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19年水の章7講法話NO2

19年7月8日(日)水の章7講NO2 小竹祥善講師法話
(編集項目:ブログ者記)
NO1(前回略)
NO2
3 高きに止まれば水は流れじ、溜まり水となりて腐るものなり。(11)
⑴ 流れない、流れる
⑵ 高きに止まれば
⑶ 水平の心、高きに止まる心の反対の心
⑷ 言葉のダイエット(言葉を減らす)
⑸ 朝顔にまつわる話
⑹ 一口残
⑺ 豆腐をつぶしてクズの5円豆腐を作る
4 病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり。(12)
⑴ 原因は自分の心です
⑵ 解決するのも私達の心です
⑶ 股関節の変形性脱臼症の子供の話
⑷ 終わりに




3 高きに止まれば水は流れじ、溜まり水となりて腐るものなり。(11)

⑴ 流れない、流れる
まず水は流れない場合と流れる場合の2つがあります。流れる水は清水を作って参ります。ところが流れないと溜まっていってだんだん腐り水となります。腐った水は生活の中では使えません。生き物が生きて行けません。私達は水を何時もきれいにすることが大事です。
流れていた水がどうしたら止まるかというと、「水は水平になると流れない」高いところと低いところがあったら低いところに流れます。高さがなくなり水平になると流れが止まります。
水平ということが水の流れを止める大きな力のようです。ここで皆様方にいいたいのは、水の流れを止める。まごころを止める「水平の心」とは、私は物事を見るときに「当然だ」「当たり前だ」という見方が心の中にできたときの心です。そうすると水は流れません。
私達が当然じゃないか、当たり前じゃないかという見方が心に湧いてきたときには、私達の心は水が流れない方向に向かっているのです。

⑵ 高きに止まれば
もう一つ出てまいります「高きに止まるれば」ことばがあります。この言葉の心はどんな心かと申しますと、「私は何でも知っている」「聞かなくても分かっている」「学ぼうとしない」という心が私は高きに止まる心だなと思うのです。学ぼうとしない。もう聞かなくても私は知っている。何でも知っている。もうそんなことは前に習ってきた。そういうふうな心この2つの心が私達は、清水を腐り水にする心だと考えたいのです。

⑶ 水平の心、高きに止まる心の反対の心
この2つの心を、自分達の心の中に持っていないかどうかを考えることがここでは大事だと思うのです。この様な心を自分達で振り返って、その中から自分達の心の位置で、とにかく、心を低くする。
水平な心や、高きに止まった心でないか生活の中で心を入れ替えることが大事だと思います。水をながずために水平の心や高いに止まる心の反対の心になればいいのです。例えば、例えば、水平の心である「当然だ、当たり前だ」ではなく「これは何々のお陰なのだ、皆さんのおかげなのだ」と言うように感謝をする心ができたら水は動き出します。心が低くなります。感謝したり、尊敬したりする心が自分達の心に湧いてきたら、私は、水が動き始めるだろうなと思います。
高きに止まる心の反対であります「学ぼうとする。少しでも教えてもらおうとする。」心がでてきますと、私は間違いなく、流れる方向に行くのだと私は思います。きれいな清水であるまごころが流れるのですから生活が生き生きして参ります。
そのことをお宗祖様は私達に仰ってるんだろうなと思うのです。何故これが大事なのかということは、次の言葉で出てまいります。
心ではそういうふうに自分達の心が果たして水の流れる心なのか、それとも水を溜めてゆく心なのか、その辺を考えてみることが大事だと思います。

⑷ 言葉のダイエット(言葉を減らす)
特に言葉の中で、最近こんな事がありましたので、紹介しておきたいと思います。ダイエットとは「痩せる」ではなく「減らす」と言うことです。こんな言葉を使っていると心の中でダイエットができて、肩こりがなくなるそうです。2パターンあります。
1パターンは、できるだけこういう言葉は使わないと言うことです。できるだけ「がんばれ」という言葉を使わない。できるだけ「忙しい」と言わない。できるだけ「普通は」と言わない。この3つの言葉をできるだけいわないようにする。そうすると、心の中に隙間ができて肩こりがしないそうです。
2パターンは作った方が女性の方で女性用の言葉を考えられています。特に私達はこういうことを心掛けていますと仰ったのは、「どうせ何々だ」の「どうせ」という言葉を言わない。後は「いまさら」と「遅い」です。この3つの言葉をできるだけいわないようにする。そうしますと自分達の生活の中に隙間ができて、肩こりなんかがなくなりますといわれるのです。肩がこる方は生活で6つの言葉を使わないようにしていただきたいと思います。
確かに、こんな事がありました。

