カテゴリ:講使教使の話( 30 )

何のために信仰しているの その2

何のために信仰しているの その1の続きです。

年1回基準の教区感謝祭を3回も開くのですから、熱心な教区です。
平成21年9月15日号の南河内教区便りにM教区長の講話が載っていましたので転記しました。
お話が長いので2分しました。

(てにをはを私なりに修正してあります)
(項目は教区便りについていましたが一部変更しました。)
その1(前回分です)
1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)
2 腰痛に効く畳作りの黄色い紐のお蔭(教区便り:宗祖さまの腰の紐)
3 お蔭を忘れずに何時までも報恩感謝の信心をする(教区便り:おかげを感謝し信仰を更に)
その2(本回分)
4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた
5 本宗の弁天様は
6 実家は因縁の深い家
7 来し方を省みて
8 私の信仰のあり方(教区便り:弁天宗信者としての活動)

4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた

4年ほど前の秋、竹生島に行ってきました。
偶然重なって琵琶湖の北の方にあるマキノプリンスホテルの割引券があったので行きました。
ところがマキノにつくと雨になりまして、初日は比叡山に行って、翌日は静ケ岳の方に行こうと思っていたのですが、一寸行きにくいと思っていたら、ホテルの前に桟橋があって、あれはなにと聞きますと竹生島に船が出ますが予約制で普通はないが、たまたま明日はマキノ町の行事で「歩けの会」があって迎えの船が来ていますと、それに乗りたいと切符を買いました。
翌日は小雨でしたが3大弁才天と言われている竹生島へ1度行ってみたいと思っていたので、念願かなって言ってきました。
素晴らしいところで心が洗われる思いがしました。
良かったなと思って帰ったのですがとはいいつつ、大和本部(現在の奈良県五条市如意寺のこと)とか冥応寺の本殿(如意寺は本堂といいます)に座ってお祈りをして心がスーッと落ち着くような気分、弁天様の膝元にいて安心というのは感じなかったのです。
結局のところ、観光地なんかなあというような思いをもって帰ってきました。
そんなときに言葉が胸にポンと響いてきたのです。
『わたしおらんかったやろ』とびっくりしました。
それを聞かせるためにわざわざホテルの割引券を与えて雨を降らせてマキノ町の「歩けの会」の船を用意して「行っておいで」と行って来たのです。
それで何を悟ったかというと「竹生島には、私はおらんかったやろ」と(ご宗祖様の声を)聞きました。
本当に涙が出るほどびっくりしました。

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何のために信仰しているの その1

年1回基準の教区感謝祭を3回も開くのですから、熱心な教区です。
平成21年9月15日号の南河内教区便りにM教区長の講話が載っていましたので転記しました。
お話が長いので2分しました。

(てにをはを私なりに修正してあります)
(項目は教区便りについていましたが一部変更しました。)
その1(本回分) 
1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)
2 腰痛に効く畳作りの黄色い紐のお蔭(教区便り:宗祖さまの腰の紐)
3 お蔭を忘れずに何時までも報恩感謝の信心をする(教区便り:おかげを感謝し信仰を更に)

その2(次回分)
4 「私おらんかったやろ」の声が胸の中で響いた
5 本宗の弁天様は
6 実家は因縁の深い家
7 来し方を省みて
8 私の信仰のあり方(教区便り:弁天宗信者としての活動)

1 悩み苦しみの解決が信仰の原点です(教区便り=何のために信仰している)

