道険しかりし(私の歩いたみち)7(終わり)

道険しかりし(私の歩いたみち)7(終わり)

道険しかりし(私の歩いたみち)6の続きです。

(編集項目:ブログ者)
43 活動家養成の研修学院へ生まれ変わる
44 磨きの材料が与えられる行の場
45 得度し法名祥如を頂く
46 宗祖さまのご注意
47 宗祖さまから頂いた服地
48 宗祖さまの公正な取り扱い
49 宗祖さまの気配り
50 宗祖さまは教育者
51 宗祖さまとの出合いの喜び
52 私の小さい時の母の思いで
53 母の弁天さん信仰
54 有終の美を飾る準備
55 初心忘れずのトイレ掃除と信者が磨く天理教のきれいなトイレ
56 私は弁天宗の周梨槃得になりたい




43 活動家養成の研修学院へ生まれ変わる

研修生は34期まで順調に年3回の割で進んでいましたが、やがて宗祖さまのおいたつき、そしてご遷神という重大事を迎え、一時中止となりました。
だ何時しか16年の歳月がたち宗本部も前向きに進んで行かなくてはならず、昭和57年9月27日から活動家養成をキャッチフレーズにして、名称も一新し、研修学院という名称で35期から再開しました。
場所は大阪本部の桔梗殿でしたが、矢張り研修は発祥の地大和本部で行うべきであると、40期生から別館の役員控え室で寝泊まりし、講義の場所は従来通り十輪寺の待合室をお借りして行うことになりました。
その後、昭和63年宗祖霊顕55年祭の記念事業の一環として研修学院を建ててくださったことは、予期していなかっただけに大変有り難いことでした。
食事は食堂で宗務員の方たちを同じ内容のものを作って頂き、何の造作もしなくて済む状態ですが、できれば食事は自分達の手作りで、最低の食事生活をしながら行じることができればと勝手なことを考えています。

44 磨きの材料が与えられる行の場

宗務員の中には研修科を卒業している人たちが多数いますが、挫折しかかる人たちには、「霊場は理想の世界であると共に、あくまでも自分自身を磨く行の場なのです。
私たちは何事もなく平穏であるとこと願っていますが、行の場であればこそ意に添わないことが起きてくるのです。
(あなたに与えられた、あなたが行わなくてはならない)行のテーマとして(ご本尊さまから与えられたのです)、だから逃避してはならないのです」と私はよく言うのです。
私は学校卒業後、一応世間に出たとはいうものの、世慣れていないし、性格上世渡りが下手で、宗の勤めさせて頂くようになってからも、ともかく真っ直ぐに、真っ直ぐにとひたむきでした。
けれども善は必ずしも通じていかないかち(場合もある)でした。
信仰がなければとっくの昔に神様の場を去っていたでしょうが、幸いなことにご本尊さま、宗祖さまというよりどころがありましたから乗り越えることができたのです。
冒頭に「たどりつき、ふりかえみれば山川をこえてはこえて、きつるものかな」の歌を取り上げさせて頂きましたが、今つくづく振り返り、良くもたどりついたものだとの感、誠に無量の思いがいたします。
私のような融通の利かないものは、きっと強力な磁石的な磨きの行が必要だったからなのでしょう。
今は有り難いことに昔のようなことがなくなり、比較的平穏な日々を送らせて頂いていますが、自身を振り返えってみて平穏幾らさせて頂くことは有り難いことですが、又、磨きの材料を人それぞれに与えて頂くことも、神様の場ならではの有り難いことだと思います。
お徳の高い宗祖さまですら、言うに言わない行をなさったのですもの、凡人私にそのような行があって当然なのです。

