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妙音新聞50号 25年祭を終えて

昭和35年6月17日発行 妙音新聞50号

25年祭を終えて  まこと 宗祖 

(編集項目:ブログ者)
1 前言
2 25年を振り返って
3 お宗祖様の唯一の願い
4 信仰は因縁ほどき、本当の幸せになる
5 因縁ほどきの道とお宗祖様の唯一の楽しみ
6 結言




1 前言

この間の25年祭には、皆様がこぞってお出まし下さいまして私は大変嬉しゅうございました。
そして心から私のためにお祝いを頂き健康を祈ってくださいました。
私は本当に嬉しゅうございました。涙が出て涙が出て仕方ございませんでした。
当日はお陰で何の事故もなく、今までにない賑わいを見せ頂き、また数日前からは各支部の役員方が準備その他に献身的にお世話下さってまことに有り難うございました。
この賑わいを見て私は本当に報われた気持ちが致します。
25年の間、色々苦しいこともありましたけど、それらが一変に消えてしまって只、信者さん皆さんがこうして集まってきて下さったことが有り難くて有り難くて………。

2 25年を振り返って

振り返ってみますと25年と一口に言いましたも私に取りましては、永い苦しい年月でございました。
言うに言われぬ苦労を致しました。
人様をお助けさせていただくための苦労、それと一緒につきものになります家庭のこと……私が一家の主婦として家の中のことを見ることができない矛盾に悩みましたけれど、もっともっと苦しみ悩んでいる信者さんのことを思えば、そんな私個人のことなどどうでもよい。
そんなに思って過ごしてきた25年間でございました。何時花が咲いたのやら、何時紅葉が散ったのやらも知らないような生活でございました。
世間の方々が花が咲いたらそれ花見や、夏が来たら海へ等とお出かけになることを見たり聞いたり致しますと、私でも人の子ですから悲しくなることもございます。
けど、いやいや私はそんなことをすることはできないのやと、思い直すのでございます。
信者さんが「お宗祖様はメッタに映画など見に行かれないのでしょうから、テレビでも見てください」と言ってくださったテレビも、本当に見せて頂く間もございません。
本当に私は生まれつきこの様な身体になっているのでしょう。
小さい時やお嫁に参りました当時は、こんな身になると言うことは夢にも思っておりませんでした。
それが突然この様なことになってしまったのですから、始めのうちは、私も悟れなかったのでしょうけれど随分悲しい思いを致したのでございます。
戦争中は警察の方々が毎日のように来られまして、色々のお調べをうけ又、署の方へも呼び出されひどい仕打ちを受けたこともございます。
その方々もお勤めで仕方がなかったのでしょうけれど、私も随分苦しみました。
3番目の男の子が、私の看病もろくろく受けずに死んで行きました。
私は毎日毎日その子のことを思い出しては泣きの涙で暮らしました。
ですけれど警察のお調べのために参考人として呼び出された信者の大勢は、私が潔白であることを口を揃えて証明してくれました。
その皆さんのお言葉が私をどんなに力づけてくださったことでしょう。
私は色々なことを捨てて皆様をお助けさせて頂いていることを信者さんは喜んでくださっている。
それを見て私はもうどうなっても良い。
信者さんのために一身を捧げて行きましょうと決心いたしました。
死んでいった子もキット慶んでくれるでしょうと思ったのでございます。
それに私を心から励ましてくださったのも管長様でした。
身の回りの世話もろくにできない私ですからご不満もお有りのことだったでしょう。
それでも一言もなにも仰らずに私の影になり日向になりしては励ましてくださったのでございます。
それからこの永い25年の間、私の言う無理なことも、不平1つ言わずに何からなにまでお力添え下さった支部長さんや役員の方々にも心からお礼申し上げとうございます。
皆様のおかげで、皆様がこうして私に協力してくださるお陰で私は何の心配もなくお助けばかりに一生懸命になれたのでございます。

3 お宗祖様の唯一の願い

私も段々年をとって参りましたので、今までのようには行かないかも分かりません。
でも私は、この身体が倒れるまで皆様のお助けに、皆様がより幸せになれるように努力して参る決心でございます。
どうか皆様も私ができるだけ長生きできて、そして出来るだけ沢山の人々のお助けが出来るようにお力添えを頂きとう存じます。
そして皆様はもっともっと功徳を積んで頂き、もっともっと幸せになっていただきたいのでございます。
それが私の唯一の願いなのでございます。

4 信仰は因縁ほどき、本当の幸せになる

皆様の中には、只ご神示を受けたらその他のことはどうでもよい……等と思っていられる方はいないでしょうか。
ご神示は受けて頂かねばなりません。
ですけれども、ご神示ばかりをあてにした信仰では、本当にお陰をいただいてもらうことは出来ません。
ご神示を頂く反面、自分の修養、積徳と言うことを忘れてはなりません。
何故かともしますと、ご神示を頂くだけでは私達の因縁というものが解かれてこないのであります。
ご神示を頂いて物事をやって行くことは、将来に向かっての因縁は積まないでしょう。
ですけれども、今まで積んできた因縁はどうしてほどいてゆくのですか。
誰もあなたの因縁をほどいてくれませんよ。
自分でなければほどいて行くことはできないのでございます。
因縁ほどき。これが私達の、皆様のやるべきことです。
この悪い因縁をほどかない限り本当に幸せはやってこないのです。
一生懸命信仰しているのに、災いばかりがあるという方は、このことをもう一度考え直してみてください。

5 因縁ほどきの道とお宗祖様の唯一の楽しみ

お運びに参りましょう。
進んで人のためになることを致しましょう。
神様に喜んで頂けることを進んで致しましょう。
これが因縁ほどきの道なのでございます
神様の力と私の祈り、皆様のお祈りの力と修養の力が寄り集まったら、どんな苦しい因縁でもほどけて参るのでございます。
切角、信仰なさるのですから大きなお陰を頂いて頂かねばなりません。
色々な信仰に迷ってはいけません。
こうして皆様が修養してくださることが、唯一の私への手助けとなるのでございます。
「本当にお助け頂きました。有り難うございます」と申される皆様のお言葉を聞くことほど嬉しい時はありません。
これが私の唯一の楽しみなのでございます。

6 結言

25年の祈念すべきお祭りを終えまして、心からお礼申し上げますと共にお願い申し上げる次第でございます。
それから、皆様に大変ご無理を申しておりますが、茨木造営のことが気にかかります。本殿の工事もいよいよ本格的にやり出したようでございます。
何卒、私達が、皆様が救われる「行」としてなお一層のご協力下さいますように……根後期こそ功徳を積む絶好の機会ではありませんか。
私も頑張ります。
皆様もお願いいたしますよ。
では今月はこれにて失礼いたします。
合掌(5月30日聴聞)