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交通事故は悪因縁、喜びも悲しみも因果応報!!

交通事故は悪因縁、喜びも悲しみも因果応報!!

支部感謝祭に家内と出かけ、まだお話の最中に娘を迎えに行くため中座して帰り、駅で帰る娘を迎えて帰宅途中、21時15分頃、代車の普通車と交差点で出会い頭の交通事故を起こしました。
ぶっつかる瞬間、相手の運転手の顔を見えました。同乗の家内が、相手の直進がわかっていたけどあなたが直進したと言われ弁解の余地はありません。




私は正面を見て走行中で交差点から出てくる車両に気がつきませんでした。通常交差点のカーブミラーを確認するのですがこの時はしていません。
起こるべきして起きた事故のように思えました。多分私の悪業の所為であり、悪因縁が出たので交通事故を起こしたのでしょう。
前車のゆっくり走行にイライラするたちです。この様な平素の運転姿勢からか、又は過去世の悪業による悪因縁が出たのだなと反省しています。
従って、一旦停止線の有無を確認しただけで、どちらが良い悪いは保険屋さんに任せましょうと言いました。
助手席の家内が頭部と胸部を打撲しましたが、切り傷や内出血の青あざがどこにもでることがなく加療2週間の診断を受けました。
家内は、打ち身のため咳をしても肋骨が痛く、私は何も悪くないのにどうして痛い目に遭うのかと言いますが、私はケガしたこと自体悪因縁が出たと思っています。私にケガが無く、家内に切り傷や骨折がないのはご本尊さまお宗祖様のご加護であると思います。
お宗祖様は、妙音新聞 25号 施しを惜しまずよい因縁を作れで「喜びも悲しみも因果応報です」といわれています。
この世の出来事は偶然ではなくすべて必然だとお運びの講師も言われています。

代車の保険屋さんの休暇や業務の都合で病院と車両修理屋への連絡が土日も含め事故日から5日目を迎え、保険屋さん対処が遅いので頭に来たのですが、これも自分の悪業の所為であり、文句や不平不満を言っていては、もっと悪い状態になるかも知れない、弁天さまお宗祖様のおまかせしようと家内と話しましたら、その日の午前中に保険屋さんから電話があり病院と修理工場を確認され、処置したと電話がありました。遅いと文句を言わずに弁天さまのお計らいでもっと遅くなるところを都合をつけてくださったのだと思うようにしました。

更に、翌日、事故処理保険屋さんの確認を電話でした際に、相手からは家内の安否を聞かれました。相手からの電話は、保険屋さんと連絡が付き事故は○○保険屋さんが全面的に処理するということの連絡のみです。3日目に保険屋さんから電話がないので心配で再度電話をしましたら、保険屋さんの都合もあり私には分からないので直接やりとりをするように言われと迷惑そうな回答でした。
私達が被害者ですが、応対に誠意がないなと思いましたが、警察では私の過失をありのまま正直に話し、相手の厳罰は望まずお委せしますにして、これも前世の悪業か悪因縁と諦め我慢しました。ところが、(私には他人の顔を覚えない欠点があり、気づきませんでした)朝の散歩で時々挨拶を交わす奥さんが交通事故の相手でした。事故後の5日目の朝、その奥さんから直接謝罪され、奇縁に驚き、短気を起こさずによかったなとまた反省しました。

弁天さまの支部感謝祭からの帰りの事故でしたが、感謝祭に参加したから私はケガもなく、家内も切り傷のない打撲で済んだのだと感謝しました。
そして、この時こそ因縁解きの行をしなくてはならないと思い、我慢したので怒鳴ったり不平を言ったりして口の悪因縁を積まずに済みました。これも弁天さまのご加護だと思っています。
事故を起こしたときから、心の中でオンソラソバテイエイソワカ・南無智辯尊女を唱えました。この称名が、短気を出さずに我慢できた原因ではないかと思います。
比叡山の修行中親鸞さんは毎日数万回も南無阿弥陀仏と唱えたそうです。称名は大事だなと思いました。何があっても何が無くてもオンソラソバテイエイソワカ・南無智辯尊女を唱えるようにしています。
そして法話の講師が決められた数だけお経や真言・ご宝号を唱えたらよい。余計なことは考えないでよいとのお話でしたが、報恩感謝は多いほどよいのだ、私は私と割り切り、朝夕のお勤めではご真言は100回唱えることにしました。
by nohara4241 | 2008-05-17 05:32 | 体験談