信仰の原点について考えたいと思って、「救い」ってどんなんか、何のために信仰しているのということをお話します。
先ず、『弁天さんはすごいな』というところから再認識したいと思います。
この前の記念感謝祭の時に、テープを聞かせていただいて、その時判りづらいところがありましたので、ちょっと紹介します。
石原新太郎さんの話がありまして、昭和30年代後半、40年に入ったころに『巷の神々』という本を出されるのに、大阪本部(現在本部制はなく大阪茨木市にある冥応寺)に来られて、取材されたときの実話です。
ご宗祖様から聞いて、その救われた人の家族も側に居られたということでした。
東京駅の八重洲口。
新幹線から在来線の方に登るところに改札がありまして、そこは凄く混んでおって、小さな子とお母さん2人が手を離していしまって、お母さんは改札の中に入ってしまったけれど、子どもさんは入れなかったということです。
それを見兼ねて、ご宗祖様が「お嬢ちゃん私と一緒に行こうね」と手を繋いで中に入られ、さらに荷物を持っていたので「このままホームまで行こうね」といって階段を上がって行かれ「はい、どうぞ」とお母さんに子供を渡された。
子供は小走りにお母さんのところに行って「あきこ、あのおばあちゃんに手を繋いでもらった」と言ったのです。
お母さんはびっくり仰天しました。
6歳になるその子供は、生まれてから一度も言葉を喋ってことがない。
初めて言葉を喋ったそれだったのです。
大阪天王寺区にある下駄屋の母と子の話です。
その方が感謝祭の席にお見えになっておりまして、石原慎太郎さんはびっくりして生き神様はいてはるんやというて驚かれました。
本当に不思議な力をお示しになる。
その事を本に書いておられます。
本当にすごい神さまだなとお思います。
こう言う話は実に当たり前で、弁天宗の中では、今こういう話をお聞きになってね、結構やなあ、ありがたいなと皆それぞれすごい体験をなさって、苦しいことが楽になった。
病気が治った。
傷みが解消した。
争いが解決した。
悩んで悩んできた事がお祈りすると、何か希望が見えてきたという不思議なことが普通に行われているということを改めて確認したいと思います。

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講師が水の章2講での記念感謝祭参加のお話の中でされたお宗祖さまの奇跡の話

水の章では始めに各支部のお宗祖様のお形見拝戴の記念感謝祭のお話がありました。
記念感謝祭に参加してくださいと言うことで、お宗祖様のお加持とお宗祖様と一緒に御親教のお手伝いをした方の奇跡の話がありました。
(記念感謝祭は平成20年4月~平成21年3月で終了しています)

(編集項目:ブログ者)
1 娘さんの食事ができない喉を宗祖さまがお加持
2 20年地面につかなかった踵がついた
3 お宗祖さまの話された法衣の奇跡とそれが起こる信仰心

1 娘さんの食事ができない喉を宗祖さまがお加持

丸善石油社長和田かんじさんの秘書をやっておられた方の娘さんが19才の時食事ができない。なにも喉を通さない奇病になり医者も原因が分からずやせ細って死を待つばかりの時、お宗祖様が突然病室に入ってきて、可愛そうに可愛そうにと言いながら娘さんの喉を2度手の平でさすったそうです。すると食事ができるようになり、翌日医者が診察してどうしたのだと驚いたそうですが見る見る良くなって退院されました。お宗祖様が手で触っただけで病気が消えたという話です。

2 20年地面につかなかった踵がついた

鳴門の教会長さんをやられた方が足の怪我をして右か左の踵が地面につかない後遺症を20年患っていたがお宗祖様の鳴門教区御親教でお宗祖様について各地を回られたところ御親教が終わると今までつかなかった踵が地面につくようになったというお話もありますなどを話され、今年行われるお形見拝戴の記念感謝祭には、奇跡が起こりますから、参加してくださいと話されました。

3 お宗祖さまの話された法衣の奇跡とそれが起こる信仰心

お形見というか、お宗祖様の着物の切れ端や古い着物をお守りに頂かれる信者さんがおられたそうで、生誕祭でコンサートをした島倉千代子さんも管長様にお宗祖様のお形見を頂いていますと仰ったそうです。

お宗祖様の法衣に関するお話です。洗濯した後か前か分かりませんがお宗祖様の法衣が部屋に置かれていたので、係の方に法衣を触っていいですかと断り、扁桃腺を病む我が子に着せたところそれ以来扁桃腺を病むことが無くなったというお話をお宗祖さまがされています。この様な奇跡が何故起こるかは有り難いと信ずる心にあるようにお宗祖様は仰っています。
お形見に触らせて頂けるのはお宗祖様に直に触れて頂く、お加持をして頂く、触ることのできない神様に触れさせて頂く勿体ない。有り難いという心が無くては奇跡は起こらないと思います。
お形見を拝戴することは、20年に1度の「有り難いこと」ですが、信じる心のない方には、又子供のような純真な心のない方には奇跡は起こらないのです。単なる数珠入れでしかないと思います。
昭和35年8月17日の感謝祭でのお宗祖様のお諭しNO2の17 宗祖さまの法衣を着せて子の病気を治す(御利益をもらう心)をご覧下さい。
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東成教区相談役長岡彰子先生の講話