45 得度し法名祥如を頂く

話が前後しますが、本部勤めが始まったまもなく、「宗祖さまが得度して上げると仰っている。得度とはどんなことか知っているだろうな」と只でさえニッコリともしない梅木先生が真顔になって言われるのです。
その時はかつがれていることが分かりませんでしたから、頭を丸めてお坊さんになることだと思いこみ、「私はお坊さんになるつもりは毛頭ありません」と即座に断りました。
「そんなことを言っても宗祖さまのお言葉は至上命令だから仰る通りにしなければいけない。
私も今髪を伸ばしているけれど、得度していただいたときは丸坊主だった。
そんなん心配することはいらん。
髪は直に伸びるから、その間お高祖(こそ)頭巾を被っていればいいから」とまことしやかに言われるのです。
こちらはすっかり乗ってしまって、「そもそも、私が宗へ残していただくことになった時に「あなたの家は因縁が深いし、残っていただけば宗も何かと都合がよいから」と仰ったのに、今さらお坊さんになれなんて仰って、約束が違う」とさかんに反発しました。
そうこうするうちに当日がやってきて。
第1世管長様が朱塗りの三宝に真新しい裁ち鋏を載せて持ってこられる。
こうなると観念せざるを得ません。
全く俎板の上の鯉でした。
宗祖さまは私の心を知ってか知らずか、すかさず鋏を取りあげ、まず右回りにバサバサと髪をお切りになりました。
今度は左回りにバサバサとお切りになる。
耳の上ですからスッゴーイ音がして、私は完全に「ヤラレタァー」と思い、思わず両手を頭に当てました。
髪はチャンと残してくださっていたのです。
「矢っ張り宗祖さまだ。私の嫌がることを無理になさらなかった」と思うと、もう嬉しくて嬉しくて涙が出るほどでした。
出家しようとすれば、このいやなことでも敢えてし、自分を飾る大事なものでも潔く取り除き裸の人間になって行に向かう気持ちがなくてはならないのですが…。
昭和32年のことでした。その年に得度していただいた法名が祥如でした。
だが、本人はお坊さんになる気はありませんから、ずーと名乗らず、管長様に改名していただいた「とし」を名乗り続けました。
奉唱歌集の作詞、作曲名が「とし」になっていますのは、まだ、心が定まらなかった時でした。
そのうちに10年、15年と経つにつけ、いよいよ私もこの世界で暮らしいかなくてはならないと観念し、ようやくいただいた法名を名乗らせていただくようになりました。
それに私はこの神様の場で勤めさせていただいているのは、因縁解きのため、勿論そうなのですが、思いもかけずご先祖の中に黒染めの衣を着た人があったことが分かり、こうしていたらぬ乍らも、神様の場で勤めさせていただくのも仏縁があったからなのだと、目の中の鱗が取れる思いがしました。
病院でもお医者さんでもどうにもならない病気を患うことによって、信仰の世界に誘おうとご先祖様が働きかけられたのでしょう。
この神様の場での明け暮れは、長い間のご先祖様の希望であり、願いだったのだと思う時、私にできる精一杯のことをしてご先祖様の願いに応えて行かなくてはならないと、今は得心づくで法名を名乗り、行をさせていただいています。
この事も長いお勤めの間に起った忘れ得ぬ想い出です。

46 宗祖さまのご注意

宗祖さまのことで心に残っていることを序でにといえば申し訳ありませんが、記させていただきます。
宗祖さまはご本尊さまの現し身でいらっしゃると共に人類のお母さまという感じの方でした。
お側に近寄らせていただいただけでも、ふわっと包まれ身も心も安心して委ねることのできました。
その宗祖さまが幾多の信者さんのお助けにご多忙でいらっしゃるのに、私たち宗務員の1人1人のことを我が子のようにして気をつけてくださいました。
時には「皆あつまりぃー」と全員に招集がかかることがありました。
その時は皆、おそるおそる御前へ座りました。
招集がかかる時は決まってご注意を受ける時でしたから、ご注意の時はピリピリするほど厳しく、きつく仰りとても骨身に沁みました。
2度と繰り返さぬようにと効果的にご注意下さったのです。
ところがその後、私たちに宗祖さまはとても気をお使いになるのです。
そのご様子がありありと分かるものですから、心配かけて申し訳なかった。
もう2度と再びお心を患わせるようなことはあってはならないと心に誓ったものでした。

