カテゴリ:行事等の始まり( 24 )

当たり矢の始まりと節分の行事、仏壇のおまじない

2月3日は節分祭です。先にカテゴリー行事等の始まりで 節分祭の始まりについて投稿しましたが、節分祭の境内で販売されるています「当たり矢」についての講話が1月後期のお運びでもありましたので紹介します。

19年1月22日(月) 水の章20講 小竹講師の講話から抜粋しました

○ おまじない当たり矢の始まり

節分の日に販売します「当たり矢」ですが今北宇智教区で作成して貰っていますが。
元々は、お宗祖様と西川先生がこの地方だけか知りませんが、髪を「オバケ」(という髪型?)に結うそうです。オバケとはどんな髪型か知りません。
「当たり矢」のようなものを髪飾りにして差していたそうです。

お宗祖様が年越しの髪飾りとして作ってくださったのが、各家庭の1年間の入口のお守りに変わっていったようです。
お宗祖様からいわれてある信者さんが作っていたのだそうですが、今は教区で作っているそうです。
この様に辯天さまの行事はそれぞれの教区・支部でお手伝い頂いているのですよ。

節分お豆は、河内長野教区さんがビニール袋に豆を入れた節分の豆まき用の豆を作っていますね。
(現在は吉兆作成奉仕に合わせて福豆を奉仕者がビニール袋に詰めています)
節分祭の豆には、景品が入っているのもありますのでどうぞ沢山おいでくださり、福をいただいてください。

○ 節分のイワシと柊、仏壇購入時のおまじない

節分のおまじない
この辺では節分の日にはイワシの焼いたのと柊の葉を門に吊しますか? 
大阪茨木市冥應寺にいますときは、ズーと玄関(マンション住まい)でやっていました。
イワシの頭は回ってこず尻尾しか配分がないのです。
それで私宅は頭でなく尻尾でした。
柊は葉っぱの尖ったところで鬼の目を突くのだそうですね。
イワシは、あれは生臭いからでしょうかね。
生臭さが邪気を払うのでしょうね。
(インターネットで調べたら→イワシの生臭さが邪気を追い払い、ヒイラギのとがった葉が鬼の目を破るからと、『本朝食鑑』に載っているそうです。
『本朝食鑑』とは、元禄8年に江戸で出版された食品百科事典で、 あらゆる食べものについて、その性質・取り方・効能などを記述した書物。近年では柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に挟み、邪気を払う行事が行われます。
これは追儺(ついな)といって、朝廷の年間行事です。
大晦日の夜、悪鬼を追い払う儀式であり、鬼遣らいともいいます。
更に土佐日記にはイワシではなくボラも子供のイナの頭になっているそうです。
(プログ佐藤直暁の徒然なるままにから転載)

○仏壇を購入した時のおまじない。

信者さんが仏壇を買ってお祀りすると、魔物がつくとか災難に遭うとかいう噂をされますので、お宗祖さまが教えられたおまじないです。
弁天宗では仏壇を新しく購入するとご本尊様や位牌を入れない空っぽの仏壇の中に、前の日の夕方から生の鯵等の小魚をお皿に入れて、翌日朝生魚を捨てて、それからご本尊様等を仏壇の中に入れてお坊さんに魂入れをしていただくように教えられています。
これも生臭さが邪気を払うのでしょうかねえ。

節分の豆が、今入荷し、宗祖殿に納めてあります。
(昨年吉兆作成奉仕で福豆(節分の豆以下略)作りをしていますので、現在は作成された福豆はすでに宗祖殿に納められているかもしれません。今回、福豆の話はありませんでした)

節分がやってきますとお豆を年の数だけ食べますが、年を取ると遠慮しますね。
弁天宗には色んな行事がありますので、それに従った行事を取り入れることが家庭の仲にいいムードを作るのではないかなと思っています。
できました葉付きの柊の小枝に焼いたイワシの頭をさして玄関に飾って頂ければいいと思います。