平成21年10月15日号茨木教区だよりに東成教区相談役の長岡彰子先生の弁天さんの信仰をどうしてやってきたかという講話が載っていましての転載しました。

私は宗祖霊顕75年祭後定年制で退任しました。
本日伺いますと本殿や信者会館のところまでに緑の茨木教区の旗がたくさん!立っていて本当にびっくりしました。
又これだけ多くの方が感謝祭にいらしてくださるのは、大勢の方が功徳を積まれて、うれしい事だと思います。
よく皆さんは与えられた中で奉仕をなさっていますがこの茨木教区の方々はどの方のお顔にも熱心に奉仕をされているお心遣いをなさっていると感じます。
私は40年の信仰歴があります。
宗祖霊顕75年祭を終えた後で、自分の75年を過ぎての体験談をさせていただきました。
そして今は1からの信仰の原点にかえってお導きをさせていただいています。
私は昭和9年4月9日生まれですが、4月17日に届け出をしてもらっています。
32歳の時に弁天様を知り、その後天啓の日が私の誕生日と重なるのを知りました。
私は昭和42年に熱心な叔父と叔母に導かれて入信しました。
その頃15歳の下の妹がイギリスに行くというので寝具屋をしてお金を妹に送金していました。
毎月、問屋と相談して売れ筋を探り、考え、自分でビラを作って新聞紙に入れたりして頑張ってまいりました。
人によってはここ一番という時にハッスルをして、他はぼうっとしている人もいますが私のところはそれどころではありませんでした。
人にはその人その人に合う仕事が与えられていて、ずっと結構な人はずっと結構であり、大変な人は大変ですが、自分が大変だからと嘆いても仕方が無いので一生懸命働きました。
そして毎日夜10時過ぎてから伝票を見て、その後本殿のます目(扉はしまっていますので左右の窓からでしょう)越しにご本尊さまを夫婦して拝んで帰っていました。
そんな時に、第1世管長様がやかんを持ってきてご宗祖様のところにお水を入れて差し上げる、またご宗祖様はずっとご祈祷をなさっていました。
それを拝見した後、ただ頼んでいたらいいと思っていたのではいけない、私たちもエンジンをかけないとダメだと知りました。
車の両輪を動かさなくてはと思い、私はお運びに直ぐ通い始め、1回目を終え、2回目の時におばあちゃんを呼びました。
家の中で起きる出来事や状態を皆で受け止めて助け合っていこう、家族全員で信仰しなくてはと思いました。
信仰も緩やかではダメで家族一丸となり、ご分身の屋敷作りが始まり、家族作り、環境作りに10年かかった女4代続いている家です。
女の強い家は楽ですが、結婚した時にその信条としたのは、親指=目上の人を立てる。
その親も一節折ると若い者も節を折って、家族円満になるでした。
私の子供時代、父は町内会長、市場の社長、母は2つの店の商売できりきり舞いでした。
私は10日には、学校を休んで手伝いをしていました。
そのお蔭で友人の手助けを受けてノート貸してもらって無事卒業をしました。
皆助け合いの精神でお互い小さい時から処世術を身につけました。
色んな人から教えられた事が山ほどあります。
森の宮の砲兵工廠がかってあったところは爆弾で多くの人が亡くなり、壊されたりしたところです。
その土地に巳さんがいるよと聞いていました。
白い巳さんを店の陳列で見たので、この家に巳さんがいるという事は心正しくないとバチが当たるといわれていました。
父も神道に入って祝詞の世界にいましたから、弁天様にご縁をいただいて、ご先祖様をきちんとお祀りし、土の災いの浄めもしました。
こうしたらいいのでは、ああなったらいいという事を素直にさせていただき喜びに出合い、手を合わせる感謝に気持で一杯でした。
そして自分が!という心が消えていきました。
加速の信仰というのは、女の人は遠慮して、家事を守って、弁天様におかげをいただいているよ、助けてもらっているよと家族に見せていき、家族に疎まれずに、ご縁をいただける。
この幸せをあなた達も繋いでよと伝えて行くのが大切です。
私はよく五行のお諭を述べて、その後に誓いますという心で弁天様に拝んで行きなさいと子供たちに言ってきました。
お経を唱えるのもですが思いをご本尊さまにしっかり語りなさい、願いが届くようにお祈りをするように共に伝えました。
皆さんに難しい信仰の形を伝えようとは思いませんが、お運びはどうかしてください。
あと私は、(日めくり式の日々のお言葉があります)お言葉をめくっていて『何をじっとしているのですか。じっとしては救われません』その言葉が出る時は人様をお導きする時と重なっています。
私自身は商売のどん底に落ちましたが、家族には尽くしました。
イギリスへ行く妹を家族全員で支援しましたが、その妹がユニクロの創業者になっています。
妹たちのいただいたお蔭で見せてもらって私のしてきた事が間違いなかったのだと見せていただきました。
私もですが、皆さんも85年祭に向けて自分の家族、親戚、お知り合いを1人でも多く導く!
その答えはあなた達でだしてください。
私はよくお嫁さんとお姑さんに台所に張っておいてねと、信仰を生かそうと思う時の言葉としてお渡しする物があります。
これは会社の社長さん達も欲しがるものですが、

