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19年水の章6講法話NO1

19年6月23日(土)水の章6講NO1 小竹祥善講師
(編集項目:ブログ者)
NO1
1 前言
⑴ 蛍
⑵ 細部に行き届く心がけのできた信仰
2 溜まりたる水は腐り水、昨日の水は、今日の水に非ず。水は新しきが命なり。(7)
⑴ 右手が震える男性の体験談発表
⑵腐り水
⑶溜まり水
⑷ 新しい水にする
⑸ こだわり、決めつけをなくす。
⑹ 年忌の法要に行けないので前日に行った体験談
NO2(次回~
3 まごころとは一度(ひとたび)のことに非ず。幾度となく続けるものなり。(8)
4 切れぬから流れと言うなり、まことは切れるものに非ず。切れれば福徳切れるなり。(9)




1 前言

⑴ 蛍
日替わりで雨が降ったり天気になったりしています。梅雨ですからこういう日が続くのでしょう。
農家の方のことを考えますと水も必要です。地域によっては飲料水も困るようになりつつあるようで、雨も欲しのですが、狭い範囲の個人的な希望では雨降らなかったらいいのにと思っています。理由は勝手なことですが蛍が飛ばないからです。皆さん方は今年蛍をご覧になりましたか。一番近場の名所をお教えします。168号線が走っています。天つい峠とか、天川十津川に向かっています、ここから車で15分くらいで、西吉野町の城戸の3叉路です。左に曲がると温泉旅館があります。その真向かいに蛍の群生地があり、蛍が乱舞しています。蛍は雨に打たれると弱って死んでしまします。雨の時も飛びますが木下の影を飛んでいるのでしょう。
場所は川西といいましたでしょうか、本当にすごいですよ。地元の方に聞きますと河の改修工事の時に蛍のことを考えて護岸工事をしたようです。カワニナという蛍の食べる貝ですが、カワニナの大好物はキャベツ、キュウリやナスだそうです。蛍を見ると幽玄な気持ちになります。皆さん方一度見てください。しかし以前からですから、少ないか終わっているかも知れません。来年は是非ともご覧になって下さい。五條では蛍が飛ぶのを見ることができますので珍しくないのかも知れません。

⑵ 細部に行き届く心がけのできた信仰
私は神様はお声は小さい。本当の心を澄まして聞かないとご本尊のお声は聞こえないと思っているのです。そして、ご本尊の存在、お働きは細かなところにあると考えているのです。細部にご本尊は存在すると思っています。日常茶飯事の細々したところでご本尊さまはお働きになる。ですから、6日に御神池のお水替え行事がありますが、柄杓で汲みだします。あれは神事とご案内しています。神事でありますから神事でありますような参加の仕方をしないといけないと思うのです。本堂にあがって、縁側の上からお池の水の入って長い柄杓を受け取り定められたところにお水を汲みだすのですが、本堂にあがったときからご真言を唱えて頂き、柄杓を受け取り汲みだして頂きたい。無言で汲み出し動作をして、これでは神事といえません。(付け加えますが、講師は本堂内の坊さんの列中で般若心経を唱えていますので、信者全員が本堂に靴を脱いで上がったときから案内の係員の指示で、オンソラソバテイエイソワカと唱えながらお水を汲みだし、本堂からおり靴を履くまで真言を唱えていることを見たことがないのでしょう。)まこと行的作業ではないんです。
皆さん方は下駄箱に靴を入れず上がり口に置いてありますね。うちの下駄箱の箱が足らないなら、皆さん方の靴が入るように作り直そう。下駄箱があっても入れてないのは信者さんの責任だと宗務員にいました。箱がなく靴が脱がれていてもほっている。また箱が空いているのに靴をほったらかすのは細部に目が心が届かない、気配りができないおおざっぱなことでは本当の信仰にはならないと言ったのです。心が細かくなくては法話で何を聞いても聞いてないのです。神事には神事のような接し方、本堂では無駄話をしないで黙って座るとかが信仰だと思っているのです。お宗祖様は日常の暮らしの中に行があると仰ったように、細かいところに神様のお働きがありますので、靴の脱ぎ方、ものの見方、接し方、歩き方にそんなところに私は学ぶこと多くしてゆかなならないのではと私は思っているのです。
私の信仰とは、もっともっと人生が明るくなって、もっと楽しくなって、もっと素晴らしい人生を歩むことができると思っています。しかし肉体を持っていますから時期が来れば、死んでしまいますが、それはそれでいいんだと思っています。只死ぬまでの間だ蛍も見に行き、展覧会を見に行ったり、日本の素晴らしいものを色々味わうことをしたいのです。そして信仰するには色々気がつく心でないといかないと思っています。靴の脱ぎ方、下駄箱の使い方等ご協力をお願いします。