47 宗祖さまから頂いた服地

お中元の季節になりますと、御自ら百貨店へ買い物にお出かけくださり、女子には1人1人に似合う服地を買ってきてくださいました。
この人にはこの生地、あの人にはあの生地…という風に。この柄、一寸弱いーっと思っていましても、仕立ててもらって身につけますとバッチリで、さすがは絵心ある宗祖さまーっと改めて宗祖さまの美的感覚にシャッポを脱ぎました。
男性的な人にはかわゆく見せたいという思し召しからなのか、何時も決まって赤系統でした。
この事も今は有り難く懐かしい想い出となりました。
私のタンスの中には、いただいたものを宝物として大事にしまったあります。
この頂き物は我が家の宝として子々孫々に伝えて行くつもりです。

48 宗祖さまの公正な取り扱い

又宗祖さまは、どんな場合でもいきなりご注意されることはありませんでした。
お耳にいろいろ雑音が入っていきましたも、必ず本人を呼び、「こんな事を聞いたけど、どうなんですか」とお尋ね下さり、こちらの言い分に耳を傾け話し終えると「そーけぇー」と言われ、これでお終いでした。
宗祖さまは何事も一方的に聞き、そのものを評価するようなことはなさいませんでした。
これは誰に対しても同じで、お忙しいにも関わらず細かくお心をお使い下さり、何時も公正でした。これもまた宗祖さまならではの対処であり有り難いことでした。

49 宗祖さまの気配り

又ご本尊さまの現し身として最高絶対のお知恵でお助け下さっても、何時も謙虚でいらっしゃり、否、謙虚と言うより私たちよりも更に心を低くして接してくださいました。
研修科の4期生を卒業させていただき、直ぐ研修生のお世話をとの話がありますと、取るに足らぬ私ごとき者にも、宗祖さまはいち早く「先生、先生」とお呼び下さり、私と引き上げようと陰ながらお心を使ってくださいました。
本当に四方八方にわたる気配りにただただもう有り難く頭の下がる思いでした。

50 宗祖さまは教育者

又、宗祖さまは能力の引き出しの名人でもいらっしゃいました。
うまーく、うまーく持ち上げてくださって、僅かにひそむ能力をいつのまにやら引き出してくださる。
これもまた宗祖さまならではの見事な芸当でした。
教育とは…の問いかけに、いろいろの答がありますが、ここに持っている能力を引き出すことではないかと思います。
世の中の教育者が皆宗祖さまのようであれば、落ちこぼれたり、非行に走る者はないでしょう。
皆持っている才能を存分に発揮し生き生きと輝くのでは…。神様だから当然とは言うものの計り知れない無限のお力に、只脱帽し、ますます宗祖さまの魅力に引かれ、宗祖さまの御為なら、どんなことでもさせて頂かなくてはと励んだものです。

51 宗祖さまとの出合いの喜び

人間の一生の中にはいろいろな方との出合いがありますが、お釈迦様や、イエスキリスト、弘法大師に匹敵し、1000年に1度出現されるか、されないかの偉大な聖者、宗祖さまにお出会いさせていただくことができたことは、何にも勝る喜びでございます。
もし日本に生まれてなかったら…。もし日本に生まれても近畿に生まれてなかったら…。近畿に生まれていても、奈良県に生まれていなかったら…。奈良県に生まれていても、五條から遠く離れておれば…。
よしんば近くに生まれていてもご縁がなければ…。
又宗祖さまと同じ世代に生まれていなければ…。
病気をしていなかったら…。
といろいろと思い巡らせば巡らすほど、ますます奇遇この上ない出合いに身震いすら覚えます。
何時か現管長様が妙音紙に、宗祖さまとの出合いはフルスピードで走っている新幹線に飛び乗るよりも、更に難しいと話されていますが、私も何1000年という時の流れの一瞬に、まるでアクロバットにも勝る芸当的瞬間を与えて頂き、日々お姿を目の当たりにし親しくお言葉をかけて頂き、又尊い教えのかずかずにふれさせて頂き、又心配をかけたり喜んで頂いたりして、共に息づいてこさせて頂き、得難い好機の中に暮らさせて頂いたことは、何にも勝る喜びでございます。この、又とない宗祖さまとの出合いを大切にし、とりわけお運び席では宗祖さまを知る者の責任において、体の続く限り至らぬ乍らも語りに語る語り部とならせて頂きたいと頑張らせて頂いています。

