カテゴリ:信心の糧とお陰( 19 )

弁天様が救ってやれという

妙音新聞37号から母の善根功徳行で子が報われる
(この話は弁天様神さまは忘れない。善根を積めば神さまから助けていただけるということでよくつかわれるお話です)

宗務総長が11月の感謝祭で、功徳奉納金の奉納により功徳を積みましょうという話の中で例題として出された母親の功徳で子供さんが報われるお話です。
妙音新聞37号第1まごころを常に忘れるべからずNO3(昭和31年10月17日発刊妙音新聞37号 水のお諭し(5))及び妙音新聞38号第1まごころを常に忘れるべからずNO4 (昭和31年11月17日発刊妙音新聞38号 水のお諭し(6))から抜粋した老婆が竹籠を売った僅かなお金を十輪寺改修工事に寄付したこを弁天様は忘れず、失業中の老婆の息子を恵まれた。
善根功徳だけでも孫子が救われるお話しです。

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15.12.21(日) のお運びの席で、松本啓(あきら)教使が話された『年の暮れは反省しお礼を言おう』というお話です。
私もそうだなと思わせて頂きましたので、12月ですから参考になればと投稿します。

新年を迎えると又歳をとるが、歳をとらずに死んでいった人を思えば、歳をとれる事は、長生きした幸せな事である。
昔は百姓だったので、朝は両親がお日様に向かって手を合わせ、夕方には沈む夕日に手を合わせていた。
今考えると朝は今日1日の無事をお祈りし、夕は今日1日の無事に過ごせたお礼をいっていたのでしょう
12月のお運びは、1年間のお礼である。
願い事ばかりでは、神様に通じない。お礼を正しくする事によって願いを聞いて貰える。
礼拝経でも3礼(頭を下げる)をして、懺悔、お礼をしてから祈願する。
我々人間は、新鮮な動植物を殺生しなくては生きて行けないし、何の気なしに喋った言葉で相手を傷つける。
年の暮れには、1年を振り返って、病気をした、試験に落ちた、仕事を失敗した等不幸な出来事病気を反省し、自分の到らない点を弁天様に懺悔するならば、弁天様も懺悔を聞いてもらえるのではないか。
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逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。
昭和35年8月17日お運び会場に来られた宗祖様のお諭しですから抜粋したお宗祖様のお諭しです

2 逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。
3 救われる方と救われない方

2 逃れることができる因縁の台風を逃れましょう。

最初にお話しいたしましたように、台風がやってくるというのは、これは大変です。
大きな災難があるのか、逃れるのか、本当に台風だって上陸しなければいい。
これが皆さんの気持ちだと思います。折角苦労しまして作りました農作物も、すべてのものが、悲惨なことになるのですから、本当の恐ろしいことです。そればかりではありません。
全国どんなにこれで嘆いている人があるかと思いますと、本当に、私も片時も忘れずこの台風については祈っています。
それより、一生通じて私たちにやってきます因縁の台風はどうなるのでしょう。
これは、台風のように時期になりやってくることもありますが、因縁はどこでも何時でもあるだけの因縁が皆様の心にやってきます。
うっかりしていますとその催促を受けなければなりません。逃れることがどうしてもできないのです。
逃れられない性分に生まれたのだとあきらめたらそれでしまいですけれど。
逃れられない性分でも逃れることができるのです。
できるのは何ででしょうか。
まず、自分の心を作ることです。何も思わずに考えたこと、何も思わずに迷ったこと、ウカウカとして苦しみ、自覚なしに大きな罪を作っている。
そして、過去の因縁を解く努力をしているはずなのに、何となしにその日に新しい因縁を作って行く、こんな恐ろしいことはないと私は思います。
要するに100人に5人くらいは、ほとんどどうしょうもないように私には、見える因縁の人があります。恐ろしいなという人があります。
昨日もどなたに導かれたのですかときくとこういう方に導いてもらったといった人を、どうして助けて上げようかしら、どんなにして救われるかしらと悩みます。