その一言ではげまされ、
その一言で愛を持つ、
その一言で腹が立ち、
その一言でがっかりし、
その一言で泣かされる
ほんの一言で、不思議な大きな力を持つ
ほんの一言で、人は元気に立ち上げる

私がどん底の生涯を必死で這いあがったお話をさせていただきました。
皆さまありがとうございました。
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住吉教会長小村桂子先生の南河内教区感謝祭での講話

住吉教会長の小村桂子先生がお宗祖さまの声を聞き、お宗祖さまと一緒に支部感謝祭に行かれたという講話が、平成21年7月15日号南河内教区便り(平成21年5月6日)に載っていましての転載しました。

喉頭ガンで膿が溜まり凝りができていたが福山支部の記念感謝祭でお形見拝戴と講話をして自宅に帰る。
凝りの原因の膿が消えて凝りもなくなる不思議な体験をされています。
さらにお宗祖さまは、お形見拝戴記念感謝祭は、お形見を拝戴することでお宗祖さまの自由自在の力(観音経の威神力)で奇跡を起こして、お宗祖さまが信者の皆さんを守っている事を実証する手立てだあること、そしてお形見拝戴記念感謝祭の講師としてお宗祖さまの御心を伝えるために全国の支部を1年かけて回る試練をお宗祖さまが与えられたようです。
冥応寺のお宗祖さまご尊像の口が動き、頭の近くでお宗祖さまのお声を聞かれています。
そして支部の感謝祭に行くとご宗祖様と一緒に来られましたねと信者さんに言われ、集まった方々はガン患者が多く、お話を聞いてガンが小さくなったので奇跡をいただかれた信者さんの話も出てきました。
私は昭和42年2月15日59歳で亡くなられたお宗祖さまは魂をこの世に残し信者さんをお守りします。
困ったら私の名前を呼んでください、私にはその力がありますとご遺告 を残されて亡くなられて以来、数数の奇跡を起こされています。
私の好きな観音経にあります『観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身 種々諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅』という経文が実際具現されているのです。
私は久しぶりにお宗祖さまのお力のお話を読ませていただきました。
妙音新聞に掲載されていたようですが、この頃記事の編集が変わり、信者として読まないといけないのでしょうが、第2世管長様のお話が無くなり、完全に読み切っていいませんので、小村教会長の体験談も読んでいません。

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村松稔茨木教区長の話

平成21年10月15日号の茨木教区便りに掲載されていました村松稔教区長のお話です。
主管奉仕者に対する奉仕始めの教区長挨拶で、簡潔明快なお話をされた方で、内容も素晴らしく感心しました。
そんな方ですから行きあたりばったいではなく、大事な話が網羅されていると思い転記しました。

