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18年水の章22講法話

平成18年2月25日(日) 水の章22講第5章(2) 小竹講師法話
(編集項目:ブログ者記)
1 去年の秋に勇気を与えられたことが2つ
1) 90才のご婦人の水泳
2) 旭川動物園
2 汚れありても遮りては流れ止まるなり(59)
1) 汚れ
2) 塩鮭
3 汚れをも受けて、流れは続くものなり(60)
1) 汚れをも
2) 信仰とは
3) 不都合なことを受け入れる人
4) 肥料
4 汚れ止むるに流れ止まれば、手許(てもと)の清水もやがてはつきて流れ涸るるなり(61)
1) 手許の清水とは 芦屋の信者さん
2) 物事には良いことと悪いことがある
5 朝顔の話




1 去年の秋に勇気を与えられたことが2つ

1) 90才のご婦人の水泳
1つは、九州のご婦人が90才から水泳を始めた。動機がふるっています。三途の川を泳いで渡りたいからだそうです。これに対して、高知の方が気にいたのでしょう。もし帰ってくることができるように、私がターンの方法を教えて上げるといったという話があります。

2) 旭川動物園
2つは、北海道の旭川市に旭山動物園があります。日本で一番北にあり、半年雪に埋もれているそうです。日本1です。40年位前にでき、25・6年前は年間約60万人位の観客があったが、10年位前に年間26万人に落ちた。旭川市の人口が36万人でその数が来たらよいといわれていた。一時は閉園しようという話もあったが、動物園の関係者が頑張って、交通の便も悪い、人も少ない等条件が悪い環境にありますが、一昨年は上野動物園を2回(2ヵ月)、昨年は7・8・9月上野動物園を10万人越し、昨年は年間145万人になっています。このときの話が参考になります。
一言でいいますと見せ方の工夫です。園の方は見せ方を変えました。飼育係の方と30年間毎月1回勉強会をやっており、その資料を基に「行動展示」という方法を考え出した。アザラシの展示場に円柱の水槽を造ってアザラシが円柱を上下して泳ぐところを見せた。アザラシの上下に驚いて尋ねるとアザラシは好奇心が強く人が円柱水槽の近くにいると必ず泳いでくる習性があるからで、人がいないと絶対に泳がないそうです。
オランウータンの握力が強いのでロープを張り片方に設置した皿にピーナッツを3粒置くとオランウータンがロープに片手でぶら下がりながらピーナッツのところに来てうれしそうに食べます。誰でも3粒なんてかわいそうにと思いますが、オランウータンは粒数には関係なく、食べたことに満足するのでピーナッツが1粒でもあればよいのだそうです。ペンギンが頭上の水槽を飛ぶように泳ぐところを見せる。その外に夜行性の動物の行動を見せるため夜間開園して見せる。人はああしてくれたら、こうしてくれたらと要求しますが、厳しい条件を乗り越える知恵が人間にはあるということを教えてくれます。

2  汚れありても遮りては流れ止まるなり(59)

1) 汚れ
汚れとは苦労・不都合・苦難とか自分の思いとは違うことをいいます。
遮りては、不平と思う見方です。自分の気に入らないかとが起きると不平という見方で見ると流れが止まり拒否した。それを認めない。それを受け入れない。それから逃げた状態をいいます。不平不満を思うべからずの章ですから、苦しみ・苦難のほかに見えないことも汚れの中に入ります。

2) 塩鮭
例えですが、カナダの友人が塩を抜いて食べてくれと塩鮭を送ってくれたので、日本の友人は水に一晩浸けたが塩が抜けなかった。塩水に浸けると塩が抜ける。これは塩から逃げてはだめで、塩の中に解決する手段があるということです。お宗祖様も御神示することがいやになり御神示を止めると家族が病気し心身共に休まる暇がなかったので、御神示を休まなくなられています。逃げるということは流れを止めることになります。
大事なことは逃げないということで、言葉を換えると『受ける』ということです。汚れである苦労・苦難・気に入らないこと・不都合なことに遇うと、受けるをいうこと出発点にして欲しいのです。旭山動物園は逃げなかったのです。30年間ありふれた動物をジーと見たのです。受けるということはそれを『ジーと見る』ことです。そこが出発点です。汚れに関して思うことがあります。他人の汚れが見えている間は救いは遠いと思います。逆に自分の汚いところが見えてきますと救いは近いと思います。自分の欠点が見えたとき弁財天様はこれを受けよ、カバーせよ、善行を積めとおしゃっているのだな思えるようになってください。

3 汚れをもうけて、流れは続くものなり(60)

1) 汚れをも
「汚れをも」といいますから、汚れだけではなくもう一つあるということです。不都合・苦難といった汚れと都合がよい・楽だという清いという2つの存在があるということをいっています。
流れとは私達の人生であり、生活であり、色んな出来事です。
汚れをもうけてとは、汚れと清いの2つが1つとなったものを受けるのだということを自覚してください。
従って、毎日繰り返され続いている物事・生活・人生には、自分に都合の良いことばかり起こるのではなく、不都合なことも起こるのである。それが物事であり生活であり人生ですよと教えてくださっているのです。
このことを自覚してください。

