弁才天に関するお経の資料 その2

弁才天に関するお経の資料 その2
弁才天 (参考資料 天部の仏像事典 錦織亮介)その2

宝塚市にあります真言三宝宗清荒神清澄寺の参道にある経本販売店でかった金光明最勝王経 大辯才天経の末尾に記載されていた、筆者の資料です。
私はよく分析されている資料だと思います。
弁天様を信仰するものは本資料を一読する価値があると思いましす。

4 信仰
5 弁才天の縁日
6 弁才(財)天概観 参考文献 大法輪選書 図解寺院めぐり必携





4 信仰

我が国における弁才天信仰は、奈良時代に始まるといえますが、単独尊として弁才天が信仰されたわけではなく、『金光明最勝王経』の説かれる護法神の1つとしての信仰であったと考えられます。
単独尊としての信仰は、中世(鎌倉時代)以後に我が国で弁天五部経が作られてから盛んになり、それ以前はむしろ金光明最勝王経信仰の中に含まれるものでしょう。

『最勝王経』に説かれる弁才天の功徳は、弁舌・知恵の神としての性格が主で、「もし法師ありてこの金光明最勝王経を説かば、われ当にその知恵を益し、言説弁を具足し荘厳せしむべし。
もし彼の法師がこの経中の文字句義において亡失する所あらば、皆憶持して、能く善く開悟せしめ、また陀羅尼を与えて総持して無礙ならしむ。
(中略)また無量の有情、この経典を聞かば皆不思議の福智、弁才、無尽の大慧を得、善く衆論及び諸技術を解し、よく生死を出でて速やかに無上正等菩提に赴かしめ、現世の中において寿命を増益し、資身の具悉く円満ならしめん」と記されています。

また戦闘の神性も諸所に説かれ、「勇猛にして常に大精進を行い、軍陣の処において戦い恒に勝つ」「眼目よく見るものを恐れしむ」「天と戦うとき常に勝利を得」「獅子の獣中の王たるが如く、常に8臂を持って自ら荘厳し、各々弓、箭、刀、矛 、斧、長杵、鉄輪并に羂索を持つ」の如く記されています。

音楽神としての弁才天は「五音楽声を絶えざらしむ」「この経を受持、書写、流布し、如説に修行する人のために弁才天諸々の眷属を将(ひき)い、天の伎楽をなしてその所に来詣し、而も擁護なさん」と記すだけですが、『大日経』はこの神性をを伝えて美音天、妙音天、妙音楽天などと称し、奏楽神の乾闥婆(けんだつば)に対して弁才天を声楽神として区別しています。

河神サラスバティーとしての性格は仏教においてはあまり伝えられていませんが弁才天の住所を「或る山厳深険の処に在り、或いは坎窟(かんくつ)及河辺に居り」と説いているほか、我が国における弁才天の祠が、竹生島とか江の島とか、水の中の小島とか洞窟のような所に設けたれ、また龍蛇と関係させられるなどは、本来が河神であったことによるのでしょう。

その他弁才天は種々の幸福を与え、災害を除くという神性を兼ね備えていますが、これは河が田野を豊饒にし、人間の繁殖と幸福の基をなし、また知識、学問、芸術などを豊かにするところから、自ら派生した神性といえます。

『最勝王経』には、「悪夢、鬼神、?道、邪魅(じゃみ)、呪術等の障難を除滅せん」「あらゆる憂苦ことごとく消滅し、貧窮を解脱して財宝足り(中略)延年を得吉祥安穏にして福徳増し、災変厄難皆除滅せん」「擁護をなして諸病苦、流星、変怪、疫疾、闘諍(とうじょう)、王法に拘(虎)えられたもの(中略)速やかに生死の大海を渡りて菩提に不退ならしむ」「才を求る者は多才を得、名称を求る者は名称を獲、出離を求る者は解脱を得」等々と記されています。
これらが『金光明最勝王経』に説く弁才天の功徳といえますが、同経に説かれた吉祥天が奈良時代以来盛んに信仰されたのに較べ、弁才天に関しては古い文献にあまり見当たりません。