昨年4・5月に始まったお形見拝戴、そして今年は宗祖霊顕75年祭を迎えることができました。
茨木教区は1500人以上の方が身目麗しいご本尊さまの御像にお参りさせていただきました。
10年に1度のご奉拝は、私たちの日常の祈りの姿を見ていただくという意味があり、また世界の方をみんな平等にお助けしたいというご宗祖様の願いを受け継ぐものであります。
信者であると、皆救われたい、おかげをという気持ちのある方が多いでしょうが、ご本尊さま、ご宗祖様のおかげの受け方は違うと思います。
先ず五行のお諭しを日常に生かして行くことです。
毎日の生活の中で徳を積み、そして自分自身が変わらしていただくことです。
住吉教区の小村先生は信じきることです。5年も10年も信じきる人は大きなおかげをいただけますとお話し下さっていますが、信じきることをお互いにして(実行)いただきたいと思います。
そして1つ1つの実行として、お運び席に出席する、感謝祭に参加して徳を積む、回向やご祈祷はもちろんしてください。
そして自分の事は充分、他人の事を先に!することが自分の徳になります。
ご本尊様のおかげをいただき我が家が明るくなり、感謝の言葉が家族の中で飛び交います。
信仰することによって、人が変わって行く事が修行していることです。
真心で歩もうとする人をご本尊さま、ご宗祖様は助けてくださいます。
どうか信じ切って、ご家族が発展繁盛されますように願っています。
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記念感謝祭でのお宗祖さまお形見拝戴のご利益と子供の育て方

平成21年7月15日の那賀教区便りから講師の法話を転記しました。

※ 記念感謝祭とは、各支部単位でお宗祖さまのお形見を頂き、お詣りした信者の具合の悪い所にお形見を当ててお宗祖さまのご加護を祈る儀式を取り入れて、平成20~21年3月頃まで行われた支部感謝祭の事です。

ある信者様が記念感謝祭お形見拝戴を受け、1ヵ月ほどして尿管結石になった。
お形見拝戴を受けたのになぜ病気になるのだろうと正直に思われたそうだが、しかたなく内視鏡手術を受けたところ、膀胱の裏に3mmほどのガンが見つかり、内視鏡で取っていただいた。
また、ある方は、股関節が悪く歩くこともできなかったが、お形見拝戴を受けられ、歩くことができ、座ることもできるようになった。
私自身も、ご廟の階段を登っていると胸が痛くなり、それが頻繁になってきた。
心筋梗塞の半歩手前で、カテーテル手術を受けた。
3か所詰まっており、5回以上の手術をする必要があったが、記念感謝祭で心臓にお形見拝戴をしていただいた。
その後検査に行ったところ、きれいにすべて良くなっていた。
このように記念感謝祭のお形見拝戴でたくさんの方がおかげをいただいている。
私に家は、私の父が、決心信者となり弁天様の側で守られて育ってきた。
小学校2年生の時に、風邪でペニシリンをうったが、身体に合わず、命が危うくなり緊急搬送され助けていただいた。
その半年前に、お護摩の呼び出しで「100日参りをしなさい」と仰せられ、100日参りをしてすぐその事件が起こった。
その後、お宗祖さまが私に向かって「あなたは弁天様に命を助けていただいた。大きくなったら弁天様のお役にたすのですよ」と仰った。
私が勤めるようになった時は、母がご神示をいただいた仕事の1つである本屋を始めた。
資本がないため、学研の科学と学習といったものを配ることから始めた。
「教えてやってくれないか」という声に応えて、子供たちに教えだし塾を始めることになった。
この塾の仕事もお宗祖さまにいただいた仕事。
私の人生は、小学校2年生のときに弁天様に助けていただき、弁天様を一心に祈るという中で育てていただいた。
子供たちは、優しい心、人をいじめる怖い心、傷つける心、色んな心が同居している。
どの心が前面に出てくるかでその子が形成されてゆく。
感謝祭や子供お運びといった祈りの中に子供を入れておくことが本当に大切。
祈りの中に子供を入れておくと、子供が少しずつ変わってくる。
環境が変わることで、その子の心の向きが変わってくる。
そこから行動が変わってくる。
まず感謝祭に連れてくる。
子供お運びに参加させていただくことが、子供たちの向きを変えていくことの大きな要素になる。
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お宗祖さまが祈りで因縁を解いてくだる

