道険しかりし(私の歩いたみち)3

道険しかりし(私の歩いたみち)2の続きです。

道険しかりし(私の歩いたみち)3
(編集項目:ブログ者)
12 進歩しない私の信仰
13 助けてあげないというご神示とお言葉の悟り
14 必死に縋り祈ると神様の扉が開く
15 祈りの生活から功徳行の生活へ
16 因果律を知り、悪因(業)の許しを乞い、悪因(業)の償いをする。
17 我が家に関連する悪因縁
18 大和本部の造営開始と弁天さん1000体奉納

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12 進歩しない私の信仰

さて病気のほうは一向によい方に向かっていきません。
親戚の叔母さんも大変心配してくださり、何処かで拝んでもらってくださったのです。
ところが、このことをもう宗祖さまはご存じだったのか「あなたを助けてくださるのは弁天さましかないんですよ」と穏やかに仰せになったのです。
穏やかだっただけに大変申し訳ない気持ちで一杯になりました。
内心、あんなに助けると仰ってくださったのに、一向にはかばかしくない、他にもっと助けてくださる神様がいらっしゃるのでは……と心に迷いを抱いていたのです。
ところが、この私の心を見透かされたのか、穏やかではあったのですが、ピシャリと図星をさされたのです。それからは2度と再び他に心を移すようなことはありません。
今でならば「あなたに1つだけ残すものがあります。何なりと言ってみなさい」と仰れば、即座に「信仰」と答えますが、当時は弁天さまはどんな神様かという学問的位置づけも、体験もなかった時でしたから申し訳ないことになったのです。
何時しか、もたもたしつつ3年の月日が流れました。
深い因縁から来た病気ですから因縁解きをしなければ、どうしょうもないと言うことが分からず、愚かにも神様の世界にも助けて下さる順番があるのかも知れない、私は新参だから順番がまだ来ていないのではないかと、とてつもない馬鹿げたことを考え、勝手な慰めをしていたのです。
そして、相変わらずご神示を受けること、お百度を踏むこととお祈りに始終していたのでした。
こんな進歩のない私をご本尊さまも宗祖さまもどれほど歯痒くじれったくお思いだったことでしょうか。
大勢の信者さんから見れば、全く落ちこぼれの私を黙って気長く見守ってくださっていたのでした。

13 助けてあげないというご神示とお言葉の悟り

「這えば立て、立てば歩めの親心」と申しますが、私は何時までも這ったままの状態だったのです。
とうとう神様の方でシビレをきらされたのでしょう。
その日も抽選に当たり、今日はどんなに仰ってくださるのだろうか。
もう3年も経っているのだからと期待をかけ、前に座らせていただきました。
ところが宗祖さまは、私を見るなりきびしい表情になり開口1番「としちゃん、神様は助けてあげないと仰っているよ」と仰ったきり、次の方のご神示に移ってしまわれたのです。
全くとりつく島もなく。
期待していただけにこのお言葉にいきなりハンマーでガーンと殴られたような大変な衝撃を受けました。余りの衝撃で暫く頭の中が真っ白になってしまいました。皆さんにはにこやかに仰っているのに、なぜ私に限りダメだと仰るのだろうか。
3年間曲がりなりにも遠いところからお詣りし、お百度も踏ませて頂いてきたのに……となかなか直ぐにはお言葉の真意が分からず、良く蛍光灯のようにと申しますが、私のその時の受け止め方はまさに蛍光灯以上に鈍かったのです。
この衝撃のお言葉こそは、私を助けたいがために仰ってくださった神様のとっておきのお言葉だったとようやく判りましたのは、それから1週間経てからでした。
この悟りができずに「もういよいよ私は神様から見放されてしまった。もうお終いだと」と1週間泣き暮らしました。
けれどもその半面、年齢的にもこれからという時でしたから、死にたくない。
どうしても助けて頂きたいと生への執着がムクムクと頭をもたげ、例えダメだと仰っても、死にもの狂いで縋れば、よもや振り離しはなさらないだろうと漸く希望が湧いてきたのです。
心の静寂さを取り戻して、始めて、この者はこのままであれば恐らく助かりはしないだろう。
1つ気合いを入れなくては」と神様にしてもいいにくいことを涙を呑んで仰ってくださったのだと、漸くお言葉の真意が呑み込めたのです。
「助けない」というお言葉こそ、実は「助ける」というお言葉の裏返しだったのだと思うと、ただ有り難くてポロポロとなみだが止めどなく溢れ落ちました。
今でもこのお言葉を思い出しては、当時は立ち直れないほどのひどいショックだったけれども、このお言葉によって、今日の生を与えて頂いたのだと感謝するのみでございます。
打ちのめされ、叩きのめされ、それから這い上がるための必死の信仰を余儀なくされました。
私の信仰生活でもっとも性根が入り充実した時期は、この這い上がるための信仰の幾年月でした。
本当にご本尊さまから課せられた(お仕込みを受けた)有り難い行の期間でした。

