではない。
葬式・法事の経をあげても、死者も生者も救えない素人坊主ではないかと思います。
この様な方が多いのではないでしょうか。

最後に付け加えますが、偽経は偽経として、事実を説明し、このような考え方もありますが判断は、信者の皆さんでしてくださいという立場が必要だと思います。
お宗祖様はこれについてはこう仰っていますと付け加えるべきだろうと思います。

偽経ではないかという新説のある「般若心経」をお宗祖様は唱える事により無心に成られ、弁天さまと会話されています。
偽経であれ、神さまとお話しできる境地に到達できるお経であれば、私たちは真剣に読経する価値があると思います。
心を神さまの領域に近づけることができる1手段だからです。
偽経といって使わない、排斥するという態度では、お宗祖様にあやかりできれば弁天さまのお声が聞きたい。
少なくともお宗祖様のお声が聴きたと思っても声を聞ける方法まで排斥することになり、間違っていると思います。
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節分と観音経のお話

御所教会の平成21年3月1日発行の「幸真」の教会長梅木祥邦さんのお経に関する話が載っていました。
観音経に興味がありますので、収集しました。

1 記事の内容

本日は感謝祭にようこそお詣り下さいました。
節分のお話がありましたが、
節分の由来は、2月3日は旧暦で12月31日にあたり、豆をまいて自分の邪気を祓い、自分の心を浄め、新し心になって新年を迎えるという意味なのです。

そしてお経の事ですが、宗祖様は「観音経は、観音様がお働きになる有り難いお経です。
祈願の時も観音経をあげてから心経をあげなさい」と仰っています。
私達御所教会も感謝祭には必ず観音経と心経をあげさせて頂くのはそういう事なのです。
経本を見ながらお経を上がると、邪念が入らず一心不乱にあげる事ができます。1字1句、間違ってもご本尊さまに申し訳がありません。

また礼拝経には、教えが一杯書かれていますので、礼拝経を自分達の生活で実践すれば必ず幸せにさせていただけるのです。
どうぞ宗祖霊顕75年祭にはご本尊さまの御心にそって、1つ心でお詣りそしてくださいますようにお願いいたします。

2 経文を読むということについての私の疑問と解釈

管長様も同じ事を言われます。なるほど邪念が入らないのでしょう。
そうだと思うのです。
では大般若経ですかね。600巻ですか。あまり多いのでパラパラと経本を扇のように広げて、何か唱えた後パンと経本を経机の上に置き読んだ事にする行事があります。
つぎに弁天宗でも感謝祭各種行事の時に参列してお坊さんは大弁才天女尊礼拝経の経本を手にしていません。
皆さん暗記です。経本を持たずにお勤めをしています。これはお話に反しています。
お宗祖様は般若心経を唱えると無心になり、弁天さまとお話ができたと現管長様からも聞きました。
お宗祖様は般若心経の経本を持ってよまれたのでしょうか?
お宗祖様が経本を読みなさいといったのでしょうか?

私達が、読経により邪念が入らず一心にお経をあげてご本尊さまと交信できるのでしょうか?

物事には色んなケースがありケースバイケースでしょう。
私は言葉が足らないと思います。
「私達は、お宗祖様のようにお経をあげる事でご本尊さまと交信できないが、努めて礼拝経は暗記し、心も無にして一心にあげましょうね。
観音経は暗記できません。長いので暗記していると思って間違いますね。
ですから経本の文字を眼で追い、口で経文を唱え一心になりましょうね。
無心になることはご本尊さまに通じる事ですよ。
感謝祭では観音経を大きな声で読経しましょう」
ではないかと思うのです。

