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20年8月15日の挨拶

20年8月15日奈良県五條市大和本部感謝祭での宗務総長の挨拶

(編集項目:ブログ者)
1 智弁奈良高校の全力で立ち向かう姿勢と強運
2 うら盆会の新しい考え方(説)
3 日本の祖霊供養は年末年始だけだった
4 祖霊殿の五色の旗に書かれた如来さま
5 無数にある先祖様との向き合い方
6 結言




1 智弁奈良高校の野球部員の全力で立ち向かう姿勢と強運

暑いと申しますと甲子園でも、この大変熱い戦いが繰り広げられているわけでございまして。
エ、智弁学園和歌山高校の方が勝ち進んでおるようでございまして、残念ながら奈良校の方がですね。
2回戦で敗退したわけでありました。
明日ですか。
和歌山高校の方は準々決勝でございますね。
明後日が準決勝で、明明後日が決勝。
そして優勝と。
こんな風になるわけでございます。
これは予定ではありません。決定でございます。
よろしくお願いできればと思うわけでございます。
今年もこの両校の予定。
私はね。
殆どこの、仕事が重なったり、来客があたり等がございましてね。
あの、本当に。あの、試合を見ることができなかったわけでございますけれども。
両校ともこの、予選は本当に楽勝という風な試合はなかったのじゃなかろうかなと。
とりわけ奈良校の方はですね。あの、準決勝、とみがおか高校と戦った試合。
あれはもう。
私は少し時間があり見させていただいたのですが。
負けたと思いました。
9回の時点で1点負けておりました。
それで9回の裏の攻撃。
同点にし、更に延長で1点取られましたがその裏で逆転しました。
私は9回の表に時点で負けたと思いました。
しかし今年の彼らなら何とかやってくれるのではなかろうかなと思って、見ていた。
そこにはプレイする姿勢は、勿論去年も一昨年も言うまでもないのですが、ちょっと今年は違っていると思ったからです。
1塁でアウトになると分かっておりましても、ですね。
サーと一塁に滑り込んだ。
何故ヘッドスライデイングをしないと行けないのか。
又アウトになってベンチに帰るときも全力疾走していました。
だらだらではなくて。
全力でベンチに帰っていました。
この様な姿勢がもしかしたら、強運をよぶのではないか。
こんな風にしてみておりましたところ、案の定その通りになったのでございます。
10回裏、1点負けておりまして、ツーアウト、満塁で、4番のシリヤマ(?)君のうちました打球は1塁ゴロです。
ところがツーバウンド目ぐらいから大きく跳ね上がりまして、ライト線を転々と致します間に、2者が帰りましてどたん場で逆転勝ちをしたのです。
実力が接近しているときというのは、そうゆう姿勢が強運をよぶのではなかろうか。
改めて思いました。
決勝戦も危なかった。
それでも彼らは甲子園に出てくれたのであります。
先月の28日でありました。
奈良県で優勝を決めましてから、2日後だったかな。
奈良県大会の優勝旗をもちまして、監督を始め野球部の諸君20名、こちらのお礼のご報告に来てくれました。
そして、出迎えてくださいました五條教区の信者さんとご本尊さまに感謝のお勤めをさせていただいたのでありました。
その際に私は、そういう姿勢が勝ちを呼んだのだろうというようなことを、実は私、申し上げたのでございました。
選手の諸君も監督さんも、さもありなん。まさにその通りという顔をして、お聞きになっていらっしゃったようです。
本当のあの子達は礼儀正しく、高校生らしく爽やかに、私に有り難うございましたと1人挨拶をしてくださったのが印象的でした。
残念ながら甲子園で2回戦で敗れてしましましたけれども。
奈良校の分も今度は和歌山校が頑張って欲しいなというこんな思いでいます。
改めて目の前の課題に全力でぶっつかるという姿勢を、私この年になりまた彼らから教えてもらった様な気がいたしましたので、皆様方にもご報告をさせていただいたようなことでございました。

2 うら盆会の新しい考え方(説)

さて、これからうら盆会先祖供養法要をこの5時から執りおこなう。
その後吉野川におきまして灯ろう流しを執行させていただくわけでございますけれども。
うら盆会と申しますと皆さんね。
木蓮尊者のあの故事をお聞きになれれたことがあろうかと思います。
木蓮尊者のお母さんが餓鬼道に落ちていた。
何とかしてあげたいと木蓮尊者は思って、お釈迦様に相談した故事であります。
そんなところから、うら盆という言葉が産まれてきたんだという風に教えていただいたことがあります。
だからうら盆だから表盆がるかといいますと、そんなわけはないですね。
私本当の表盆というのがあるのかなと思っていたのですが、そうじゃないと言うことが分かってきました。
ところでね。
こういう説もあるんです。
というよりもその説が仏教界で有力だという事が物の本に書いてあったのです。
それはね。
うら盆という言葉の語源であるウラバンナは逆さまに吊されるというように教えられてきたのでありますけれど。
別の考えは、インドから西の方へ向かいますと今のイラン、ペルシャで太古の昔行われていましたご先祖を偲ぶ儀式にウルバという儀式があったのです。
ウルバというんですって。
ペルシャ語でウルバ。
これは何を意味するかといいますと霊魂を意味する言葉だったのだそうです。
これが中国に伝わりまして、日本に伝わりうら盆会となったという説もある。
今はこの説が有力だといわれていまして。
しかし、ネットで調べましてもね。
こんな事はでてない。
まだまだこんな事は、そういうことが発見されて間がないんかも知れないなと思うことがあったのです。
しかし、いずれにいたしましても。
この仏教の流れとともにうら盆会の法要が中国から日本へ伝わってきたわけであります。