なお、境内では、『頒布所』という表示で「当たり矢」を初め破魔矢などを販売しています。
頒布という用語をネットの「Weblio辞書」で調べますと
『広義には,有形的方法か無形的方法かを問わず,文書,図画その他の情報を公衆に譲渡し,貸与し,または送信等することによって伝達することをいうが,
わが国においては,有形的頒布,すなわち有体物を公衆に譲渡または貸与することを「頒布」といい,
無形的頒布については「公衆送信」などとして「頒布」と区別している』
となっており、販売する場合は頒布所といえないようですね。
お宗祖さまは信者さんには安く販売し、宗本部が損をするというお考えの方でした。
従って、物を無料配布・譲渡をいう趣旨で頒布所と名づけたのでしょうね。
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節分祭の始まり

2008年2月3日の節分祭での、管長様のお話

管長さんのお話の中で、弁天さんでは護摩を焚く星祭りだけで、節分祭はやっていなかったそうです。

弁天宗では、お宗祖さまの始められた九星占星術で各信者のその年の運勢の吉凶表が配布されます。
信者はその表を見て、普通、その年の運勢の良い人は200円、悪い人は500円の星祭り祈願を申し込み、ご祈祷後にその星祭り札をいただいて家でお祀りします。
その外に歳預け、厄除けのご祈祷札もあります。
お運びで、相性の悪い夫婦は歳預けをするという様に教えられました。

お宗祖様は、私が信者様のために幾らでもご祈願成就を祈る祭(護摩焚きの星祭祈願)はやっているが、信者の皆さんに月に1度は霊地如意寺に来てもらい信者さんと一緒になってご本尊さまのご加護を頂く報恩感謝のお勤めをしたいというご希望から弁天宗では節分祭が始まったのですと紹介されました。

今はご本尊さま様に1100から節分祭祭典でご本尊さまを礼拝し、奉納演芸が1200から行われ、その後豆まき(景品付き豆がある)、1430から星祭り護摩祈願が行われています。

この他にもお運びで、お宗祖様は月に1度はご本尊さまに報恩感謝のお祈りをして頂きたいと感謝祭を毎月1回始められ、更に全国の信者が霊地に集うようにと考えられ各月の行事を開催されたと聞いています。
お宗祖様は行事に参加すると弁天様がお喜びになり参加した信者の皆様は弁天様からお徳をご加護を頂かれますとよく話されています。
最初農家の方が多かったので農繁期の6月は、農作業に信者さんが集中できるように行事を計画されなかったとも聞いています。

節分祭・星祭祈願に関してその始まりはについて書きましたが、日本の節分祭の経緯が分かりました。
しかし、弁天宗ではどういう経緯で節分祭が始まったかが大事だと思います。
管長様が言われたのですからこちらが弁天宗の節分祭の本当の始まりでしょうね。

当たり矢・節分の豆 等へリンクしています。
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大弁才天礼拝経ができた年NO1の続きです。

私は新興宗教だからこそ、ことの始まりが明確にできると思っています。
何年何月何日から始まりました。
その理由はこれこれですと胸を張って言えるのです。

いつ始まったのか、できたのかわからない夢物語のような話より、何年何月何日に誰それがどうしたので始まったと調べればいくらでも出てくると思います。

大弁才天礼拝経は、すべての行事で使用するとともに朝夕の自宅での礼拝でも使用します。
他宗の用語にあります日行経典、勤行式、お勤め経本ではありません。
最初は行事でも朝夕の礼拝でも同じかと奇異に感じました。