3 救われる方と救われない方

けれども、素直に受けとれる人には、御神示で私の前に坐られているときの目つきが違います。
けれども、一生懸命に御神示して上げ、同じように話をしていても、その気持ちが他所に逸れて行く人がいます。
そして信じられないような返事をする人もあります。
そういう人はきっとお参りもこれきりで終わってしまいます。またほかにお参りになります。
ほかに行ってもやっぱりそういう人は満足できません。
そうですから最期にはしょうもないとこに足を突っ込んで、にっちもさっちもゆかなくなり、迷ってしまいます。それは絶対救われないということです。
信仰が9年もかかりますと自分の心に、どこに行っても一緒だということが分かり、心一つで弁天さまにおすがりしなけれならないという信念ができますね。
私は、他の神様と比較して、他所の神様有り難くない、弁天さまだけありがたいのやとは申し上げません。
しかし、ひとたび弁天さまにご縁といただいたことは、それは大きなお陰をいただいたのだと自分の心で分かれば、絶対迷わないんです。
ある方が、弁天さまからほか宗教に代わられているのが私の耳に入ります。
ある方はこんなお陰ももらった。あんなお陰もいただいておられるのにと私には判りますので、心の中では思います。
けれども何かわけがあってそういう風になられたのだろう、折りがあったら出合ってお話しをして上げようと思っているうちにピッタリとお出あいできました。
それとなしに、気持ちを聞いてみますと、ここに参ったら宗務員や信者さんのどなたかがどうこう言うた。そんで私はほかの宗教に替えましたと言われました。
聞いてみるとお運びも1回終わっているのにその気持ちが磨いてないのか、なるほど、理由がある。
こちらが悪るかったんだろうなと思いました。弁天さんの所属の支部長とどんな意見になろうとも、また宗務員とどんなことがあろうとも、それらは神様のしてることではないのです。
また自分のことでもないんでしょう。1日1日は違いますね。
また人間はその顔が違うように心も考え方も違っていらっしゃるのですから、意見の衝突もあるでしょう。
あっても、その衝突を弁天さまの信仰にまで持って行く、それは信仰して得た自分の徳をご和算にすることになるのです。
そして、ご宗祖にはもったいないのだけれどと言ってほかにいってらっしゃる。
しかし、この頃になりましたら、だんだん不幸で、御神示を受けたいことが起こっても、自分が来とうてもここに来られません。
ここは敷居が高うて来られませんと良く言っておられる方をちょいちょい聞きます。
お運びまで受けて、こんなに心が成長した。あんなに不幸な人がこんなにお陰をいただいていたのです。
私は本当に馬鹿な人やなと思います。どんなにさとしていいのかと悩みます。
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救われたのは一時的治癒です。完治するためには

9 救われたのは病気の因縁の一時的な治癒です。完治するためにはしっかり因縁解きを

昭和35年8月17日の感謝祭でのお宗祖様のお諭しから抜粋した因縁解きのお宗祖様のお諭しです。

茨木で言ったのですけれど、全部が全部どんな事情を持っていてもみんな救われるのだったら、つかえてつかえて、この世の中人間が増えてどうにもなりません。
誰も寿命の限りで終わっていきます。次々と生まれて元いたところに帰えることになっているのです。ですから全部が生きて行くということはむりでしょ。
私、拝んでいて痛切に感じますことは、命がなけりゃ救われない人が救われたり、もう奇跡ですね。膵臓ガンでもうダメやという人を茨木でずっと拝んでました。
今電話がかかってきて「膵臓ガンの人が続けてお薬飲んでいいでしょうか」とお尋ねになった。頼ってくるものをほっておけないのです。
ダメなはずなのです。私も心の中であきらめているのです。
けれども祈らなかったら心残りです。「弁天さま何とか救って上げてください。きっとこの人にかかる因縁は、後で信仰して頂くことにして救うて欲しい」とお祈りをします。
聞き届けてくださったのか非常によい方に向かいました。寝間で座れるようになりました。
昨日の紀州のKさんという方です。粉河の支部に入って、大分信仰したおられた。その方が膀胱ガンです。なんか手術をせにゃならん。
私には、お医者さんの指示通り手術させなければ悪い。
神様は手術したら死ぬと言われる。手術したら死ぬ。手術しなくても弁天さまのお陰をもらわなかったら死ぬことになる。
私は、本当にもだえ苦しみます。どうしょうかしら。けれども切ることは、私はさせとうない。
切るなと言われへん、切ったら死ぬと言われたことがものすごく私の心に覆い被さってきます。それですから待ってください。「5日待ってください。1週間待ってください」と手術日を延ばして行きます。
そうして、過日おいでると「待ってよかった。待ってよろしゅうございました。お陰で食欲も進んでくるし、熱も下がるし。お陰でよくなってきました。やっぱりガンなんでしょうか」と質問されます。それはお医者さんがいわれたことですから違いないのでしょ。
しかし、弁天さまからダメよと言われたので切らないでみたら、10人が10人よくなったらいいのでしょうから、その病気のことは余り詳しく言わんときましょう。「立派なお医者さんに見て頂いて、それは違うとは言えません。無事に助けられたらそれでいいんでしょから」といって帰ってもらいました。
そんなので、まことに毎日不思議な人を拝んできます。ところが、お祈りをして上げて、そしてその人に出合うと不思議に「ご宗祖さん良くしてもらった」と言われます。
そうするとお祈りというものは結構なものだな。そして皆さんには言うに言われない大きな災難でこの人が苦しんでいるとしたら、まずお祈りでこれを払いのけて頂いているということなる。

