人気ブログランキング | 話題のタグを見る

私の信仰についての考え方

私の信仰についての考え方

前に投稿したお宗祖さまのお諭し 『真実の祈りをする人は最後に勝利する』に関してつぶやいたものです。

まだまだ信仰ついては分かりません。
今までの信仰体験で言える私の考えです。
弁天宗の教理の解釈では、小竹小善さん水の章の教えが一番理解しやすく実践できる教えであると思います。
私のお運び法話の水の章をご覧ください。

支部の感謝祭に参加して、信仰が大事だとお宗祖さまがいわれた。
子供のころおばあちゃん(母親かもしれません)に連れられ祠や神社の神仏に手を合わせていた。
大阪の空襲で焼夷弾を浴び、助からないと言われたが五条に出かけお宗祖さまに助けてくださいとお願いした。
あなたは子供のころ神仏に手を合わせたので弁天様が助けてあげると仰っていますと言われ九死一生を得られた。
その方は大阪で支部を作り教区長になられています。
講師の信仰が大事ですというお宗祖さまの言葉のたとえ話として話されました。
しかし、何が信仰か理解に苦しみました。

母親や祖母の言われるがままに手を合わせることですが信仰でしょうか。
私はその方に神仏を信じる、敬う心が備わっており、よい信者になると弁天様がお見通しになられたから御助けになられたと思うのです。
子供の信仰では、お宗祖さまの集会でのお諭として収録してあります。
おばあさんが、弁天様は偉い神さまだから、マンマンちゃんと手を合せて拝むのよと教えます。
子供は、さっき転んでけがをしたけどそんな偉い神さまだったら何故僕がけがをしないように助けてくれないのといわれ、ああ言えばこう言う手に負えないとおばあさんが言ったそうです。
この話をお宗祖さまが聞いて、弁天様は助けて下さいという人しか助けませんと言われています。
誤字脱字があり12月19日一部修正しました。




1 信仰とは救っていただきたいご加護をいただきたいという祈りである。

これらから信仰とは、神仏にたんに手を合わせる・恭敬するではなくその神仏に助けていただきたく・救っていただきたく祈ることではないでしょうか。
ところがこの助けてもらいたい祈りのために、あの神様この仏様とお願いして回ることをお宗祖様はダメと仰っています。
お言葉集にありますが、神さま仏様が、あれこれ頼むなら俺は知らないということになるようです。
お宗祖さまのこのお諭しで言われているようにあの神様、この仏様とフラフラする心には真心がないのでしょう。
真心のない行動を神さま嫌われるようですね。
この考えは観音経を読むごとに私は強めました。
『一心称名 観世音菩薩 即時観其音声 皆得解脱』とあります。
弁天様お宗祖さまに救われた体験談を聞いて、 お宗祖さまのご遺告を呼んで確信しました。
弁天宗は他宗の朝夕の勤めにはない祈り=ご祈願があります。
弁天様を恭敬礼拝するとともに助けていただきたいことをご祈願できる素晴らしい宗教だと思います。
3回目の礼では私も朝の礼拝では、弁天様のご加護で無事に朝を迎え感謝の祈りをさせていただくとともに、ご加護を賜りたくご祈願をさせていただきますといって祈願事項をお願いしています。
しかし夜の礼拝では、2番目・3番目は今日のご加護に対する感謝を2回続け、借金を返す感謝箱をさせていただいていいます。
救ってください。助けてくださいの祈りも重要です。
ご本尊さまお宗祖さまに真心が通じるのは祈りしかないと思います。
お宗祖さまはご本尊さまにお伺いをされる時は、お祈りで無心な状態で弁天様と心を通わされている事実から祈りは信仰信心では最も重要であると思います。

2 人のため・人の喜ぶ事をする・奉仕等善根功徳行をする。

お言葉64 水の章から では、幸せな未来を切り開くのは貴方自身の努力ですと言われています。
幸せになるためには、祈りに加えて、善根功徳行が必要だと思います。
ですからお宗祖さま(ご本尊さま)が五行のお諭しの3番目に「善根功徳の行を積むべし」を加えられてと思います。

現在の生活でも将来を幸せにするためには、よい事をする。
他人のためになる。
社会のためにある事をして他人から尊敬される信頼される人間にならなければなりません。
でないと、他人は私が困っても助けてくれません。
これでは幸せになれません。

そして、人間は輪廻します。
生まれ変わったらさらに幸せな生活ができるようによい事をしなければならないようです。
ですから、祈っても自分の幸せを阻む悪因縁は消えないようです。
お宗祖さまは善根功徳行をして自分の悪因縁以上の徳を積むことを指導されています。
助けていただいたのは借金です。
善根功徳行を積んで借金を返しましょうと教えられています。
家族や他人の善根功徳行では自分の悪因縁はなくならないようです。
自分で解決しなければならない分野のようです。
従って信仰には祈りの他に善根功徳行が必要だと私は思います。
楽天の野村監督が郷里の小学校を訪れ子供たちに人間は何をするために生まれてきたか?と尋ねました。
そして人のためなる。人の喜ぶことをするために生まれてきたのだ。
それを実行するとご褒美がもらえる(と言ったと思います。南海で江本を再生し優勝、ヤクルトでID野球で選手を育て優勝、楽天で山崎を再生しリーグ2位等の事をいていると思います)
と言われています。なるほどと思いました。

私には、人間として善根功徳行にはご先祖様への供養が含まれるようです。
先祖が幸せになれば私たちも幸せになるからです。
先祖供養についていは、お宗祖さまはお経と食べ物お茶の供養が必要と仰っています。
ご先祖様がお経とお供えのある供養が欲しがっているのでしょう。
(お宗祖さまが仰るので、理由は分かりません。欲しがる先祖の姿が見えるのでしょう)
弁天宗の信者の先祖は信者が先祖供養をすれば、浮かばれていないというか濁った先祖様が救われるようです。
先祖が救われ、自分たちの悩みや病気が治り幸せな生活を送ることができる話があります。
お宗祖さまに助けていただきたいと先祖がお縋りしているお話から私はそう思います。

3 弁天様お宗祖さまの教えを実践する真心の生活をする

最後は、ご本尊さま教えをしっかり実行する・実践することであると思います。
ご本尊さまお宗祖さまに好かれ可愛がられる信者になるには、み教えを素直に少しでも多く実行しなくてはならないからです。
上司や先生の指導に従わず、上司や先生に好かれる部下や生徒はいないと思います。
他宗は色々なお経本に基づき各宗祖様が習得した知識に基づく教えがあります。
弁天宗には、お宗祖さまが直接弁天様とお話しされて「お告げ」としていただいた水の章があります。
水の章は、弁天さまが直々にお示しになられた人間の生き方・幸せになる方法です。
お宗祖さまはこの五行のお諭し(水の章を含む)の実践は難しいと述べられています。
コツコツ努力が必要であるということでしょう。
できないからとあきらめるなと仰っているように思います。
難しいからその功徳もさらに大きいと考え、できるものからコツコツとみ教えを実践するのが信仰だと思うのです。