信者のつとめでは、朝は、ご本尊さまへの感謝と誓い。夕は感謝と懺悔だそうです。

私は、お宗祖さまが「ご本尊さまの前で礼拝し、大弁才天礼拝経を唱えることで礼拝の功徳が積める」お経として作成されたのであると確信しています。
ですからいかなる行事でも自宅での朝夕の礼拝でも、ご本尊さまを礼拝することが基本です。
お勤めをする=お経をあげるというレベルより上位の心がけで唱えなくてならないと思います。
その上位の心がけとは今日もご加護をいただき朝を迎えました。夕べを迎えました。
ありがとうございます。感謝して礼拝をさせていただきます。
礼拝の功徳を積ませていただきありがとうございます。ということではないかと思います。

ご本尊さまのお経を唱えるお勤めではなく、礼拝の功徳をつまさせていただきありがたいという心が必要ではないでしょうか。
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弁才天礼拝経ができた年について

先日お運びに参加していますと、講師が、
大弁才天礼拝経はお宗祖さまが「私が27歳のときに作った」といわれています。
昭和10年ですね。
と話されました。

ところが、「信者のつとめ」に礼拝という項目がありますが、大弁才天礼拝経の誕生の話は一切ありません。
信者のつとめでは、ざっと見てもお百度の始まりと感謝箱の始まりだけです。

画像で「観音経」のところが、今は金光明最勝王経からとった「大弁才天経」になっています。
聞いた話では、お宗祖さまが亡くなってから、「南無弁才天女尊」「南無智辯尊女」になったようです。
その他では、語句の読み方の訂正があったようです。
なお、写真の中の般若心経の経文部分の中間はどなたも御存じですから省略てあります。
画像をクリックして表示された画像はさらに拡大できます。

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生誕祭(甘茶かけ)の始まり

花祭りについての雑学がかつらぎ教区の便り3月号にに載っていました。

弁天さんでもお宗祖様生誕祭には、花御堂を造りその中に大阪茨木市冥應寺中段噴水の中にあるお宗祖様幼女像の縮小レプリカを入れ、みんなで甘茶をかける行事が行われますので参考として、転記しました。
(なおこの幼女像建立は故原健三郎元衆議院議長と聞いています)

1 弁天宗諸儀の生誕祭

明治42年(1909)4月1日、宗祖さまは、奈良県吉野郡吉野村(現吉野町)飯貝、吉井重吉・スエ夫妻の長女(幼名は清子)としてお生まれになった。
生誕祭は、その宗祖さまの御誕生をお祝いするとともに、宗祖さまをお遣わしになられたご本尊さまに感謝する儀式行事である。
1回目の生誕祭は、宗祖様ご遷神の翌年である昭和43年4月1日に行われた。
となっていますが、甘茶かけの件は載っていません。

2 花まつり かつらぎ教区便りの記事(参考~文芸社 仏教のすべてより)

旧暦の4月8日、お釈迦様の誕生日を祝う華やかなの行事が、花祭りです。
灌仏会、仏生会ともいいます。
お釈迦様の誕生にあたっては、2匹の竜が天空から甘い雨を注いで祝福し、同時に生まれたばかりのお釈迦様を灌頂したのでした。
(にわかに信じられませんがそうお釈迦様誕生の経に書いてあるのでしょう。
鑑真和上が奈良時代に来て初めて灌頂をされています。
仏教が発生していない前から仏教の儀式である灌頂があったのでしょうか?
書いていてどうして疑問がわかないのか不思議です。)
「花祭り」の時に、花御堂をつくるのは、お釈迦様の誕生地であるルンビニーの花園を現しているのであり、花御堂の中に安置した誕生仏の像に甘茶を注ぐのは、竜が甘い雨を注いで洗い清めた故事を再現しているのです。

中央に誕生仏が安置された花御堂は、本堂前に置かれ、法会が行われ、偈文が唱えられて甘茶が仏頂に注がれます。
参詣者もそれぞれお釈迦様の誕生を祝って甘茶を注ぐのです。