ここで皆さんにお願いしたいのは、それで救われたのではありませんよ。
一応、弁天さまは、皆さんを本当に救うてくださる。皆さんの代理になってくださるのですけれど、その後、勝手な信仰をしていたら、大きな災難がまたやってましります。
また病気の後戻りをします。そのように油断できないのが、この病気になる因縁なんです。
弁天さまは決して罰を当てたり、折角救った病気を後戻りさせないのですよ。
皆さん各人が持っているその因縁と運命がそうゆう風にさせるのです。病人が幾ら拝んでも、良くないときには、弁天さんの手だてはありません。

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人間として生まれてくる理由

人は悪因縁があるから因縁解きのために生まれてきた

何故人間は産まれてくるのか、産まれてきた人間の使命は何かについてのお宗祖さまの言葉があります。
お運び参加から抜粋しました。

人間の使命は自らの悪因縁解きと言われましたが、就職した会社職場の仕事を通じて社会に尽くす、家庭内で主人親に子供に尽くす、また社会地域の奉仕活動で世のため社会のために尽くすことが因縁解きになるのではと思いました。
またお運びには話の上手下手があり、不満に対するお宗祖様のお諭しもおりますが、言葉のムチですという厳しいご指導があったことは初めて聞きました。

1 因縁による人間の誕生と使命

お宗祖様は、人間は(悪)因縁があるからこの世に産まれてきた。
そして悪因縁をほどくために産まれてきたのです。
悪因縁を一生かけて消すのです。
弁天宗の信仰は、命の源に帰って悪因縁を消すのです。
自分の身の回りに起きてくる嫌なこと苦しいこと嫌いなことは悪因縁により生じてきた出来事です。
それを信仰の試練、行として受けとめるて文句を言わず我慢することが悪因縁を消すことになるのですと仰いました。

2 お運びは言葉のムチ、逆らうな!

お宗祖様は、人間は因縁の化石。神を信じてお運びを受けて頂く。
お運びは神様から頂く言葉のムチです。(お運びでの話は)お返しします。
そんなこと言われても出来ませんではだめです。
(お運びでのお話しに対して)そうでございました。
私の考えは間違っていました。
お話しの通りさせて頂きますでなければいけない。
お運びでの言葉のムチに反論・反対せずに全部受け入れないさいと仰った。
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都島教区便り:信仰は真心で

都島教区便り平成20年9月号より転記 教区長優谷壽男様の記事です。

平素はお供えをしていない信者さんご分身とお宗祖様お帰りなるときに人から頂いたお供えをお宗祖様のお土産にし、玄関に一盛りのサトイモがあるのを見たお宗祖様が、私はサトイモが大好きと言っても最後の一盛りで息子用です (お宗祖様には何度に山ほどサツマイモがあるが見えた) と言って施しを断った信者さんの話です。
(四国88ヵ所巡りのエピソードで、弘法大師にお裾分けしなかったために食べられない芋ができるになったというお話がありますが、ほんとかなと思っていましたが、やはりあるのですね。驚きました)

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5月の風習(5日)について

5月5日が近づいて参りました。5月5日に因んだお話を18年にお運び講師の小竹先生から聞いていますので、ご紹介します。
5月は厄月で厄払いの風習があり、又女性の休養日でもあったそうでが、その後中国から端午の節句の考えが入ってきて子供の成長を言わす風習に変わったようです。

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不幸のどん底でも1日1回でも良い行いを

12月の感謝祭で管長様が、『宗祖尊女お言葉集成第3巻』からいつものように朗読されたところです。
お宗祖様の「信者を思うお祈りとお百度を踏まれた」ことが書いてあり、更に心に余裕を持つにはまず弁天様に心から縋る祈りであること、そしてしっかりと迷わない心を育てるお運びをすることをお宗祖様は強調されています。
弁天様のいちばん好かれる『心の底から優しい、人間らしい情に溢れた信者さん』になって下さいと結んであります

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神様から救われる人

昭和34年3月8日お諭し からの抜粋しました。

信仰心というか、神様を崇拝し、いただいたお陰があれば報恩感謝の気持ちでお参りをさせて頂く事が大事なようです。神仏を信仰し敬えば、自然と正しい心、言葉、そして行いのできる人間になって行くのではないでしょうか。
神に慣れ、畏敬の念を忘れたり、神を神と思わない行いや粗末にすることは神の施しというかご加護は頂けないように思います。

12 弁天さまの悪口を言う人
13 信仰のある人は救われ、無い人は救われない。

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