平成21年7月号の都島教区便りの優谷壽男教区長さんの教区長挨拶文の中にお宗祖さまのお言葉が載っていましたので抽出しました。

ご宗祖様のお言葉としてうねび教区の前の教区長であります吉村さんが「宗祖と私」という本の中で残しておられますお言葉の中のお宗祖さまがこうおっしゃったというのですね。

それは『弁天宗の霊場にお参りになっただけで薄紙を剥ぐ如くでありますけれど、因縁が解けるように祈りをこめております』と仰ったそうです。

如意寺でも冥応寺でもお詣りになった時は、バスの時間が気になるからといってお祈りがおろそかになり、お百度を踏むのが忙しくなったりしないように心がけてくださいとも仰っておられます。
この霊験あらたかなご本尊の前に出させていただいたのだから大きなお徳、ちょっとは因縁を解いていただこうかなというふうなことであります。

私は、お宗祖さまが言われるように、この世に因縁解脱のために人身を受けたのだと思っております。
因縁解脱とは最終目標ですが大げさかもしれません。悪因縁を減らす解消ですね。
私が来世で、またごあの世の先祖様・将来の子孫が幸せになるために、少しでも善い事を行い、罪を懺悔し続ける必要があると思います。
しかし、悪因縁を作ることはできても、なかなか善根功徳を行って因縁を解消することは、なかなかできないのが現状ではないでしょうか。
世のため人のためにと善根を積んでも、怒ったり、悪口不平を言っては悪因縁を作り、善根功徳をパーにしていると思うのです。
(差し引きするとマイナス点が多いのではなかろうかということです。)
これでは悪因縁の解消は難しいなあと思っていましたところに「薄皮を剥ぐ」話を知りホッとしました。
お宗祖さまは今でも私たち信者を見守って下さっています。
従って、私は、吉村さんが「宗祖と私」で仰ったように、今でもお宗祖さまがお祈りしてくださっておられると思います。
善根功徳がなかなか積めなくても、聖地に行きご本尊さまを真剣にお祈りすれば、薄皮を剥ぐように因縁を解いていただけるのではないかなとこのごろ思うようになりました。
如意寺にお詣りししっかりお祈りすることが楽しくなりました。
お宗祖さま智辯尊女様は素晴らしいお方です。
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先祖供養のお知らせ

辯天宗御所教会の教会便り平成21年8月1日発行の幸真に掲載されていました。
講師は女性の方です。
不思議なご先祖供養のお知らせの講話ですので、こんなこともあるのだと思い転記しました。

8月はお盆、9月は彼岸と先祖供養が続きますので、今月は先祖供養を通じましていただいた「おかげ」をお話したいと思います。
私は昭和43年にご本尊さまとご縁をつながせていただきました。
しかし、10年間色々なことを知らないままに、教えられないまま、勝手信仰をしましたが、これはいけないと「お運び」に行かせていただきました。
ある時、お池の中から助けてほしいと3本の手が出ている不思議な夢を見ました。
後で、遠縁の先祖で3つお墓が土に埋まっていることが分かりました。
私は、ご本尊さまが今、大きな力のある弁天様とご縁をつないだ私に、どこまでの気持ちで先祖供養の大事さ解かるかと、お試しになっているのだと思い、その先祖様達を無縁にすることな、(弁天様の)永代供養をさせていただきました。
するとその後に、妹が易学の方に「大変喜んでありがとうとお礼を言っている」と言われたそうです。
私は、事業をしていましたが、幾度も谷底を経験しました。
その時は試練を与えてくださっているのだと思い、善根功徳の積み方を考え、実践しました。
人様のお役に立てさせていただく喜びを得ながら「行」の足らない所を埋めて行く大事さを気づかせていただき、感謝を形に表して形に表して行きたいと思っています。
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弁天さま一筋の母が

