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少年隊大会のお礼と息子の人間関係改善方法

少年隊大会のお礼と息子の人間関係改善方法
19年5月15日(土)奈良県五條市如意寺での青少年育成協議会長体験談
(編集項目:ブログ者記)

1 少年隊大会のお礼
2 私と息子の歩み
3 息子の人間関係改善方法
4 息子の行く末




1 少年隊大会のお礼

私は少年隊育成協議会で会長をさせて頂きました。今日は少年隊大会のお礼を兼ねてお話をさせてもらおうと参りましたよろしくお願いします。
少年隊大会は祈りを世界に届ける大会でした。全国から3206人の方のご参加を頂きました。
ご本尊さまとご宗祖さまの御加護と皆様のまごころのご協力のおかげでございます。厚くお礼を申し上げます。有り難うございました。
教区支部あげて協力して頂き多くの子供たちが、笑顔一杯で会場に溢れました。有意義な大会であったと思っております。今回は人々に幸せと世界の平和をお祈りしようとことで折り鶴を折ることにいたしました。全国から99,000羽届けられまして祈りが一杯こめられて本当に有り難いことでした。そして又、学問といいますか学ぶことができない子供たちに、ノートと鉛筆を収集することにしましたところ、ノートが7400冊近くです。そして鉛筆が10,000本集まりました。これをラオスの方に送ることにしました。本当にご協力頂きましたことを厚くお礼申し上げます。そして、当日なのですが、司会進行や勤行などもスタッフとして子供たちが大活躍をしてくれました。
それは、3月の31日に1泊で、スカイスクール研修会というのをやりました。その中で、司会をやりたい人と呼びかけますとはーいと手を挙げてくれるのです。そしてですね。勤行の頭ですが、勤行検定1級を持っている子供さんを集めましてそれから選ぶことにしたのですが、お願いすると、東京から来てくださった子供さんがハーイ僕がやりますと真っ先に手を挙げてくださり、決定しました。本当に自分からやろうという意識のあった大会であったなあと喜んでおります。子供たちが主役になって頑張ってくれました。すごく大きなご褒美が頂けたんじゃないかなと思っています。
上海から14人ほど子供たちが来てくれました。そして伝統音楽をきれいな音色で聴かせ下さいました。ほんと癒されるようなすてきな曲でした。あんなすてきな音楽を聴かせていただけるということは、大変な練習をされたのだろうなと思いました。これは日本と中国の子供の交流をということで、ご企画下さいました管長様有り難うございます。

2 私と息子の歩み

私の子供が小学校1年生の時に、支部長さんから少年隊に入ってあらどうおと誘っていただきました。育成部長、協議会の副会長、会長とさせていただきました。私は子供たちはご本尊さまからのお預かりものだというふうに思ってやってきました。そして成長し人のために働いてくれた。本当に有り難いことです。
ある時、息子が、お母さん、僕が青年隊で活動しているのは、お母さんが育成部長を頑張ってやっているのを知ってから、信仰させていただくようになったのと違うかなと言ってくれました。私もほんとそうだと思います。子供お運びを通じまして、お勤めの仕方、お宗祖様、弁天宗のことを学ばせていただいたと思っています。

3 息子の人間関係改善方法

去年のことですが、息子は青年隊の副会長をさせてもらいました。バイクが大好きで大阪からバイクに乗って錬成参加にしました。まず、御廟のお宗祖様にお祈りをして御廟から降りてきますと、バイクの後ろに積んでいた錬成会の手荷物が無くなっていたのです。しかし大和で買わせていただければ黙っておこうと思ったようですが、茨木でしか販売されていないということで、私に、お母さん僕な、宗祖さんに手荷物隠されてしもうたという電話をしてきました。盗られた、無くしたと言わないのです。この錬成会では恵まれない人のために100巻心経をあげました。手荷物無くしたのは自分はいいと思っていたご本尊さまお宗祖様から見たら祈りが足りなかったのだと反省をし、1年間かけてその人のためのお祈りをさせてくださいとお願いをしてきたそうです。
五條警察から、御廟の近くの民家の方が、おたくの息子さんの荷物が届けられましたからと電話があり、出てきました。本当のお宗祖様が手荷物を隠されていたのですね。
息子がお祈りをしている相手は大学の先生で、その先生とは相性が悪いのかどうもうまく行かないといつも悩んでいたのです。その先生の幸せだけを祈って毎日心経をあげていました。そうしますと、先生との関係が好転しました。人間も変わり、生き方も変わるのではないでしょうか。青年隊に入ったら錬成に参加しないといけないなと言っていました。総長さまの話がすごくよく、今自分で心に悩んでいることに、ビンビン応えてくださったといっていました。錬成に3回も参加したが、すごくよかったと感激して帰ってきました。

4 息子の行く末

息子が大学3年になった時、息子は将来進む道がわからず、考えた末大学の先生になろうと管長様のお受け取り祈願を受けました。あなたの思う通りにしなさいと管長様に言っていただき、2年の修士課程、3年の博士課程に行くことになります。5年間大学生活をすることになります。管長様は頑張ってくださいとも仰ってくださいました。息子は、12頃まで研究室にいて夜遅く帰ってきます。やった勉強や研究がなんにもなら無い事もよくありましたので、心の支えになるお言葉でした。
息子の大学生活が、ご本尊さま、お宗祖様に見守られていることがよくわかりますのは、学内での研究論文を書いてだしますとよく合格するのです。ですから、オーストラリアに2回、上海に2回、韓国に1回行って学会発表をさせてもらっていますからです。
大学生活5年間は我が家に大変な負担で、余裕のある家庭ではありませんが、弁天様と息子が勉強できれば、何もいらないと夫婦で思っています。
私は夫と学習塾をやっています。寺子屋的小さな塾です。でも主人と息子が卒業するまで、頑張ろうと励まし合って生活しています。目的のために夫婦で辛抱しますがこれが弁天さんの信仰のあり方かなとも思わせてもらっています。弁天様に助けられ今の生活が家庭があります。これからも弁天様を信仰して行きたいと思います。思えば私が役をやらせて頂いたおかげは全部息子に下さっていると思っています。息子の幸せが我が家の目標であり家族の幸せなのです。最終的な家族の幸せが頂ける信仰に、お役に感謝しています。
今日まで何もできない私が皆様のご支援で会長を務めさせていただき、更に皆様の前でお話しさせていただけたことをお礼申し上げます。有り難うございました。

by nohara4241 | 2008-06-02 17:54 | 体験談