ご本尊さまの給仕

ご本尊さまの給仕

1 お供えの水は1番最初に使うお水

3日ほど家内が旅行に出かけ、私がご本尊さま、お宗祖様、ご先祖様のお給仕をするようになりました。
ご本尊さまには毎朝、塩、水、洗米を器に入れてお供えします。
この時のお水に関して、信者のつとめ39ページお給仕のところで、お水をお供えするのは、「今日1日、ご本尊さまがお示しになられている『水の心』を忘れずに過ごします」とお誓いすることで、お水は真心の象徴なのです。
そう言った意味から、その日1番最初に使うお水をお供えしますとなっています。
お運びの礼拝経の法話でも、お給仕の指導があり矢張りその日1番最初に使う水をお供えしますとご指導を受けます。




2 私は、最初の水で身を清めた後で、お供えの水を汲みます。

家内は朝起きたら蛇口を捻ってお供えの水を新しいコップ汲んでいます。
おかしいというとお運びでその日最初に使う水をお供えすると教えているのでその通り実行していると言って、聴きません。

私はこの頃年を取り、夜間にもおしっこに行き、朝起きると最初におしっこに行きます。
水洗便所ですから、おしっこを終わると水で流します。
この時のお水はその日1番最初に使う水です。
昔は、水洗トイレでない時は小さいバケツのような水の入った容器を吊し、下の口を押し上げて水を出し手を洗っていました。
朝起きた手も顔も洗わない、清めてもいない手で、水道の蛇口を捻ってお供えのお水を容器に溜めるのでしょうか?

私は早朝顔を洗わずに神社まで散歩します。
手水舎で水を柄杓で汲んで手を洗い顔を洗い、口をゆすいでからお参りします。
私は身を清めて、塩水米とお茶の容器を洗ってからお供えのお水を容器に溜めるべきであると思っていますので、自分でよいと思うやり方をしています。
お宗祖様はお祈りをする時に身を清めずご本尊さまから叱られています。
これは人間は不浄であるということでしょう。ですから神様ごとをする場合は身を清めるのが人間としてあるべき姿だと思うのです。

3 時代は違う

昔井戸水を使っていた時代は常時使う水を瓶に溜めていました。
山の泉から筧で水を引いていた時代は筧の水がそのまま流すか又は瓶に溜まるようにしてありました。
従って瓶には古い水があるのでその古い水で顔や手を洗い、またお供えの容器を洗い、神様弁天様にお供えする水はその日始めて汲みだす井戸水なり、筧から流れる水を最初の水(初水)としてお供えしたのではないでしょうか。
時代は変わってきています。
神様は、不浄を嫌いますが、汚い手でお供えを扱っても何も言われないでしょう。
まして、人間の不浄を清めるために水を使うこと、またお供えの容器を洗浄することに最初の水を使うことをとやかく言われるはずがありません。
その日1番最初に使う水は朝起きた私たちの身体を清めるために使わなくてはなりません。
神様の前に出るにはまず私たちの身体を清めることが最優先です。
その清めた手で身体でご用をさせて頂くのが、神のご用をさせて頂く基本的心構えだと思います。
何が正しいか、時代に合わせて何処を替えないといけないか。どう解釈しないといけないかと言うことがなおざりになっています。
昔の教えが正しい、間違っているではなく、昔の教えができた時の情況、事情はどうだったか。昔の教えがどういう理由でできたのか、何に重点を置いた教えであったのか、良く検討しなくてはならないでしょうね。
世の中にはできる人とできない人がいますから、私はこう思うといっているだけです。
替えて頂きたいなどとは思っていません。
好きなようにされたらいいいのです。
誰も正しい、それが信仰です。
私は我が道を行くだけです。

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