南河内教区便り平成21年3月15日号に「弁天さまに一筋の母」と題して、1月25日教区集会所で行われた今年初感謝祭の講師笠原一之宗務員の法話が掲載されていましたので、転記しました。
補足しますが、講師の先生は法話のタイトルをもうされる事は殆どありません。
従って、教区便りの広報担当者が編集したタイトルかもしれませんので、タイトルはきにしないでください。

1 弁天さま一筋の母

私は7年前、27才の時に宗務庁の方にお世話になりました。
河内長野教区の信者ですが信仰は祖母の代からずっと引き継いでおります。
母が智辯学園の2期生で同級生に小林先生の奥さんや畑中先生、北口先生、山本先生といった方がいらっしゃいます。
そういったことで私も智辯学園で学ばせて頂きました。
母は毎日のように、姉や祖母と五條に元気に奉仕に行っておりましたが、ちょっと胸が痛いというような事を言いまして清世効を貼っていたら治るからと言っていたのですが、何ヶ月か過ぎたけれども、やはり胸が痛むので近所の掛かり付けのお医者さんに行ったところ、直ぐに大きな病院に行きなさいと言われて、近大病院に行って検査してもらった結果、岩ですよと言われました。
母にはガンといって言いませんでしたので、清世効貼っているし、弁天さんがいてくれてるし、治るよと平気な顔をしていました。
それでもガンという事で先生の話を聞きますと、乳ガンで取りあえず手術をしないといけないと、そのまま入院しまして手術をして頂きました。
何とか手術は成功して、ガン細胞は取れたという事でよかったですねと言われたのですが、初診の時には、手遅れですと言われたくらいだったので、その後もずっとガンの治療を続ました。
抗ガン剤などの副作用で髪の毛が抜けたりしましたが、帽子をかぶったらええんやといって退院後直ぐに帽子をかぶって奉仕に行っていました。
それから通院は月に1・2回と続けていましたので、病院に行っていたのですが、ある時、病院から呼出があって行きましたところ、もう先は長くないですよと言う話が先生からありました。
その秋ぐらいだったのですが、年を越せるかどうか分かりませんと仰ったのです。
これはえらい事やと、父は毎朝五條の如意寺に朝勤めに行くようになり、お百度を踏み家でもお祈をして、教区では教会で皆様にお祈りして頂き、その後ちょっとずつ回復に向かっていたのですけれども、急にしんどいと言いまして、再度入院しました。
父は付きっきりで病院に寝泊まりして看病しましたが、夜に直ぐきて欲しいと電話があり、急いで病院に行きましたところ、母はずっと痛い痛いと言っているだけで、会話のできる状態ではなかったのです。
父はもうダメやというような事を言っているので、私等は何ができるかというと、手を握ってあげる。ご真言を唱える事しかできなかったのです。
その間も呼吸ができなくなり、延命装置を付けて何とか心臓を動かしている状態になり、それから24時間、持ちませんでした。
結局、最後は乳ガンからリンパを通って肺ガンという事でした。
丁度今から10年前で、母は47才の時でした。
未だ若いのに周りから可哀想だという事だったのですが、祖母がポロッと言ったことがあるのです。
母に「あんたよかったな。これからご宗祖さまの側でずっと奉仕できるねんで」。
それを聞きまして祖母がずっとご本尊さまご宗祖さま一筋でやってきた心が分かるのですが、当時はそう言った祖母の気持ちが分かりませんでした。
それでもご宗祖さまの側に行けるのか、じゃ良いのかと思ったのです。
只そう言う事を思いながら心の中で「弁天さんって助けてくれるんと違うの?」という疑問が起こってくるのです。
「信仰したら助かるのと違う?」という気持ちがありました。

