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18年水の章7講法話

18年7月1日(土) 水の章7講 小竹祥善講師法話
(編集項目:ブログ者記)
1 厄日
2 6・7日はお水替え祭(元七夕祭)です
1) 三重県の信者さんのことを思い出します。
2) お加持の話です。
3) お水替えの水
3 明日明後日葬式に参加します。
4 水は止まるところを知らず、低きに流がる底のなき心なり。(10)
1) 底のなき心がポイントです。
2) 第1世管長さんの、下駄を履いた信仰をしたらアカンという教えがあります
3) もっとやろう、続けよう、頑張ろうという心
4) 底を、限界を打ち破る方法
5) 日常のくらしの中に行があります。
5 高きに止まれば水は流れじ、溜まり水となりて腐るものなり。(11)
1) これは、水が流れる場合と流れない場合があることを示しています。
2) 水平の状態にある水、相手と対等の関係にある心
3) 高きに止まる水、相手を見下した奢った心
4) 報道される事件に関して
5) 4・5年前に霊長類研究所方々のお世話をしていたご婦人が横浜での話された話です。
6) 地域社会で役立つ良き友になる信仰
6 病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり。(12)
1) 病気、トラブルは心の問題
2) どんな心が病気を作るのだろうか
3) 股関節の変形性脱臼症の子供の話
4) 心の二面性
5) 腐り水の心を作らない幸せになる心
6) 終わりに




1 厄日

お宗祖様は1日は厄日でお休みといわれました。正五九は厄月とも言われています。できるだけ神様の所にお参りに行きなさい。あまりバ
タバタするのではありませんよという言い伝えが残っています。関西では正五九という言葉を使わないですね。

2 6・7日はお水替え祭(元七夕祭)です

1) 三重県の信者さんのことを思い出します。
その信者さんが朝早く来て本堂で拝んでいた。時間経過分からず周囲に人が集まり、本堂をでる雰囲気で無くなりそのまま祭典に参加し、前に進まされ管長様の前まできた。そこで足を崩すことができなくなり、しかも足が痛くて助けてくださいとお参りされた方でした。七夕祭の祭典中、痛いな痛いなと思いながら参加されましたが祭典が終わったら足の痛いのが治ったそうです。何か幸いするか分からないなと思ったそうです。従って助けていただいたからと他の祭典は参加しなくても七夕祭には必ず参加される現金な方です。

2) お加持の話です。
ご本尊様の前では不思議なことが起こります。手を合わしてお加持を受けますが、手がくっついて離れない方もいます。
また石川県小松市赤瀬の石川教会で管長さんが数珠でお加持をされました。お加持されたときご婦人の信者さんが途中で急に顔を上げ管長さんを見ました。不自然な態度ですからどうしたのか後で聞きましたら、管長様がお加持しながらお薬のお指図をされたが、声がお宗祖様の声でしたので驚いて顔を見るとやはり管長様でした。

3) お水替えの水
お水ではお陰をいただいていますから、使ってください。支部の感謝祭でこの水は5年目の水ですが腐らないのですと自慢される方いますが、保管することは意味がありませんのでどうか使ってください。今年は使うと言うことでお陰を体験してください。

3 明日明後日葬式に参加します。

東京の決心信者さんで色んなことを教えてくださった方です。関東地区では月参りという習慣がない。春秋のお彼岸とお盆の3回参りと月参りをされるか決心信者には確認することになっています。月参りをさせていただいていました。松下電気会社の役員さんでしたが定年になり、短大の先生になった方でした。東京では渋谷駅などは人が沢山出ています。各宗派のお説教をする場所が決まっていて演説をしているが、これでは駄目ですよ。松下電気では、松下幸之助さんが作られました。松下幸之助さんは水道の哲学とも言いますが、水道の蛇口をひねると水が出るようにどこの家庭にもできるだけ安く電化製品を普及して生活を少しでも豊かにしたいという企業理念を持って会社を作られました。
1つの安い製品は、安くする、開発する。便利にするために沢山のお金、技術、智慧、汗、涙を投資してやっとできあがるものです。だから簡単にやすい製品ができるのではない。東京には信者さんが沢山いるが、あなたにとって大事なことは、東京本部に来る信者さん一人一人を大事にして、話を聞いてもらいお陰を体験してもらい、一人一人の価値を高めなさい。価値を高めた信者さんが沢山の方に布教するその考え方の方が私は良いと思うがと教えられました。私もそうだと思い14年難しかったですがそれを目標にやってきました。その方が亡くなられましたので葬儀に行こうと思っています。晩年パーキンソン病にかかり苦労されましたが、奥さんもよくできた方で看護の不平を言われませんでした。自分そばにいる方に辯天様の有り難さを伝えることができたらそれで良いのではないかと思います。