花祭りは推古天皇14年(606年)に奈良の元興寺で行ったのが最初のようです。


3 ウィキペディアの灌仏会の解説から

灌仏会は、別名:降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)ともいわれている。

釈迦誕生の時に、龍が天から飛来して、香湯(ソーマ=インド神話上の神々の飲み物とされる有る植物の液汁、アムリタ=インド神話に出てくる不思議な飲み物で、飲むと不死が与えられる)をそそいだという故事に基づくものである。
誰が甘茶にしたのでしょうね。

本来は旧暦で行われるものであるが、日本では近年は新暦で、又は、それに近い日曜日に行われることが多くなってきている。

弁天宗もお釈迦様の花祭りを行わずお宗祖様の生誕祭をおこなっていますが、日蓮宗系で花祭りを行わない宗旨もあるようです。
花祭という名称は浄土宗系で用いられた名称のようです。
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お宗祖様霊顕祭とご本尊さまご開帳の始まり

弁天さま一筋の母がからの抜粋と私の思いです。

1 宗祖霊顕祭の始まりの記述に出合う。

入信して、霊顕55年祭~75年祭と3回ご本尊さまのお顔を拝観する事になりました。
最初の55年祭は右も左も分からず疑問はなかったのですが、ようやく、10年ごとのご開帳といいながら宗祖霊顕60、70年祭ではなく65、75年祭なのかと思っていました。

その疑問がやっと解けましたので、行事の始まりの項に入れようと「弁天さま一筋の母が」から抜粋しました。
(これは、南河内教区便り平成21年3月15日号に「弁天さまに一筋の母」と題して、1月25日教区集会所で行われた今年初感謝祭の講師笠原一之宗務員の法話が掲載されていましたので、転記しました。弁天さま一筋の母が)からの抜粋です)

更にお宗祖様が平素お詣りに来なくても感謝祭には来なさい。
行事には参加しなさいと言われる理由もよく分かりました。
信者が来るとご本尊さまがよろこんでいますという事は聞いていたのですが、これも何故か分かりませんでした。
そしてお宗祖様は、ご本尊さまに報恩感謝の心でお祈りをしなさいともいわれています。
助けて頂いたと喜んでお詣りする信者の笑顔を喜んでいただけることを知りました。
これは行事参加・朔日詣り・お運び参加・奉仕参加で如意寺の門をくぐると笑顔を絶やさない事ですね。
それだけだはなく往復ともにそうであれば更に喜ばれるのでしょう。
ご本尊さまが如何に喜ばれているか自ら見聞し体験し、その真実を話して頂けるお宗祖様がおられた事に感謝します。
そして、ご本尊さま実在し、お詣りするとご本尊さまが喜ばれる事を知っている信者になれた事を感謝します。

2 ご本尊さまは10年後にもう1回、開帳しなさいと仰った

先週18日の新年祝賀会に出席された方はご存じと思いますが、お宗祖様のお言葉を聞かれていると思います。
宗祖様の昭和34年11月17日如意寺の感謝祭(以前は天啓日=17日でしたが宗祖様が亡くなられてから遷神日=15日に変更されました)でのお話をお聞きいたしました。
ご開帳を天啓(昭和9年4月17日)を受けられてから10年後くらいにされているのです。
その時ご本尊さまは10年後にもう1回、開帳しなさいと仰ったらしいのですね。
しかし、そのご開帳ができず、昭和34年ですので15年ほど経っております。
15年経っておりましたけれど、開帳しなければという事で、宗祖霊顕25年祭が行われました。
それが一番最初の霊顕祭でございます。
その後10年ごとに行っているのですが今年は75年祭を迎えます。
そのお言葉の中で宗祖様はご本尊さまの喜ばれる事についても語っておられます。
ご本尊さまが一番喜ばれるのは、皆さんが笑顔でお詣りされる事なんですということを仰っています。
信仰というものは、ご本尊さまにお願いばかりを聞いてもらうものではなく、ご本尊さまに喜んでもらえる事をする。
それが本当の信仰ですよ。
即ち、ご本尊さまに喜んでいただける事は、1人でも救われる人を増やして行く、お道b息をする。
それが一番喜んで頂ける事やと仰っているのです。
ご本尊さまのお身体はもうかなりボロボロですが、お顔は本当に化粧しているようなきれいなお顔をなさっています。