和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』
日本五弁天として数えられる竹生島・江の島・厳島・金花山・富士山も古くから弁才天を祀る神社ではなかったようです。
この中で最も古くから弁才天を祀ったのは琵琶湖の竹生島で、平安時代中頃以後から諸書に現れ始め、とくに室町時代以来上方で盛んに流行しだして、その名声が世間に広がったと思えます。
かかる意味から竹生島は日本における弁才天の元祖といえます。
神奈川県江の島は、竹生島の弁才天を、源頼朝が文覚上人のすすめに従って藤原秀衡の調伏のために勧請したものと伝えられています。

平安時代から鎌倉時代にかけての弁才天は、吉祥天女の陰に隠れているようです。

弁才天信仰の展開において、五部の新経典が著されたことは大きな意味を持ちます。
この弁天五部経は、我が国で作られた偽経で、その作者と時代は不明ですが、中世以降のことと思われ、作者は俗間における弁才天信仰に迎合すべく作ったことが、その内容から推測されます。

この偽経の中では、貧窮を離れて財宝に満たされるという功徳が強調され、俗間では弁才天が弁財天に変わり、15童子の眷属を将いるまったくの財福神に変わったばかりでなく、西方浄土では無量寿仏で、娑婆では如意輪観音で、正身は日輪の中にあって四州の闇を照らしていると述べ、また荼枳尼天、聖天、愛染明王の権化であるとも説かれています。

さらには五穀の神、食物の神である国神宇賀神と結合がなされ、寺院のみならず神社でも弁才天が祀られることになり、やがては寺院よりも神社、すなわち弁財天社或いは弁天社の数が増えていきます。

弁舌・智恵の神としての弁才天はすっかり忘れられ、音楽神としての性格は幾分残しているものの、財福神として色あげされた弁才天は、人々に歓迎され、吉祥天女を凌ぐ人気を得ていきました。

水辺の多くに弁天祠が設けられ、はては庭園の泉水の中の岩、田んぼの用水池の中の小島にまでこの神が祀られ、ついに七福神の仲間に加わり宝船に同船するに至ります。
弁才天の霊場は、近江竹生島、相模江の島、安芸厳島、陸前金華山、駿河富士山が日本五弁才天としてよく知られていますが、富士山を除いて大和天川を加えることもあります。
その他に上野不忍池の竹生島弁天、井の頭弁天、浅草老女弁天、鎌倉銭洗弁天、鶴ケ丘八幡の弁天、叡山不動寺の弁天など各地に霊場があります。

5 弁才天の縁日

修法(すほう)の起首日は黒月9日及び11日(最勝王経)と言われていますので、今の陰暦の24日と26日(満月の翌日から数えて第9、第11日)に当たります。
偽経が行われるようになってからは、巳か亥の日に行われます。

6 弁才(財)天概観 参考文献 大法輪選書 図解寺院めぐり必携

弁才天は、原名サラスバティーといい、意味は「水に富む者」で、もとはインドの大河の女神であった。
辻四郎博士訳『リグ・ヴェーダ賛歌』(岩波文庫)によれば、「二、諸川の中にただ独り、サラスバティーはきわだちまされり、山々より海へ清く流れつつ、広大なる世界の富を知りて、ナフス族(うから)(人類)にグリダと乳をいだしきたれり」という。
「グリダ」とはバターの溶液のことであるから、グリダと乳といった、はなはだ豊かな富を与えるわけである。
やがて清流の水音から音楽の神、弁舌の神、芸術の守護神とされ、プラフマン(梵天)の妃になった。
仏教では、妙音天、美音天、大弁才功徳天と表記されて、我が国には室町時代末期以後、弁財天と記し、七福神に加えられた。
密教では胎蔵曼荼羅最外院(外金剛部院)の西方に位置する。
また弁才天は、宗像3神(多紀理比売命たきりひめのみこと・市寸島比売命いちきしまひめのみこと・多岐都比売命たきつひめのみこと)と神仏習合した結果琵琶を弾じる白肉色裸形の中国的な美女像が生まれるにいたった。

また偽経五経により、宇賀神と弁才天を同一視したものである。
宇賀神とは、宇迦御魂(うかやみたま)(倉稲魂)を指し、稲の神様であるから弁才天とは直接関係がなく、宇賀神と弁才天のお使いを白蛇とするところから混同されたものと言われている。
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