2 先祖供養は永久に

祖母は、昭和26年くらいに河内長野の駅前に住んでいたのですが、祖父が遊び回って家に帰ってこないという事があって、近所の方に相談しますと、弁天さんってあるから1度お詣りしてみないかということで、当時十輪寺にお詣りしましたのです。
そこでご神示を頂くわけですが、ご宗祖さまは直ぐ過去帳を持ってきなさいと仰ったので、後日過去帳を持っていきますと、18体に赤丸を付けられ、その内の2体に二重丸を付けられました。
そして、宗祖様は涙を流しながら『可哀想にな、因縁ですよ。赤丸の付いたご先祖さんは成仏していませんよ』といわれたのです。
その言葉を聞きまして、祖母はそれから一生懸命に先祖供養をするようになったのですが、それでも中々祖父は遊びに出て帰ってこない。それは変わらなかったらしいです。
しかし、宗祖様は、それは祖父の意志でやっているのではなく因縁で遊ばれているのですよというような事を仰るのです。
しっかり供養せんとそれは治りませんと仰るのを聞いて、一生懸命、毎日弁当を持って五條に奉仕に行き、お運びも受けていたという事を言っておりました。
当時、運送会社をしていたのですが、その運送会社も事故があって潰れてしまって仕事もどうしょうかという時に「駅前で麻雀屋をしなさい」とお話を頂いて、祖母は麻雀屋を始めるのですが、今度は祖父が博打で負けて、財産も又全部持って行かれたという事で、何も良い方向に向かないというくらい大変だったらしいのです。
それでもコツコツと祖母はお金を貯めて、全部のご先祖様に永代供養をして、それでもお金が足りないので借金をしながら、供養させてもらい、段々よくなっていったという事です。
そうやって、先祖供養を続けてもう50年になりますけれども、今でも一生懸命しております。そうした話しを聞きまして、それで、母を亡くした時も『あんたよかったな。これから宗祖様の側でずっと奉仕ができるねんで』という心が分かったです。
それだけにご本尊さま、ご宗祖さま一筋に信仰してきたから、そういった言葉がでるのやなという事が分かりました。
私も引き継いで来ているのですが、母が生きている時に、母も一生懸命先祖供養や奉仕をしていましたので、ご先祖様がもう成仏されているかと思って、管長様にお聞きした事があるそうです。
普通はそんな事は聞かないらしいですが、どうしても我慢できない、一遍聞きたいをといいまして、言ったらしいのです。
すると管長様は『未(ま)だやな』と仰ったそうです。
何10年かけても未だ成仏してないということを知り、私達も一生懸命に先祖供養を続けていかなければならないと言う事を思いました。

3 ご開帳は10年に1回! 

先週18日の新年祝賀会に出席された方はご存じと思いますが、お宗祖様のお言葉を聞かれていると思います。
宗祖様の昭和34年11月17日如意寺の感謝祭(以前は天啓日=17日でしたが宗祖様が亡くなられてから遷神日=15日に変更されました)でのお話をお聞きいたしました。
ご開帳を天啓(昭和9年4月17日)を受けられてから10年後くらいにされているのです。
その時ご本尊さまは10年後にもう1回が開帳しなさいと仰ったらしいのですね。
しかし、そのご開帳ができず、昭和34年ですので15年ほど経っております。
15年経っておりましたけれど、開帳しなければという事で、宗祖霊顕25年祭が行われました。
それが一番最初の霊顕祭でございます。
その後10年ごとに行っているのですが今年は75年祭を迎えます。
そのお言葉の中で宗祖様はご本尊さまの喜ばれる事についてもか立っておられます。
ご本尊さまが一番喜ばれるのは、皆さんが笑顔でお詣りされる事なんですということを仰っています。
信仰というものは、ご本尊さまにお願いばかりを聞いてもらうものではなく、ご本尊さまに喜んでもらえる事をする。
それが本当の信仰ですよ。
即ち、ご本尊さまに喜んでいただける事は、1人でも救われる人を増やして行く、お道b息をする。
それが一番喜んで頂ける事やと仰っているのです。
ご本尊さまのお身体はもうかなりボロボロですが、お顔は本当に化粧しているようなきれいなお顔をなさっています。
そのご本尊様の拝観できるのが10年に1回のこの4月でございます。
その時は1人でも多くの人をお導きしてお連れいたしまして、ご本尊さまの喜んで頂けるような祭典にしたいなあというように思いますので、これから後3ヵ月しかございませんが、皆様1人でも多くの方をお導きして、ご参拝頂きますようお願いいたいします。

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