3 ご丁寧、簡潔明瞭な「弁天宗祭事軌範」の宗祖霊顕祭の記載内容

なお参考に儀式行事の意義と内容と題して弁天宗祭事軌範の記載されてある内容を転記しました。

宗祖霊顕祭は、昭和9年4月17日、大弁才天女尊(ご本尊)が宗祖智辯尊女(宗祖)の授与された天啓を思念し、報恩感謝をささげると共に、さらなる精進を誓って10年ごとに行う儀式行事である。
祭典は、「天啓」の直接のご縁となった大弁才天女尊像をお祀りするご本殿が開扉され、10年に1度奉拝が許される。
第1回の宗祖霊顕祭は、天啓の日から25年目の昭和35年に行う。
以来10年毎に35年祭、45年祭、55年祭、65年祭を行う。

ご本尊さまが10年後にもう1回開帳しなさいとお宗祖様にいわれたという経緯の記載は一切ありません。
これは誠に有り難い事です。

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御廟造営を巡って

(20年5月15に茨木教区便りから転記)
昭和47年1月と4月発行の「ききょう」に当時の御廟造営についてのことが掲載されていました。昭和48年の2月15日の落慶祭典を目指して着々と工事が進んでいる頃の記事です。
6月には御廟清掃まこと行の奉仕がありますので、その御廟建設のことを振りかえてみてはと思い、当時の記事をまとめてみます。

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節分祭・星祭祈願に関してその始まりは

弁天宗諸儀では、節分祭・星祭祈願について修正会から始まった法会であるとなっている。

年末も近づきましたので、新年を迎える大晦日の関係する行事として古来日本では、どうであったのかを知るために節分に因んだ用語をウイキペディアから収集して転載します。

すべてウイキペディアからですから、不明な用語はウイキペディアで探すことができます。
一部別なサイトはその旨表示してあります。
(項目)
1 修正会(臨済禅、黄檗禅公式サイトから)
2 修二会
3 節分祭の始まり
4 近代以降の節分の変遷
5 豆撒き
6 恵方巻き
7 年神
8 お化け

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南河内教区便り9月15日発行の中に「第3回教区感謝祭で、綱島先生を迎えて」と題して、7月20日午後1時から教区集会場でうら盆会、先祖供養についての法話がありました。
という紹介で福島教区綱島先生の法話が掲載されてました。

先祖供養の始まりの話は初耳ですから、転記しました。

梅木先生の著作「光たずねて」の中で、御神池のお水替え、七夕祭の短冊から哀れな姿の霊が助けてくれとでてきたので、お宗祖様はその霊の供養をされ、その後その霊がまともな姿になり、先祖供養の必要性をお宗祖様お説きになられた話がありますが、それが、先祖供養の始まりだとは知りませんでした。

参照→お宗祖様の話されたご先祖様の霊の話
しかし、この話は、先祖供養のきっかけとなったという方が正しいと思います。
理由は、それでは先祖供養はこの様にしようということが出て来ないからです。

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ネットから拾ったお彼岸の先祖供養に関する豆知識

弁天さんの行事とは関係なく、ネットで拾ってみました。

お彼岸法要参加しますと先祖供養の大事さを聞きますので、仏教行事の先祖

供養と思っていました。

日本の古来の風習としての春分の頃の豊作祈願、秋分の頃の収穫祭と関連し

て祖霊崇拝の信仰があったようです。

お彼岸の彼岸入り、中日、結願日の7日制のできた話などを拾いました。

1 日本の春分秋分の豊作祈願と収穫祭そして祖霊信仰

2 お彼岸とその法要日程

3 国分寺、国分尼寺のいわれ

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