3 日本の祖霊供養は年末年始だけだった

それまでは日本ではそんならどんな祖霊供養をしていたのかと申しますと、その時期は年末年始だったのです。
年末年始の祖霊が例えば山から家に帰ってくる。
それを供養してまた帰っていただく。
それからうら盆会という考え方が入ってきましてから、年末年始のそういった、ご先祖を供養するということはなくなりまして、このうら盆会というのが残っていたのだということが書かれてありましたが、なるほどな。
そのように歴史を辿ってみるということもまたイイかな。
という風に思ったわけでございますけども。
それに伴いまして、うら盆会に併せましてね。
施餓鬼供養というのが併せて行われているようでございます。
これも元もと、本来は別々であったようでございますけれども、このうら盆会と同時に行われるようになって来たのはそんなに昔ではないのだというようなことが書いてありました。

4 祖霊殿の五色の旗に書かれた如来さま

あの祖霊殿の正面にですね。五色の旗が垂れています。
5の色には、5人の如来様が書かれている旗が吊してありますのでご覧頂けるだろうと思いますがね。
餓鬼道の落ちていいらっしゃるとするならば、そのご先祖様をお救いするそれぞれの働きを持っていらっしゃる如来様の名前です。
例えばね。
餓鬼道に落ちているとするならばその先祖さまは、食事が食べられない。
喉の管が針のように細いのだそうです。
でそれを食べやすくするために、いわゆる食道を広げる働きを持った如来様もいらっしゃる。
また心配せんでいいよ。
地獄から極楽へゆけるんやで、心配しなさんな。
という風に安心を与える如来様も5つの中にある。
いずれにいたしましても、餓鬼道に落ちているとしますならば、そのご先祖様をすくい上げていこうとする。
そのような5つの働きを持った如来様があそこに、名前として掲げられているということをまたしっといていただけたら、よろしいのではなかろうかなと思うわけであります。

5 無数にある先祖様との向き合い方

ま、いずれにいたしましても、このうら盆会は、先祖供養ということを通しましてご先祖様を偲ぶ、大変大事なこの儀式行事だと思っているわけでありますね。
しっかりご先祖様と向き合っていただきたいと思います。
ご先祖様は、今私たちがこのように生活していますこの世界ではなくってね。間なんていうのでしょうか。
別なところにいらっしゃるわけでございますよね。
そういうご先祖様と我々が向き合うということはどういう事なのでしょうか。
これは、この時間どうそそのようなことを考え頂きたいと思うのでありますけれども。
ご先祖様あっての我々であります。
私たちがいるからご先祖様ではなくて、ご先祖様がおって我々なんだ。
しかもこのご先祖様は、1人や2人ではなくてね。
天文学的な数字である。
そういうそれぞれの時代にご先祖様1人1人が精一杯生きてくださったから今こうして我々がここにいるわけです。
つまり私たちが生きているということは、生きているという事実の中に無数のご先祖様の生命が生きているということもいえるのじゃなかろうか。
だとするならば、私たちはご先祖様と向き合うことを通しまして、今一度どの様な生き方をするのが正しいのか。そんなことも考えてみることも大事ではなかろうかなと思います。
好きなことをやって過ごしてもその人の人生。世のため、人のため、少しでの人の幸せを考えてあげて行くというのも私たち1人1人の人生の有り様であります。
どんな人生の生き方をすればいいのか。
人間としてどうあるべきなのか。生をまとうするということはどういう事なのか。
こんなところをですね。このご先祖様と向き合う供養を通して考えてみる。
私はこんな事が大事ではなかろうかなと思いました。

6 結言

どうぞ今日はそのような意味でご先祖様を偲びながら、私たち1人1人が如何にいきるべきかを考える。
そのような1日でありますようにお願いいたしたいとこんな風に思っているわけでございます。
只今から、管長猊下のお話を頂きまして、その後先祖供養法要を行いまして、その後灯ろう流しを執行させて頂きます。
長時間の儀式行事で遅くなるかと思いますが、どうぞ最後までよろしくお願いいたしまして、本日のお話を終わらせて頂きます。