2) 信仰とは
信仰していると何故なんだろうと思うことが起きてくる。病気にも怪我にも災難にも遭うでしょう。信仰していればそれを丸ごと受けるのです。病気や怪我でしょうがそれは見方です。包丁で怪我をさせると凶器といいます。使う人の心が凶器にしています。私は酒は飲めませんといいますと、必ず飲めるでしょう。飲める顔をしているといわれます。酒は飲めないと理解すると甘いものが好きでしょうと又いいます。饅頭も嫌いですといいます。考える基準が自分中心です。物事に2面性がること、飲めない人もいることを考えようとしないのです。自分に都合の良いことを考え、不都合なことは受け入れたがらないということを物語っています。

3) 不都合なことを受け入れる人
自分に不都合なことを受け入れる人は、他人から好かれますし、人が集まってまいります。起きたこと・物事を①丸ごと受ける。②続けるこの2つにより私達は経験を積むのです。その経験により、③後になって、その意味が分かるのです。教えの中に『そうなるのがご本尊のご意志と悟れ』という言葉が示すものです。①と②がないと③には到達しないのです。

4) 肥料
私達の成長に何が必要であるかと考えますとそれは肥料です。人生の中で肥料になるのは成功より失敗や間違ったことです。好都合より何故と思った不都合なことや苦難が私達の成長に役立つのだという人生観を持つことが大事だと気付きます。
見方が分けますが何か起こると理由や意味が分からなくても丸ごと受け入れ、そのままやって行く、そのうちに意味が分かってくる。流れを止めずに続けましょう。

4 汚れ止むるに流れ止まれば、手許(てもと)の清水もやがてはつきて流れ涸るるなり(61)

1) 手許の清水とは 芦屋の信者さん
手許の清水とは、ご本尊様につながっているから流れてくる弁財天様のお力です。
信者さんの体験談から、芦屋に住む方ですが、晩婚で娘さんができて、幸せな家庭を築いていましたが、ある日旦那さんが車で出勤時、大型トラックが追突ししかもトラックが旦那さんお車に乗り上げ、旦那さんが即死されました。更に旦那さんの遺産相続で親類ともめ奥さんはつらい日々を送られ、娘さんが小さかったので自殺を思いとどまりました。娘さんのピアノの先生が弁財天宗の信者さんで親子の態度がおかしいと気づき話を聞いて、『人を恨むと穴2つといいますよ』といわれ、相手の運転手が事故後1度も謝罪にこないことを恨んでいたのに気付いた。そしてピアノの先生から弁財天さんのお運びに参加してお話を聞きませんか誘われ、お話を聞きに行った。
事故から1年経ったときに相手の運転手とお母さんが訪問され、刑を軽くするために嘆願書に印鑑を押してもらいたいために、お母さん玄関で跪き身体を震わして息子を許してくださいと謝った。何を今更身勝手なことをと最初思われたそうですが、お母さんの姿を見て、私達家族は息子さんにより地獄を見たが、この親子も地獄を見たのだなということに気付いた。そして相手を恕した。
ゆるすには許すと恕すがあります。許すは立場が上の自分が低い相手を許す、許可するという上下関係ですが、
恕すは対等な位置関係で相手をゆるすことを意味します。
この「恕す」という字は、人間は不完全だから過失で過ちを犯すこともあるので恕さなければならないと言う字です。もちろん自分も恕す事を含みます。他人に恕されて今自分が個々にいるのだなと考えてください。その状態を表すのが恕すです。
その後の相手のことや、自分の生活について記述されていませんが、その恕す心になられてから生活が変わったと思います。この体験談から恕すということは、自分がいつも恕されているから相手を恕すのだと考えてください。

2) 物事には良いことと悪いことがある
今日の最後に物事には良いことと悪いことの2つがある。少なくともものの見方には2つ以上の見方があるということ。2つ以上で見ると物事の奥行きが分かります。人間の目も2つあるから遠近感奥行きが分かります。困った。辛い、都合が悪い、不平をいう、逃げるという見方も確かにありますがこの見方では苦しい現状しかみえません。しかしもう1つの見方、これは肥料である。私の個性である。私の試練である。私に意味があるという見方を加えます。
 表面上は苦しいがご本尊様が私に分からせようとしてなされたことである。何か意味があるのだという見方です。それにより成長に、成功に、喜びにつながって行くのではないでしょうか。
2つめの見方を加えることにより、力が湧いて来ます。頑張ろうという気持ちになります。

5 朝顔の話

朝に光を受けて朝顔は咲くといわれ植物学者が24時間電灯による光を与え続ける昼の状態にしたが、朝顔は咲きませんでした。別な方が植物学者に夜の冷気と闇に包まれるから、朝顔は朝日をあびて咲くのだといわれ、夜と昼の区別をつけ夜は冷気を当てたところ朝顔は咲きました。朝日という自分に都合の良いことだけでは私達も花を咲かせることはできないし、不都合、不平、苦しみが必要なのです。

by nohara4241 | 2008-02-07 21:21 | 法話水の章