人気ブログランキング | 話題のタグを見る

18年 水の章24講法話

18年3月21日(火)水の章24講 小竹祥善講師
(編集項目:ブログ者記)
1 沖縄の長寿とお彼岸
1) オバアの長寿と私生活
2) 生命の流れの中の自分の役目
3) 死の恐怖心がない 
4) 月に2回の祈り
5) お彼岸
2 上を押さえて成り立つまじ(65)
3 不平不満は自らの運命を損なふ道なり(66)
1) 不平不満はどんなものか、どうして起こるのか。
2) 起きてきたことをどう見たならばよいのか。
3) 不平不満をなくす勉強
4 水の章のまとめ




1 沖縄の長寿とお彼岸
1) オバアの長寿と私生活

日本心理学会で東北大学の教授が発表された話です。沖縄県は非常に男女とも長寿の方が多いと良く言われます。最近は少し男性の方が落ちているという異変があるそうです。長寿県として伸びているところはどこかご存じですか。長野県だそうです。ご夫婦とのよく働かれるということが理由かなと言われているそうです。沖縄県では、食生活がだんだん変わってきていることと、車を使うので歩く方が少なくなってきたが長寿者が少なくなった原因ではないかといわれています。沖縄県の高齢のご婦人をオバアというそうです。オバアの長寿と私生活と題して話されました。100才以上のご婦人の方の数では日本では沖縄県がトップではないかと思います。どうしてこの方々は長寿なのかと研究したところ、死生観がすごく大きな力を発揮しているのではないかとこの先生は分析されました。3つあります。

2) 生命の流れの中の自分の役目
 ・(先祖)―――・(自分)―――・(子孫)
命の流れの中で、自分がはたすべき役割がある。それに責任と威厳を持っている。

家の命の流れの中の中間に自分はいる。先祖と子孫のつなぎをしているということをものすごく自覚して生きているのだそうです。中間にあって先祖の命を受け継いで、次の時代に継いで行くという役割の責任と威厳がこの方々にはある。これらを自覚しながら生きておられるということが1つです。

3) 死の恐怖心がない 

そんな中で、オバア達は、あの世をリアルに捉えている。あの世を自分なりに把握し、よう知っているということです。そのため、死ぬことに対する恐怖心がないようです。みんなあそこに行くのだという認識を実感として捉えているのです。

4) 月に2回の祈り

月に2回のお祈りをする。1日と15日の次の2つのことをお祈りをします。1つはヒヌカンという火の神様を祀って、家内安全を祈るのだそうです。もう1つは亡くなった方のトートーメ(位牌)を祀って、祖先を崇拝する。しかもトートーメを祀って祖先を崇拝するときは、弁天さんでは般若心経を唱えるのですが、この方達は自由だそうです。どんな言葉でもよいのです。お経をお供えするより、先祖の位牌と語り合うという方が正しいでしょう。自分の言葉で話すのです。従って、勿論感謝やお礼もあるでしょうが、あんたの残した息子はこんなんやでと愚痴を言う、文句を言う。そんな日常茶飯事のことをトートーメに対して言うのだそうです。ここでほかでは言えない世間で言えない自分の愚痴や不満の本音を言うのですね。多分このことをすることによりあの世ということを、自分達もああいうふうになっていって、子孫から拝まれたり色んな話をされるのだろうなと、私もこのトートーメになっていくのだという実在的なあの世というものを、このオバア達は受け取っているのではないかということです。
これらを通してなにが起こるかといいますと、今風ではストレスがたまらない生き方をされているといえるのです。本音を言う場を持っておられるのです。皆さん愚痴を言う場をお持ちですか、自分の本音を言う場がありますか。オバア達はここでストレスを解消しているようなのです。これがなければ、私は、どの強い泡盛を飲んで三線をひいて踊りストレスを解消するのだろうと思います。そういう風に、日常的な信仰が自分達にいい影響を与え長寿をもたらしているのだろうと思います。
現在弁天さんで取り組んでいます。ご分身を祀って自分達の家内安全を祈ったり、お塔婆を祀ってご先祖様を崇拝するということは沖縄のオバアの話と変わりますが、私たちのやっていますご分身とお塔婆祀りは、大きな作用があるのではないかなとこの話を来たときに思いました。
勿論トートーメの位牌には般若心経を唱えましから、自由に語ることはありませんが、読経の前後にできますよね。胸が心がすーっとする場をオバア達は持っており、長寿に繋がる日常的な信仰が大事ではないかなとその先生はいわれるのです。
お彼岸は、難しい理屈は分からないが、私たちの先人は、先祖とのふれあいの場又は崇拝の場として設けたのではないかなと思いました。ご先祖の供養やお彼岸を形式張ってお考えにならず、オバアのように先祖と子孫の中間に自分は生きている、中間の自分はどうすればいいのか考える機会にされたらいいのではないでしょうか。
沖縄の方の長寿は、気候や食べ物もあるのでしょうね。お彼岸に当たり、先祖との繋がりの話をしました。