14 必死に縋り祈ると神様の扉が開く

この必死になる「テーマ」を与えて頂いたなればこそ、体当たりで神様にぶつかり、無限の世界の極1部分でもわからせていただくことができたのでした。
お陰は直ぐにいただくにこしたことはありませんが、私のようなものには、神様の有り難さが分かってもても、さらなる踏み込んだ信仰は覚束ないことだったのでしょう。
いやが応でも、自分を捨ててかからなくてはならなくなり、それからは定期を購入して、3年間日参を続けさせて頂きました。
ともかく縋らなくてはなりません。
振り離されても、しがみつかなくてはなりません。
それからの私は、口から祈りが離れている時は熟睡している時だけでした。
道を歩いていても、列車に乗っていても、力なげに洗濯している時でも、ただガムシャラに祈り続けました。
全く、自分でも気が変になってしまうのではないかと思うほどに、ところがこの祈りに応えるかの如くに、私の身辺にいたる所、いたる時に神様が反応して下さいました。
皆さんは神様は有り難いと仰るが、それまでの私は申し訳ないことですが、神様の有り難さをこの身で直に感じたことがなかったのです。
所が、必死に縋り祈るようになってからは、それまで開かなかった神様の扉が、容赦なく開いたのです。
もう汽車の時間に遅れるのでは……と気になりつつ道を急いでいると、汽笛が鳴り今はこの位置だから急ぐようにと知らせて下さっているように思え、なお急ぐことによって時間に間に合ったり、お百度を踏んでいる方が鼻緒(足の親指と人指し指の間にある下駄草履の紐)が切れて困っていらっしゃるのを直してサービスした帰りがけに、今度は自分の下駄の鼻緒が切れて、どうにもならずに困っていると、野原の町の方が家から出てきて、本物の皮で親切に直して下さるなど不思議な現象が起きて参りました。
また十輪寺の中庭の草引きをさせて頂くにしても心臓の悪い私には1本の草を引くにもさほどの力はいらないのに、それすら身に応え辛い思いでした。
所が玉スダレという水仙に似た白い花の叢(むら)から、草を引く時の竹べらがでてきたり……という風にして「神は斯くの如くにして応えけり」という現象が至るところに現れてきたのです。
それからは、日々新たな神様のお働きの連続で、こうなると神様はこの世に無いと思っていた私も「神は斯くの如く存しませり」という証を体を通して分からせて頂くことができ、もう全く欣喜雀躍の生活でした。
クジが当たらなかった時でも、クジを返される方があったりして、そのクジを「姉ちゃん、クジ返しに来た人があったけど、いるんだったらあげるよ」と仰って下さり、全く諦めていたクジが思いがけず回ってきて、都合良くご神示を頂けたりということもしばしばありました。
こうした嬉しい状態が起こってくるにつけそれまで見馴れていた事物が、変わって映ってきたのです。
神様のうけ応えがあってから眺めるこの世界は何というキラキラ輝く素晴らしい世界だったことでしょうか。
研修生との関わりは後ほど話させて頂きますが、私は自分の体験を通し「ただ決まった日課のみ消化しておればよい」と思ってはいけません。
神様は天下の名鐘と同じです。いくら余韻嫋々(じょうじょう)として鳴り響く天下の名鐘でも、ジッと側に立って眺めているだけでは、すてきな音色を発することはできません。
神様の世界も同じ事、体当たりでブッカッていってこそ響き返す、すてきな世界だと……。
良く自分の体験を通してこんな話をしたものです。
こうして漸く神様との交流ができ、どうにか前に向かっていくことができました。
この私の歩調を合わせ、母も熱心に信仰するようになり、やがて妹たちも、親戚の人達もと次第に信仰の輪が広がりました。
神様って1族の者もお導き下さるのですね