4 水は止まるところを知らず、低きに流がる底のなき心なり。(10)

1) 底のなき心がポイントです。
水はとどまるところを知らないとは、水は何時も低い方へ低い方へと流れます。底があたら流れません。底は限界だと思います。ですから底のなきとは限界を作らないことです。限界とは、ここまでしたのに、これだけやったのにの
「ここまで」や「これだけ」が限界です。私達は「ここまで」や「これだけ」という言葉を言わない、使わないように心がけたいと思います。

2) 第1世管長さんの、下駄を履いた信仰をしたらアカンという教えがあります
私はこうしてアゲタという下駄を履かすなといわれました。
までとかだけとかそういう心が駄目と申しています。

3) もっとやろう、続けよう、頑張ろうという心
真心とは、水と同じように低さを求め続ける心だと思います。低さとは、もっと○○しようという心です。これで良いという心ではなく、もっとやってみよう、もっと続けてみよう、もっと頑張ってみようというもっともっとという心です。もっと○○しようという心が、自分で自分の底を打ち破って行ける、限界を打ち破る力のある心です。この心でも方法を持っていないと駄目です。沢山ありますが私は2つあります。

4) 底を、限界を打ち破る方法
1つ 底を作りやすいのは、ものを始めるときに(どん)欲から始めないことです。
2つ目は、ものを見るとき考えるときに全体的に見る、色んな角度から見る、長い時間をかけて見る。ある方が大学受験に失敗しました。失敗して別の大学に行くことになりましたが、その別の大学で自分おやりたかったこととであいました。失敗したときは残念で反省したが今考えると落ちてよかったと思っている等と言うことは沢山あります。長い時間をかけると違ったものが見えます。原先生の明石大橋を架けるときに10年間工事が中断しました。一生懸命やっているのに工事がとまった。もうできないのかなと思われた。お宗祖が原さんあんたならできるとおっしゃった言葉だけを頼りに10年間待った。10年過ぎると工事が始まった。その時2つのことが違っていた。10年かなにも動かないと思っていたが、その間海中で固まる新しいセメントが開発され、橋の工法が改善された。10年前の方法ではできなかったものができるようになった。これは辯天様が工事を止めていたと原先生は思われました。自分お考えと違うことに出合ったときが大事です。
3つ目は、受け入れるということです。自分の意に添わないことでもまず受け入れる。今まで自分中心の知恵や考えで見ていたもの受け入れていたものを、違った角度から見る、長い時間をかけて見る、まず受け入れるが大事だろうと思います。そこには、ご本尊様がお働き下さると感謝を見つけることができます。こういうことであったのかと納得します。不平不満からはもう一度やってみようと言う気は起きませんが、
もう一度やってみようという気が起きるのは感謝ではないかと思います。ですから私達は、出会いの場で底を打ち破る感謝を見つける努力をしなければなりません。最終的には底を打ち破るものは私は感謝ではないかと思います。

5) 日常のくらしの中に行があります。
生活の場は出会いの場です。何時も底を打ち破ることのできる感謝を見つける出会いの仕方をされるのが良いのかと思います。お宗祖様が信者訓戒「(29)寒中に滝をうつだけが行ではありません。日常の暮らしの中に行があります。」の日常のくらしの中の行があるは、感謝から始めることが行であろうと私は思います。日常の色んな出会いの中には行になるものと行にならないものとがあります。行にならないものとは、感謝の心で始めないものです。感謝の心で始めると行になります。食事の時も何もしないで食べると行になりませんが、食事作法をして食べると行になります。感謝の心を持って始めると行になると思ってください。これが日常のくらしの中の行です。
自分の抱えている底を打ち破る力の出てくるポイントが感謝する心です。
底のなき心、限界を作らない心、そこにポイントを置いて行をやってください。

5 高きに止まれば水は流れじ、溜まり水となりて腐るものなり。(11)

1) これは、水が流れる場合と流れない場合があることを示しています。
流れると水はきれいな水、清水を作ります。生活の中で使えます。私は、2日に1度はお粥です。お粥が大好きです。最後の晩餐はお粥にします。白粥で良いのです。後は大根の漬け物(シロナ?)とイワシがあれば十分です。イワシの生を買ってきてさっと茹でて一晩置いておきます。イワシを姜醤油で食べるのが好きです。このお粥を作るのは水です。美味しい水を求めて実家に帰り、お粥を炊いて貰います。
流れない水は腐り水です。水が腐ると生活水として使えません。
ここでは辯天様が、水が何時もきれいで活き活きとした生活をしなさいといっていると思います。