⑸ 朝顔にまつわる話
私達の生活の中ですね。ああこういうことが大事だなと思ったのはですね。今野原は各お宅で紫陽花がたくさん咲いています。私は今西角の地蔵さんの前に住まわせててもらっているんですが、斜め前のお家に、今時分、本当にきれいな朝顔が咲き出したのです。何という種類か知りませんが、この朝顔にまつわる話です。
朝顔は朝の光を受けて咲くといわれていますので、ある植物学者が、24時間光を与えました。ところが花は咲かなかった。光だけでは咲かない。光を与える前に、夜の冷気と闇に包まれることが必要だったのです。その後に光を与えると朝顔が咲くのです。ですから人生にも花を咲かせようと思ったら、光だけではなく夜の冷気と闇が必要なのですよと言う話を聞いたことがありました。私は、光は喜びの部分で、夜の冷気や闇は苦労の部分だろうなと思うのです。喜びの部分と、苦労する部分の2つがあって、初めて花を咲かせるのだろうと思ったことがありました。この話を聞いてちょっと勇気がでませんか。光の部分だけでなく、夜の冷気と闇がないと朝顔の花は咲かないのだそうですから、私達の回りに起きていることが、冷気の部分か又は闇の部分か分かりませんが、実は花を咲かせるためにはそれが不可欠な部分だったのです。この様に考えてみたらいいのじゃないかなと思ったのです。
朝顔にはもう一つ話があります。加賀の千代女という名前を聞いたことがありませんか。女性の俳人です。加賀ですから石川県です。この方の出身は昔の松任市で、今では市町村合併で白山市となっています。白山市では千代女に因んで俳句のイベントがあるようです。
「朝顔や、釣瓶取られて、もらい水」何時も井戸水をくんでいた釣瓶に朝顔の蔓が巻き付いていた。この蔓を外すと朝顔がダメになるから水をもらいにいったという話が伝わっています。

⑹ 一口残
石川県は江戸時代加賀藩でした。加賀100万石と言われ豊かな町でした。その加賀に、石川県の海は国力が豊かであったためでしょうか、江戸時代から福祉に関しては非常に行き届いた藩であったそうです。前から老人福祉の施設があり、お祝いの会が合ったり、諸手当も沢山つくってあったみたいです。長寿会のような会が年に1回あって、国中から集まってきたご長寿の方々を前田の殿様がお祝いをしており、その時殿様が、皆様方は大変ご長寿だけれど、長寿の秘訣があったら教えて欲しい。長寿の秘訣は何ですかと聞いたそうです。すると1人のお年寄りが歩いてきて、腰に付けていた矢立から筆を執りだし、扇子に秘訣を書いたそうです。その扇子が残っているという話でから石川県に行き一度探してみようと思っています。
「一口残」という字を書いたそうです。これは「一口残を持って万人を救う」という言葉の最初の部分です。一口残とは、自分ことばかり考えて生きるのではなく少しでいいから他人ためになる、他人に尽くす、他人のことを考える生き方をしなさいという教えの言葉なのです。
自分のことばかり考えないで、一口ですから多くありません。少しでも人のためにと考えて生きて行く。そんな心が長寿の秘訣ではないですかと答えたという話です。
確かに大事なことだなと思います。ここで間違っていかないのは、自分で食べた残り物を他人に与えるのではないのです。食べる前から始めから、一口残す思いが考えがるということです。もう食べられないからどうぞということではないのです。

⑻ 豆腐をつぶしてクズの5円豆腐を作る
嶋田洋七さんの佐賀のかばい婆ちゃんの中にある話と同じですね。嶋田洋七さんがお婆ちゃんと暮らしていたときに、おばちゃんが孫を育てるために朝早くからお金を稼ぐ姿を町の方が見ているのですね。豆腐は1丁10円ですが、嶋田洋七さんは何時も5円を持って豆腐を買いに行きます。欠けた豆腐の端を集めたクズの豆腐が5円の豆腐です。豆腐屋さんも嶋田洋七さんの家を知っており5円で売ってくれるのでした。ある日5円を持って豆腐を買いに行きました。僕悪いね今日は5円お豆腐がないんだと言われそうですかと返事をして帰るときに、後ろから、僕あった、あったと言うので嶋田洋七さんが振り返るとその豆腐屋さんが片手で豆腐をつぶしていたそうです。一口残の世界はこの様な豆腐屋さんの世界なのです。決して始めから自分がいらなくなったものというのではなく、始めからとうか新しい豆腐をつぶして嶋田洋七さんのために5円豆腐を作ったのです。この世界が私は一口残の世界ではないかと思います。ですから私達は生活の中で、全部ではないのですこの一口を、まさに他人のためにする行為を生活習慣の中で取り入れてゆくことが大事だあると思います。この様な一口残の行為・行動ができるその前提として、私達の心に中に感謝の心があれば簡単にそれはできるのではないかと思うのです。どうぞ我がこととして覚えていただきたいと思います。

4 病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり。(12)

