節分祭・星祭祈願に関してその始まりは

節分祭・星祭祈願に関してその始まりは

弁天宗諸儀では、節分祭・星祭祈願について修正会から始まった法会であるとなっている。

年末も近づきましたので、新年を迎える大晦日の関係する行事として古来日本では、どうであったのかを知るために節分に因んだ用語をウイキペディアから収集して転載します。

すべてウイキペディアからですから、不明な用語はウイキペディアで探すことができます。
一部別なサイトはその旨表示してあります。
(項目)
1 修正会(臨済禅、黄檗禅公式サイトから)
2 修二会
3 節分祭の始まり
4 近代以降の節分の変遷
5 豆撒き
6 恵方巻き
7 年神
8 お化け




1 修正会

臨済禅、黄檗禅公式サイトから
修正会(しゅしょうえ) -足もとを見つめ直す- 花園』昭和63年1月号大分県・地蔵寺住職 姫野晴道
修正会は元日から三日~七日間、各寺に於いて行われる法要で、正月の中心行事である。
そのおこりは中国にみられるが、わが国では護国思想の高まった奈良平安時代に、悔過の行法や「大般若経」の六百巻の転読法要も行われたとある。
「悔過」とは、大乗仏教でいう「懺悔」の意味の「過ちを悔いる」ことで、過去の罪業を仏前において悔いることによって衆罪が消滅する仏教の考え方に、神道の身を清める禊の思想が習会されたものである。
今日では、祈祷般若をつとめて国や社会の安泰、家内安全、厄払いなどの祈願が行われるが、それは単なる現世利益を念ずるだけでなく、「みんなが行いを修めるのに喜びあれ、道に進むに障りなかれ、仏の智慧を速やかに頂き、菩提心に怠りなかれ」と、心のたたずまいを正しく修めることに意義がある。

即ち、「修正」とは、まちがいや不足を正し、ゆがんだものを直すことであり、「悔過」は過ちを悔いること―正月は"正す月"であって、平素の暮しを省みて、まちがいを正し、過ちを慙愧し自らを養う機会と心得られてきたのである。
一年の計は穀を種ゆるにあり百年の計は徳を種ゆるにあり人の最も種ゆるべきものは徳なり(南禅寺義堂周信日記)
人生はよく旅にたとえられるが、正月はその旅の一里塚にすぎない。
懺悔や反省などといった心の内面に向って求めることがおろそかにされている今日、しゃにむにただ前進あるのみという生き方を一歩止めて、さらに一歩退いて足元を見つめ直す必要がありはしないか。
外へ向って押し進んだ結果、道が行き詰った時退いて内に向う心の眼を開くこと、それが「悔過」であり、「修正」ということであろう。
真のめでたさとは、正しきを修め本当の生き方が明らかになり、生き甲斐が発見されることなのである。

2 修二会

修二会(しゅにえ)は、仏教寺院で行われる法会のひとつで、 修二月会ともいう。旧暦の二月はインドの正月にあたるので仏への供養を行なうといわれている。
なお、旧暦1月に行われる法会は修正会(しゅしょうえ)という。
奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で一般的に知られている。また薬師神の修二会は「花会式」の通称で知られている。他に法隆寺西円堂で行なわれるもの、長谷寺で行なわれるものがある

3 節分祭の始まり

節分の行事は宮中での年中行事であった。
延期式(えんぎしきとは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。
三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、かつ細かな事柄まで規定されていることから、古代史の研究では重要な文献となっている)をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。

もともと、この節分の鬼は日本の妖怪で、民話や郷土信仰(*1)に登場する悪い物、恐ろしい物、強い物を象徴する存在。鬼を払う悪霊払い行事は平安時代頃から行われている「追儺(ついな*2)」から生まれた。

*1 郷土信仰の信仰(英語:faith)とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること。信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的である。

*2 追儺(ついな)とは大晦日の宮中の年中行事であり、平安時代の初期から行われている鬼払いの儀式。「鬼やらい」(鬼遣らい、鬼儺等とも表記)「儺(な)やらい」とも呼ばれる。もとは中国の行事であり、この行事が日本に輸入され、ついに宮廷の年中行事となった。現在の節分の豆蒔きの元となった行事である。

4 近代以降の節分の変遷

近代から、上記に述べた年中行事が廃れ、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、豆撒きをしたりするようになった。
一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。
これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。

5 豆撒き

豆撒き(東大阪市・徳庵神社)炒った大豆を撒き、蒔かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。
また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。
豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。
これは、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合した物とも言われている。
撒く豆は炒った大豆が普通であるが、北海道などでは落花生などをまく(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる、等の利点がある)。
炒った豆を神棚に供えてから撒く地方もある。
豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。
鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。
家庭での豆まきでは、「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家で「鬼は内」の掛け声が多いという。
節分の季節になると、多くのスーパーマーケットでは節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆として売られている。
大概は、厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについており、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。
小学校では5年生が年男・年女にあたる。
そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。
神社仏閣と幼稚園・保育園が連携してる所では園児が巫女や稚児として出る所もある。
大きな神社仏閣では、節分の日に芸能人・スポーツ選手・等が来て豆をまくようなことも行なわれ、イベント化しているとも言える。

6 恵方巻き

節分に食べる太巻き寿司のこと。節分の夜にその年の恵方(歳徳神(*3)の在する方位)に向かって、願い事を思い浮かべながら無言で太巻き寿司をまるかぶりする。
恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれる。
昭和初期にも、大阪では節分の「丸かぶりずし」の広告ちらしが見られる。
しかし戦後は一旦廃れ、1974(S49)年に大阪市で海苔店経営者等が節分のイベントで海苔巻きの早食い競争を始めたことや、1977(S52)年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事で、復活した。
現在の恵方巻の全国販売はセブンイレブンが、1998(H10)年にコンビニ初の恵方巻全国販売を開始し、ローソン、ファミリーマート、サークルケイ、サンクスなどがこれに続き、豆撒きに勝るとも劣らぬ国民的習俗へと急成長しつつある。
一部の洋菓子店では上記の洋菓子版として「恵方ロール」と称するロールケーキを出している。

*3 歳徳神(としとくじん、とんどさん)とは方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神である。年徳、歳神、正月さまなどとも言う。
ほとんどの暦では、最初の方のページに王妃のような姿の美しい姫神の歳徳神を記載している。
歳徳神の由来には諸説あり、『簠簋』では、牛頭天王の后で、八将神の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとしているが、これはでたらめであるとの批判もある。
また、牛頭天王が須佐之男尊と習合したことから、その妃の櫛稲田姫であるとも言われる。

7 年神

年神(としがみ、歳神とも)は、神道の神である。
毎年正月に各家にやってくる来方神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿(としどん)、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。その根底にあるのは、穀物の死と再生である。
古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。
現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。
門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。
各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。
また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。
農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたため(山の神も参照)である。
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。

8 お化け

東京の浅草、京都の祇園、大阪の北新地等では、芸者(舞妓、芸妓)が、節分の前後に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。
これをお化けと呼ぶ(一説には当初は子供の様な格好をしたことからお坊髪と呼ばれ、それが「お化け」になったといわれている)。
いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来る、と信じられたことから始まったもの。江戸時代のコスプレといってよい。
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