お運び参加礼拝経2講--真言

お運び参加礼拝経2講--真言

メイン会場が1階祖霊殿になり階段がキツイお年寄りの方が1階に入り、2階の護摩殿会場は淋しくなりました。
2講の礼拝経は、拍子木の打方と鐘の入れ方及び打方でした。
テキストの110ページの勤行基本に基づき、拍子木の打つ箇所、鐘の打つ箇所の説明がありました。




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「心経」「礼拝経」「御真言」「御宝号」「回向文」「三礼」と上部に四角枠で囲ったお経の区分が示されています。
この中の礼拝経と御真言との関係で、「御真言」の下のオンソラソバテイエイソワカのは「 」が付いていませんので、礼拝経の「………謝徳の為に唱え奉る御真言には」に引き続き「オンソラソバテイ………」を唱えてくださいと説明がありました。
今回は誰々が言われているという付け加えはありませんでした。

ここでも何々してくださいだけです。
こうだからこうですよと相手の理解納得を求める説明がありません。

今月4月のお言葉です「相手の足らぬところを補ってあげなさい」とありますので補います。
礼拝経には御真言は含まれるのです。
ですから「……御真言には」という言葉は次ぎに続きますよという言葉です。
ですから、「………謝徳の為に御真言を唱え奉る」と一旦礼拝経を終わる記述がされていないのです。
従って、ここでは、礼拝経と御真言は一体ですよだから引き続いて唱和してくださいねと説明しなくては成らないと思います。
礼拝経には必ず御真言が付属しているので。
御真言無き礼拝経はありません。
しかし、礼拝経の簡略化又は究極化した御真言には礼拝経の本文は不要です。
御真言だけで1つのお経なのだと思います。
この話は意見具申させてもらいましたが、1信者の意見ですからご理解して頂けなかったようです。

私は、御真言を唱えるにはいろんな意味があると思って使い分けています。
1つは、礼拝経を唱える時に礼拝経の一部として最後に御真言を唱える。
御真言が付属物である場合。
2つは、祈りの時の心経の代わりになるお経として御真言を唱える場合。
これはお宗祖様がお百度を踏まれる時は御真言を唱えられたと言われています。
ご本尊さまに祈りが通じるように、心を無にするための御真言のお唱えでしょう。
何か心配があると、助けてくださいという祈りの言葉(お経)として御真言を唱えますが、礼拝経の究極は御真言だと思います。
3つは、お言葉集にもありますがお宗祖様の46時中常に称名されていたようです。
これは他宗のご本尊さまの称名と同じ意味で、ご本尊さまのみ心を我が心にする為、ご本尊さまと一体になるための称名だと思います。
この様な御真言のお話はお運びで聞いたことがありませんが、私はこのように使い分けてます。
いかがでしょうか。

称名についての考え方を知ったのは昨年です。
臨済宗僧侶松原泰道の養生訓を読んだからです。
御真言の称名に関して、お運びで何を学んでいたのかと多いに反省しました。

称名については神様・お宗祖様の心が頂ける、
一体になれる真言宝号の称名
を参照してください。
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