15 祈りの生活から功徳行の生活へ

ところが、それまで順調に進んでいた祈りの生活から、やがて功徳行の生活に変わっていかざるを得なくなりました。
一生懸命に祈ろうとしても心のやましいことを思ったり、良くないことをした時は、自責の念にかられて、どうしても神様に手を合わせて「お助け下さい」と言えなくなってきたのです。
お願いしようとすれば、いやが応でも善い心になり又は善いことをしなくてはならなくなりました。
これも神様のお導きだったのでしょう。
それからは、ただお願いごとのみの祈りだけではなく、日々が奉仕に変わっていきました。
奉仕をさせて頂きますと、神様の御前に、ストレートに手を合わせることができました。
心の目を開けて周囲を見回しますと、させて頂くことが、1杯目に映りました。
十輪寺の中庭は、春から夏にかけて引けども引けども草が生えてきます。
秋から冬にかけては落葉が掃けども掃けども散り敷きます。
待合室に脱いである皆さんの履き物は、なかなかお見事です。
その履き物揃えもセッセとさせて頂きました。
待合室の透明のガラスは、汚れっ放しで、まるで曇りガラスのように曇り放し、桟はこれまた2ミリほど埃が盛り上がっていました。
まだまだ力を十分出し切ることができない状態でしたから、1わたりきれいにさせて頂くのに、1日かかりました。
わけてもトイレの掃除は傑作でした。今のように水洗便所ではなく、下は海、上は板の間でしたから、大の場合は跳ね返るのを恐れて幾つも幾つも板の上に並べてあります。
だから、先に水で流して雑巾掛けをしようとしますと庫裡のお座敷で休ませて頂いておられるおばさんが「姉ちゃん、お水余り使いなはんなゃ。直に水が溜りまっさかいになぁ」と水を使わぬように仰る。
これには全くお手上げでした。
でも、仰る通りにしなくてはなりません。
それから、家から新聞紙を沢山持ってきて、泣きたいほどの思いをして落としにかかり、僅かのお水で流し込み、後は何度も何度も雑巾で拭きました。
便所掃除の辛かったことを「光たずねて」の著者梅木先生も印しておられますが、まだまだご神示信仰の十輪寺時代は、汚れても平気、ましてやお掃除をする方はありませんでした。
だが……この大変なことが次第に気に入り、病みつきになっていきました。
悪戦苦闘した後は、何ともいわれぬさわやかな気持ちになり、身も心の汚れも取り除いて頂いたような、まさにスカッとさわやかコカコーラじゃなく、スカッとさわやかトイレ掃除でした。
このさわやかさ、清々しさは、到底お金では買えない素晴らしい醍醐味でした。
たまたま時間が無くて掃除をせずに帰らせて頂いた時などは、とてつもなく悪いことをしたような気持ちになりました。

16 因果律を知り、悪因(業)の許しを乞い、悪因(業)の償いをする。

この奉仕に更に拍車をかけましたのは因縁に対する自覚でした。
その頃法話は、谷口先生と梅木先生が交代でして下さっていました。
ある時の法話で、
「今色んなことで苦しんだり、悲しんだり、困ったりするのは、苦しむ原因、悲しむ原因、困る原因を過去に作ったからです。
その原因は、現世に覚えがなければ、前世か又は前の前の世か、ともかく、輪廻転生を繰り返して現世に至っているから、何時かその原因を作っていると思わなくてはなりません。
だから助けて下さいとお願いして悪いことはないけれども、過去に造った罪の許しをまず乞うことが、お願いにまさる祈りである。
そしてそのような過去の罪の償いとして善いことを行うよう心掛けるように」
とのお話があり、この話を聞かせて頂いて、それまで何故両親は他の姉妹が健康なのに私だけが病気になるような体に生んで下さったのだろうと、病気を両親の所為にしていましたが、自分の過去に病気で苦しまなければならない原因をつくっていたのだから、誰をも恨むことはない、只懺悔と善根を積み、過去の悪しきことを消滅する以外にないと心の眼を醒まさして頂き、この因果律の裏付けにより、前向きの心ができ、更にどの様にして善根功徳を積ませて頂こうかと、もっぱら十輪寺の各所を善根行の場とさせて頂きました。
なお、最初の出合いの時に宗祖さまは
「沢山の仏様が私の目の前に現れてきておられます。
あなたの病気は浮かばれていない仏様の障りです」
と仰って下さったお言葉を良く理解できずに、ご先祖様は子孫よかれと守って下さらなくてはならないのに、逆に困らせるようなことをされる。
そんな仏様には何もしてあげられないと、お茶や御飯をお供えする心も鈍り勝ちになっていましたが、それらの仏様のお障りをうけなくてはならないのも、自分がそれらの仏様と同じ因縁をもっているからだと分かりました。
どちらにしても、病気の原因はすべて自分に帰着するのだから、懺悔と善根行に励むより救われる道はないと観念しました。