⑴ 原因は自分の心です
これは非常に大事なことです。これが私達が弁天さんを信仰生活をしてゆく上で、ひとつの道しるべとして覚えておいて欲しいと思います。それは私たちの起こって参ります病気、色んな事柄、事情は、どこが原因かと申しますとお宗祖様はそれは心が原因ですと言われています。良く家相が悪いと言いますが、本当に表裏鬼門に何々があって家相が悪いのでしょうが、その悪い家相の家と出合うのは、その方の心が選んだのです。家相の所為にしたらダメです。ご先祖がどうだからいう前にその後先祖をほって置いた自分の心が原因なのです。
ここが一番大事なところです。
病気事情は自分達の心が原因なのです。弁天宗ではあなたの心が原因ですと教えているのです。これだけは覚えておいてください。どんなことに出合っても、どんなものに出合っても、自分の心が原因なのだということです。
どういう心がそれをつくたのかと申しますと、お宗祖様は腐り水が原因なのだと仰っています。心が腐っているのです。心が流れていない。生き生きしていない。感謝をしていない。この様な他人に尽くすことが足りない腐り水が原因で、今あなたに起こっている病気や事情があるのですよと言われているのです。
このことを私達は、どこにいっても忘れてはならないと思います。どんなことが起こっても、どんな状態になっても、電車に乗って足を踏まれても、私の心が原因なんだと心を反省懺悔するところまで持ってゆかなくてはダメだと思います。

⑵ 解決するのも私達の心です
私達はそれを周囲の所為にしたり、社会の所為にしたりしますが、お宗祖様は心が原因と仰っています。ここで大事なことはこの病気事情を本当に解決しようと思ったら、どうなるかと言いますと。
この「心」が「病気事情の原因」ですから、解決するのも「心」です。薬の飲んで治った。家相を直して直った。そんなことではないのです。ご祈祷してなおった。そんなことではないのです。心が原因ですから、心を変えなくてはなりません。
腐り水(高きに止まった水)が、流れて清水になって初めて解決になるのです。
心で解決するということは、心が何時も私達の救いの1番大事なところです。救いの原因と言ってもいいかもしれません。自分達の心を入れ替えたら、ご本尊さまが救って行くというのが弁天宗の考えです。
まず心が動くことです。私は何回も何回も口ずさんで、覚えることが大事です。『病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり』心が救いの原因であります。救われようと思ったらまず自分の心を、替えることです。この心に1番大事なことがあります。水の章には64の言葉がありますが、私達に起こってくる色んな問題を解決するときに、この言葉『病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり』を1番にあげてもいいかと思っています。この言葉を覚えておいて欲しいなと思います。
何か事が起こったら、これは自分の心が、腐っているのだ。だからこんな事に出合ったのだ。腐り水を替えなければいけないなと思ってください。

⑶ 股関節の変形性脱臼症の子供の話
この12番のお言葉の事例になるのがお言葉集成1集のお終いの方に出てくる
股関節の変形性脱臼症の子供の話です。
ある信者さんに孫ができた。そのお孫さんは股関節の変形性脱臼という病気で立つこともできないし、痛いので夜昼なく泣くのだそうです。
色んな病院に行っても治らない。困っていたときのお婆ちゃんがお宗祖様の所に御神示を受けに行きました。
お宗祖様は今度来るときに、お嫁さんと赤ちゃんを連れてきなさいといわれ、お婆さんはお嫁さんと赤ちゃんと一緒にお宗祖様の前にゆきました。
お宗祖様はお嫁さんに向かいこの赤ちゃんが病気はあなたがつくたのですよ。あなたのお母さんに対する心がこの病気を作ったのですと言われました。心が形を作る。心が病気を作るといわれました。
あなたがおかあさんの箸の上げ下ろしまで文句を言う、まだ食べるのですかたとちゃぶ台の端をたたく、ご飯をこぼすと直ぐきたないというこの邪険な言葉使いと態度をお母さんにされたそうです。
あなたのお母さんに対する邪見な心が、この子の病気を作ったのです。この世は心が形を作る世界ですといわれました。
その方は、そういわれて反省したのか変わったのか知りませんが、分かりました。この子を治してください。私はどうしたらいいのですかと聞きます。お宗祖様はこの水は腐り水、邪見な心が病気をつくたのですから、自分で治そうと思ったら心を変えなさい。お母さんに対して邪見と反対の感謝をするという心をお母さんに現しなさい。優しい心使いをしなさいと言われています。
心が形を作る流れは変わりませんが、心が変わると形も変わるのです。どちらの心を使うかですよ。両方の心私達にはあるのです。邪見な心が病気という形を作り、優しい心が病気を治す病気のない形を作る。私達は、他人に邪見にする心、親切にする心を持っているのです。他人の心は他人の出来事の上に形を作ります。私達の出合いや出来事は他人の心ではなく自分の心が形になったものですから、まず自分お心を考えてください。何時も川のきれいな水が流れるようにといって、お宗祖様から教えていただいたのが感謝の心(道)です。弁天宗の教えの中で1番具体的で、大事だなと思っています。

⑷ 終わりに
どうかひとつ人の所為にしませんように。どんなことがあろうとも人の所為にしませんように。自分の心を入れ替えたら、それが救いの原因となるのです。この教えが弁天宗の教えの特徴だろうと思っています。
弁天宗はどんな宗教ですかと聞かれると、心を救う宗教なのです。自分の心の置き方で救っていただける神様なのです。これが弁天宗の特徴であります。
間違いなく自分達の心を変えると、救われて行きます。それがここに書かれている12番のお言葉だろうと思いますので、どうかこの様なことを考えていただいたいと思います。

by nohara4241 | 2008-07-08 13:20 | 法話水の章