故梅木先生回想録89

故梅木先生回想録89

御所教会の機関紙幸真昭和20年11月1日号から頂きました。

梅木先生の回想録88からの続きです。
回想録80に戻ります。

1人は、掖上駅から通っていた栗山和子さんで結婚して間もなかったのだろうが、若いご主人が胃病かなにかで悩んでおられたようで、その病気平癒祈願のためのお百度を踏みに詣っていたようだ。
「若い方なのに感心だな」と思っていた。
今1人は、高田の方で、瀬川さんといったが、これも若い奥さんだったが、赤ちゃんが小児麻痺の病気でお百度祈願をされていたようだ。
汽車で出合ったり、十輪寺で出合う内に、若いお2人の熱心な信仰に、心動かされて話しを交わすようになった。
2週間を過ぎた頃、私の足腰の痛みは、ますますひどくなって、五條駅から十輪寺までの道を1時間もかかるようになった。
お百度も70回になり、50回になり、30回になっていった。
お百度の行は100回回らねばと、心あせるが、足も体も痛みのためにどうしてもそれ以上動かなくなった。
「お願いのためのお百度が、何故踏めないのだろう。お百度の行が足腰の故障で踏めないのは、私の願いがいけないからだろうか」
20回踏んで、もう一歩も歩けなくなった。
私は、お百度石の後ろの釣り鐘堂の下に腰掛けて、ジッと本堂を見上げていた。
何時しか両頬に涙が落ちた。
「今度の願いはお受け取り頂けないのだろうか」そう思うとまたと涙が溢れた。
ようやく家に帰って奥の部屋で、体を横たえているといつの間にか寝ていた。
ふと気がつくと、広い広い境内の入口に立っていた。これは十輪寺の姿ではなかった。
広々とした境内。
そして一面に砂利が敷き詰められえていて、美しく掃き浄められていた。
正面の奥に大きなやしろ風の拝殿が建っていた。
(正面の大きな拝殿がありその奥にお社が建っていたの間違いではないでしょうか)
今思うと後に立った大和本部の姿だったと思い当たるが、当時は大和本部の姿は影も形もない頃のことである。
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by nohara4241 | 2008-11-29 06:12 | 講師の回想