17 我が家に関連する悪因縁

その中に、母の里ではお嫁さんを帰らせ、お嫁さんのお母さんが可愛い娘を帰らせたと恨みつつ亡くなられたこと、おじいさんが亡くなる時に「実は付き合っていた人があり、2人の子供もあったけれど、最後まで面倒を見ずに捨てた形になってしまっていた」との告白など併せて考えるにつけ、何という私の家には、大変な因縁があるのだろうかと身震いする思いがしました。
これではいくらお詣りし、お祈りしても救われないのは当然だと、お陰を頂けない原因がようやく分かりました。これもご本尊さまのお導きだったと感謝の外、ありません。
これからという時に、医師にも分からない病気で苦しみ、婚期を逸してしまわなくてはならいのも、これらの方達の恨みがあったからなのでした。
又、心臓を患うというのも人の心を悩ませ患わせていたからだと知り、それからはもう、朝夕懺悔に継ぐ懺悔を重ね、亡くなった方のお墓が割りと近くにありましたので、1週間に1度は必ずお墓に詣り、墓前で深々と頭を下げお詫びをし続け、方や一方では十輪寺を悪因縁消滅の善根功徳行の場とさせて頂き、明け暮れ奉仕に励ませて頂きました。
この因縁の自覚ができてからは、ユックリながらも休憩しなくても歩けるようになりましたし、草引きもボツボツながらも、続けられるようになりました。
お詣りの方が「姉ちゃん、この頃顔色ようなってきやはりましたなぁ」自分のことのように喜んで下さるようになり、病気のほうも畳の目1つずつの状態でしたが、次第に好転していきました。
でも、まだ若い時でしたからお陰をいただけばいただいたで、結果をどうしても急いでしまうのです。
でも、一寸努力したからと手、お腹が空いている時に、御飯をいただき満腹するような状態は無理なことでした。
色情の因縁は、怨みつらみがつきまとっているものですからそうたやすく解けなかったのです。
1年、2年と日参しつつ相変わらず、因縁解きの行を続けました。

18 大和本部の造営開始と弁天さん1000体奉納

丁度その頃から、大和本部の造営が始まり、毎日奉仕の方たちで十輪寺はごったがえすようになりました。
田圃の整地、基礎工事の「ヨイトマケ」と次第に弁天さまは活気を帯びてまいりました。
その間にも早く健康体にならして頂きたい、その為には、他に何かさせて頂かなくてはならないことがあるのではないかと、いろいろ考え弁天さま1000体を作り、奉納させて頂く願をたてました。
1000体はちょっとやそっとの数ではありません。
けれども、大変なことだからご本尊さまがその行為を受けとめて下さるのではないかと仄かな期待をかけ。作製にかかりました。
その頃、家の横の川は美しくシジミやカラス貝がおり、川雑魚も、エビもとれ、川は子供たちの格好の遊び場所でした。
その川に粘土があったのです。
粘土をこね弁天さまのお顔を作り、それからポスターカラーで何回も下塗りをし着色し、目や眉を引き微笑んでおられる表情にし、仕上げて行くのですが、精々1日に20体くらいしか出来上がりません。
それに竹ヒゴも1000体削らなくてはなりません。
病身の私にはこれも大変な根気仕事でした、半年近くかかり、漸く念願の1000体が完成し奉納させて頂くことができました。
この弁天さまは、大和本部落慶祭典の時に、皆さんにお守り用としてご下賜(かし)下さったのですが、今なお大事にお持ち下さっている方があるのでは。
なお、どの様にすればこの病気をすっかり助けて頂けるだろうかと、自身を振り返り、振り返りつつ何時しか3年の月日が経ちました。
打ちのめされ、叩きのめされ、それから這い上がるための努力が何と長く無我夢中だったことでしょうか。
この期間があったればこそ、私のような者でも、一寸は性根が入りどうにか人並みの信仰もできる用に鳴らせて頂くことができたのだと思います。
ご縁を結ばせて頂いてから、もう早足かけ6年の歳月が経っていました。
一般に逆境をして不幸とみなしますが、不幸があってそれまで見えなかった世界が見え、心の視野を広げることができますし、又、合わせにくい手を合わせ、信仰の世界に入らせて頂くこともできます。
精神的にも助けて頂くために、反省に反省を重ね、ご本尊さまへの近づきに精進しますから1番心が浄まり、心が健康なときではないでしょうか。
人間幸福なときこそ、精神的には却って病み不幸なのではないかと思います。
本当につらい日々でしたが、性根の入った信仰ができ、人間本来の心に戻る好い機会を与えて頂いたと感謝の心で一杯です。
それにしても私にとりましては神様の世界の何と厳しかったことでしょうか。
道険しかりし(私の歩いたみち)4に続きます。
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by nohara4241 | 2008-05-01 11:50 | 講師の回想