2 溜まりたる水は腐り水、昨日の水は、今日の水に非ず。水は新しきが命なり。(7)

⑴ 右手が震える男性の体験談発表
前回から4講5講に引き続き今回もまごころのお話です。これらについてはまたあとの講でも出てまいりますので、出てくることを心に留めてください。
このお言葉から私は2つのことが頭に浮かぶのです。1つは、茨城県の水戸の方の信者さんの体験談です。
東京別院の40周年記念祭の時に体験発表してくださったのですが、水戸ではなくて日立という市があるのですが、日立市のある会社の社長さんです。その社長さんは自分達のグループ親会社の社長さんの鞄を持って社長さんと行動されるので、弁天さんに行こうといわれますとハイといって社長の鞄を持って、五條や茨木にも来られていました。
ところがある日社長さんから、日立のうちの会社にも弁天様のお札を祀るからお前はここの
社長だから、お札に毎日初水をお供えせよという業務命令が下ったので、ハイといってお水をお供えしました。何日経ったか分かりませんが、ある時から水をお供えすると右手がふるえました。おかしいなと思ったが供え終わるとふるえないので緊張でふるうのかなと思いました。その日の仕事では手は震えませんので気にもならなかった。2日、3日やはり毎日お供えするときにふるえるのでおかしいなと思った。1週間続きましたらさすがこれはおかしいと思って、日立の病院で調べてもらいました。血管が詰まっていました。しかし横に血管バイパスができていたので助かったのです。あんた運の強う人やな。普通だったらこんなのはみつからんのやけどなと医者に言われます。その方は、手術が必要ということで手術をされました。この話を記念祭で体験発表されました。あのときお水を替えることをとうして手が震え、お水替えを通して弁天様が私に教えてくれた。弁天様に教えてもらわなければ私は多分倒れていたでしょう。それまでの信仰は、信者として名を連ねているけれど社長から行こうかといわれたハイとついて行く鞄持ちの信仰だった。自分から進んで信仰するという積極的な信仰心はなかった。このことを通して、弁天様からもう一つ教えてもらったのは、お前もそろそろ自分からもっと信仰しろということ教えてくださったのです。2つのお知らせをもらいましたという体験は歩票をされました。これはすごく大事なことだなを思いました。私達は、震えから病気を知るように病気が治った、願いがかなってうまくいった。やはりこうだったという変化のあるお陰は多いのですが、もう一つの、この病気を通して弁天様がこんな事を教えてくれました。ご先祖の供養が大事だといってご先祖の供養をやりますが、ご先祖の供養をやってうちの子が希望校に通りましたというのではなくて、そのことを通して今まで分からなかったご先祖様への感謝に気がつきましたとかいうことに気づくことが大事だと思います。この言葉7番の言葉から東京の信者さんの体験発表をまず思い出します。

⑵ 腐り水
腐り水ということでいつも気になっていることがあります。後でゆっくり探してください。「病気事情は腐り水と同じ、心が病気事情の因縁を作るなり」という言葉があります。これは弁天宗の考え方です。病気事情とは腐り水と同じで、心が腐り水を作り、病気事情をつくたのだという考え方をします。そこが大事だと思います。
ここでは2つのことを考えてください。