52 私の小さい時の母の思いで

話の流れが又変わりますが、私の今日、こんにちがあるのは勿論ご本尊さま、宗祖さまのお陰ですが、母の陰ながらの支えがあったからでもありました。
母は昭和48年12月9日のこの世を去りましたが、私たち大勢の兄弟姉妹を懸命に育ててくれました。
大百姓ですので父は村の役職をいろいろと持ち殆ど百姓仕事は母の肩に掛かりました。
時々父に「役を持つのは子育てが終わってからにしてください」と頼んでいましたが、父は母の苦労を知ってか知らずか、相変わらず「今日は何々の会議がある」と出て行きました。
今のように機械化されたない時でしたから、一々手がけなくてはならず母は大変な苦労でした。
夏など、直射日光をまともに受けての田の草取りは並大抵ではなくご飯も喉を通らず、冷たい粥を頂きつつ頑張っていました。
ボツボツ私たち子供も小学校に行くようになり、田植の頃には苗取りを手伝ったり、苗運びをしたり、畔をこねたり、田植が終わって後は、車を押したり(除草と土を耕す働きをする農具で稲と稲の間を押して進む)、夏休みには俵編みをお駄賃を頂くのを楽しみにして手伝いました。
又籾干しや稲運びなども子供のお手伝いの内容でした。
自分でやってみて始めて百姓仕事の辛さが分かり、この辛さから母を少しでも解放しようとしました。
こんな忙しい生活の中から、母は手先が非常に器用な人で、ご飯や風呂を焚きつつきれいな模様編みの毛糸の服を編んでくれました。
又ミシンもない時に返し針をしつつとてもモダンな洋服を縫ってくれました。
まだ、よその子が服など余り着ていない時でしたので、私たち姉妹は結構目立ちました。
学校でもヒョイと後ろを向くと授業参観に来ているのです。
まだPTAも、授業参観もない時でした。
この点は母、教育ママでもありました。

53 母の弁天さん信仰

その中他の姉妹はそれぞれ健康に恵まれ成長していったのですが、
2番目の私が、これからという時にどうにもならない病気になり、
母は何とかして治したいとご本尊さま、宗祖さまにご縁ができますと信仰にひたむきになり、セッセとお詣りし、お百度を踏み、お運びが始まりますと1回も休まず出席し、寒になりますとまだ今のように教区ぐるみで寒行をするなどと言う流れはありませんでしたが、3人のお友達と一緒に、時には1人で粉雪の舞う村々をお経をあげつつ回りました。
とても私などにはこんな勇気はありません。
子を思う一念で、勇を鼓して母は行事だと思います。
宗の祭典行事にも楽しんで参加し、不肖の我が子の幸せのためにと母は母で一生懸命でした。
家の因縁は、まず現実にいろいろと起きて事象の中から悟り、親が主軸になって解いていかなければなりませんが、母がこのようにして行じてくれたことは、思うさえ有り難いことでした。
この母の支援があってこそ及ばずながら私も信仰に励むことができ、「病気」というトンネルをくぐり抜けることができたと思います。
母は平素「シンドイ」と言ったことがないほど達者でしたので、私は長生きしてもらえると思い、結構母におぶさっていましたのに、多年の苦労が祟りましたのか、腰痛が原因で、姉妹の仲で1人だけ人の道を踏んでない私に心を残しつつ1年ほどで他界しました。
今だったらどこへでも連れて行き親孝行の真似ごとでもできるのですが、「孝行したい時には親はなし」で残念でなりません。
私と限りなく庇護し続けた母の死は覚悟はしていましたが、大変な痛手で暫く立ち上がれませんでした。
今は、宗祖さまのお弟子さんの末端にでも加えて頂いているのではないかと、心を慰めています。

