弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは

礼拝経の1節に「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」に関しての支部感謝祭での法話 M講師

1 弁才天女尊を供養し

それはこうだと思います。礼拝経の1節に「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」とあります。
弁才天女尊を供養しとありますが、弁天さんを供養するとはどんなことか判りますか。
供養には色々な解釈がありますが、一口で言いますとお供え物をしてお経を上げることを言います。
ところがこの感謝祭の祭壇果物お菓子等お供えしてありますが、神様が一番喜ばれるのはお給仕する方の心のお供えです。
弁天さんに一番最初に初水を供え、お宗祖さま・ご先祖様にはお茶を供えて、お花の水も替え、お経を上げて、ご飯をいただいていますか。
これをせにゃやアカンのですよ。
お花の水の腐ったのもだめですよ。
そして祭壇・仏壇は、最小限月に1度は中のものを出してお掃除してください。
ご本尊様、お宗祖さま、ご先祖様はきれいなところで住まっていただくのも心のお供えです。
感謝祭に行っても祭壇に指で字を書ける埃があるところもあります。
ここは、きれいにしてありますので話します。
汚い祭壇のところでは皮肉に聞こえるのでこの話はしません。
たとえばこうおっしゃる方がたまにいます。
今日忙しくてなあ、主人が仕事に、子供を学校に出してそれから独りでゆっくりご飯を食べ、それから弁天さんに水お茶ご飯を供えをしてお勤めをしますといわれます。
これは供養にならないと思ってください。忙しければ30分早く起きてください。
この感謝祭でもお参りさせていただこうと思う方と誰それ支部長さんがうるさくいわれるので、テレビで◎◎をみようと思ったがちょっとお参りさせてもらおうという方とは大分違うと思ってください。
こういう方が、あの人はお陰をもらい私にはないという方です。お陰が遠いのです。
お運びも行かせてもらおうと思い参加される方と、牛に引かれて善光寺参り的お運び参加も同じです。
心のお供えが一番供養になると思うておいてください。

2 礼拝の功徳を積むは

これをしたら功徳になる、功徳はこうして積むのやといいますが私は、色々あります。
すべて話していては時間がありません。これも一口でゆうたらこうではないかと思います。
神仏が喜んでくださる良いことをさせてもらうのが功徳であると思っています。
神や仏が喜んでもらうにはどうしたらよいのでしょうか。
それは自分より先に神や仏を考えなアカンと言うことでしょう。
これが先祖供養でもおじいちゃんおばあちゃんという代わりに戒名を読むのですね。
いつまでも俗名で呼んだり、2~3年お骨を家にもっている方がいますが、悪いとは言いませんが、その仏様はこの世から離れにくいだそうです。
仏の世界である彼岸に行けないということになります。
高野山に「長者の万灯、貧者の一灯」というのがあります。
弘法大師がいらっしゃるときに、道の両脇に灯籠をみんなが寄進しました。
当時の灯籠はお皿に油を入れた灯明ですね。
大きな灯明を寄進されたときに、あるおばあちゃんが貧しいので、小さいのでもあげたいと思って、一生懸命願って日常生活の食べ物の金も節約して、小さな灯明を寄進されたそうです。小さいですが心のこもった灯明です。
お金の価値は人によって違います。
宝石商など高額の商品を扱う方は、金銭の額が高額で100万円200万円はものの数ではないのですね。
金銭感覚が麻痺しているからですから自動車に多額の現金を置き忘れ取られた話がニュースになりますね。
私は5万円でもでもしっかり抱いて車に残すようなことをしません。これと同じです。
どうしても弘法大師に灯明を上げたいと苦労され寄進したそうです。
そしてある時祭典があり道の両脇に灯明がかかげられました。
弘法大師が出てこられたときに、風が吹き、ほとんどの大きな灯明の火が消えましたが、小さな灯明のみは心がこもっているので消えずに残ったとそうです。
これは心のこもったものがどれだけありがたいかを教えているのです。
功徳のあり方を教えているのです。
いかに心をこめるというか、こもるというかこのことを良く覚えておいてほしいのです。
供養でもなんでもさせてもらおうという気持ちでするのといい加減な気持ちでするのとは、大分、神仏の受け取り方が違っているということを教えているのが、「弁才天女尊を供養し礼拝の功徳を積むは」という経文です。
お経を上げるときに皆さん方でも何か思い浮かべることがあるでしょう。
お経のある程度の意味を覚えてもらうと心が横を向かないのではないかなあと思います。
お運びの礼拝経を聞いてすべて覚えなくても、こういうことやなと覚えてもらいますと心が横を向かないのではないでしょうか。

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