⑶ 溜まり水
溜まり水とはどういうことかというと、ここでは腐るということですから腐り水になります。
水が溜まりますと水が腐ってきます。水が腐ってきますと使えない水になり、水の中にいる生物は死んでしまします。これは自分だけが死ぬのではなく回りのものも死ぬことになります。水が溜
まるということは、水が流れない、動かないことが原因です。このことが水の状態で起こるのですね。私達の生活に当てはめて考えます。腐り水を作るような精神状態というのは、私は何でも知っているということで、勉強しようとしない。学ぼうとしない。本も読まない。人の話も聞かないという心持ちは溜まり水、腐り水になるだろうと思います。
反省しようとしない。感謝しようとしない。自分の方から蛍を見に行こうとしない。行動しようとしない。何かしようとしないでジッとしている。この様なことでは水がだんだん腐ってきます。ご自分に病気が起こる。自分のとって良くないことが起こってくる。ですから怖いなと思ったのは、私達の生活の中に腐り水の状態がなくなってきますと、これが私達が病気になる原因だと仰っています。溜まり水作る生き方をしてないか、腐り水の状態を作ってないか自分で振り返ってみてください。

⑷ 新しい水にする
どうしたら水はいつもきれいになるかといいますと、逆ですね。御神池のお水替えのように水を新しく替えるのです。新しい水にする、いつもきれいな清水にするには水が流れていればいいのですから、高低を作ります。相手は高低を作りませんから、自分が低くなるのですね。まず心を低くする。反省をする。感謝をする。学ぼうとする。人の話を聞こうとする。この様なことをするということが自分を低くすることですから、どんどんどんどん自分に新しい水が流れ込んできます。新しい水が流れ込めば昨日の水ではありません。
この様な心を低くする生き方をすると、毎日が病気事象と関係のない生活になります。

⑸ こだわり、決めつけをなくす。
もう一つ、水を流れる状態にしようと思ったら、般若心経の世界ですね。昔からこうしているのだと決めつけるとか、物事にこだわると、新しいものが生まれてきません。ですから先入感を持たないことです。こうだと決めつけたり、昔からこうしているのたといいますと新しい発想はできません。
動かそうと思ったら、決めつけとかこだわりは過去のことと思って、クリアしてください。
水は新しきが生命ですから、水の生命が輝くんだと思います。輝くとはご本尊様の働きが一杯自分達の周りに輝くのだと思います。こんなところにもご本尊さまがおられるとそのことが分かるようになります。

⑹ 年忌の法要に行けないので前日に行った体験談
一昨日ですか、感謝祭に行きましたらご婦人の信者さんが体験発表をされました。本部からおばちゃんでしたか年忌の案内をいただいた。よう案内してくださったと喜んでいこうとしましたが、自分は足が悪いし、ご主人も身体の具合が悪いので、子供さんに連れて行ってくれと頼んだ。ここの永代経の法要は1日です。平日の1日より年忌は昔から前に行って構わないと来ているが前の日だったら休みだから連れて行って上げられるよいわれ、息子さんの車に乗って和歌山から30日か31日に如意寺に来られ、お坊さんがの毎日の法要と一緒になり祖霊殿で拝んだそうです。ふと気がついて目の前に並んでいる年忌の大きなお塔婆を見ますと、真正面におばちゃんの50回忌のお塔婆があったそうです。(翌日のためにお塔婆を並べてあったのですね)。お坊さんが読経している。しかもお坊さんから終わるといつもは1人でお経を唱えるが今日は皆さんがいて読経しやすかったと声をかけてくれた。私が1日早く来たけれど、ご本尊さまが正面にお塔婆を起き、お坊さんにお経をあげさせてくださったと行って良かったと喜んで帰られたそうです。
行動して全部が喜びに繋がっている。ご本尊さまのお働きは、自分達がそういう動きをすると、私はすみずみまで働いていられると私は思っています。ご本尊さまがお働きになっていることが分かる心が大事です。今まで気がつかなかったことに気がつき、見えなかったことが見えて来るという心なのです。その力が、感謝とか、反省とか、少しでも心を謙虚にするとか。そういう生き方で生活をしていますと、今まで観えなかったものがぽつん、ぽつんと観えてくるのです。私達の学ぶ水の心は不思議な力を発揮するのでしょう。溜まり水は腐り水。溜まり水のような心を持っていたら、腐り水のような心になりますよといっているのです。昨日の水は、今日の水に非ず。水は新しきが命なりですから、どうか皆様方溜まり水にならないように、心のあり方、生き方に注意して欲しいと思います。

by nohara4241 | 2008-06-15 00:42 | 法話水の章