2) 水平の状態にある水、相手と対等の関係にある心
どうしたら溜まるのか。水は水平になると流れを止めます。水平になってはいけません。水平になる心とは、どんな心かと言いますと、そんなこと当然よ、そんなの当たり前よ、お互い様、五分五分よ、平等よということ言葉を使いますがこの言葉を使う心が水平になる心であると思います。五分五分や平等という流れない溜まる位置からお宗祖様は流れるために低くなりなさい、下がりなさいといっているのです。

3) 高きに止まる水、相手を見下した奢った心
別な言葉ですが高きに止まる心とは、私は入るところがないほど完全であるという相手を見下した奢った方の心です。学ぼうとしない心、人の話を聞かない心、私はなんでも知っているという心です。この心も水平になる心と同様に流れを止めるのです。流れ止めるとどうなるのか、水が腐ります。そして次の病気事情は腐り水という教えにつながります。心が高いところに止まり、低くなろうとする動きがないと溜まった水と同じように腐った心になるのです。大事なことは、自らの意思で、高いところの止まった心をなくし低い心を起こす事です。
ではどうするかといいますと、何時も言っていますが、感謝したり、相手を尊敬したり、相手や物事から学ぼうとする心を出して、なんでも流れ込み幾らでも入る活き活きとした生活をすることです。自分の心の位置を低くしていますから、水が流れる状態になるのです。

4)報道される事件に関して
人をあやめたりする事件が報ぜられていますが、事件の関係者を私達は、信仰が足りないからだと責める場合があります。私は、責めるのではなく事件の関係者を導けなかった自分を反省すべきであると思います。導けなかったということは、私が良い環境を作るための努力をしなかったということです。

5) 4・5年前に霊長類研究所方々のお世話をしていたご婦人が横浜での話され
た話です。
宮崎県串間市の沖に幸島があり、昭和の初めに野生の猿を発見し、京都大学の霊長類研究所方々が島の向かい側の海岸に研究所を置きました。この方たちの研究の目的はダーウィンの進化論ではなく、150万年前のアフリカのケニア遺跡では人々が仲良く生活していて、争い、奪い合い、喧嘩等の兆候がないそうです。ところが50万年前のアフリカのケニア遺跡からは争いの跡があるそうです。人間は良い環境を与えるとみんなが仲良く暮らせるはずであるという仮説を立て、幸島の猿を観察しました。昭和40年代のなかばに京大の先生方をお世話していたご婦人が発表されました。①最近幸島の猿はボス争いをしなくなった。メスを独占しなくなった。今の幸島の猿のボスは6代目ですが、本家筋の長老がボスになって行きみんな仲良く暮らしているそうです。②基本的に温和しくなってきた。凶暴さが無くなった。③エサを取り合わなくなり、分かち合うようになった。これは猿によい環境を作ってやると150万年前のアフリカのケニア遺跡では人々が仲良く生活していて状態を再現できたのです。しかも近親婚であると思われるのに奇形児が少ない。元気な猿が多い。そんなことを先生方の側にいて感じましたと話されました。

6) 地域社会で役立つ良き友になる信仰
色んなことが起きてきますが、私は信仰することは地域社会に置いて良い環境を作る一役を担うことであると思います。どんな一役かといいますと『良い友になること』であると思います。私はこんなすばらしい友を持っているのではなくて、自ら良き友になるということを通して良い環境作りに一役を担って行くのです。
皆様が地域社会で、黙って話を聞いてあげたり、肩を貸してあげたり、励ましてあげたり、毎日出合うたびににっこり笑って挨拶をしたりして良き友になってあげることです。その環境が報道された事件関係者が誤った道に進みことを防ぐことができるのではないかと私は思います。
自分で学ぶだけでは駄目です。学ぶことにより良き友になる信仰の仕方がここでいう活き活きとした生活を作り上げて行く方法の一つではないかなと思います。
新聞で事件の報道に接したとき、ああ私の努力が足りないのだなという見方で接していただきたいと思います。
その方だけを責めないで、新聞が報道が足りないというならば、足りている私が足してあげましょう。そういうふうに考えることが大事です。私達は、幸いご本尊様とご縁を結び信仰を考える機会を得ていますので、良き友になれる努力を通して地域社会に役立つ信仰もできるのではないかと思います。