最後に付け加えますが、経文は間違わないに越した事はありません。
しかし、15分~25分の礼拝経でさえ途中でうとうとして、中断します
「一言一句間違ってはご本尊さまに申し訳ないと私は思って唱えています」ではないかと思うのです。
間違ったら最初から皆さんとは別にお経をあげ直すのでしょうか?
そういう事はありません。皆さんにあわせて続けます。
間違ってはいけないという命令ではないと思います。
信仰は上からの強制ではなく、切磋琢磨され自主的に信仰を深めて行くものであり。全員が同じ信仰心では無いはずです。
ですから「できればこうしてください」というお願いではないかと思うのです。

そして弁天さまへの感謝祭に、観音様のお働きを示した観音経を何故あげるのかも足らないと思います。

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観音経等お経の話のカテゴリーについて

私は、現在の大乗仏教の経典はお釈迦様の話された経文ではなく、後世の方がお釈迦様の名を借りて作成したものであると思っています。

大乗仏教の経典の全部とはいいませんが、弁天宗のお宗祖様智辯尊女さまに弁天さまが天啓されましたように、神様仏様が特定の方に天啓され、その特定の方が神様仏様のお告げを又はお働きを、信者の教えるためにお釈迦様の名を借りて書かれたのが大乗仏教の経文の中にあるだろうと思っています。

小乗仏教のように修行して成仏できる方はお釈迦様の教えが始まってお釈迦様だけです。
(お宗祖様は弘法大師が霊として高野山に今でも元気でおられると仰っています。よく分かりませんが、弘法大師も成仏したのかもしれません)
弁天さまが苦衆を救う方法としてお宗祖様に天啓されました。
神様仏様は、現世で人間として誕生した私達人間は、真理を見る力を封印されて、目の前の事象に迷わされ、勝手に右往左往する哀れな人間を救いたい。
真理を教えて正しい道を歩ませたい。
等の思いから、救われたいものは我に縋れ、我の教えを実行せよ。
必ず幸せになれると呼びかけてくださっているのが、神様仏様であると、お宗祖様の存在とみ教えでそう思うようになりました。

大乗仏教的祈れば救われる。縋れば救ってくださる神様仏様がおられる事をお宗祖様を通して知りました。
観音経の教える世界は、真実であると思っています。

しかし、輪廻転生が無くなったお釈迦様のようになれるかと申しますとお宗祖様な人間は生まれ変わり輪廻転生するといわれているようです。
因縁解脱の道、善根功徳行の道を生まれ変わっては歩まなければならないようです。

従って、観音経の世界のように観音様に縋れば、一時的には救ってもらえますが、真に救われるためにお宗祖様のお示しになった五行のお諭し、水の章やお宗祖様のみ教え実践して、少しずつ輪廻転生のない世界への階段を上がるのが現実の姿のようです。

このような考えで、先ず観音経というか弁天宗で使用するお経の世界を知るために、体験談やお話を通して観音経等のお経を勉強したいと思い、「観音経等お経の話」というカテゴリーを設けました。
今まで、お経に関するつぶやきや法話もこのカテゴリーにあると思えば移動する事にします。
盂蘭盆会経についても投稿しましたが、事実ではないおかしいと思うお経についても、経典の歴史を学ぶためにこのカテゴリーに入れたいと思います。
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回向・塔婆供養の中のウラボンエ(盂蘭盆会)経のお話について

盂蘭盆会経は偽経であると私は思っています。

(項目:ブログ者)
1 I教使の盂蘭盆会のお話
2 私見
⑴ 木蓮尊者等お釈迦様のお弟子さんは大乗仏教の菩薩になってないのが不思議。
⑵ お釈迦様の時代は小乗仏教の時代で文字がなく、死者供養の経本はない。
⑶ 無いお経でどうして供養ができるのか。どうして天上界に昇れるのか。
⑷ 先祖に関する宗祖智辯尊女様のお諭し

(追伸)
なお盂蘭盆会経をネットで検索すると「このブログ」もありますが、冠婚葬祭ネット にインドにはお盆の行事はなく、盂蘭盆会経の源典もインドにはないそうです。
どうも6世紀に中国で作られたらしいと言う説が記載されています。
史実を正確に捉えた記載で、お盆について学べると思います。


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