54 有終の美を飾る準備

こうして拙いながら筆を運んでいますといろいろなことごとが胸に去来します。
でも過ぎればアッという間の出来事です。無我夢中で過ごして来、ふと気がつけばもう先が見えてきているのです。
私もボツボツ自分を精一杯に荘厳にし終わりを全うし、私ながらに「いい人生だった。我が人生に悔いはなし」といいきれるように有終の美を飾らなくてはなりません。
只今は野に下り、ひたすらにご本尊さま、宗祖さまと対峙し身にまつわりついたものをふるい落とし、どの様にすれば喜んで頂けるだろうかにやぶさかです。
そして又若い頃はガムシャラにしがみつき強引に祈り、願いをかけてきましたが、何が起きても「あんたのことだったら、どんなことでも聞いて上げるよ」とうけあって下さる。
その実を日々作りあげ、あの世に行っても「ようしてくれましたネ」と快く迎えて下さるようにと、至らぬ乍らも勤めさせて頂いています。
有り難いことに、年輪を重ねるに連れ、いろんなこと、色んなものがよく目につきます。
定年と共に元の古巣大和本部に帰して頂き、有終の美を飾る為にお呼び下さったのでは…という気がしてなりません。

55 初心忘れずのトイレ掃除と信者が磨く天理教のきれいなトイレ

すべてをかなぐり捨てて、生まれたままの裸の人間に戻る為の、1つの方便として、又助けていただいたときの初心を何時までも忘れぬ為にも「トイレ掃除」を今も毎日行事とさせて頂いています。
「おばちゃーん、女の便所はどこでぇー」と時には声がかかります、人相の良くない者が作務服(?作業着)を着て、ゴソゴソの長靴を履いて掃除をしているものですから掃除婦と間違えられるのです。
でもそれは信仰当初から40年来にわたり続けさせて頂いた行事ですから、すっかり板に付いたということなのでしょう。
そう思って私は「ヤッター」と、とても満足なのです。自分を低きに落とし、又、初心を持続していく為の行事ですが、又心の片隅では、トイレこそは弁天宗信者の信仰の有り様を如実に示す場所だと思うからです。
信仰の場でトイレを汚し放しでどうして信仰していると言えましょう。
汚れているのにそのまま見逃しの三振はどうして信仰していると言えましょうか
。どちらにしても因縁を解くどころか、逆に因縁を積んでいることになります。
弁天宗の信者さんにも色々美点があるのですが、天理教に行きますと、トイレも汚す人はないし、きれいなのになお自分たちの行として、お詣りしている方々が誰彼なしに磨いておられ、食事が結構できるほどきれいです。
いささかも乱れていません。弁天宗でもこの様であればと何時も羨ましく思います。
まさにトイレこそ、信者の信仰のバロメーターです。
本宗でこの様な状態をつくれるのは、一体何時になることでしょうか。

56 私は弁天宗の周梨槃得になりたい

今は、お給料を頂いてもトイレ掃除を敬遠します。
ましてや何も頂かずに皆が嫌がる掃除をさせて頂くのですから、この功徳は大きいのです。
有り難いことに今、同調者が1人できましたが、更に複数になること願いつつ、これからもこの身が続く限り糞戦していくつもりです。
歩いたみちの終盤が、糞戦記になってしまい恐縮です。
こうして弁天宗の周梨槃得となり身行の中に悟りを得、垢を落としきり妙好人となることができれば最高です。とても私には無理と思いますが………。
振り返れば、私の歩いたみちは、実のおぼつかない迷路の中の歩みでしかありません。
私はこのみちに一生をかけたのですから、今さらコース変更はできません。
とすれば悔いのない一生を精一杯荘厳して終盤を…。
思いつくままにペンを走らせましたが、決して文字にできるような歩みではありません。
何卒、愚か者のたわごととして目を通して頂ければ幸いです。

道険しかりし(私の歩いたみち)1に戻ります。
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by nohara4241 | 2008-05-05 11:03 | 講師の回想