6 病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり。(12)

1) 病気、トラブルは心の問題
私は、非常に大事な教えであると理解しています。私達にとって現実的に大事な言葉です。病気(事情)=トラブル=災難は腐り水と同じといっています。しかもその原因は心であるといっています。この病気はこれこれ、この怪我はこれこれと医者が説明しますが、当事者の心が一番問題なのですといっています。

2) どんな心が病気を作るのだろうか
腐り水ですが、腐り水を作る心は、自分で学ぼうとしない、感謝をしない、謙虚にならない、当然だ、当たり前だ、五分五分だという水が流れない心です。心が低くならない状態です。
この低くならない心が原因ですよとおっしゃっています。

3) 股関節の変形性脱臼症の子供の話(禮拜經6講NO1、水の章第3項NO4にも同じ話を掲載)
逆を考えますと心が原因ですから、心で解決できるのです。何か起きたときまず心で解決することが大事です。お言葉集成1集のお話しです。お孫さんができたが股関節の変形性脱臼症で毎晩痛くてお孫さんが泣きます。
病院に行っても治らないのでお宗祖様の御神示をお婆さんがいただかれた。お宗祖様はそのお孫さんとお嫁さんを連れてきなさい。連れてきて御神示を受けますと、『この赤ちゃんの股関節変形性脱臼の病気は、(お嫁さんに向かって)あなたの心が作ったのです。(どんな心ですか?)お母さん(お婆さん)に対する邪見な心使い。箸の上げ下ろしまで一言一言文句を言う。そんな一言一言の邪見な心が病気を作ったのです。私達の住んでいる世界は心が形を作ります。あなたの心がこの病気を作ったのです。』といわれた。何とか赤ちゃんの病気を治して貰いたいとお宗祖様にたずねますと『病気が治るということは邪見の心が病気を作ったのだから反対のお母さん(お婆さん)を大切にする心になりなさい。そうすると病気は治ります』といわれた。お嫁さんがお母さんを大切にされると赤ちゃんの病気は治りました。
邪見な心が病気を作り、大切にする心が病気を治したのです。邪見な心は腐り水なのです。邪見な心が病気を治すことはありません。大事なことは、お嫁さんと同じく、皆さんは邪見な心と大切にする心の両面を持っています。両面の心のどっちを使うかは皆さんの責任です。

4) 心の二面性
お宗祖様の教えは、幸せになる心の使い方を教えています。感謝しなさいよ。大切にしなさいよ、学びなさいよ(お話を聞きなさいよ)とおっしゃています。一人の人間の心は二面性を持っていると思ってください。
誰でも病気を作らず治せるのです。しかし、心が解決すると思わないから、人間は起こったこの変形性脱臼を薬や治療で直そう直そうとします。薬を使う治療するではこの変形性脱臼の根本解決にはならないことを教えています。今日学んだ皆様方は、まず心で解決してください。
病気事情は腐り水とおなじ、心が病気事情の因縁を作るとおっしゃっていますから、病気を作る原因ですが直すことができる原因でもあるのです。

5) 腐り水の心を作らない幸せになる心
私達の生活で腐り水を少しでも少なくするには、お陰様で、ありがとうという感謝の生活することが大事でしょう。前に申しましたが私は信仰生活の基本として、朝夕のお勤めの時に、ご分身の前で『私は今、幸せです。』と言い切ることが大事であると思います。
何故かと申しますと、不幸から幸福に水は流れません。不幸だと思う心からは不幸にしかなれないのです。幸せですという感謝の心だけが幸せになれるのです。
万が一不幸であっても、小さな幸せ・感謝・お陰を見つけて、ご本尊様のご加護を頂き幸せですと言い切ることが大事です。その幸せです、お陰です、有り難いという心にご本尊様が幸福の水を流してくださるのだと理解してください。
この感謝する心を少しづつでも発揮して行き、時間の経過をたどれば、必ずご本尊様のご加護、お計らい、奇跡といった幸せの水が皆様に流れ込むでしょう。また幸せの方向へのお指図やお知らせがいただけると信じています。

6) 終わりに
今日は腐り水と清らかな水との違い、その両方が自分の心を通して流れ出ていることを学びました。心には邪見な心と大切にする心の二面性があるが、どちらか一方しか先に現れない。片方が消えているようだが無くなっていない、何時か出てくる。邪見な心が出てこないようにするには何時も大切にする心を出しておかなければなりません。真心を出していると煩悩は出てきません。これを考えて心を磨いてください。
by nohara4241 | 2008-07-08 13:14 | 法話水の章