5) お彼岸

お彼岸のポイントはご先祖様をどれくらい身近に感じられるかだと思っているのです。以前も申しましたようにご先祖様は自分の身体中にいるという考え方をしています。離れているのではなくご先祖と一緒に生きているのだということを何時も実感しながら生きて行きたいなと思っています。
(私はご先祖様は霊体(霊魂)ですから感応することがあっても、身体の外に存在する魂であると思っています。)

2 上を押さえて成り立つまじ。(65)

上とは、自分以外のものですから、上を押さえてとは、自分以外の他人・自分に起きてきたこと・相手を否定する、認めない、消すことをいいます。そんなことをしては成り立たないよと言っています。
身の上には色んなことが起きてきますが、全部否定する。なくしてします。認めない。そんなことをしては成りたたない。何が成り立たないかといいますと私は存在が成り立たないのだと思います。
17年前ですか、宗祖霊顕55年祭で五條市民3万人のところに1日5万人が来るというので駐車場の確保に追われましたが、先代管長様のご縁で河川敷、貯木場、学校跡地と次々を先代管長様にお世話になったからと貸して頂き助かりました。人間はこのように支え合って、尽くしあって、励まし合って生きて行きそして存在しているのが私達です。ですから上である相手を押さえるなどは到底できないことです。上が相手があって自分があるのです。私達の信仰はどんなことが起こってきても「お陰様でと」言う感謝の心で受け入れる肯定する信仰です。丸飲みやいいやの格好だけではだめです。「あなたのお陰です。」という言葉が出ないとだめですよ。上の本質は、自分に不可欠な存在です。

3 不平不満は自らの運命を損なふ道なり(66)
1) 不平不満はどんなものか、どうして起こるのか。

運命は変化します。運ははこぶことで、命は法則です。天命や宿命は動きませんが運命は動くのです。不平不満を思うと自分の運命をだんだんだめになって行くよと言っています。
三日月を書いてお月様だと子供にいうとお父さん違うよ丸いよといいます。地球の影で月が見えず私には三日月に見えるのです。世の中の物事は自分たちに見える部分と見えない部分の2つの部分で成り立っていると考えて頂きたいのです。自分の心の中心にある都合・感情・好き嫌い・損得といった思いによって不平不満(自分に見える部分)ができているのです。そんなことを言い張っていては貴方の運命がだめになるよとおっしゃっているのです。

2) 起きてきたことをどう見たならばよいのか。

その見方は、すべて物事は原因があって結果があるという因縁・因果律の法則です。因果の法則はいつも完全な状態を表しています。丸く満ちており、これで十分完全な状態にあります。しかし、そう見えないのは貴方の心が磨けていないからです。悪い・気に入らないのはきっと何か原因があるのです。悪くても気に入らなくてもこれで完全なのだ、十分だありがたいと思って頂きたいのです。ご本尊様が見ていらっしゃるからです。起きてきたことは「そうなるのがご本尊様のご意志と悟れ」と信者訓戒にあります。何かに出会ってもこれはありがたいと言えるよう又思えるように心を育てましょう。不平不満は自分お心の磨きがたりないから起こってきているのです。愚痴、不平、不満を言ったら、相手の方・世間に自分の心が磨けてないことを暴露しているようなものです。

3) 不平不満をなくす勉強

不平不満を消すことのできる本質に係わってくる勉強です。般若心経を勉強してください。形あるものはその条件で成り立つのです。条件がなければ成り立たないのです。すべて変わることが本質なのです。その本質を悟ってください。植物とか天気とか素朴なものに目を向けると本質をとらえられます。
本尊様がいらっしゃるので、不思議なお計らいを受けるということをしっかり持つことです。私の家は代々長男が早死に家を継げないので、見てもらったらお宗祖様は「貴方の家はね、玄関が鬼門に当たっているでしょう。これが悪いのよ。」といわれました。これで(見えないものが分かって)完全になったのです。私達に起きてくることは因果の法則ではすべて完全なのです。しかし私達には半分しか見えません。見えない部分をお宗祖様に足して頂いていました。今は自分で勉強して増やして行くのです。だんだん丸くなりますと(あとになり)よく見えてきます。そんな勉強が不平不満をなくす方法だと思います。

4 水の章のまとめ

ご本尊様の御教えである「水の心」を勉強してきましたが、水の心は「尽くすこと」が基本です。上に感謝するとか、善根を積むとか表現しましたが、自分(の見方より)よりもっと大切なもの(見えないもの)があるという(悟った)心で相手に尽くすことのより、すべての人がつながります。すべてのことを生かせますと教えてくださっています。
「尽くす心」がご本尊様の「水の心」であり、お宗祖様は人に尽くすことを生涯実践された方です。信者の生き方は「尽くすということ」にあると思います。『いま』尽くす、『ここで』尽くす、『自分が』尽くすの3つで尽くすことを考えてください。それが水の心であると私は思います。

by nohara4241 | 2008-03-01 09:14 | 法話水の章